日本が世界に誇る「官能的絵画」を“殺した”のは誰か? 春画、1世紀半の不幸なる近代史
「江戸時代の日本の豊かな性愛文化」の象徴――。そのような文脈で語られ、大きなブームを巻き起こしている春画。しかし明治以降の歴史を眺めてみれば、むしろ愚劣低俗なものとされ弾圧されてきたというほうが正しい。いま、春画の近代史をたどる!
明治33(1900年頃)『出雲のちぎり』寺崎広業幕末・慶応2(1866)年生まれの日本画家、寺崎広業が明治末期(1900年頃)に描いたとされる連作『出雲のちぎり』のなかの1枚。寺崎広業は、東京美術学校(のちの東京芸術大学)の教授も務め、横山大観らと並ぶ大家である。
2015年9月19日から12月23日まで、東京都・文京区の美術館「永青文庫」で「SHUNGA 春画展」が開催された。来場者数は20万人を突破、特に女性客が多かったことで話題となった。
フェミニズムの第一人者として著名な社会学者の上野千鶴子は、春画について次のように語っている。
「春画には女の快楽がきちんと描かれています。(中略)快楽が女に属するものであり、女が性行為から快楽を味わうということが少しも疑われていない。この少しも疑われていないということが他の海外のポルノと全然違うところなんです。能面のような顔をした、男の道具になっているとしか思えないようなインドや中国のポルノとは違う」(青土社「ユリイカ」2016年1月臨時増刊号)
「美術手帖」2015年10月号(美術出版社)では女性のための春画特集が組まれ、蜷川実花×壇蜜による春画グラビアなどを掲載。かくして春画は現代女性の共感を得、「江戸時代の豊かな性愛文化の象徴」といったイメージのもと、ここ数年大きなブームとなっている。実際「春画」と付く出版物は、2015年発行のものだけで15冊以上を数える。
しかし「春画」とは、後世の呼称である。「春画」全盛期の江戸期には「枕絵」「笑い絵」「笑本・艶本(いずれも「えほん」)」などと呼ばれ、版画の場合その多くは12数1組、本の場合は3巻の体裁を取っていた。名だたるほぼすべての浮世絵師が描いたとされ、前述の春画展で展示されたのも、主に喜多川歌麿、鈴木春信、葛飾北斎、鳥居清長、歌川国芳など著名な絵師のもの。男女の性の営みを大胆に描き、性器を大きく誇張した作品が多い。
これら春画を含む浮世絵には木版画と肉筆画がある。木版画は大量に刷ることができ、貸本屋などを通して流通。対して肉筆画は、富裕層が絵師にオーダーした、贅を尽くした“一点もの”作品である。江戸期に花開いた木版画は、その技術の高さと芸術性から世界的にも評価が高く、現在出回っている浮世絵や春画も多くは版画作品だ。
かといって当時、春画が自由に売買されていたわけではない。1722(享保7)年、江戸中期の享保の改革によって、好色的な書物は発禁となった。だがその影響力は徹底しておらず、庶民の間ではこっそりと、しかし相当量が流通していたとみられる。売れるから儲かる、儲かるから新しい作品制作に存分な資金と高度な版画技術が注ぎ込まれ、発展していったのである。
さらに内容はといえば、性愛表現だけでなく大らかさやユーモアにもあふれ、現代的なポルノグラフィとは違うとされる。「SHUNGA 春画展」の企画に携わった、東洋古美術専門の美術商・浦上蒼穹堂代表で、自身も春画をコレクションしている浦上満氏は、「春画は人間讃歌」だと語る。
「後ろめたさがなく健全な作品。展覧会でも女性たちがワイワイと話しながら見ていました。おそらく江戸でも、このように楽しまれていたのでしょう」(浦上氏)
下半身を露わに交わる男女の背景には和歌が添えられたり、中国古典文学のパロディが書かれたりと読み手の教養が要求されるものもあり、作家の創造性を存分に発揮する手段としても機能していたとみられる。こうした表現内容の多様性やそれに対する評価も踏まえ、昨今の「春画ブーム」があると見てもよいだろう。
しかし春画に対するそのような評価は、普遍的なものだろうか? 江戸期には「芸術」などではなくもっと日常的なものであっただろうし、一転、明治期以降においては「西洋化」の波のもと“わいせつ”なものとして厳しく取り締まられ、結果として春画そのものの衰退を招いた。また学問的にも研究対象からは疎外され、実はその全容の研究にいたっては、やっと端緒に就いたばかり……という状態なのだ。
かように時代に翻弄されてきた春画。そのときの社会背景を反映しながら、愛され、焼かれ、そして今また愛されようとしている。以下、そのような「春画の近代史」を概観したい。
(文/安楽由紀子)