「その他」の記事一覧(13 / 57ページ)

【平成風俗史】ニッポン風俗界を陥れた三度目のターニングポイント

 戦後、ニッポンの風俗は大きなターニングポイントを3回経験している。最初は、昭和33年「売春防止法」によって赤線が廃止になった時だ。それ以降、ニッポンの風俗は“揷入せず射精に至らしめる”を標榜して現在に至っている。

【平成風俗史】悲劇の21世紀~歌舞伎町浄化作戦 消えた風俗街~

 平成に入ってまもなく訪れたヘアー解禁の流れによって、出版業界で最も潤ったのは、風俗誌界隈ではなかっただろうか?

【平成風俗史】バブル到来~新規風俗店の急増に湧く夜の街~

 昭和60年に風営法が改正され、やっと開花したニッポンの風俗が一気に縮小してしまうのでは…と思われたが、神風が吹いた。昭和61年、バブル経済の到来である。株価や不動産価格が見る見る上がり、夜の街でも札ビラが飛び交ったのだ。

【平成風俗史】ノーパン喫茶~ファッションマッサージと、新法令の施行~

 令和元年、そして、新天皇御即位おめでとうございます。記念すべき令和初日は、昭和風俗がもっとも輝いてたあの時代への足がかりとなった歴史からです。

【平成風俗史】風俗から悲壮感を排除した、明るく楽しい風俗の誕生

 昭和53年(1978年)、売春防止法施行を機に急増したトルコ風呂と、大阪万博後に急増したピンサロ、それまでは主にその二つしかなかった風俗界に、一筋の光が射した。 その場所は、東京でも大阪でもない、京都にある1軒の喫茶店だった。そこの店主がひらめいたアイディアが、その後の日本の風俗を「暗」から「明」へ大変革を起こす。

【平成風俗史】高度経済成長と共に成長した二つの風俗

 オリンピックを1年後に控えているということで、ちょっとそれに関する話を。日本がオリンピック誘致に成功したのは、昭和39年(1964年)の第18回大会が最初だと思われているが、実はその前にも一度成功している。場所は同じ東京、昭和15年(1940年)の第12回大会だ。

【平成風俗史】昭和風俗の遺産~トルコ風呂の発祥から泡おどりまで~

 ニッポンの代表的風俗といえば、北のアノ人のお父さんもお忍びで来日して遊んだことがあると、まことしやかに語られている「トルコ風呂(現ソープランド)」である。

【平成風俗史】終戦から売春防止法設立まで~ガラパゴス風俗誕生は終戦直後だった⁉︎

 風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。

【元デリヘル店長の回想録】高いポテンシャルを持つ在籍嬢が人気の陰りに一念発起し…

 このコラムで度々書いてきたが、筆者は巨乳が好きだ。これまで幾度となく巨乳の女の子を講習してきたし、暴走しすぎて危ない橋を渡ることもあった。目の前にすると自分の立場を顧みなくなってしまうくらい巨乳が好きなのだ。

【元デリヘル店長の回想録】「秘密にしてくださいね? お店にバレたら怒られちゃうから…」スナックの女のコを連れ出してSEX

 店長になって数年間は忙しくて休みなどなかなか取れなかったが、従業員や次の店長候補の育成がある程度終わると、連休が取れるくらいまでになった。

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