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【SMAP解散報道】でマスコミは死んだのか? ジャニーズが掌握したメディア操作の真相と深層

――安倍晋三首相が異例のコメントを出すまでに至った、SMAPの独立・解散騒動。“国民的アイドル”の影響力が、いかに大きいかを見せつけられた騒動だったが、独立を画策したとされるマネージャー飯島三智氏の退社、そしてメンバーによる生放送謝罪により沈静化した。だがこれは、芸能マスコミのあり方が問われた出来事だったのではないだろうか?

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(絵/藤本康生)

 日本中の話題をさらったSMAPの分裂・解散、事務所独立をめぐる動きは、ひとまず落ち着きを取り戻している。とはいえ一連の報道ラッシュは、ジャニーズが抱えるさまざまな裏事情を表面化させたという点でも大きな意義があったといえるだろう。特に、生放送された謝罪によって、ジャニーズ事務所内におけるメリー副社長の権勢ぶりがお茶の間に伝わったことは驚きでもあった。

 その意味で今回の騒動は、いわゆる「芸能マスコミ」が、あらためて存在感を見せたともいえるだろう。世間的にいえば、騒動を最初に世に出した媒体は「日刊スポーツ」と「スポーツニッポン」の2紙となる。両紙とも1月13日付の一面トップで「ジャニーズ激震SMAP解散」(ニッカン)、「SMAP分裂」(スポニチ)と報じ、これを各メディアが追いかける形で、一気に報道合戦がスタートした。

 本誌読者であれば、スポーツ紙が、ジャニーズのような大手芸能プロと日常的に“良好な関係”にあることはご存じだろう。

「大手芸能プロとスポーツ新聞は、いわば記者クラブ制のような関係です。例えば稲垣吾郎や草彅剛の逮捕のように、事件化したときなどはさすがに報じますが、扱いは慎重に配慮をしています。また『フライデー』や『週刊文春』などが恋愛ゴシップ系の話を報じても、よくてベタ扱い。それも事務所側の否定コメントは必須で、後追いも極力しない。以前、文春が報じたジャニーさんのホモセクハラ疑惑などの深刻なスキャンダルに至っては完全黙殺です。スポーツ紙はドラマや映画、イベントの制作発表など、日常的に芸能ニュースを供給してもらっており、下手に刺激すると、その後の情報をもらえなかったり、会見から締め出されかねないからです」(スポーツ紙記者)

 そしてほどなく、翌14日発売の「週刊新潮」が、この「SMAP解散問題」を詳細に報じることとなる。新潮の記事はジャニーズ事務所のコメントに加え、返事はなかったもののマネジメント室長・飯島三智氏にも取材をかけるなど、時間をかけて丁寧に取材をした痕跡が見て取れるものだった。印刷スケジュールを考えれば、実質的に新潮のスクープだったことは明らかだろう。

 では、なぜこの2紙が新潮に先駆けてスッパ抜くことができたのか。多くのマスコミ関係者は「ジャニーズ事務所は新潮の取材を受けており、当然、この日に記事が出ることは把握していた。そこで、少しでも有利な情報を流すために、日頃から親しいニッカンとスポニチの2紙に情報を流して、先に書かせたのだろう」と考えていたはずだが、今回に限っていえば、そこまで単純ではなかったとの声もある。

 そもそもスポーツ紙記者の間では、飯島やSMAPの周辺にキナ臭い動きがあること自体は、かなり早い段階から情報が流れていたという。

「強がりではなく、飯島さんがSMAPと独立するのではないかという話はキャッチしていたんです。昨年秋口頃からは、今回の独立話で仲介に動いていたといわれる大手事務所や、テレビ局などから話が流れ始めていたし、NHK紅白の司会決定をめぐる取材の過程などでも噂になっていた。ただ、ジャニーズからは一切、情報が出てこなかった」(前出・スポーツ紙記者)

 ニッカンやスポニチのスクープ記事には、発売前日の1月12日付で飯島氏が関連会社「ジェイ・ドリーム」の役員を辞任したことも書かれている。この情報がジャニーズ側から提供されたのか、あるいは別のルートからのものなのかは定かではないが、積み重ねた情報の蓄積があったからこそ、出すことができたのは確かなようだ。

スポーツ紙が示した存在感と不信感

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日本中の注目を集めたSMAPの独立報道だが、彼らが国民的アイドルであるとうことがあらためて知らされた。

 もっとも、例え事情があったにせよ、情報をつかんだ時点で記事にすることができなかったという事実は、スポーツ紙の限界を示している。

「情報をつかんでも、『どうせ書けない』と自己規制して取材をやめてしまうケースも多いからね。今回は新潮の記事が出るということで、やむなくジャニーズ側もOKを出したのでしょうが、当然、スポーツ紙側には“十分に配慮した内容”を要請していたはずです」(スポーツ紙OB)

 実際、新潮に書かれた内容に対し、その後のスポーツ紙の記事は、かなり偏った方向に展開していくことになる。

 最大の違いは、飯島氏の退職原因と、4対1に分裂したSMAPメンバーの扱いだ。新潮の記事は、「飯島はメリーからパワハラまがいの言動で圧力をかけられ、退職に追い込まれた」としており、分裂メンバーの評価も「4人は育ての親への恩義から義侠心を見せた。しかしキムタクだけは打算で動き、飯島さんやメンバーを裏切った」「キムタクこそが大恩ある事務所への義を守った」と双方の見解を掲載して、中立的なスタンスを取っている。

 ところがほとんどのスポーツ紙は、「確執があった」とはしているものの、明らかに飯島氏を叩くトーンで、分裂メンバーの評価も、中居ら4人は“造反者”で、キムタクこそがSMAP存続のために動いた英雄という、完全にジャニーズ寄りのスタンス。記事の見出しを見れば、謝罪会見への流れがどう作られていったかがよくわかる。

「このテのマスコミコントロールは、まさにお手のもの。昨年でいえばKAT-TUNを脱退する田口淳之介の問題でも、同様にスポーツ紙を巧妙に使って『ジャニタレも適齢期になれば結婚解禁』という情報を流し、事態の収拾を図っていましたね」(前出・スポーツ紙記者)

 一方、出遅れた「サンスポ」と「スポーツ報知」だが、いずれも部数は伸ばしたものの、記事内容では明暗を分ける結果となった。なんとか他紙に並んだサンスポに対し、評価を落としたのは報知。

「収録予定日を間違えたり、歌収録をコントと書くなど、連日、ディテールでミスを重ねていましたね。象徴的だったのが、騒動後の初収録を報じた1月22日の『ジュリー副社長新企画でSMAP歌った』という一面記事です。実はこの企画は以前から用意されていたもので、飯島氏による最後の企画といってもいいくらい。収録スタッフが間違えるわけはありませんし、スマスマの収録現場をよく知らない人間が情報を流していたんでしょうね。そういえば、これまでSMAPの現場はすべて飯島さんが仕切っていましたが、この日は、初めて現場に来るようなメリー/ジュリー派のスタッフばかりでした(笑)」(フジテレビ関係者)

 ちなみに「デイリースポーツ」も、生謝罪があった夜に近藤真彦の呼びかけで食事会が行われた事実を、「キムタク発案で中居ら4人が謝罪した」と最終版でスクープしている。新潮によればこの会合は「最後まで重苦しく、まるでお通夜のようだった」というが、後追いしたスポーツ紙はこぞって「団結の宴」「ファミリー結束」「SMAP激励会」と問題収束を強調する紙面になっていた。こんな食い違いからも、大手スポーツ紙が、いかにジャニーズに気を使って紙面を作っていたかが見えてくる。

シタタカな週刊誌 相変わらずの女性誌

 ジャニーズ側の意向に、ほぼ丸乗りしていたスポーツ紙に対し、よりゲリラ的だったのが週刊誌だ。

 1年前にメリー副社長インタビューを掲載し、今回のジャニーズ内部分裂が表面化するきっかけを作った文春だが、出遅れを挽回すべく誌面に登場させたのは、ジャニーズ・エンタテイメントの小杉理宇造代表取締役。ただし「SMAP裏切りと屈服」のタイトル通り、内容は事務所側の主張を全面展開したもので、まだ分裂騒動が発覚する以前に張り込んで撮影した中居や飯島マネージャーの姿もグラビアで公開されている。

 一方、新潮の第2弾記事は、驚きのメリー副社長独占インタビュー。こちらも同様に「独立4人組が赦された真夜中の平身低頭」と、事務所側の完全勝利を印象付ける内容となっていた。

「ジャニーズにしてみれば、コントロールの利くスポーツ紙よりはるかに怖い文春と新潮を抑えにかかったということでしょう。これまで出版社系に対しては、カレンダー利権やファッション誌、テレビ誌など他誌への圧力を通じて影響力を保ってきましたが、この2誌にはほとんど利かなかった。そこで今回はジャニーズの大幹部を登場させることによって、自分たちの主張を大きく展開したわけです。メディア側にしても、当事者の肉声を報じることは大きな意義があるし、情報も取れますからね。特に文春を見ると昨年末から張り込んでおり、早い段階から“飯島・中居バッシング”のための情報を流していたのでしょう」(週刊誌記者)

 もっとも、これで思惑通り両誌がジャニーズ側に取り込まれたかといえば、そうではなさそうだ。新潮は第3弾の記事で、マッチ主催の食事会の“美談の嘘”を指摘。文春にしても、おそらく本人たちは許可していないであろうジャニー喜多川やメリー/ジュリーの姿をグラビアに掲載するなど、情報は取るが、言いなりにはならないというシタタカなスタンスを見せている。

 さらに遅ればせながらも、「週刊現代」が、飯島派と思われるジャニーズ元社員の暴露インタビューを掲載している。こうしたゲリラ性はまさに週刊誌の面目躍如といえる。

 女性誌では、過去にジャニーズと決裂した「週刊女性」が「“木村の裏切り”“中居の怒り”それでもSMAPは解散しない!!」「クーデターなんてなかった」と飯島側に立ってみせたが、対してこれまで通りジャニーズの広報誌ぶりを発揮したのが「女性セブン」「女性自身」の2誌。過去にはキムタクの彼女・カオリンとの破局報道に際して、事務所からキムタクの独占インタビューを指名されたほどの信頼を得ているセブンなどは、「中居正広誤算とこれから」とスポーツ紙同様、事務所寄りの美談報道に終始。ダウンタウンの松本人志が親友の中居に「解散したくないなら木村に頭を下げろ」とアドバイスしたというガセを飛ばし、吉本に謝罪するというひと幕もあった。

絶望的なテレビとウェブの限界

 ジャニーズとの“距離感の差”こそあれ、スポーツ紙も雑誌も自分たちで取材し、記事を作って情報を発信していたわけだが、今回、そんなメディアとして当たり前の役割すら放棄していたのがテレビだろう。どの局も、肝心な情報はスポーツ紙と週刊誌を読み上げるだけで、あとはコメンテーターや芸能リポーター任せという腰の引け方だった。

 TBSの生放送『サンデージャポン』で、デーブ・スペクターが「世間的に違和感があると思いますよ。でも(報道しているのは)全部スポーツ紙や週刊誌だけなんですよ。日常的に(SMAPを)使っているテレビ局が一番パイプあるのに、一切独自取材していないんですよ」と、本質を突くコメントをしていたが、爆笑問題・太田光やテリー伊藤も目を泳がせてスルーするのみ。この反応が、テレビ業界全体の姿勢を象徴していたといえるだろう。

 日テレ『情報ライブ ミヤネ屋』も、かろうじて、橋本五郎・読売新聞特別編集委員が控えめに事務所批判をしたことが目立った程度。長年にわたってメリーとS元取締役の関係からジャニーズJr.を優遇し続けたテレビ朝日も同様で、『報道ステーション』が真裏で流れた謝罪会見の速報を流していたが、その後、バックグラウンドに切り込んだ報道は一切流れていない。

 民放の中では最も飯島派に近いといわれていたのが『SMAP×SMAP』を放送していたフジテレビだが、昨年後半に入ってからは、“飯島派”だった局員が異動していたという情報が流れるなど、ジャニーズとの関係は、まさに商売に直結する問題となっていたようだ。

「騒動が発覚してすぐ上層部から、『他社で出た情報しか流すな』というお達しが下りてきましたからね。テレビ局にとって、これは単なる芸能ニュースではなく、政治的に判断しなければならない事件。それだけジャニーズに依存しているということなんです」(フジテレビ関係者)

 以前とは違い、こうした報道姿勢を批判する声や、ジャニーズ事務所の思惑が多くの人の目に届いたのは、現代がネット社会になったからこそだろう。ただし「他人のふんどし」の意味では、ウェブ媒体も同様だ。芸能系ニュースサイトは軒並みアクセス数を伸ばしたようだが、一部を除いて独自情報はほとんどなく、スポーツ紙や雑誌、テレビの報道を追いかけるだけという問題点も露呈した。

「そもそも(独立系のウェブニュースメディアでは)取材して書くという発想がないところもあり、評論、分析だけでは限界がある。刺激的な見出しでアクセス数を稼げればいいというだけのサイトも多すぎる。肝心の一次情報が他メディア頼みという点は、今後の課題でしょうね」(芸能サイト関係者)

 メディアがどんな距離感でジャニーズを取材しているのかは、今後も注意深く見守る必要がありそうだ。

(取材・文/常田裕)

CM違約金は折半? ゲス極のメディア対応舞台裏とベッキー騒動の着地点

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ゲス極の最新アルバム『両成敗』のポスター。中心にいるのが川谷! イケメン!

「SMAP」分裂独立騒動から元プロ野球選手清原和博の覚せい剤取締法違反による逮捕まで、年明けからセンセーショナルなニュースが続いている。両者とも、今後の動向や捜査状況に注目が集まるが、ベッキーとロックバンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音との不倫騒動【1】もかなりのインパクトだった。21日より公開予定の第2特集も参考にしていただきたいが、ある音楽関係者は騒動の“伏線”をこう語る。

「昨年末に開催された『COUNTDOWN JAPAN』で、ロックバンド『アルカラ』のボーカル、稲村太佑がライブ中のMCで『(川谷が別に所属するバンド)indigo la Endの楽屋に行ったらベッキーがいた』と話したんですよね。観客からは、どよめきが起こりました」(芸能事務所スタッフ)

 さて、ベッキーの芸能活動休止により、幕引きの様相を醸し出しているこの騒動だが、そもそも、所属事務所の対応も裏目に出たようだ。まずはベッキーサイドを見てみよう。

 騒動後、即謝罪会見を行ったところまではよかったが、交際はおろか、川谷の妻に対して謝罪もなし。さらに報道陣の質疑応答は一切認めないという厳戒態勢での会見に、芸能マスコミの間では「あれではクライアント向けの会見」だとの声が多い。事実、「週刊文春」(文藝春秋)による続報により、先の謝罪会見で「もう二度と彼には会わない」と口にしていたベッキーが、その裏で「逆に堂々とできるキッカケになるかも」「ありがとう文春!」「センテンス スプリング!」などといった、開き直りとも受け取れるやりとりをLINEで交わしていたことが発覚。結果、テレビ局やCMスポンサーも契約解除を決断。

 そして2月5日、当面の芸能活動休業発表へと至るわけだが、その直前、2度目の会見の噂が業界内を駆け巡った。

「会見情報が流れ、各社とも待機を余儀なくされました。“本命”は1月30日。しかし同日にスポーツ報知が『会見は白紙になった』と報じたことで会見の可能性は低くなったものの、急遽行われることも考えられ、情報が錯綜しました」(スポーツ紙デスク)

 そうした中、事情をよく知る芸能関係者は、水面下の動向をこう明かす。

「最初の会見の“塩対応”でマスコミ各社を敵に回してしまったのもそうだが、その後、宮根(誠司)が『情報ライブ ミヤネ屋』 (日テレ)で『休んでいる間も、なんで休むのか言っておいたほうが楽。次の会見では質疑応答がないと、マスコミも納得しない』『できるなら(会見を)早めにやったほうがいい。やってから休んだほうが気が楽だし、治りも早い』などと発言したことも大きかった。宮根のバックに“芸能界のドン”がいることは、この業界では有名だから」

 宮根アナや同じくフリーの羽鳥慎一アナの所属するテイクオフといえば、芸能界で一大勢力を誇るバーニングプロダクション系列として広く知られており、特に宮根はバーニング総帥“芸能界のドン”こと周防郁雄社長直轄の案件といわれている。

「最近の周防社長は、片腕といわれる某大手出版社の社長K氏や有名芸能リポーターI氏、TBSのスタッフを中心にマスコミ対策を仕掛けています。中でも宮根は、はっきりとした物言いから出役として重宝している。今回のベッキー案件についても、宮根にテレビを通じて所属事務所へのプレッシャーをかけさせる一方で、 裏では民放テレビ局の芸能デスクを中心としたスタッフに『所属事務所へ会見をやるようプッシュしろ!』と指令を出していた。こうした見えざる力により、ベッキーが所属するサンミュージックの一部関係者も一時は会見開催に向けて動き、その情報が一気に業界内に拡散した。宮根本人は過去に隠し子騒動を報じられたこともあり、ベッキーの話題に触れるのは乗り気じゃなかったようですが(笑)」(同)

 さらに、ベッキー騒動の新展開を狙うマスコミ各社の思惑もあり、2度目の会見の開催は現実味を帯びていったわけだが、すんでのところでサンミュージックサイドは回避した。

「冷静に考えれば、すでに多くの仕事を失った休業前に2度目の会見をやる意味はない。そもそも体調不良が休業の表向きの理由なわけで、会見に出ようものなら『会見できるくらい元気じゃないか!』と叩かれるだけ。最終的に懇意のマスコミ関係者からアドバイスをもらったサンミュージックの相澤正久社長自らが、マスコミ各社の圧力に屈しそうな広報担当を一喝、会見は白紙となった。ベッキー本人も、会見に強く抵抗していたと聞いている」(同)

 こうしてベッキーは公の場に再び姿をさらすことなく休業に突入し、川谷との愛に邁進しているようだが、なぜドンは、側近を駆使してまでベッキー潰しに精力を注ぐのだろうか? 別の芸能プロ幹部は語る。

「ベッキーを完全に潰すことで、彼女のポジションに自社ないし、傘下の事務所のタレントをブッキングしようとしていたからだろう。10本のレギュラー番組と10社のCM契約は、やはり魅力的なのだろう」

 一方、ゲス極・川谷サイドの対応を見てみよう。公式プロフィールによると、スペースシャワーミュージックがマネジメントを担当している。

「純粋な音楽レーベル/流通部門の人間がマネジメント業務を行っているので、いわゆる芸能プロにありがちな懐柔策には慣れていない。マネジメント業務を本格的に行うようになったのも、2011年の組織変更からですが、タレント的なアーティストではなく、通好みのアーティストが大半を占めていました。しかし、ゲス極の人気によってメディアへの出演が増加し、昨年末の紅白歌合戦出場から本腰を入れるようになりました」(音楽メディア関係者)

 ベッキー騒動で社内も騒然としていたようだが……。

「報道から2週間後くらいでしょうか、すでに社内は落ち着いていたように思います。マネジメント事業部ではないスタッフは、『隣のシマは忙しそうな時期もあったみたい……』と苦笑していましたよ。もちろん一時は電話が殺到したそうですが、各部署に箝口令が敷かれることも、対応マニュアルが用意されることもなかった。ただ唯一、“ゲス極担当窓口”ができたと聞きました」(芸能事務所スタッフ)

 だが、アルバム発売元のワーナー・ミュージックは、そうもいかない。

「騒動発覚直後から、厳戒体制が敷かれていたそうです。外部からの電話で、“ゲス”というワードを出したら即ガチャ切り、取り次いでくれません(苦笑)。ですが、紅白出場が功を奏して、話題性や音楽性そして、今回の騒動で、ゲス極の最新アルバムが好調なセールスを記録したのは事実。ワーナー側がベッキーのCM違約金半分を肩代わりするという話も聞いています」(週刊誌記者)

 売れっ子ミュージシャンによる不倫騒動などは、巷間ではよくある話。今回は、ベッキーの休業とゲス極サイドとの違約金の折半で“両成敗”ということだろう……って、このフレーズ、どうしても使ってしまいますね。

(編集部)

【1】不倫騒動
「週刊文春」(文藝春秋/1月14日号)で、“スキャンダル処女”といわれたタレントのベッキーと「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音の不倫が報じられた。生々しいラインのやり取りや、続報では川谷の妻がインタビューにこたえるなど、ただの不倫騒動では終らない問題に発展した。

SMAP解散騒動で映画界も引っ掻き回される!? 賞レース解禁で危惧されるジャニーズ事務所の恐怖政治

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『母と暮らせば』HPより。

 1月18日、「第39回日本アカデミー賞」の受賞者が発表されたが、その中で注目を浴びたのがジャニーズ事務所のタレントが名を連ねたことだ。『母と暮せば』主演の嵐・二宮和也が「優秀主演男優賞」を、『暗殺教室』主演のHey!Say!JUMP・山田涼介が「新人俳優賞」を受賞した。

 ジャニーズ事務所といえば長きにわたり、音楽や映画の賞レースに関しては徹底して辞退してきたが、ここにきてなぜ態度を変えたのか。

「昨年の日本アカデミー賞でV6の岡田准一が最優秀主演男優賞と最優秀助演男優賞を受賞したことがきっかけでしょう。この時、事務所側は『岡田准一は弊社の中でも最多の20本の映画作品に出演させていただき、映画に育てていただいた俳優』とコメントを出し、”特例”であるかのようなアピールをしていた。

 でも、フタを開ければ今年も受賞者の中にジャニーズ事務所の面々が顔を並べている。つまり、今後も映画の賞レースに関しては辞退せず、参加していくということでしょう」(芸能記者)

 しかし、ジャニーズは第49回ブルーリボン賞主演男優賞に木村拓哉と岡田准一がノミネートされた際、「お世話になった俳優との争いもさることながら、同じ事務所内のタレント同士で賞を争うのは本意ではない。日本国内の賞レースには今後も参加する可能性は極めて低い」とわざわざファックスで通達を出してまで賞を辞退している。

「今後も賞レースには参加しない」と言っておきながら、ここにきて参加しはじめるのはやはり、SMAPのマネージャー飯島三智氏退社によって終止符が打たれた派閥争いの影響ではないのだろうか。

「2006年のブルーリボン賞では、木村が『武士の一分』、岡田が『花よりもなほ』でノミネートされたが、木村が大賞を獲る可能性が高かった。『武士の一分』は山田洋次が監督したこともあり興行成績的にも成功した。そしてなにより、それまでラブストーリーばかりやっていた木村が”役者”としてのポテンシャルを発揮し、新しい魅力を開花させたと業界評も高かった。

 一方、『花よりもなほ』は悪い作品ではなかったが、興行成績も振るわず、主演の岡田よりも脇を固めた宮沢りえの方が評価されていた。ジャニーズもそのことが分かっていて、辞退させたのでしょう。ようはジュリーさんの担当しているタレントが、飯島さんの担当しているタレントに負けるのを避けたということです」(週刊誌記者)

 昨年の岡田准一の日本アカデミー賞受賞に際しては「キムタクを超えた」などと報じるメディアもあり、木村ファンの怒りを買った。

「木村拓哉もジュリーさんが担当することになりましたから、今後は賞レースに出てくると思いますよ。17年公開の主演時代劇『無限の住人』では、ブルーリボンや日本アカデミー賞を狙っているんじゃないですかね。

 やっぱり映画賞を獲ると役者として箔がつく。岡田准一も昨年の受賞以来、映画の出演オファーが止まらないとか。ジャニーズ的にも本当はずっと参加したかったんじゃないですかね。

 飯島さんがいなくなってから、映画賞の受賞に意欲的になったジャニーズ事務所の露骨さはどうかと思いますが(苦笑)」(同)

 数多くの作品で主演を務め、良い成績を残しながらも無冠だった木村拓哉が、いよいよ映画賞という日の目を見る日も近いと期待する声も挙がる一方で、ジャニーズ事務所の横暴なやり方が映画界でも発揮されるのではないかと危惧する声も聞こえる。

「SMAP騒動でテレビ局がいかにジャニーズの言いなりであることが分かったかと思いますが、大作映画のほとんどはテレビ局主導の制作、もしくは製作委員会にテレビ局の名が入っている。ジャニーズが賞レースを解禁させたことによって、賞の狙える映画にしかタレントを出さないだとか、もっとひどい場合は無理やり賞にねじ込むように圧力をかけてくるかもしれない。

 そうなれば、他の俳優たちの士気も下がって、賞自体の価値も落ちていく。正直、今回の日本アカデミー賞に関しても、最優秀主演男優賞は『駆込み女と駆出し男』の大泉洋が最有力といわれているが、もし万が一、二宮和也が受賞するなんて番狂わせが起こったらジャニーズ側からの圧力を疑わざるを得ない」(テレビ局関係者)

 以前、北野武が「日本アカデミー賞最優秀賞は大手映画会社の持ち回り」と批判した際に、日本アカデミー賞協会会長の岡田裕介氏は「はっきり言って一番クリーンな賞であろうと思っている」と反論したが、ジャニーズ事務所が参加することによってそのクリーンさが揺るがないことを願うばかりである。

光GENJIからSMAPへ。そしてSexy Zoneやももクロへ…現代のアイドルは「王子様」「お姫様」か?

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

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「Sexy Zone写真集 Be Sexy!」

 去年の紅白以来、どうもSexy Zoneの中島健人が気になっています。中島健人は今度の3月で22歳になるそうですが、ヘタすればそのくらいの年の子どもがいてもおかしくない年齢の私。さすがに、Sexy Zoneをガッツリ応援している10代から20代くらいの女の子たちと、同じ注目の仕方をしているわけではありません。

 私が注目せざるを得なかったのは、なんと言うか、「中島健人が自分で設定しているハードルの高さ」でした。

 紅白で自分たちの持ち歌が終わってすぐ、次の出番の伍代夏子の『東京五輪音頭』の応援パフォーマンスにうつったSexy Zoneですが、中島健人は、決して有名な曲とはいえない伍代の持ち歌の、3回のサビ部分がすべて微妙に違っていたのに、完璧に口ずさみながら踊っていたのです。その後、細川たかしや藤あや子の応援パフォーマンスをしていたAKBやNMBグループの誰ひとり、こういうことはしていません。ただ、別にAKBやNMBの肩を持つつもりもないのですが、延べ時間でほんの数時間しかないだろうリハーサルで、若いアイドルたちが教わっているのは「踊り」であって「歌詞」ではないはず。「教わったことを教わった通りに遂行する」ことは、悪いことでもなんでもありません。

 中島健人のその様子がどうにも気になったので、あとで紅白を見返してみたら、天童よしみの『人生一路』(美空ひばりの名曲のカバー)でも、なんとか一緒に歌おうと頑張っていました。誰に命令されるでもなく、自発的に「1曲でも多く!」と、他人の曲の歌詞を頭に叩き込んで本番に臨んでいた21歳。芸能への「覚悟」みたいなものを、この年齢ですでに持っている。それに気づいて以来、歌番組やバラエティ番組などで中島健人が出てくると、ついつい「今日はどこまで仕上げてきているか」と、目で追ってしまう自分がいるのです。

 Sexy Zoneは過去に握手会を開いたことがあるそうで、そこでの中島健人のファンサービスの様子は「中島健人 握手会」といった単語で検索するとザクザク出てきます。ファンの子たちの、やや無茶ぶりが入ったコメントにも、ひとつひとつオリジナルな、「相手の想定以上に相手を喜ばせよう」という意志が見える言葉で対応していく中島健人は、当時20歳前。返答の8割を「ありがとうございます!」だけで押し通したところで、ファンの誰も文句をつけたりはしないだろうに、そこに甘んじなかったからこそ、ある種の伝説として語り継がれているのではないか、と。

 こうした振る舞いは、「王子様」としての振る舞いなのか。そう尋ねられたら、私は「NO」と答えます。人によっては過剰とも感じられてしまうほどのサービス精神の高さは、むしろ「血中王子様濃度」の低さゆえのもの。その濃度が高い人は、自分のハードルを高くしないものです。諸星和己が21世紀になっても「俺は人気者だから、できないこともある」的な姿勢を崩さないのは象徴的。言葉は悪いですが、「サービスしすぎなのは、庶民のやり方」だと思っているフシが、王子様を自認する人には見られます。

 それに王子様キャラは、突き詰めすぎると、「ネタ」に寄っていってしまうもの。それを逆手にとって独自の味わいを醸し出したのが、かつての及川光博であり、今の中島健人なのでしょう。「ネタ」に寄っていくことを受け入れられるのは、冷静さが必要なものですから。逆に、勘のよさで「王子様化」を避けて通っていたのが、本来誰よりも王子様ポテンシャルが高い堂本光一だと思います。デビュー当時から今に至るまで、コテコテの関西弁で通したのは「王子様扱いはイヤだ」という意志表示でもあったのではないか、と思ったり。

 現在のアイドルは、「キラキラ」しながらも、「王子様自意識」が非常に低い。たぶんその先駆者になったのはSMAPの中居正広ではないかと思うのですが、AKBグループでなんだかんだ言ってもいちばんの注目を集める指原莉乃が、「姫自意識」の低さにかけてもグループの中でトップを走っているのは、なんだかしみじみしてしまいます。

 前回前々回のこのコラムでもふれましたが、「アイドル」は、単に「歌ったり踊ったりできる、若くてかわいい子」のことではありません。スポーツ選手をアイドルにする人、活動家をアイドルにする人、現実にはいないキャラクターをアイドルにする人…、本当にさまざまです。私にも、若いころ、自分のアイドルがいました。アイドルがキラキラ輝いたり、壁を超えたり破っていく姿を見て、「私の人生もちょっとはキラキラするかもしれない。自分の壁を、ちょっと超えられるかもしれない」と感じたのを、昨日のことのように思い出せます。そう感じられたとき、「生きていく」ことの怖さを忘れることができたのです。

 その経験があるから、私は、大人になった今でも、「自分だけのアイドル」を信じる女の子、男の子の気持ちを尊重したい。そして、その子たちの思いを引き受けるアイドルたちも、幸せであってほしいと願っているのです。アイドルの幸せと、まだまだ若い一般の子たちの幸せは、絶対につながっているからです。

 正直、私はもういい年ですから、芸能界にどれだけのアイドルがいるか、まったく知りません。ただ、何度も繰り返すようですが、ひとつだけ思うのは、運営側がアイドルたちに余計な試練や屈辱を与えたりするのは本当にやめてほしい。そんな様子を「試練」として提示されても、一般の人々の心は無駄にざわつき、傷つくだけなのですから。

 アイドルが受ける試練(それは、若い一般人がそれぞれの人生で受ける試練と地続きのものです)は、「その高い壁を超えたとき、彼らがもっとキラキラできる場所に行けるため」の試練であってほしい。「グループ存続」とか、その程度のレベルのことで発動されるものであってはなりません。それはそのまま、若い人たちに「生きていく。ただそれだけのことなのに、こんなに大変なの?」と思わせることにつながりかねないからです。

 私が、今の女子アイドルならば、ももいろクローバーZに目を引かれてしまうのは、彼女たちの「試練」は、「それを乗り越えたとき、ものすごく大きな目標に近づく」という「物語」までが一緒に提示されているように感じられるからです。かつて『ASAYAN』という番組がテレビ東京系でオンエアされていましたが、その番組内で、モーニング娘。は、デビューから『LOVEマシーン』を出すあたりまで「試練」ばかりを課せられていました。しかし同時に、「乗り越えたところにある、大きな果実」も、明確に提示されていたのです。アイドルはそうでなくてはいけません。若い子の人生はそうでなくてはいけないのです。

 私は、自分が若いころ「いまどきの若いモンは」とさんざん言われて、心からうんざりしてきたクチですので、同じことは言いたくない。今の若い子たち(アイドルも一般人も)は、むしろ私が若者だったころに比べ、ものすごく一生懸命な子が多いと感じています。王子様・お姫様的な自意識を持つには、あまりにも冷静で真面目なのです。そういう真面目で一生懸命な子たちが、不要な「試練」を丸ごと受け止めていく姿を見るのは、大人としてつらすぎる。だから、ももクロのみんなにも、モーニング娘。のみんなにも、中島健人およびSexy Zoneのみんなにも、オバちゃんは幸せになってほしいのよ。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という書籍となって好評発売中。

被害者はベッキーだけじゃない!? 新たに経済界にも「ゲス極の呪い」が波及!

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「ゲスの極み乙女。『両成敗』スペシャルサイト」より

 ベッキーとの不倫騒動の渦中にある「ゲスの極み乙女。」川谷絵音とかかわった人物に、立て続けに不幸が訪れたことで、ネット上では「ゲスノート」「ゲスの呪い」と呼ばれ、話題となっている。

■川谷との不倫騒動でベッキーが10社あったCMが全て飛び休業を宣言。

■甘利元経済財政政策大臣が記者会見でゲス極の「私以外私じゃないの」の替え歌を歌ったが、その後、金銭授受疑惑で辞任に……。

■SMAPが15年発売のシングル曲「愛が止まるまでは」で川谷に楽曲提供を受け、その後、グループは空中分解の危機に陥り、メンバーが番組で公開処刑と称される謝罪中継を生放送でおこなうはめに。

■昨年末のNHK紅白歌合戦にゲゲス極が初出場。歴代最低視聴率39.2%を記録。

■SEKAI NO OWARIのFukaseが昨年交際していたきゃりーぱみゅぱみゅと川谷との集合写真をアップ。3カ月後に破局。

 芸能界・政界で起こったこれらに加え、なんと経済界でも「ゲスの呪い」に悲鳴の声があがっているという。

「ゲス極の所属事務所であるSPACE SHOWER MUSICを運営しているスペースシャワーネットワークが1月末に今期経常利益を78%に下方修正。その後株価は急下降、2月1日には14%以上も暴落しています。株主が集まる掲示板には『ゲスの呪いは恐ろしい』というコメントが並び、さらなる下落に震えています。一方で、“ベッキー効果”でゲス極のCDが売れまくっていることもあり、業績のV字回復を期待している人も多い。会社側は株主のためにも必死で赤字を埋めなければならず、ベッキーが休業しようとも、稼ぎ時の今のタイミングでゲス極を休ませるつもりはまったくない」(経済ライター)

「呪い」が本当ならスペースシャワーネットワークのさらなる暴落は必至だが、さてどうなるか・・・・。

「高野連が俺の人生のケツ拭いてくれるわけじゃない」高校3年生で感じた日本球界の閉鎖性

アメリカやカナダの独立リーグで活動する現役野球選手である筆者が、同じような境遇にある“野球人”にその挑戦と真意を聞く短期集中連載、最終回の今回は、本稿で取り上げてきた田久保氏の原動力になっているものは何だったのか、そして30歳を超えた彼の選択に迫る。世界を野球で歩いてきた自分が、後進のためにできること・すべきこととは何なのか――?

<第1回目「閉鎖的な日本野球を刺激する、世界を【野球】で歩いた男の足跡」
<第2回目「チェコ初の日本人プレイヤー…“野球発展途上国”でつかんだ希望」

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田久保賢植氏の公式HP

 2015年、田久保はチェコのフロッシ・ブルノに戻る。今回は、選手兼任コーチとしてのオファーだった。さらに、オーストリアのナショナルチームのコーチも、継続して引き受けることになっていた。前年と違い采配を振るわない分、技術指導に割ける時間も多くなった。田久保の役割は年々厚みが増し、野球後進国の多いヨーロッパで、着実に、他の野球人とは違う道を歩んでいる。

 もちろん、指導方針について悩むことも多い。だが、その困難を避けるようなことは決してしない。指導者として、打撃のメカニクス、守備での動き、走塁への意識、選手個人の気持ちの強さを、つぶさに観察する。そしてさまざまな情報を交えて議論を深め、戦うメンバーを選ぶ。基準とする軸は、常に定まっている。指導法には、必ず批判と称賛が付き纏う。言葉や文化の違いも、そのハードルを高くしている。周囲にまどわされず、自らが信じた決断を遂行するべきだと、田久保は考えている。指導に限らず、これまで貫いてきたことでもある。だが、その考えに変化も生じていた。

「自分がこうだと思ったら、こうだと突き進んできたつもりだったけど、いつしか振り返ってみると、単純に真っ直ぐにぶつかろうとしなくなったかなと感じる。ぶつかっていくにはエネルギーがいるんだけど、ぶつかることから流していくようになったなと。大人になったという言葉を使っていいのかわからないけど、変化はしたように思う」(ブログより/原文ママ)

 若い時は、自分に正直だった。単純に正面からぶつかることで、状況を打破しようとしてきた。年齢を重ねるごとに、ただぶつかるだけでなく、相手の話にも真摯に耳を傾けるようになった。自分のことだけ考えていた20代前半。今は、多くのことに目を向け、より深く物事を考えるようにしている。次の世代のためにできること、世界から学んだことを、日本野球にどう還元していくかに、田久保の意識は移っている。

原動力は、高野連に怒られた記憶だった――

 現在、田久保は指導の傍ら、世界を目指す若い選手たちのサポートも行っている。かつて三好にしてもらったように、田久保もまたその経験を若い世代に還元させている。海外に行きたいという選手がいれば、相談に乗る。経済的な問題を抱えている選手がいれば、オリジナルTシャツの作成・販売を勧め、三好と共にサポートする。田久保自身の考え方も変わってきた。

「選手としてプレーするのは、『そろそろ若い奴がやったほうがいいんじゃないか』っていうのはあるよ。だから、俺はそろそろシフトチェンジしたい。後輩の選手たちが俺ぐらいのことをできて当たり前になってこないと、野球界が何も変わってないことになる。ただ、『俺がいたね』で終わっちゃうから。次の子たちが俺のポジションに入ってきてやるようにならないと。ナショナルチームのコーチやったり、オーストリアで監督やったり、采配だったりね。今だったらヨーロッパにも日本人が何人か行ったりしてるけど、自分がいつまでも同じ立ち位置でいてもしょうがない。違う立ち位置に変わらないと、俺が進んでることも示せないから」

 30歳を過ぎ、野球への向き合い方も以前と大きく変わった。選手として価値を示そうともがき続けた20代。今は、新たな価値の示し方を見出し始めている。

「俺がやれることは、けっこうやったんじゃないかなっていうのはあるよ。若い選手が海外行きたいって言う時も、プレーできる環境を用意してあげられるようにならないといけない。それが野球界の仕組みだったり、構造を変えることになるから。サポートの役割にならなきゃいけないよな、って。そのための知識とかアイディアを、野球で海外出て学んできて、自分の引き出しに入れている。それを形にしていくタイミングには来てると思う。そういうことが、自分の役割になってきてるって気がするけどね」

 現役を退けば、自然とある程度は野球から離れていくのが多くの野球経験者の道筋だ。しかし田久保は、次の世代のために道を切り開き、後進に可能性を託そうとしている。そこまで彼を動かすものとは、一体何なのだろうか?

「自分が高校野球やってた当時、アメリカ行ったことで高野連にすごい怒られたんだよ。でも、就活のつもりで行ってるわけでしょ。別に、高野連が俺の人生のケツ拭いてくれるわけではないじゃん。そんなのも『おかしいよな』って思う。『おかしいな』って思うことがありすぎて、『これじゃいけないよな』って。傍観する人はたくさんいるけど、目をつぶってることがダサいなって思って(笑)。いろんなことが価値になる時代だからこそ、こういう道を歩んでるんだろうね」

 日本でも当たり前のようにアメリカ野球の情報が入ってくるようになり、野球を支える構造そのものの違いも見えるようになってきた。海外に魅力を感じる選手も増える一方で、日本を出て勝負するとなると、サッカーのようにグローバルでダイナミックな展開は、野球ではなかなか見られない。もちろん、野球が世界でそれほど普及していないことも事実だ。だからこそ、野球先進国が率先して、野球の価値を広めていくことが求められていると田久保は感じている。その中で、一般的には知られていないヨーロッパ野球にも挑戦し、若い世代の選択肢を広げようとしてきた。高校時代の田久保が感じた、閉鎖的な日本野球界に対する疑問と、世界の野球の魅力が、彼を動かす原動力になっているのかもしれない。

「価値がないなら作ればいい」新たなスタートを切る

 2015年シーズン後、田久保は新たなスタートを切った。現役からは退き、若い選手たちのサポート役に徹することに決めたのだ。秋には、サラリーマンに戻った。会社の業務をこなしながら、できる限り多くの名もなき野球人をサポートしていくつもりだという。それが、海外リーグのコーチとして、精力的に飛び回る三好への恩返しにもなるだろう。三好が海外に出ている間、田久保が日本での選手サポートや、これまで三好が企画してきた野球イベントなどを継続していくこともできる。

 野球界に、新たな価値を見せるために、選んだ道でもある。今まで、「価値がないなら作ればいい」という気持ちでやってきた。これからも、それは変わらない。選手でいることだけが、野球と関わる唯一の道ではない。「野球エリートでなくても、野球で生きていく道はあるはず」。田久保が歩んできた平坦でない道は、これから多くの選手たちが踏みしめ均してゆく一本の光明となるのだろう。

田久保賢植(たくぼ・けんしょく)
1984年、千葉県出身。野球選手、指導者。http://takubokenshoku.com/>

著者/宮寺匡広(みやでら・まさひろ)
1986年、東京都出身。小学校2年生で野球を始め、高校は強豪・日本大学第三高校に進学。2年間の浪人を経て慶応義塾大学文学部に入学し、野球部に所属する。卒業後、一般企業に就職するも1年半で退社、現役復帰。アメリカやカナダ、オーストラリアなど海外の独立リーグを中心に、現在も選手生活を送っている。

ディズニーによって作られた祭りと群がるメディア…広告大量投下でゴリ押し『スター・ウォーズ』の虚像

――このほど公開された映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。第1作の公開が約40年前とあり、年季の入ったファンが多い同作。本作からディズニーが配給となり興行成績の記録を更新すると意気込み、世間でもお祭り状態だ。一方で、そうした記録を目論むあまりに、強引な営業や不自然すぎるヨイショPRも目立った。果たして、スター・ウォーズは、それほどまでに大騒ぎするほどの作品だったのか? その価値を見なおしつつ、強引とまで言われるビジネスの実態を暴いてみよう。

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最近では広告募集さえ目立つ、繁華街の立て看板でも大々的に宣伝されていた。

 2015年12月18日、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が全世界で公開された。前日譚である『エピソード1~3』(99年~05年)とは異なり、「完全なる新作」だっただけにファンの期待はひとしお。公開初日の先行予約チケットは、発売と同時に東京都内の主要劇場分は即完売した。

 しかし、蓋を開けてみると、日本での初週の週末観客動員数はトップの『妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!』が約97万人の動員数だったのに対して約80万人と惜敗。『スター・ウォーズ(以下、SW)』が全国370館958スクリーン、『妖怪ウォッチ』が全国359館434スクリーンという大きく差のついた公開規模だったのにもかかわらず、だ。本当に『SW』は全世界が待ち望んだ新作だったのだろうか?

 確かに本作は前評判の通り、米国では興行収入が7億4220万ドルを超え、歴代1位の『アバター』の記録=7億6050万ドルに並ぶと目されている。日本でも、公開17日間で累計動員数は414万人に達し、興行収入は63億9980万円を記録。大ヒット作であることは間違いない。しかしながら、その成果が作品の価値そのものへの評価だったのかどうかは、疑問が出てくる。一種の「祭り」とも言える『エピソード7』の公開。その本性を解き明かすため、まずはシリーズの歴史を振り返ってみよう。

 1977年5月25日、ジョージ・ルーカスの手によって、シリーズ第1作目『新たなる希望(4)』が世に送り出された。ルーカスが文字通り身銭を切って作り上げた渾身の作品だったが、試写会ではルーカスの盟友=スティーブン・スピルバーグしか作品を褒めた人がいなかったという映画の出来に、配給元の20世紀フォックスは尻込み。公開当時のアメリカ国内での上映館数はわずか32館だったという。しかし「これまでにない映像作品だ」という口コミが広まり、大ヒットを記録。その後、80年に『帝国の逆襲(5)』、83年には『ジェダイの帰還(6)』が公開され、ルーカスの作り上げたSWシリーズは映画史に残る「クラシック」となった。

 しかしながら、その栄誉を葬ったのもまたルーカスその人が作った『エピソード4~6 特別編』と『エピソード1~3』だった。97年に発表された『特別編』は、撮影当時は実現できなかったイメージをCG技術を使って具現化。99年~05年にかけて公開された『1~3』は前3部作の前日譚を意欲的に描いた。ところが、最新技術を駆使した新たな物語に、熱狂的なファンは大激怒。批判の最大の理由は「オリジナルのエピソード4~6が持っていたクラシックな映像表現が失われた」ことだった。

 そして『エピソード3』公開から7年後の12年、ルーカスフィルムはウォルト・ディズニーに買収される。同時に『エピソード7~9』とスピンオフ作品、計5本の制作が発表されたが、ルーカス本人は同シリーズからの引退を表明した。

『新たなる希望』の公開をリアルタイムで経験した評論家の円堂都司昭氏は、公開当時の印象をこう語る。

「SF映画の王道ともいうべき『2001年宇宙の旅』や『猿の惑星』がそれ以前に話題になっていたこともあり、本格的なSFファンからはチャンバラ活劇的な『SW』はお子様向けと思われていたのは事実です。映像は革新的ですが古臭いストーリー展開なので、どこか『懐かしいなぁ』という印象がありました。また、日本での公開は78年ですが、77年にアメリカでヒットを記録した時点で情報は日本にも入ってきていた。公開に先駆けてサントラ盤やノベライズ本など関連商品を発売して、映画への期待を煽っていました。当時は角川映画がメディア・ミックス的な手法を手がけ始めた時代でしたので、同時代性がありましたね」

 こうしたメディア・ミックスを通じて「お祭り」を盛り上げていく方法は、今回のプロモーションでも用いられている。食品から衣料品に至るまで、あらゆる分野での関連商品の展開はもちろんのこと、カルチャー誌だけでなく女性誌にまで手を広げ、テレビ・スポットを打ちまくるメディア戦略が実施された。一説によると、これには史上最大規模の宣伝費が投入されているという。

 あまりの縦横無尽ぶりに謎コラボも多数出現している。その中でもファンからのヤジが飛んだのは、本編上映前に流れた『ONE PIECE』とのコラボ映像だ。ルフィが『SW』に「エール」を贈るという内容だったが、一部の映画館では不評を考慮して、上映されなかったという噂もある。いくら『SW』が使えるからといって、世界観を無視し、知名度を高めるためだけの無為なコラボレーションには閉口せざるを得ない。

 さらに公開前に話題となったのは、都内約9カ所の映画館が1800円から2000円にチケットの料金を特別料金に設定したこと。ネットを中心に「足元を見てる」「守銭奴」などとファンは猛反発。本社から『アナと雪の女王』超えの興行収入を厳命されているという日本のディズニーの策略が絡んでいるという話もあったが、映画ライターのよしひろまさみち氏は値上げの理由をこう分析する。

「TOHOシネマズは『SW』の新作公開に当たって、音響システムを最新のものに切り替えるなど、設備投資をしてきたんです。客が入らなければスクリーン数が減らされる今のシネコンの現状では、ロングランで大ヒットという昔ながらの映画のヒット作は出し難い。だからこそ短期間で設備投資の費用を回収するために特別料金を設定するというのは、特段おかしいこととは思えません」

 納得できる理由があっても、これだけの反発が出るのは、そのやり口が強引すぎるがゆえだ。それは『フォースの覚醒』の作品性にも表れている。

 ルーカスに代わり、J.J.エイブラムスが監督した同作は、『1~3』でルーカスが『SW』の世界を拡張しようとしたチャレンジは見られず、旧三部作のテイストを踏襲した、徹底的なオマージュ作品となっている。しかしそれが功を奏した。ただ、ルーカスは試写視聴前のインタビューで「『エピソード7』は、レトロで嫌いだ。自分は愛した子を奴隷商人に売り渡した」とまで述べ、作品が自分の手を完全に離れたことを強調していた。

 確かに『フォースの覚醒』からはルーカスの作家性は失われ、精巧に作り上げられた出来のいい“商品”として成立しているように思える。

 巧妙な宣伝戦略と商品作りによって成立した今回の『SW』祭り。本特集では、識者の作品論やビジネス分析などから、全世界を巻き込んだ、この狂騒的な「祭り」のダークサイドを紐解いてみよう。

(文/小田部 仁)

「俺は身勝手な男だった」【元ZOO・CAP】が語った覚せい剤逮捕後の本心、そして懺悔

<p>昨年7月7日、芸能界、そして音楽業界に衝撃が走った――元ZOO・CAPの逮捕。トップ・アーティストの座まで上り詰め、栄光をつかんだ彼が薬物に手を出してしまった理由はなんだったのか。本誌独占で彼の言葉を届けたい。</p>

悲劇の少女か、堂々たる嘘つきか? 獄中インタビューで暴露合戦をする、母親殺害事件の娘と恋人

――犯罪大国アメリカにおいて、罪の内実を詳らかにする「トゥルー・クライム(実録犯罪物)」は人気コンテンツのひとつ。犯罪者の顔も声もばんばんメディアに登場し、裁判の一部始終すら報道され、人々はそれらをどう思ったか、井戸端会議で口端に上らせる。いったい何がそこまで関心を集めているのか? アメリカ在住のTVディレクターが、凄惨すぎる事件からおマヌケ事件まで、アメリカの茶の間を賑わせたトゥルー・クライムの中身から、彼の国のもうひとつの顔を案内する。

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ジェニファー&ポールの幸せだった頃。

 テキサス州ヒルトップ刑務所内に設置された、無数の照明とテレビカメラ。その前で笑みを浮かべながらパイプ椅子に座る、ブラウンヘアーの少女。テレビ番組のリポーターがインタビューを開始すると、少女は静かに語り出す。

「母親の血しぶきが私の膝にかかりました。そして部屋中が血の海となり、私はただただその光景を見ていました」

 煌々と光る照明を浴びながら衝撃の事実を語るこの少女は、もちろんセレブやアイドルではない。現在、母親を殺害した罪で刑務所に収監されている本物の囚人だ。

 犯罪大国アメリカでは、犯罪者の犯した罪の実情にスリルを感じ、興味を持つ者が多いことから、こうしたトゥルー・クライム(実録犯罪物)を扱ったエンターテインメントが1ジャンルとして不動の地位を確立している。テレビをつければ被害者の遺族や、時に加害者までが事件の詳細を語り視聴率を上げているのだ。

 冒頭で紹介した少女もまた、テレビ番組が企画した獄中インタビューに答える加害者の一人。かつてアメリカを大きく揺るがした母親殺害事件の真相が、赤裸々に語られた。

シングルマザーの母と非行少年の弟、初めてのボーイフレンド

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それぞれ獄中インタビューに応えるジェニファーとポール。

 テキサス州ダラス郊外の閑静な住宅街で、ジェニファー・ベイリー(当時17歳)は4歳年下の弟・デイビッドと母親の3人で暮らしていた。地元の高校に通い、医者になることを夢見るジェニファーは、社交的な性格でこそなかったものの周囲からの評判も良く、ファンタジー小説を愛読するどこにでもいるティーンエイジャーだった。

 ジェニファーの母親は夫との離婚後、2人の子供たちを女手一つで育てるために夜遅くまで働くシングルマザー。母子家庭でありながら子どもたちが他の子どもたちと同じような生活が送れるよう、2つの仕事を掛け持ちして毎日夜遅くまで働いていた。

 仕事で家を留守にし、ほとんどの時間を子どもたちと過ごすことができない母親には悩みがあった。それは弟デイビッドの非行だ。デイビッドは通っていた中学校でたびたびトラブルを起こし、さらに自傷行為を繰り返していたのだ。“離婚がきっかけでデイビッドは変わってしまった”――そう考えた母親は、自分を責め立てる毎日を過ごした。

 そして、日々エスカレートするデイビッドのトラブルを心配した母親は姉のジェニファーに対してある言いつけをする。それは、四六時中デイビッドに寄り添い、自分の代わりに面倒を見て欲しいということだった。

 この言いつけによって、ジェニファーの生活は一変した。学校が終わると友人たちと遊ぶ暇もなく帰宅し、母親の代わりに家の掃除をし、食事を作り、デイビッドの世話に明け暮れた。やがて彼女は、その生活に不満を持ち始める。掃除や洗濯、食事の準備に少しでも手を抜くと母親はジェニファーに厳しく当たったからだ。ジェニファーは反発を繰り返し、母親との口論は日常化するようになっていった。それでも母親の言いつけは変わらない。学校と家とを往復するだけの毎日の中で、友達と遊ぶ時間もなくなり、勉強もしなくなり、医者になる夢もジェニファーはいつしか忘れていった。

 そんな矢先、彼女はある男子生徒に出会う。それは、同じ学校に通う1歳年下のポール・ヘンソン(当時16歳)だった。ポールは校内では有名な異端者で、悪魔崇拝に夢中になるGOTH少年だった。すらっとしたやせ形で身長は高く、伸びっぱなしの長髪が特徴的で、ハンサムというわけではなかったが、まるでファンタジー小説の登場人物のような独特のオーラで、ジェニファーは恋に落ちた。

 ジェニファーとの交際を開始したポールは、母親が一日中家を留守にすることが多かった彼女の家に入り浸るようになる。2人でエモ(エモーショナル・ハードコア)を聴き、ロールプレイングゲームを楽しみ、ジェニファーにウィッカと呼ばれる魔術の魅力を教えた。初めてのボーイフレンドであったポールの存在は、家庭環境に悩んでいたジェニファーにとってなくてはならないものとなっていった。

母vs娘&GOTH少年、繰り返す口論と家での果てに――

 しかし、ジェニファーの母親は、家に入り浸るポールを良く思わなかった。初めて会った時から激しい嫌悪感を示し、ポールの存在によって変わりゆくジェニファーを心配した母親は、ポールとの接見を禁止した。しかし、彼女は母親の思いに逆らうようにポールと会うことを辞めなかった。そして母娘はポールについて頻繁に口論をするようになり、2人の関係はさらに悪化していった。ポールにとっても、自分を否定するジェニファーの母親は目障りな存在だった。2人はそんな母親から距離を置こうと何度も家出を決行したが、行き場のないティーンエイジャーはすぐに発見され、その度にお互いの家へと引き戻されていた。

 そうした中、母親は自分に反抗し続ける娘との関係を修復したいという思いから、ジェニファーと向き合い、話し合いを設ける。そして自分への不満を一つ一つ聞き、謝罪をした。母親はまた普通の親子に戻れると信じていた。

 しかしそんな矢先、ポールが自宅から失踪したとして父親から通報を受けた警察が、ジェニファーの家へと捜査に訪れる。警察はこの時、家の中からポールの存在を発見することはできなかったが、ジェニファーの部屋からポールの衣類が入ったスーツケースを発見した。ジェニファーは家出してきたポールをかくまっていたのだ。

 この出来事で、母親はジェニファーに対して再び激昂する。そしてポールと距離を置かせるために、しばらく祖母の家か父親の家で過ごすようジェニファーに言いつけ、再び母娘は激しい口論を繰り広げた。 

 一度は埋められるかと思った母との間の亀裂が、より深いものになったジェニファー。そんな彼女に、ポールはある提案を持ちかける。それは、自分たちの関係を邪魔する母親を、殺害することだった。

笑いながらの殺害、そして幼稚な逃亡劇

 2008年9月25日、激しい口論の翌日だった。

 ポールはジェニファーの家で仕事から帰宅する母親を待っていた。深夜、何も知らずに仕事から帰った母親は2階の寝室に入ると悲鳴をあげた。そこにはナイフを持ったポールが待ち伏せしていたからだ。羽交い締めにされナイフを突きつけられた母親は、現場に居合わせたジェニファーに向かって「警察に電話して!」と叫んだ。しかし、ジェニファーは母親の願いを拒み、その場に立ち尽くしたという。そして、ポールは母親の首をナイフで切り裂き、時おり笑みを見せながら26回もナイフで刺し、殺害したのだ。

 ポールとジェニファーは、弟のデイビッドとペットの犬を連れて母親の車を盗みカナダへと国外逃亡を試みた。しかし、この無鉄砲な逃走劇は自宅から約1120km離れたサウスダコタ州で閉店後のガソリンスタンドに停車していたところを警察に見つけられ、逮捕されてあっけなく幕を閉じる。

 2人は逮捕後、仮釈放なしの終身刑に課せられる可能性があったが、司法取引に応じたためそれぞれ懲役60年を言い渡された。
 そして、事件から4年後の2012年、ジェニファーは冒頭のテレビ番組が企画した獄中インタビューに答え、ポールが行った残忍な殺害の手口、そして母親への懺悔を口にした。
  

7年越しの獄中インタビュー映像が巻き起こした波紋

 このインタビューの効果もあってか、「GOTH少年・ポールに操られた悲劇の少女」という印象を与えてきたジェニファーであったが、2015年11月に事態は再び動く。この事件を追った本『Let’s Kill Mom』が出版されたのだ。彼らが犯行に至った経緯を丁寧に描いた『Let’s Kill Mom』は、元新聞記者でノンフィクションライターのドナ・フィルダーによる粘り強い取材によって、家族のあり方や、社会に対して問題を投げかける問題作となった。

 こうした動向を受けて、テレビ番組も再びこの事件のドキュメンタリーを制作。アメリカでは家族や友人が受刑者と面会ができるように、メディアもまたそれと同等の権利を持っているため、受刑者が承諾さえすれば獄中インタビューができる仕組みになっている。刑務所によってはカメラを持ち込むことができない場合もあるが、ジェニファーやポールが収監されている刑務所では、カメラでの撮影が許可されていた。結果、冒頭のジェニファーのインタビューのみならず、新たなドキュメンタリー番組ではポールまでもが獄中インタビューに出演。そこで、「実は、母親殺害計画はジェニファーの提案だった」と衝撃の告白を行ったのだ。ジェニファーはあくまで殺害は全てポールの仕業と証言しているが、『Let’s Kill Mom』の中では、後の捜査によってジェニファーも母親殺害を手伝ったと記述されている。
 
 事件からおよそ7年たった今、獄中で過ごすジェニファーは日々、聖書を読みながら釈放までの日を待っているという。

井川智太(いかわ・ともた)
1980年生まれ。育英工業高等専門学校卒業。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。アシスタント・ディレクターを経てディレクターとなり、2011年よりニューヨークの日系テレビ局でディレクターとして勤務。また、その傍らフリーのライターとしてウェブを中心に執筆中。

SMAPの会見に思う――。アイドルは幸せでなくてはいけません。それを信じる人の幸せとつながっているから

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、芸能報道を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

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SMAP 「スマップ・エイド」

 1月18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)内の生放送での、5人による会見(あれを「謝罪会見」という言葉では表現したくない私がいます)は、SMAPファンではない人たちにも大きな話題を呼びました。多くは「ショック」という意味合いで。

 1年半ほど前になるでしょうか、私は別のコラムで、自分なりの「アイドル論」を書いたことがあります。以下、少し再現します。

・・・・・・・・・・・
「私は、私たちは(ぼくは、ぼくたちは)、なんだってできる」とその存在で語るアイドル(私にとってのジャンヌ・モローや1987年くらいまでの松田聖子、80年代の伊藤みどりや96年に一度目の引退をするまでの伊達公子)、あるいは「私には、私たちには(ボクには、ボクたちには)、できることは限られている。でも、だからと言って、自分たちの上にいる、力の大きなヤツらに迎合も服従もしたくない」とその存在で語るアイドル(昔ならジェイムズ・ディーンとか、パンク、ロック系のアーティストなどはこちらの枠。尾崎豊もこちらだと思う。最近なら1990年代の安室奈美恵とか2002年ごろまでの浜崎あゆみの歌の世界観もこっちだと思う。同性のカリスマになるのは、たいていこちらのタイプ)が、10代の子たちにどれだけの勇気やなぐさめを与えてくれるか。

 ここに「AKB」の名前を出さなかったのには、理由があります。「歌がヘタ」だとか「可愛い子と思える子がいない」とか、そんなことはこの際どうでもいい。「AKB(と、派生するグループ)」は、私の考える「アイドル」とは真逆であることが最大の理由なのです。「大きなものが決めたことに迎合し、従わなければ、そのグループで活動を続けていくことさえ難しい。それが大前提になっている子たち」を見るのは、どうもね、つらすぎるのよ。「年端もいかない子が、お金も力もある大人に翻弄される」様子を、「物語」とか「試練」として気持ちよく消費することが、心情的にできないわけ。それは私にとって、「運営側・制作側が隠そうともしない残酷さ、酷薄さに乗っかる」みたいな部分があるのです。
・・・・・・・・・・・・

…と、こういうことを書いたのが1年半前。そして今年の1月15日にアップした、この連載の前回のコラムではこういう感じのことを書きました。

・・・・・・・・・・・
 アイドルとは、ただ『テレビやステージでキラキラ輝いている人』のことではない。その人たちが輝いている姿を見ると、ほんの一瞬でも『生きていくのが怖くなくなる』というほどの切実さで、多くの一般人が応援している人。それがアイドルである。

 しかし、松田聖子にしろSMAPにしろ、「若さをベースにしたキラキラを放出する時期」が終わってもなお、「10年、20年、30年の長きにわたってこの『任務』を成立させるアイドルが出てきた」いうことは、同時に、「多くの人たちにとって、生きていくことが、いつまでたっても怖くなくならない」ことも意味するのです。

 やっぱりダメよ、解散なんて。くどいようですが私はSMAPオタではありません。でも、曲が好きなの。彼らのステージを見るのが好きなの。そして、そのステージを見ることで、一瞬でもいい、「つらさ」を忘れる人たちがたくさんいることを感じるのが好きなの。「いい大人になっちゃったけど、昔から好きなことが、自分のそばに、まだある。だから、なんとか生きていける」と思える人がたくさんいる。そのことが好きなの。だからダメよ、解散なんて。
・・・・・・・・・・・・

 そして、1月18日の生放送での、SMAPの会見。あの会見を見た後で、私は前回のコラムに書いた「感想」を変更するのではなく、ひとつだけ、新たな「感想」をつけ加えたいと思います。

「アイドルは、幸せにならなくてはいけない」と。

 アイドルとは、何も芸能人だけが背負う「使命」ではありません。スポーツ選手をアイドルにしている人、文筆家をアイドルとする人…、本当にさまざまなアイドルがいます。現実世界に存在しない何かしらのキャラクターをアイドルにする人もいれば、海外住まいの私の友人がマザー・テレサを挙げたように、崇高な活動をしている人をアイドルにしている人もいるでしょう。

 アイドルは、私を含む一般人に、「キラキラ」を見せてくれるだけではありません。想像すらできなかった高い壁を超えたり、分厚い殻を破る姿を見せてくれる。そして、自分の力だけでは見えなかった景色を見せてくれる。少なくとも若かりし頃の私は、アイドルのそんな姿を見て、「私ももう少し頑張れるかもしれない。自分の壁はもっと低いんだから。自分の殻はもっと薄いんだから」といった「励まし」をもらってきました。

「生きていくことの怖さ」を単にやり過ごすだけではなく、乗り越える強さを、会ったことがない他人や現実にはいないキャラクターからもらってきたのです。これは私を含む「SMAPファンではないが、自分なりのアイドルがいる人・いた人」にもわかっていただけると思います。

 だから私は、自分のアイドルには幸せでいてほしい。幸せになってほしいのです。彼ら、彼女たちの強さが、自分の強さにほんの数%でも影響を与えてくれるのを知っているから。彼ら、彼女たちの幸せが、自分の幸せと見えない場所でつながっているのを知っているからです。

 私は、それがどこまでも利己的な感情だと知っています。

 でも、同時に「それが利己的な感情だ」ということを認められる程度には大人です。だからこそ、あの会見を見たときに、SMAPファンの人たちのためだけでなく、自分のためにも思ったのです。「SMAPには幸せになってほしい」と。

 芸能界におけるアイドルが、2~3年で入れ替わるのではなく、驚異的に長いあいだ人気を博すようになった理由に、「若さをベースにしたキラキラ」だけではなく「メンバー同士の関係性」が消費されるようになったから…ということは、一般にもかなり共有されていると思います。「関係性萌え」の人は、今さら「アイドルとつきあえるかも」みたいな妄想を抱くほど子どもではない。しかし、「自分のリアルな世界、その世界にいる人々との関係性にしんどさを抱えている人が、彼らの関係性から力をもらいたい」と、心のどこかでは思っているのではないか…。私は自分の経験からそう感じるのです。

 グループ単位のアイドルが見せる「キラキラした関係性」に希望を見出していた人たちが、メンバーの誰ひとり幸せに見えなかったあの会見に動揺したりショックを受けただろうことは、容易に想像がつきます。本当に若い頃に「自分の周りの人々との関係性」にしんどい思いをしていた私自身にとって、その動揺やショックは他人事ではないからです。だから、あの会見以来、私の心の中には、薄くてぼんやりしているけれどどうにも剥がれない膜がかかったような感じになっています。

 生きることに不器用だったり、周りの人たちとの関係性に不器用だったり…アイドルは、そんな人たちのために存在します。不器用であることが「悪」だなんて、私はとても思えません。「不器用であること」を受け入れつつも生きていかなくてはいけない人たちの、その負担の重さは、かつての自分が抱えていた重さそのものでもあるからです。だからこそSMAPは幸せになってほしい。傲慢な希望だということは百も承知で、メンバーだけでなく、SMAPを作った人、SMAPを動かしている人たちも一緒になって、SMAPを幸せにしてやってほしいのです。SMAPのため以上に、アイドルを信じるすべての「ちょっと不器用な人たち」のために、強く願っています。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。著書に『愛は毒か 毒が愛か』(講談社)など。新刊『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)が1月下旬に発売予定。

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