第一子を出産した眞鍋かをり&イエモン吉井が“臨月ギリギリ入籍”になった理由は

 今年6月に自身のブログで、元THE YELLOW MONKEYの吉井和哉(48)との結婚・妊娠を発表したタレントの眞鍋かをり(35)。「かねてよりお付き合いしておりました吉井和哉さんと結婚し、現在新しい命を授かっていることをご報告させていただきます」と記し、その時点ですでに「結婚」したはずと思われていた。

 しかし実際にはその段階ではまだ、入籍をしていなかったようだ。10月20日、スポーツ紙によって、眞鍋が10月中旬に無事出産していたことが報じられ、また、入籍は先月だったことも発覚。「ブログの女王」と呼ばれた時期もあるほどの眞鍋だが、最近はすっかり更新回数が減り、最新記事の更新は9月24日で、その内容も妊娠や出産に関することではなく、北斗晶の乳がん闘病を受けて「検診に行かなきゃね」といった記事だった。入籍や出産を報告する記事は一切、書かれていない。Twitterの更新頻度も極端に減っており、6月以降は9月1日、10月1日に一言ずつ投稿があるのみだ。

 6月に「妊娠・結婚」と公式に発表したにもかかわらず、入籍自体が9月になっていたことについて、ネットでは「出産ギリギリまで入籍しないなんて情けない」「渋々入籍したのかな」と、眞鍋を哀れみ、吉井を非難する声が相次いでいる。一方で、眞鍋が未入籍の時点で「結婚した」と綴っていたことを「入籍してくれないからリークしたのでは?」と邪推する向きもあった。

 授かり婚が珍しくもない現代、妊娠が発覚してから入籍するパターンは芸能界でもよくあることだが、それでも出産まであと一カ月と迫るまで籍を入れずにいたのはどうしてなのだろうか。紹介したようにネット上では「吉井が結婚したがってなかったのでは?」という失礼な見方が大半だが、もしかしたら暦上の縁起の良い日を選んだ結果だったのか、または9月に2人の記念日か何かがあって、それに合わせて入籍したかったという可能性もある。

 先日には、モデルの相沢紗世(37)がオリックス・バファローズの中島裕之(33)との間にもうけた子供を9月下旬に出産してから入籍という、“生まれちゃった婚”をしていたことが報じられた。この二人に関しても、「男側が結婚を渋ったのだろう」という見方が多く、中島に対して「ろくでもない男」と批判的な声が沸いていた。ただ彼らについては、「週刊文春」(文藝春秋)にて中島の母が2人の結婚に猛反対し、相沢が妊娠してもその姿勢を崩さなかったために入籍が遅くなったと報じられている。「男が結婚を渋った」から、入籍が遅れる……というパターンばかりではないのが実際だろう。

 眞鍋と吉井の間にもこのような家族間の事情があったのかもしれない。吉井は前妻との間に4人の子供がおり、孫もいる“おじいちゃん”でもある。対して眞鍋は初婚であり、ひょっとしたら眞鍋の親族がバツイチ子持ち・孫持ちの吉井との結婚を反対していたために入籍が遅れたことも考えられるのではないか。8月には吉井が眞鍋の待つ自宅に寄り付かなくなっているとの報道もあったことから、「吉井が結婚したがらなかった」説が広まってしまっているが、いずれにせよ、晴れて夫婦となり養育すべき子供も生まれたのだから、イチから幸せな家庭を築いてほしいものだ。
(シュガー乙子)

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