「ギャンブルジャーナル」の記事一覧

皐月賞・武豊騎手の「潔いコメント」に拍手喝采!

 17日の皐月賞(G1)で4着に終わったエアスピネル。鞍上は競馬界の象徴・武豊騎手だったが、同世代の強豪に屈する結果となってしまった。

 しかし、前走の弥生賞と同じく、エアスピネルの騎乗自体には一切の憂いなし。スタートから6番手につけ、前を行くリオンディーズと自身の近くにいたサトノダイヤモンド、そして後方に待機するマカヒキと、戦前騒がれた“3強”すべてを意識したような位置取り。最終コーナー手前から徐々に押し上げ、直線ではスムーズに進路を取ってサトノダイヤモンドと並んで前を行くリオンディーズに迫った。エアスピネルの脚質と相手関係を考えれば間違いなく「完璧」な騎乗だったといえるだろう。

 勝負どころで先頭のリオンディーズが左によれ、「さあここから!」というところでエアスピネルとサトノダイヤモンドが不利を受けてしまった部分は不利としか言いようがない。「不利がなければ3着はあった」と、並走したサトノダイヤモンドと着順が入れ替わっていた可能性を指摘する声もある。

 しかし、例え不利がなかったとしても、大外から他馬をゴボウ抜きしてつきぬけたディーマジェスティ、最後の最後に鬼脚を繰り出した2着マカヒキに勝てたかと問われると、ラップタイムなどもふくめ多くのファンは口をつぐんでしまうだろう。武騎手が最高の騎乗をしていただけに、上位2頭の実力の高さを見せつけられた格好である。

 4着という結果は武騎手としても悔しいに違いない。「不利がなければ」とファンでも思うのだから、当事者が思わないはずがない。しかし、武騎手はレースを振り返ってこう回答している。

「レースとしては思い通りの走りでレース前も落ち着いていた。陣営の努力のおかげです。
ただ、上位の馬は強かった。不利は痛かったけど、それでも上位の馬は強かったです」

 このコメントに「武はホント潔い」「マカヒキとディーマジェスティの実力を素直に認めてるんだな」「こういうコメントさらっといえるあたりがやっぱりすごい」と称賛の声であふれている。騎手の中には、不利を受けた破れたことに激高してしまう人物もいるそうだが、武騎手は冷静にレースを分析した回答をしたということだ。下手な言い訳をしないところにその「矜持」が垣間見える。

 エアスピネルがあのまま不利なくレースを進めても、今回の1,2着馬に勝利するのは難しかった……それはファンが抱いた印象と極めて近いものだったろう。しかし、当事者であり「勝負の世界」に生きる騎手にとって、その事実を受け入れるのはなかなか難しいのではないか。それを受け入れ、不利のことを強く口にしない度量こそ「さすが武豊」といわれる所以のように感じてしまった。

 このコメントだけのせいではないが、武騎手はもちろん、ファンもまだエアスピネルを見限ってはいない。「長距離走る仕上げになってたし、上位と差はそれほどない」「ダービーでこそ輝け」「後ろの二頭はハイペース+追い風ではまったところもあるし、着差ほど差はない」と、期待以上に強豪と渡りあったエアスピネルの「日本ダービー制覇」に希望を見出している。これもまた、騎手が武豊だからこその応援であるような気がしてならない。

『情熱大陸』出演のミルコ・デムーロ騎手に暗雲!? 「負の歴史」繰り返しでTBSの目論見崩壊か

 「ギャンブルジャーナルより」ドゥラメンテやリオンディーズの主戦を務め、今年も重賞を勝ちまくっているミルコ・デムーロ騎手が『情熱大陸』(TBS系)に出演することが決まった。

 毎回、高視聴率が期待される人気密着ドキュメンタリーへの出演とあって、多くのファンは今から「録画必須!」と大盛り上がり。放送は4月17日になる予定で、ちょうどデムーロ騎手が上位人気の予想されるリオンディーズで参戦する皐月賞(G1)の夜になる。

 そんな偶然もあってか、ネット上では「勝つのはリオンディーズか」「これはフラグ立ったな」「リオンディーズ、まず一冠」「(馬主の)キャロットファーム、おめでとう」など、早くも祝勝ムード一色。確かに『情熱大陸』を放送するTBSからすれば、是が非でもリオンディーズにクラシックの1冠目をもぎ取ってほしいところだろう。

 しかし、有名番組からのプッシュもあって皐月賞は「リオンディーズ断然」かと思いきや、「これは不吉だわ」「ああ、残念」「リオンディーズに暗雲」といった全く逆の声も……。

 どうやら、それには『情熱大陸』が前回、競馬を題材として取り上げたのが2014年04月27日放送の「チームキズナ」だったことが関係しているようだ。

 当時の番組は日本ダービー(G1)を勝ったキズナが、世界最高峰の舞台となる凱旋門賞(G1)に挑む1年を追った競馬ファン納得の内容。番組の最後には、お馴染みの葉加瀬太郎氏の名曲をバックに、復帰したキズナが大阪杯(G2)を圧勝するシーンが流れるなど、まさに本馬がこれからの競馬界を背負っていく存在となる期待を持たせるものだった。

 ところが、その年の天皇賞・春(G1)。キズナは『情熱大陸』の相乗効果もあって、単勝1.7倍の絶対的な支持を集めるも、馬券圏外となる4着に惨敗……。過剰人気を後押ししたファンの期待を裏切ってしまうと、さらにはレース後に骨折が発覚。絵に描いたような凋落ぶりでその後は結局、一度も勝てずに引退してしまった。

 まさに天国から地獄……そんな偶然があって良いのかと思ったのだが、2012年5月26日にBSジャパンで放送された『ジョッキー福永祐一の挑戦 ~越えろ!ユウイチ~』では、さらに”悲惨な末路”が待っていた。

 番組では、ワールドエースに騎乗して皐月賞で2着に惜敗した福永騎手が、続く日本ダービー(G1)に対する思いを熱く語る内容。対談相手には前年にリーディングを争った岩田康誠騎手が招かれ、トップジョッキー同士だからこそ語り合える濃密な時間が放送された。

 しかしその後、実際に日本ダービーを勝ったのは、番組内でも主役の福永騎手をひたすら「ヨイショ」していた岩田騎手だったのだから、なんとも皮肉な結果としか言いようがない……。

 そんなエピソードもファンの印象に残っているせいか、どうやら『情熱大陸』に限らず、密着ドキュメンタリー番組などでプッシュされた騎手は、それが”裏目”に出てしまうジンクスが定着してしまっているようだ。

 果たしてデムーロ騎手はジンクスを破れるのだろうか、それとも”負の歴史”は繰り返しTBSの目論見は淡く崩れ去るのだろうか……。

『情熱大陸』も必見だが、その前の皐月賞も必見であることに間違いはなさそうだ。

震災の日に生まれ、栄光をつかんだ「運命の子」

【ギャンブルの“本質”に迫る ギャンブルジャーナルより】上記写真は、2011年の東日本大震災から5年を迎える本日3月11日、東京や大阪をはじめ、全国各地に無料で配布された新聞の表紙である。今なお復興の途上にある東北各地の被災地から発信された「風化させない」というメッセージといえるだろう。筆者も東北出身者なので、思わず無料配布に手を伸ばしていた。

 紙面には”あの日”を振り返った上で、希望に向かう取り組みや被災者たちの前へ進むエピソードが紹介されているが、被災地の人々、震災の状況を眺めていた人々それぞれに”あの日”の物語はあるのだろう。そしてその物語は、なにも人間だけのものではない。

 11年3月11日、この世に生を受けた一頭の競走馬がいた。14年の菊花賞馬・トーホウジャッカル。彼がG1の栄光を手にするまでの過酷な道のりは、震災の日に生まれた運命を表しているかのようだ。

 北海道・繁殖牝馬が20頭程度の小規模牧場・竹島牧場で生まれたトーホウジャッカル。鮮やかな栗毛に金色のたてがみという「尾花栗毛」の美しい同馬は、悲惨すぎる映像を見つめる牧場の関係者にとって、希望の象徴のように映ったのではなかろうか。

 その後同馬は順調に育ち、栗東の谷潔厩舎に所属が決まる。そう、ここまでは順調だった。

 しかし、育成牧場で鍛えられ、デビューも近くなった2歳時にトーホウジャッカルは重度の腸炎を患い、一時は生死の境をさまようことになる。唐突に訪れた「危機」――。関係者の尽力でなんとか一命はとりとめたものの、同馬の馬体重は50キロも減少していた。もはや競馬で勝つ負ける以前に、競走馬としてレースに出走できるのかも怪しい状況だったのだ。

 回復したのは翌年、3歳を迎えた3月。2歳の夏場から新馬戦が始まっていることを考えれば、相当な出遅れといえよう。結局、競走馬としてデビューしたのも5月31日の京都未勝利戦。ちょうど同世代のチャンピオンが決まる日本ダービーの前日だった。

 酒井学騎手が鞍上で迎えたデビュー戦は10着、幸英明騎手騎乗で臨んだ2戦目は9着と、とてもではないが期待を持てるような結果ではなかったのだが……。

 酒井騎手は、同馬のレースセンスを感じたのか、谷厩舎にもう一度乗りたいと直訴。その後中京の未勝利戦を勝ち上がると、続く500万下と連勝。さらに、小倉の玄海特別で歴戦の古馬相手に堂々2着となり、同馬のポテンシャルが徐々に解放されつつあった。

 そして、運命の3歳・秋。G1菊花賞のトライアルである、神戸新聞杯に抽選を突破して出走。同レースには同年のダービー馬ワンアンドオンリーや、有力馬であるサウンズオブアースも出走していたが、この2頭に前を塞がれる不利がありながらもタイム差なしの3着に好走。菊花賞への優先出走権を獲得した。

 迎えた本番、菊花賞。内枠を引いた同馬は、5番手のインコースという絶好の位置で脚を溜めることに成功。最後の直線をスムーズに抜け出すと、ワンアンドオンリーやトゥザワールドなど人気馬を置き去りにし、サウンズオブアースの追撃も振り切って見事G1制覇を達成。谷潔調教師は開業20年で初のG1制覇、デビュー149日での菊花賞制覇は史上最短、タイムは従来のレコードを1秒7も更新するなど、記録ずくめの勝利となった。淀に現れた金色のニューヒーロー誕生に、観衆は酔いしれた……。

“あの日”に生まれ、生死の境をさまよい、奇跡のような復活を遂げて世代の頂点へ……。なんとも出来過ぎたストーリーではあるが、日本中を絶望させた出来事とリンクさせ、競馬のロマンを強く感じた人も多かったのではないだろうか。

 続く15年、トーホウジャッカルはケガの影響もあってか思うような活躍ができずに終わった。しかし、彼の物語はまだ終わらない。今月20日の阪神大賞典に出走を予定しているようだ。震災から5年が経った翌週に出走というのも、また運命のようなものを感じさせる。

 逆境を越え、ひたむきに生きて栄光をつかんだトーホウジャッカルの姿は、苦境にあっても笑顔を絶やさぬよう生きる被災地の人々の姿と重なる。負の状況を越え、プラスに変えることこそが”強さ”なのだと教えてくれる。

 3月11日だけでなく、京都競馬場に秋が訪れるたび、筆者はトーホウジャッカルの勇姿と”あの日”を想い起こすのである。

武豊にキングカズ…レジェンドに影差す「薬物問題」

 清原和博の薬物逮捕は、プロ野球界のスーパースターということも相まって、世間に大きなインパクトを残した。

 まごうことなきスポーツのスターが逮捕されるというのは非常にめずらしく、マスコミが清原一色となるのもうなずける話。しかし、スポーツ界における“レジェンド”の中には、直接的ではないが、薬物に関わってしまった人物がいる。

 競馬界の名手・武豊もその一人。もちろん武騎手に薬物疑惑など毛頭ない。あるわけがない。ただ、彼の親族の中に、残念ながら薬物に手を染めてしまった人物がいる。

 武豊の実兄である長男の武伸氏は、毎日新聞にコラムを書くなどフリーランスとして活動していたが、2000年に覚せい剤に手を出し、逮捕された。若くして競馬界の「顔役」となった弟への嫉妬が膨張し、薬物に手を染めてしまったという。

1990年代後半から2000年といえば、当然武騎手がG1を含む重賞という重賞を勝ちまくっていた時期。騎乗技術においてはこの頃こそが“全盛期”という声も多く、JRA(日本中央競馬会)の売上が史上最高の4兆円を記録した97年とも重なる。

 巨大すぎるムーブメントの中心にいた武騎手。そんな輝く弟の姿を見て、自分の影が色濃くなっていくのを感じてしまったということだろうか。その後伸氏は寺にこもったと言われているが、詳細は不明とのこと。

 こういった情報は、あまり表に出てくることはない。テレビをふくむ大手マスコミや広告代理店にとって、JRAは日本一ともいえる広告費を出す“VIP”客。競馬イメージ、それも競馬界を引っ張る武豊のイメージに傷がつくようなことは「タブー」というわけだ。

 同じく“レジェンド”といえるサッカー・三浦知良選手も、親族に薬物がらみの事件があった。「あのキングカズも?」と思われる方も多いだろう。知る人ぞ知る話ではあるが、彼の実父である納谷宣雄氏(三浦は母親姓)も、1976年に覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕をされた。

 武豊の兄は「手を出してしまった」というレベルの話だが、カズの父は「密売人」だったというのだから驚愕だ。韓国で覚せい剤を仕入れ、暴力団に売りさばいていたというのだからレベルが違う。その後も代理人業やサッカーショップ経営を持ち込んで日本サッカーの“フィクサー”的存在になるなど、切れ物かつエネルギッシュな「ワル」だったことがうかがえる。

 カズの父に関してもマスコミに大々的に報じられることはない。Jリーグ創設時から現在まで、日本サッカーの顔としてメディアの寵児だったカズを思えば、下手な報道はできないことなど容易に想像がつく。

 ブレない心でスターダムにのし上がったレジェンドには敬意を抱いてやまない。ある人間がスターになることで歯車が狂うのは、実は“周囲”なのかもしれないと考えさせられる。

後藤騎手の自殺から1年くすぶる「死の謎」と壮絶半生

 JRA所属・後藤浩輝騎手が死去してから、27日でちょうど1年となる。

 テレビ出演や始球式など、競馬界における”エンターテイナー”としてファンからも関係者からも愛された後藤騎手。もちろんジョッキーとしての腕も一流で、通算1,447勝、中央G1・5勝という輝かしい実績も持ち合わせていた。

 しかし、後藤騎手の人生はある日突然終わりを告げた。2015年2月27日、自宅の脱衣所で首を吊って死んでいるのが発見された。ファンはもちろん、騎手仲間や競馬サークルの誰もが思いもよらない、唐突すぎる死だった。

 警察の調べでは、後藤騎手の死は”自殺”と見られている。事件性がないのは事実なのだろう。しかし、いまだに彼が自殺をしたという事実を信じられない人間は非常に多い。

 自殺の原因として語られるのが、2度の「落馬負傷」により頚椎を痛めたことがあげられる。12年のNHKマイルC(G1)で第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断されて休養。復帰後は盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でいきなり重賞勝利と復調ぶりをアピールするが、14年4月にまたも落馬負傷。一時は引退を考えるほどだったそうだが、懸命のリハビリの末、同年11月不死鳥のごとくターフに戻ってきた。その後は安定して勝利を重ね、順調に数字を伸ばしてもいた。好調を維持していた中での自殺だったのだ。

 理由の一つとして挙げられるのが、死の5日前、ダイヤモンドステークス(G3)でまたも落馬したこと。大事故にはいたらなかったものの、2度の大事故の恐怖がフラッシュバックした可能性はあるらしい。しかし、その後5日間は特に変わった様子もなかったというのだから、理由としては弱いかもしれない。

「落馬事故がまったく影響しなかったとは言い切れない。これが直接的な自殺原因かは定かではないが、もともと情緒不安定気味なところがあった後藤騎手にとって、頚椎や頭ばかり痛めているうちに、なんらかの悪影響を受けてしまった可能性はゼロではない」(競馬関係者)

 過去には、後輩である吉田豊騎手を木刀で殴るという事件を起こすなど、精神面の浮き沈みは激しいほうだった後藤騎手。度重なる負傷により、本人にしか理解できない”恐怖”を抱いていた可能性は高い。

 複雑な家庭環境で育ち、父と「一家心中」一歩手前という状況もあった後藤騎手の少年時代。『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)や競馬のイベントで見せていた彼の姿は、暗い過去を拭い去ろうとする心の表れだったのでは……と今になって想像してしまう。

 時折”閉鎖的”とされる競馬界において、タレント性のある後藤騎手は武豊・幸四郎兄弟とならんで貴重な存在だった。競馬界にとっても大きすぎる損失で、その穴が埋まっているとは思えない。

 時が経つほどに存在が大きくなっていく後藤浩輝騎手。改めて、心よりご冥福をお祈りしたい。

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