舞台共演者と次々に恋しながら、過去の不倫相手へのオマージュ作で凄みを見せるー宮沢りえという女優の業

 劇場へ足を運んだ観客と出演者だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

  過激な性描写や社会風刺など、舞台でしかできない刺激的な表現の中に身を置くことは、演じ手にとっても大きな成長の糧となるもの。演劇という手段だからこそ可能なエロティックさの演出と、そこへ挑む俳優の輝きについて考えてみたいと思います。第2回は、野田秀樹作・、演出の舞台、NODA・MAP第21回公演「足跡姫 ~時代錯誤冬幽(ときあやまってふゆのゆうれい)~」でヒロインを演じる宮沢りえに焦点を当てます。

 全身に施したタトゥーが透けてみえる薄い衣装を身にまとい、股間に手を当てながら身をくねらせる――。まるでストリップのダンサーのように官能的に舞う宮沢の役は、女歌舞伎の創設者といわれる出雲阿国(いずものおくに)の後継者「三、四代目出雲阿国」。江戸を舞台に、女歌舞伎の衰退を憂いながらも「踊るときに私を突き動かしているものを見せたい」と、舞台を真摯に愛する一座の看板芸人を演じています。

 実際の衣装はタトゥー柄が施された肌色のボディーストッキングを着用しているのですが、上に羽織ったキモノを透かすことで本当に素肌に見え、体のラインも露わ。阿国の踊りは男の視線を意識したもので、薄いキモノがヒラヒラはだけるのですが、阿国の信条は「肌よりもはるかに男たちの目を喜ばせるものはないか」。その思いは、やがて同じ一座にいる弟で劇作家の「サルワカ」(妻夫木聡)が描いた物語に登場する幽玄の存在「足跡姫」の憑依を呼び込みます。

舞台で一人二役を演じ分ける力量

 下ネタスレスレで遊びのあるセリフも発するチャーミングな阿国と、目の据わった足跡姫の2役の演じ分けは、顔が大写しになる映像作品でならある程度容易にできるのかもしれません。大劇場での舞台では難しいはずの挑戦を、単に声色を変えるだけなくやってみせたのは、宮沢の存在感としか表現しようのないものでした。

 NODA・MAPは、演劇界の重鎮である野田秀樹の作、演出による公演で、緻密に練られた言葉遊びによるセリフと時空間を超越した重層的な作劇で毎公演、高い評価を得ています。宮沢は2004年の「透明人間の蒸気」で野田作品に初出演し、読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。宮沢は同作が本格的に演劇を志すきっかけとなったと明かしており、「足跡姫~」で7作目の出演になるほど、野田とは深い信頼関係を築いています。

 毎公演大きな人気を集めるNODA・MAPですが、「足跡姫~」ではもうひとつ、別の意味での注目が集まりました。

 同作は、2012年に亡くなった人気歌舞伎役者、十八代目中村勘三郎へのオマージュ作品。野田と生前の勘三郎は歌舞伎「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」を共作するなど深い親交があり、その大切な作品に信頼を寄せる女優を起用することは納得ですが、宮沢と勘三郎は過去に不倫関係にあり、その結果宮沢が心身に深い傷を受けたことは、よく知られています。

 モチーフといっても、この役が勘三郎なのだろうと思わせるような、そのものズバリの取り上げ方はしないのが、野田の卓越したセンスです。「足跡姫~」は、モノとして残ることのない“肉体の芸術”である演劇そのものと、生と死がテーマ。阿国とサルワカの母である「二、三代目出雲阿国」は、病気で踊ることができなくなり「世界で一番遠いところ」の存在を姉弟に残して亡くなります。

 終盤、命が燃え尽きる寸前の阿国は、踊れなくなった踊り子にとって「世界で一番遠いところ」が「舞台」そのものだと気がつきます。母と違い、舞台で死ぬことができる自分は幸せだと弟の腕にすがる宮沢の、うるんだ瞳が照明でキラキラ輝く美しさは、生である舞台でしか目にすることのかなわないものでした。

愛憎の傷も糧とするのが、女優

 サルワカは、“舞台”なのだからここで幕が引かれれば阿国の死はただ作中の出来事である「偽物」になる、と叫びますが、役者にとって「舞台で生きることと物理的に生存することは不可分」とはよくいわれること。これはただ勘三郎に捧げるものではなく、宮沢本人への野田からのエールでもあるのではと感じられます。

 かつて勘三郎とのスキャンダルで大きな痛手を負ったはずの宮沢ですが、その後は俳優仲間として刺激を与えあうよい関係であったといわれています。そして宮沢は、「ドラクル」(2007年)の市川海老蔵、「盲導犬」(2013年)の小久保寿人と「足跡姫~」にも出演している古田新太、「三人姉妹」(2015年)の赤堀雅秋、そして昨年の「ビニールの城」の森田剛……と、いずれも舞台で共演した多くの俳優と熱愛の噂がささやかれています。

「足跡姫~」の劇中劇に「舞台にあるのは偽物ばかり」というセリフがありました。舞台はただの娯楽で物語も偽物だけれど、まるで本物の人生や出来事のように魅せてくれるのが、役者の努力と才能です。“偽物”から引き出した何かを、ひとりの人間、女性としては傷つく経験であったとしても飲み込み、糧(かて)として、“本物”の自分の魅力に変えて輝き、感動を生み出すーーその底知れぬ貪欲さを体現しているのが、宮沢りえという存在なのかもしれません。

▼NODA・MAP第21回公演「足跡姫 ~時代錯誤冬幽〜」特設ページhttp://www.nodamap.com/ashiatohime/

(フィナンシェ西沢)

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