【平成風俗史】ニッポン風俗界を陥れた三度目のターニングポイント
戦後、ニッポンの風俗は大きなターニングポイントを3回経験している。最初は、昭和33年「売春防止法」によって赤線が廃止になった時だ。それ以降、ニッポンの風俗は“揷入せず射精に至らしめる”を標榜して現在に至っている。
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戦後、ニッポンの風俗は大きなターニングポイントを3回経験している。最初は、昭和33年「売春防止法」によって赤線が廃止になった時だ。それ以降、ニッポンの風俗は“揷入せず射精に至らしめる”を標榜して現在に至っている。
平成に入ってまもなく訪れたヘアー解禁の流れによって、出版業界で最も潤ったのは、風俗誌界隈ではなかっただろうか?
昭和60年に風営法が改正され、やっと開花したニッポンの風俗が一気に縮小してしまうのでは…と思われたが、神風が吹いた。昭和61年、バブル経済の到来である。株価や不動産価格が見る見る上がり、夜の街でも札ビラが飛び交ったのだ。
令和元年、そして、新天皇御即位おめでとうございます。記念すべき令和初日は、昭和風俗がもっとも輝いてたあの時代への足がかりとなった歴史からです。
昭和53年(1978年)、売春防止法施行を機に急増したトルコ風呂と、大阪万博後に急増したピンサロ、それまでは主にその二つしかなかった風俗界に、一筋の光が射した。 その場所は、東京でも大阪でもない、京都にある1軒の喫茶店だった。そこの店主がひらめいたアイディアが、その後の日本の風俗を「暗」から「明」へ大変革を起こす。
オリンピックを1年後に控えているということで、ちょっとそれに関する話を。日本がオリンピック誘致に成功したのは、昭和39年(1964年)の第18回大会が最初だと思われているが、実はその前にも一度成功している。場所は同じ東京、昭和15年(1940年)の第12回大会だ。
ニッポンの代表的風俗といえば、北のアノ人のお父さんもお忍びで来日して遊んだことがあると、まことしやかに語られている「トルコ風呂(現ソープランド)」である。
風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。
このコラムで度々書いてきたが、筆者は巨乳が好きだ。これまで幾度となく巨乳の女の子を講習してきたし、暴走しすぎて危ない橋を渡ることもあった。目の前にすると自分の立場を顧みなくなってしまうくらい巨乳が好きなのだ。
店長になって数年間は忙しくて休みなどなかなか取れなかったが、従業員や次の店長候補の育成がある程度終わると、連休が取れるくらいまでになった。
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