キム・ギドクが福島原発事故を描いた超問題作!『STOP』の日本での劇場公開がついに実現へ

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原発事故によって福島から東京へと避難する若い夫婦。様々な情報が錯綜し、出産をめぐって疑心暗鬼に陥る。

 日本での公開は難しいと思われていた韓国の鬼才キム・ギドク監督の『STOP』が、5月13日(土)より劇場公開されることになった。『STOP』はキム・ギドク監督が脚本&プロデュースに加え、撮影・照明・録音も兼任し、2015年に日本でロケ撮影を行なったインディーズ作品。原発事故によって福島から東京へと避難してきた若い日本人夫婦が出産をめぐって葛藤するサスペンスドラマだ。カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭での受賞歴があるキム・ギドク監督の作品は、性器切断などハードな描写が多いことでも知られているが、本作でも妊婦の出産シーンは思わず目を覆いたくなる。来日したキム・ギドク監督に日本ロケを敢行した本作の製作内情について尋ねた。

──キム・ギドク作品は“痛み”を感じさせる作品ばかりですが、今回の『STOP』はこれまで以上に大きな痛みを感じさせます。

キム・ギドク 私たちはみんな、福島で起きた原発事故についてよく知っていますし、日本には被害者の方が大勢います。被災地の方たちと同じように大きな痛みを感じる人は多いと思います。それにこの作品は痛みだけでなく、恐怖も描いています。それもあって、そのように感じたのではないでしょうか。私はこれまで20本以上の映画を撮ってきましたが、私の良心に誓って、誰かを傷つけたり、苦しみを与えようと思って映画を撮ったことはありません。傷を負っている人がいれば、その傷を癒してあげたいという気持ちでこれまで映画を撮ってきました。今回の『STOP』は同じような原発事故が再び起きることを防ぎたい、新しい傷を負わずに済むようにしたいという想いから撮ったものです。

──2011年の東日本大震災のニュースを、キム・ギドク監督はどのような想いで接したのでしょうか?

キム・ギドク 津波が町を呑み込んでいく様子がニュース映像としてテレビから流れ、その映像は今も強く脳裏に焼き付いています。それから福島第一原発が続けて爆発する映像も流れ、本当に恐ろしくなりました。でも、これですべてだろうか、原発事故は1回だけで済むのだろうかと、他の人たちと同じような気持ちでニュースを見て、ショックを受けました。また、人間は本当に弱い存在だと感じました。大自然の前では、人間はとてもちっぽけな存在だと。人間が考え出した原発という大きな装置も大自然の前では簡単に壊れてしまい、またそれによってさらに大きな災害を招くことを改めて知ったわけです。ショックと恐怖を同時に感じながら、自分はひとりの人間として何ができるだろうかと考えました。同じような災害が再び起きることを防ぐような映画をつくりたい、地震を防ぐことはできなくても人間が生み出した原発による事故は防ぐことはできるはずだと。それが映画監督である自分の役目ではないかと思ったんです。

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キム・ギドク監督自身が自主配給することで、問題作『STOP』の日本での劇場公開が決まった。

■自分ひとりで責任を負うという覚悟


──脚本とプロデューサーだけでなく、撮影・録音・照明も自分ひとりでやることは早くから決めたんでしょうか?

キム・ギドク 最初はシナリオを書きながら、日本の整った製作条件の中で撮れればいいなと思いましたし、きっと日本で震災を題材にした映画がいろいろ製作されるに違いないとも思いました。でも、なかなかそういった作品は日本からは現われませんでした。もちろん園子温監督の『希望の国』(12)のような作品もありますが、原発問題に率直に向き合い、問題の解決の糸口を提示するような作品は少ないように私には思えました。日本の映画監督たちがとても慎重になっている状況を見て、日本の製作条件で自分が思ったような映画を撮ることは難しそうだと分かり、それだったら自分ひとりで責任を負う形で撮ろう、スタッフなしで映画を撮ろうと決心したんです。

──原発事故によって日本中が心理的パニックに陥った状況が低予算作品ながらリアルに再現されていますが、謎めいた政府のエージェントが福島から避難してきた若い夫婦に中絶を強要し、警戒区域内で捕まえた動物を精肉にして東京に卸す個人業者が現われたりとフィクションも交えた作品となっています。現実とフィクションの兼ね合いはどのように図ったのでしょうか。

キム・ギドク 確かに政府のエージェントや肉を卸す業者はフィクションです。今回のシナリオを書くにあたって、この問題は福島だけに限ったものではないと思ったんです。もっと大きな事故になっていた可能性もあるという前提で、シナリオを書きました。もっと大量の放射能が漏れていたら、どんな事態になっていただろうと私の想像力を働かせて書いたのが、政府のエージェントや汚染肉の業者です。チェルノブイリ原発事故の後、周辺国で奇形児が生まれたことは事実です。奇形児が次々と生まれるような事態になれば、政府は何らかの形で動くのではないでしょうか。

──妊婦から奇形児が生まれてくるシーンのショッキングさから、劇場公開を躊躇した日本の配給関係者もいると思います。その点に関してはどのように考えていますか?

キム・ギドク 映画が恐怖心を与えることは絶対によくないと思います。でも、だからと言って恐ろしい現実を隠すことも、よくないのではないでしょうか。原発事故後も警戒区域内にずっと残っていた妊婦が奇形児を産むシーンが中盤にありますが、放射能事故によって奇形児が生まれるということはチェルノブイリ事故後に現実に起きています。福島では実際にはみなさん警戒区域から退去されているので、『STOP』で描かれている状況とは異なります。それに奇形児のエピソードが物語のエンディングなら問題だと思いますが、『STOP』のラストは人類にとって新しい希望を感じさせるものにしたつもりです。

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原発事故の裏側では闇ビジネスが蔓延っていた。警戒区域内で野放し状態の動物を捕まえ、精肉化する闇の業者。
■キム・ギドクが日本ロケで感じたこと


──日本での撮影はかなり大変だったと思います。

キム・ギドク 通常の映画なら、助監督や撮影・照明・録音にもそれぞれアシスタントが就くわけですが、全部ひとりでやらなくてはならず、あらゆることに気を配らなくていけないので、本当に大変でした(苦笑)。それで今回はひとりで撮影もでき、照明を当て、録音もできるような新しい機材を手作りで用意したんです。少し水準は下がるかもしれませんが、何とか一人でやることができました。スタッフは私ひとりだったので、その分日本人キャストのみなさんには大変助けられました。俳優のみなさんが演出部の役割まで買って出てくれたんです。

──都内でのロケだけでなく、キム・ギドク監督は福島にも向かったと聞いていますが……。

キム・ギドク ロケハンの際に、ひとりで福島まで行きました。ですが、警戒区域内は許可なしでは入れないので、撮影はせずに警戒区域の近くまで行っただけです。実際の撮影は新宿などの都内と福島の警戒区域の雰囲気に似ている場所を千葉県で見つけて撮影しました。東京タワーでも撮影しています。2回、3回とリテイクすることなく、1回だけでの撮影で終えることが多かったですね。周囲の人たちの迷惑にならないよう気をつけて撮影しましたが、一度だけ住宅街での撮影でひとりの主婦から「うるさい」と抗議されたことがありました。そのときは日本の俳優たちがみんなで私の前に立ち、私の代わりに頭を下げて「すみません」と謝ってくれたんです。韓国から来た私のことを庇う、日本人キャストのみなさんのこのとっさの行動には、本当に心を打たれました。韓国ではよく使われる言葉に「恨」と「情」があります。「恨」は感情が心の中に連なっていくことを表していますが、今回の日本での撮影ほど「情」を感じたこともありません。

──日本語によるドラマということで、演出上の難しさはありませんでしたか?

キム・ギドク もちろん、あったと思います。でも今回は韓国語で書いたシナリオを丁寧な日本語にした翻訳版を用意し、その翻訳版は各キャラクターの感情が反映されたものになっていました。また、日本のキャストのみなさんは『STOP』を自分たち自身の物語だという気持ちで、誠意を込めて演じてくれました。『STOP』が無事に完成したのは、しっかりした翻訳版があったことと、日本人キャストのみなさんの力のお陰です。

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主人公のカメラマンは、福島の警戒区域内で暮らす妊婦が子どもを産む瞬間に立ち会うが……。
■キム・ギドク監督の作風が変わった理由


──以前のキム・ギドク作品は、ひとりの人間が抱える普遍的な悩みを題材にしたものが目立ちましたが、近年は本作も含め、『殺されたミンジュ』(14)、『The NET 網に囚われた男』(16)など現代社会の問題を描くようになってきました。監督の中で心境の変化があったのでしょうか?

キム・ギドク 最近は私のことを多くの人に知ってもらうようになりましたが、知られる前は私の個人的な悩みや考えを映画の中で描いてきたわけです。でも、多くの人に知ってもらえるようになり、自分には社会的責任があるのではないかと思うようになってきました。それもあって個人として何か発信するよりも、社会に向けて発信することを考えるようになったんです。それで政治的問題を扱った『殺されたミンジュ』、南北問題を扱った『The NET』、そして『STOP』のような作品を撮るようになったのでしょう。多くの人に自分の名前を知られるようになったことで、社会に対して発言する資格を手に入れたと同時に責任も生じたと考えています。もうひとつ考えられることとして、私は年齢を重ねることでひ弱になってきたということです。映画を撮り始めた頃は自分は強い人間だと思っていたので、作品も強さを感じさせるものが多かったと思います。でも、だんだんと社会の中で暮らしていくうちに、自分は社会の中では弱い人間ではないかと思うようになってきたんです。政治問題や南北問題など扱うことで、自分は危険な目に遭うのではないか、殺されるのではないかという恐怖を感じるこ
ともありますし、もちろん大災害によって死ぬこともあるかもしれません。以前はそんなことを想像しても怖いとは思わなかったのですが、今はとても怖いと感じるようになりました。それもあって、安全に暮らしたい、恐怖に打ち克ちたいというメッセージを込めた作品を撮るようになってきたようです。

──今のキム・ギドク作品は、責任感と恐怖心が映画づくりの原動力になっているわけですね。低予算で撮られた『STOP』ですが、キム・ギドク作品に共通する“生きる上での痛み”や“贖罪”といったテーマがくっきりと浮かび上がっていることも印象的です。

キム・ギドク そういうふうに感じてもらえると、とてもうれしいです。最後にもうひとつ言わせてください。私は韓国の監督として福島の原発事故を映画にしましたが、本当に私が撮ってもよかったのか、この映画を撮る資格が私にはあったのかと今でも自分に問い掛けています。でも、私は決して日本のことを嫌悪して、この映画を撮ったわけではありません。そのことが気がかりです。『STOP』は日本人や韓国人であるということを抜きにして、地球上に生きているひとりの人間として撮るべきだと思い、全力で撮った作品です。もし、この映画を観て、少しでもつらい思いをしたり、トラウマを感じる人がいれば申し訳なく思います。原発は日本だけでなく、世界中でこれからますます増えていくことになります。『STOP』が原発問題を再度考えるきっかけになれば本望です。
(取材・文=長野辰次)


『STOP』
監督・撮影・照明・録音・編集/キム・ギドク プロデューサー/キム・ギドク、合アレン
出演/中江翼、堀夏子、武田裕光、田代大悟、藤野大輝、合アレン
配給/Kim Kiduk Film、Allen Ai Film 5月13日(土)より新宿K’s シネマ、キネカ大森、6月24日(土)より横浜ジャック&ベティほか順次ロードショー
※作品収益の一部は震災被害のあった福島、熊本に寄付されることが決まっている。
(c)2017 by Allen Ai Film
https://www.stop-movie.com


●キム・ギドク
1960年韓国・慶尚北道奉化郡生まれ。1996年に『鰐 ワニ』で監督デビュー。『魚と寝る女』(00)と『受取人不明』(01)が2年連続でベネチア映画祭コンペ部門に選ばれ、欧州での評価が高まる。『悪い男』(01)はベルリン映画祭コンペ部門に選出。『サマリア』(04)はベルリン映画祭銀熊賞(監督賞)、『うつせみ』(04)はベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)、セルフドキュメンタリー『アリラン』はカンヌ映画祭ある視点部門の作品賞を受賞し、韓国人として初の世界三大映画祭受賞監督となった。『嘆きのピエタ』(12)はベネチア映画祭金獅子賞(最高賞)を受賞。その他の主な監督作に『春夏秋冬そして春』(03)、『弓』(05)、『絶対の愛』(06)、『ブレス』(07)、『悲夢』(08)、『メビウス』(13)など。脚本&プロデュース作に『映画は映画だ』(08)や『レッド・ファミリー』(13)がある。事故で韓国に流された北朝鮮の漁師の理不尽な運命を描いた『The NET 網に囚われた男』は日本で今年1月に公開されたばかり。

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