痴漢冤罪でホーム飛び降り自殺 青年の無念は晴れるのか?
~【ジャーナリスト渋井哲也のひねくれ社会学】都市伝説よりも手ごわいのは、事実だと思われているニセモノの通説ではないだろうか? このシリーズでは実体験・取材に基づき、怪しげな情報に関する個人的な見解を述べる~
2009年12月11日、東西線・早稲田駅で大学職員の原田信助(はらだしんすけ)さん(当時25)がホームから飛び込み自殺した。これに対し、前日に新宿署で行われていた痴漢容疑(迷惑防止条例違反)での取り調べが違法であったとして、遺族の母親、尚美さんが東京都を相手取り、損害賠償を求めている裁判が現在行われている。そして去る3月9日、ようやく事件のカギを握る人物たちの証人尋問が行われた。信助さんを取り調べた新宿駅西口交番の警察官2人、現場から報告を受けた新宿署地域課の警部補、信助さんの死後に設置された特命捜査本部の責任者の4人だ。果たして警察は責任をもって誠心誠意、真実を明らかにするのだろうか――。裁判のゆくえに注目したい。
■新宿署痴漢冤罪憤死事件概要
画像は、原田信助さんの国賠を支援する会より
信助さんは前日の12月10日午後11時前後、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から転職した私立大学の歓迎会から帰る途中、駅の階段で男女数人の大学生グループとすれ違った際に、「お腹をさわられた!」と叫ばれ、2人の男性から暴力を振るわれ、揉み合いになった。このとき、信助さんは身の危険を感じて110番通報している。警察は現場に到着すると信助さんに「暴行の被害者として調書を取る」と説明し、新宿西口交番へ向かせ、その後、新宿署に向かわせた。
しかし、新宿署で待っていたのは、痴漢の容疑者としての待遇だった。女性が厚手のセーターの上からお腹をさわられたとして、迷惑行為、つまり痴漢行為があったと訴えていたのだ。暴行を受けたうえに、痴漢容疑で聴取を受けた信助さんのショックはうかがい知れない。ちなみに、西口交番から新宿署に連行される際、「とりあえず警察署に来ていただけませんか?」などと言われているだけで、痴漢容疑については告げられていない。突然、疑いをかけられたのだ。新宿署での事情聴取に対し、信助さんは痴漢行為については否認し続けた。これらの一連のやりとりは信助さんのICレコーダーで録音されていた――。
■警察の矛盾
信助さんの死後1カ月後、尚美さん(母)は、新宿署に行き、副署長に説明を求めた。その際副署長は「息子さんを(痴漢の)犯人と特定するにはいたらなかった」「午前4時ごろまでには(痴漢は人違いであることが)わかった」と説明。それを示す証拠も「110番情報メモ」に残っている。
画像は、110番情報メモ
そこには、信助さんの携帯電話から「12月10日23時27分」に通報を受理し、「事案名」は「けんか・口論」「新宿st 当 客 原田 男 駅員に囲まれている 以下応答なし うしろで 駅員の声 口論『名札を取った』 一断 再信 × Rc-OK」と記され、連行後の結果については「痴漢容疑で本署同行としたが、痴漢の事実がなく相互暴行として後日地域課呼び出しとした」「現認した被疑者の服装と(信助さんの)服装が別であることが判明」とある。まさしく、情報メモを書いた時点で、被害女性が証言していた服装と、信助さんの服装が違うことから「人違い」だと判明していたということだ。副署長が尚美さんに説明した内容と一致している。しかも、被害者女性も「人違い」と判明したことで「被害届を出さないという上申書」を提出していたのだった。
ただし、信助さんのICレコーダーの録音を聞く限り、信助さんには「人違い」だったことを告げていない。痴漢容疑についての結果は何も告げられずに釈放されていたのだ。信助さんは「相互暴行」の当事者として、もう一度新宿署に出向くことを約束はしていたが、痴漢行為の犯人だと扱われたと思い込んだまま帰宅したことになる。この日の顛末を知らない信助さんは思い悩み、そのためか、翌日、東西線・早稲田駅で線路に飛び込んでしまう。
■証人尋問内容
この流れについて、新宿駅西口交番の警察官(当時)は、3月9日の証人尋問で以下のように証言している。
被告代理人 新宿署に電話したら?
警察官 「痴漢か喧嘩かわからない」と言うと、「こっちで確認する。電話を待つように」と指示があった。
被告代理人 その後、電話は?
警察官 「もう少し詳しく聞くように」と言われた。
被告代理人 再度、当事者から聞いた?
警察官 食い違いはなくならないので、係長に電話した。「やはりわからない」と言うと、係長は「こっちで確認する」「本署に同行を」と。
つまり、信助さんを新宿署に連行した理由の中には、信助さんに告げた「相互暴行の当事者」に加え、はじめから「痴漢容疑」もあったということだ。もちろん、容疑を告げずに連行するのは違法捜査だ。信助さんは相互暴行の当事者として捜査協力をするつもりだったのに、いきなり、痴漢容疑が加わった。心理的にパニックになっても仕方がない状況だ。
■特命捜査本部
信助さんが亡くなったことを警察官たちが知ったのは翌日だった。そこで、事件をもう一度捜査するために設けられたのが「特命捜査本部」だ。詳しくはコチラの記事を参照してほしい。
信助さんの死後、特命捜査本部は、被害女性らとともに新宿駅構内で実況見分を行った。そして、その証言だけをもとに信助さんを書類送検。検察庁は「被疑者死亡の理由」で不起訴として処理したのだ。
尚美さんは、“新宿署は容疑を告げない違法捜査で連行し、それに対する指摘を防ぐために特命捜査本部を設置して、早々に処理した…”そう考えている。
特命捜査本部の責任者は、刑事課の課長代理(当時)だった人物だ。証人尋問で次のように証言している。
原告代理人 12日に母親が新宿署に電話をした。新宿署が母親に説明したのは?
課長代理 細かくは知らない。電話があったことは知っている。
原告代理人 13日に副署長が母親に電話をしているのは知っているか?
課長代理 うーん。
原告代理人 ご存じない?
課長代理 はい。
原告代理人 このとき、痴漢事件について、副署長がどう説明したのか知らない?
課長代理 はい。
原告代理人 (JRから提出を受けた)防犯ビデオの画像を刑事課では見ていない?
課長代理 見ていない。
原告代理人 目撃者探しは?
課長代理 個別には当たっていない。
原告代理人 防犯ビデオを解析すればわかりますが、痴漢したかどうかはわからないですよね?
課長代理 はい。
原告代理人 関係者の中で、痴漢されたと言っているのは被害女性だけ?
課長代理 はい。
原告代理人 ほかの人は目撃していない?
課長代理 はい。
原告代理人 痴漢している場面ははっきり映っている? お腹をもんだ、という場面ですが。
課長代理 映っていません。
裁判官 痴漢を目撃している人はいた?
課長代理 判断できない。いるかもしれない。
原告代理人 翌年(10年)1月11日、原告(尚美さん)が副署長を訪ねたとき、副署長は「やったのか、やっていないのか。痴漢と特定できないと認定した」と言っている。でも、このとき特命捜査本部は動いている?
課長代理 はい。
原告代理人 結論が出ている言い回しになっている。このときはこういう結果が出ていた?
課長代理 この時点では私はわかりません。
原告代理人 副署長が原告にどう説明するのかの相談を受けていたのか?
課長代理人 記憶にない。この時点では痴漢と断定してない。捜査している途中だった。なぜ、副署長がそう説明したのかわからない。
特命捜査本部が設置されなければ、この痴漢容疑は再捜査されなかった。信助さんが亡くなったから、当日の警察官の捜査についてもう一度確認しなければならなかったのだ。
ただ、ビデオでも痴漢行為を確認できず、目撃者探しもせず、被害女性の証言と実況見分だけで書類送検したことになる。仮に、本当に女性が信助さんによって痴漢の被害に遭っていたとしても、証拠がひとつもないのに、被害女性の証言だけで書類送検していいのだろうか?
原告側は当時の新宿署長の証人尋問を要求しているが、被告側がそれになかなか同意しないため、実現してない。
そして5月20日、進行協議が行われた。もともと原告側が証人申請していた新宿署長と原告のほか、副署長と生活安全課長(いずれも当時)も証人申請に加えた。信助さんの死後、原告が新宿署に出向いた際に、なぜ、特命捜査本部が事件を捜査している中で副署長は「痴漢を特定できないと認定した」と説明したのか。そのとき、生活安全課長も同席していることから、この2人を新たに証人として尋問したいと考えている。
警察の誠意が試される日が近い――。
(文=渋井哲也)