「12プレミア」の記事一覧(4 / 16ページ)

コネ入社のツケが回ってきた!? フジテレビ秋元、生田アナの離婚協議に人事部がハラハラ

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秋元優里アナ。フジテレビアナマガより。

 離婚にむけて話し合いをしていることが明らかになったフジテレビの秋元優里、生田竜聖両アナカップル。秋元アナの不倫疑惑も囁かれるなか、腫物を触るように、皆が2人に気を遣い、アナウンス室の雰囲気も最悪とか。2人の今後の処遇にも注目が集まっている。

「別居報道以降、互いに避けているのかアナウンス室ではニアミスしないよう気を遣っているようです。周囲も2人の話題には一切触れずピリピリモード。特に生田は意気消沈していて、目に見えてげっそり痩せて元気がない。廊下を歩いている時も下を向いて誰とも目を合わせないようにしています」(フジテレビ局員)

 さすがに離婚が現実になれば、2人をこのままアナウンス室に残すとは考えづらく、来年の人事でどちらかが異動させられる可能性が高いという。

「年齢や今回の不倫騒動も考慮すると秋元が他部署に異動させられる可能性が高いでしょう。新人時代の生田に手をつけたということもあり、上層部の印象も良くない。年齢的に女子アナとして伸びシロもなく、広報あたりに飛ばされそうです」(同前)

 そんな声がある一方で、秋元は“アンタッチャブル”な存在だと指摘するむきも。

「秋元の父親は元外交官で、現在は宮内庁式部官長という大物。フジ局内にも仕事絡みで関係のある人間が少なくない。関係を維持する意味でも、本人の意向を汲んでアナウンス室に残留させる可能性もあります。しかし一方の生田もジャニーズとの繋がりもあり異動させるのは難しい。コネ入社を甘やかしてきたツケがまわってきたと揶揄する声もあります」(別の局員)

 アナウンス室から去るのは果たしてどっち!?

【「ハイロー」考察本発売記念】”MUGEN”こそが夢だった――EXILE HIROという男が紡ぐ物語のゆくえ

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Amazonで予約受け付け中!

 きたる12月15日、小社より「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(以下、「ハイロー考察本」)が刊行されます。

 本書では「HiGH&LOW」を紐解くための「LDH研究」も行っておりますが、サイゾーpremiumでは2013年あたりから、EXILEおよびLDH研究を(勝手に)進めており、

「メディア統制と”教祖”HIROの徹底教育――”黒いジャニーズ”EXILEのゴシップはなぜ出ないのか?」(13年11月15日公開)

「ジャニーズと張り合うEXILE一族の最終兵器! 三代目J Soul Brothersが”嵐”になる日」(14年12月25日公開)

「本当にATSUSHIは脱退してしまうのか? EXILEの影なるカリスマの孤独」(14年7月16日公開)

 その中で培われた研究・考察の成果もぎゅっと凝縮して詰め込みました。

 さて、ここでは「ハイロー考察本」に収録されている「HIRO大研究」記事の一部を先行公開。ヤンキーマンガや映画を長年見続けてきたライター・藤谷千明氏による「HIRO論」をお届けします。LDHの総裁にして、「HiGH&LOW」創造の父でもある”EXILE HIRO”が紡ぐ物語のゆくえやいかに……。

「ムゲンを永遠のものにする」――琥珀とHIROの願い

(文/藤谷千明)

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ハイローをより考察したくば『Bボーイサラリーマン』を読むべし。

「違う、捨てたんじゃねぇ。変わってくんだよ。みんな同じ時間で止まってる訳じゃねえ。変わっていくことと、仲間を失うことは全然違う」

『HiGH&LOW』のシーズン2で龍也が琥珀を諭すときに口にするセリフだ。『THE MOVIE』の回想シーンにも出てくるこのセリフは、『HiGH&LOW』の根底にあるテーマのひとつでもある。

 これまでにも繰り返し述べてきたが、『HiGH&LOW』はEXILE、ひいてはEXILE HIRO(本稿では尊敬と親しみを込めて「HIROさん」と呼ばせていただく)の経験や思想が色濃く出ている作品である。つまり、EXILEの歴史とは、喪失と変化の歴史なのだ。しかし「変わっていくことと、仲間を失うことは全然違う」というものの、HIROさん自身の歩みを振り返ると「喪失」をきっかけに「変化」していったというほうが正しいかもしれない。

 HIROさんの小説風自伝『Bボーイサラリーマン』(幻冬舎)によると、ZOO解散後、どん底を味わっていたHIROさんは91年のボビー・ブラウンの日本公演にバックダンサーとして参加。この公演が、どん底からの浮上のきっかけのひとつとなるのだが、その時にボビー・ブラウンから「Japanese Soul Brothers」と紹介されたことがHIROさんを強く勇気づけたのか、再起をかけて結成したユニットの名前を「J Soul Brothers」と命名する。99年のことだ。

 当初はHIRO・MATSU・USA・MAKIDAIの他に、SASAというボーカリストがいたのだが、作家活動に専念したいという理由でグループを脱退してしまう。その後紆余曲折を経て、当時から『ASAYAN』(テレビ東京系)で注目されていたATSUSHI、山口県のとあるオーディションで発見されたSHUNを誘い、ツインボーカルの6人編成になり「EXILE」と改名した。HIROさんは『Bボーイサラリーマン』内で改名の理由について、J Soul Brothersへの愛着は残しつつも「ここからが正念場だ。過去を白紙に戻し、生まれ変わったつもりでゼロからスタートしようと思った」と語っている。「喪失からの変化」はEXILE誕生からすでにはじまっていたのだ。

 EXILEは01年9月に「Your eyes only 〜曖昧なぼくの輪郭〜」でメジャーデビュー。ドラマの挿入歌として起用されたことから話題になり、スマッシュヒット。以後も順調にファンを増やしていく。02年に現在のLDHの前身となる「エグザイル・エンターテインメント」を設立。EXILEの初期メンバー6人が50万円ずつ出し合って有限会社の資本金300万を捻出したという話は語り草になっている。03年にはアルバム『EXILE ENTERTAINMENT』がミリオンヒット、紅白歌合戦にも出演。04年には初の武道館公演。05年には初のベストアルバム『PERFECT BEST』を発売し、これもミリオンセラーを達成。HIROさんが『Bボーイサラリーマン』を上梓したのもこの頃である。

 何もかもが順調にいっていたように見えたが、ここで転機が訪れる。06年に、清木場俊介としてのソロ活動に専念したいとSHUNが脱退を発表。そしてAKIRAの加入、新しいボーカルをオーディションで決定する「EXILE VOCAL BATTLE AUDITION」の開催。そこで優勝したTAKAHIROの加入。「EXILE」に「第○章」が付くようになったのもこの時期だったように記憶している。変化を余儀なくされたEXILEの規模はこれを機にどんどん拡大していく。

 逆境に対してHIROさんは自著『ビビリ』(幻冬舎)では、「ぜってぇ、負けねえ」と語り、SHUNの脱退があったからこそメンバーがひとつになれたと語っている。ここで、SHUN脱退やメンバー変更について、HIROさんの言葉を引用したい。

「すべてのものには終わりがあるのだ。EXILEだって、もちろん永遠ではない。(中略)永遠に続くグループなんてない。いつかどこかで、必ずいろんなことが起きて、解散しなきゃならなくなる。それが運命なのだ。けれどこのまま、その運命とやらのなすがままに、ここまで積み上げてきたものを、すべて無にしてしまっていいのだろうか。EXILEはもう終わりなのか。運命をひっくり返して、永遠に輝き続ける方法はないのだろうか。(中略)永遠は無理かもしれないけれど、その永遠に挑戦することくらいはできるはずだと思った。」(『ビビリ』より)

 琥珀の思想である「ムゲンを永遠のものにする」の萌芽がすでにここで誕生している。

つづきは本書で!(Amazon予約受け付け中)

日本が世界に誇る「官能的絵画」を“殺した”のは誰か? 春画、1世紀半の不幸なる近代史

「江戸時代の日本の豊かな性愛文化」の象徴――。そのような文脈で語られ、大きなブームを巻き起こしている春画。しかし明治以降の歴史を眺めてみれば、むしろ愚劣低俗なものとされ弾圧されてきたというほうが正しい。いま、春画の近代史をたどる!

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明治33(1900年頃)『出雲のちぎり』寺崎広業幕末・慶応2(1866)年生まれの日本画家、寺崎広業が明治末期(1900年頃)に描いたとされる連作『出雲のちぎり』のなかの1枚。寺崎広業は、東京美術学校(のちの東京芸術大学)の教授も務め、横山大観らと並ぶ大家である。

 2015年9月19日から12月23日まで、東京都・文京区の美術館「永青文庫」で「SHUNGA 春画展」が開催された。来場者数は20万人を突破、特に女性客が多かったことで話題となった。

 フェミニズムの第一人者として著名な社会学者の上野千鶴子は、春画について次のように語っている。

「春画には女の快楽がきちんと描かれています。(中略)快楽が女に属するものであり、女が性行為から快楽を味わうということが少しも疑われていない。この少しも疑われていないということが他の海外のポルノと全然違うところなんです。能面のような顔をした、男の道具になっているとしか思えないようなインドや中国のポルノとは違う」(青土社「ユリイカ」2016年1月臨時増刊号)

「美術手帖」2015年10月号(美術出版社)では女性のための春画特集が組まれ、蜷川実花×壇蜜による春画グラビアなどを掲載。かくして春画は現代女性の共感を得、「江戸時代の豊かな性愛文化の象徴」といったイメージのもと、ここ数年大きなブームとなっている。実際「春画」と付く出版物は、2015年発行のものだけで15冊以上を数える。

 しかし「春画」とは、後世の呼称である。「春画」全盛期の江戸期には「枕絵」「笑い絵」「笑本・艶本(いずれも「えほん」)」などと呼ばれ、版画の場合その多くは12数1組、本の場合は3巻の体裁を取っていた。名だたるほぼすべての浮世絵師が描いたとされ、前述の春画展で展示されたのも、主に喜多川歌麿、鈴木春信、葛飾北斎、鳥居清長、歌川国芳など著名な絵師のもの。男女の性の営みを大胆に描き、性器を大きく誇張した作品が多い。

 これら春画を含む浮世絵には木版画と肉筆画がある。木版画は大量に刷ることができ、貸本屋などを通して流通。対して肉筆画は、富裕層が絵師にオーダーした、贅を尽くした“一点もの”作品である。江戸期に花開いた木版画は、その技術の高さと芸術性から世界的にも評価が高く、現在出回っている浮世絵や春画も多くは版画作品だ。

 かといって当時、春画が自由に売買されていたわけではない。1722(享保7)年、江戸中期の享保の改革によって、好色的な書物は発禁となった。だがその影響力は徹底しておらず、庶民の間ではこっそりと、しかし相当量が流通していたとみられる。売れるから儲かる、儲かるから新しい作品制作に存分な資金と高度な版画技術が注ぎ込まれ、発展していったのである。

 さらに内容はといえば、性愛表現だけでなく大らかさやユーモアにもあふれ、現代的なポルノグラフィとは違うとされる。「SHUNGA 春画展」の企画に携わった、東洋古美術専門の美術商・浦上蒼穹堂代表で、自身も春画をコレクションしている浦上満氏は、「春画は人間讃歌」だと語る。

「後ろめたさがなく健全な作品。展覧会でも女性たちがワイワイと話しながら見ていました。おそらく江戸でも、このように楽しまれていたのでしょう」(浦上氏)

 下半身を露わに交わる男女の背景には和歌が添えられたり、中国古典文学のパロディが書かれたりと読み手の教養が要求されるものもあり、作家の創造性を存分に発揮する手段としても機能していたとみられる。こうした表現内容の多様性やそれに対する評価も踏まえ、昨今の「春画ブーム」があると見てもよいだろう。

 しかし春画に対するそのような評価は、普遍的なものだろうか? 江戸期には「芸術」などではなくもっと日常的なものであっただろうし、一転、明治期以降においては「西洋化」の波のもと“わいせつ”なものとして厳しく取り締まられ、結果として春画そのものの衰退を招いた。また学問的にも研究対象からは疎外され、実はその全容の研究にいたっては、やっと端緒に就いたばかり……という状態なのだ。

 かように時代に翻弄されてきた春画。そのときの社会背景を反映しながら、愛され、焼かれ、そして今また愛されようとしている。以下、そのような「春画の近代史」を概観したい。

(文/安楽由紀子)

高畑裕太にレッテルを貼ったのは誰だ!発達障害が増加した?“アスペ・バブル”の真相

――近年、発達障害が増えているともいわれる。それと関係しているのか、いつしか“アスペ”というワードが世間に浸透し、アスペルガー症候群のみならず、ADHDなど発達障害全般を一緒くたにした隠語としてネット上にはあふれている。つまり今、ある種の“アスペ・バブル”にあるといえるのではないか──。発達障害をめぐる精神医療の現場から、アスペルガー症候群を描いた映画・小説まで見渡しながら、この妙な盛り上がりの実態に迫っていきたい。

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15年5月、発達障害のひとつの注意欠如障害(ADD)であることをカムアウトした栗原類。こちらは、彼の著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA)。

 去る8月23日、俳優の高畑裕太が強姦致傷容疑で逮捕。この時、母・高畑淳子がテレビ番組で語った彼の少年時代の逸話などから、「高畑容疑者はアスペルガー症候群では?」との疑いが持ち上がった。週刊誌では高畑が性的暴行に走った原因を精神疾患に求める精神科医のコメントが載せられ、かたや主にネット上では高畑を“アスペ”認定し、半ば誹謗する動きも見られた。

 こうしたケースは一例にすぎず、近年、メディアやネットでアスペルガー症候群をはじめとする発達障害がクローズアップされたことで、個人のコミュニケーション不全や問題行動が“アスペ”なる俗語の一言で頻繁に片づけられるようになった。本稿では、この“アスペ・バブル”ともいうべき事態について考察したい。

 そもそもアスペルガー症候群とは自閉症圏疾患の1タイプで、知的障害を伴わないが対人コミュニケーションや社会性に障害があり、特定分野への非常に強い興味・こだわり、または反復的・常同的な行動パターンが認められる疾患。また、詳しくはページ下の図表に示したが、アスペルガー症候群は、かつては発達障害を構成する概念のひとつ「広汎性発達障害」のサブカテゴリーだった(ほかに「自閉性障害」、「レット障害」、「小児期崩壊性障害」、「特定不能の広汎性発達障害」が含まれる)。だが、2013年にアメリカ精神医学会による診断基準「DSM」の改定で、この広汎性発達障害に代わり「自閉症スペクトラム障害(ASD)」という名称が採用され、アスペルガー症候群や自閉性障害などの診断名は削除された。これは自閉症的な特徴を「スペクトラム=連続体」として捉え、軽度なもの(アスペルガー症候群)から最重度のもの(自閉症)まで様々な段階があることを意味する。

 つまり現在、少なくとも医療の現場ではアスペルガー症候群は死語になりつつあるわけだが、一般には依然として“アスペ”が一人歩きしている。

「以前、“発達障害”というワードで新聞記事を検索したことがありますが、2000年前後から急激に増えている。なぜ増えたのか。その答えは、少年犯罪です」

 そう語るのは、精神科医の岩波明氏。具体的には、00年の豊川主婦殺人事件、03年の長崎男児誘拐殺人事件、04年の佐世保小6女児同級生殺人事件のことだ。

「どの事件も、弁護側が情状酌量を狙って加害者はアスペルガー症候群だと主張し、家庭裁判所もそれを受け入れました。ただ、その診断には疑わしい部分もあり、豊川市のケースでは弁護側の主張はどう考えても診断基準には当てはまりません。事実、この事件では精神鑑定が2度行われ、最初の鑑定ではアスペルガー症候群の可能性が排除されています」(岩波氏)

 この精神鑑定結果に世間やメディアは飛びつき、“少年犯罪=心の闇=アスペルガー症候群”という図式が生まれた。

 他方で、アスペルガー症候群はポジティブなニュアンスで語られることもある。すなわち、アスペルガー症候群の人は「少し変わったところがあるが、特定の分野においては驚異的な能力を発揮する天才タイプ」という認識である。例えば歌手のスーザン・ボイルがアスペルガー症候群をカミングアウトし、世界中を驚かせたのは記憶に新しいところだろう。

アスペルガー症候群の診療ガイドラインはない

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岩波氏によれば、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは、ASDだった可能性が高いという。

 もちろん、バブルがもたらした困った傾向もある。ネット上で手軽にできるアスペルガー症候群の自己診断などに惑わされ、自分もアスペルガー症候群だと思い込む大人が増えた。この背景には、「発達障害は生まれつきの疾患で、成人してから罹患するものではない」という事実が意外と知られていないことや、コミュニケーション能力が過剰に問われる現代社会で、他者とうまくかかわれない原因を発達障害に求める心理もあるだろう。

「我々の病院(昭和大学附属烏山病院)には約10年前から成人向けの発達障害外来がありますが、受診される方のほとんどの主訴は対人関係の問題。しかし、実際にアスペルガー症候群(現在はASD)と診断されるのは約3割で、それ以外は健常者か、うつ病や対人恐怖症、統合失調症といった疾患を抱えるなど、本人の訴えと一致しない場合も多い」(同)

 逆に、一部の医師やカウンセラーには、コミュニケーション不全=アスペルガー症候群という認識が広まってもいる。

「アスペルガー症候群の診断で一番多い間違いは、同じく発達障害の1分類である注意欠如・多動性障害(ADHD)との混同。ADHDはその名の通り不注意と多動、衝動性を中核症状とするので、アスペルガー症候群とは診断基準が明確に異なる。しかし、ADHDの人の一部には対人関係に問題があったりするので、表面的にはアスペルガー症候群と区別がつきにくい場合があります」(同)

 先述の通り、発達障害の概念や分類は現在進行形で更新されている。それに医療の現場が追いついていないのか?

「もともと発達障害は児童精神科の領域の疾患なので、実際に患者に触れる機会がないまま医師になる方が非常に多い。医師ですらそんな状況だから、カウンセラーの方は推して知るべしです。また、成人の発達障害を積極的に診療しようという病院も徐々に増えていますが、絶対数はまったく足りていません。特に地方は深刻で、東京にある我々の病院に広島や和歌山から来られる方もいます」(同)

 さらに、精神科のある病院でも、発達障害の患者を避ける傾向にあるという。その理由は、発達障害ではいまだ治療のスキーマが確立されていないからだ。

「うつ病も大変な病気ですが、薬の処方などについて一応のガイドラインが定められています。でも、アスペルガー症候群などにはそれがない。しかも、医師は薬で症状を改善するのが普通ですが、ASDに効く薬は今のところないし、治療にも非常に時間がかかる。だから、診療を断る病院がほとんどです」(同)

 発達障害の診療の需要は増したものの、とても供給が間に合っていないのだ。

ADHD治療に使う“クスリ”の是非

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今年、公開されたディズニー/ピクサー映画『ファインディング・ドリー』。主人公の魚・ドリーは“極度の忘れんぼう”だが、どんなときも明るく前向きという長所があった。デジタル先行配信中。11月22日にMovieNEXもリリース。発売:ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)2016Disney/ Pixar

 ところで、そもそも発達障害は小児期に診断されることが多い障害。では、子どもの診療方法とは? 主に小学校入学前の幼児の療育を行う横浜市南部地域療育センター所長の井上祐紀氏はこう話す。

「私どもの療育センターでは、グループ療育や専門家による個別指導などもしていますが、もっとも大きな課題は、お子さんが普段置かれている環境の適正化。具体的には、その子が通う幼稚園・保育園を職員が巡回し、現場の様子を見ながら保育士さんに生活上・教育上の工夫についてアドバイスしています」

 発達障害は、IQテストのような検査で測れない(IQテストでわかるのは、知能の遅れのみ)。特にASDはコミュニケーションや行動パターンに特性が見られるため、子どもの挙動と共に、取り巻く環境もじっくり観察する必要がある。

「例えば、幼稚園・保育園でお子さんにとっては苦痛となっているなんらかの規則があったり、家庭での親御さんの接し方が適切でなかったりするために、問題行動が見られるケースもあります。よって、単に外見上の問題行動で判断するのではなく、社会が設定する枠組みとお子さんの相性を見立てた上で、慎重に診療していかなくてはなりません」(井上氏)

 子どもだからこそ慎重な診療が求められるわけだが、療育現場でもっとも大きな問題になるのは薬物療法。先述の通り、ASDの特効薬は現在はないが、ADHDの治療では00年代後半にコンサータ(メチルフェニデート徐放錠)とストラテラ(アトモキセチン)が厚生労働省の認可を受け、処方されている。

「ADHDのお子さんは落ち着きがなかったり、授業中に急に席を立ってしまったりと、運動面の抑制が効きにくくなっています。それはドーパミンなど脳内の神経伝達物質に関連した脳機能の問題があると考えられており、コンサータもストラテラも、それら神経伝達物質の血中濃度を上昇させる効果があります」(同)

 ただ、いずれの薬もすべての人には効かず、効き方にも個人差があり、副作用もあるため、薬物療法はあくまで補助的な方法として捉えているという。逆にいえば、ADHDの特徴が極めて明確で、周囲の工夫や配慮だけでは療育が難しい場合に限り、薬物療法に踏み切るのだ。

「その際も、最終的には本人が苦しんでいるか否かが重要な判断材料になります。医療はそもそも自覚症状を緩和するためのものなので、例えば本人は教室でどんな気持ちで椅子に座っているのか、どんな気持ちで席を立たざるを得ないのかを徹底的に聞きだしていく。本人も授業中はじっとしなきゃいけないのはわかっているのに、自分でコントロールできない。その葛藤や懸念が見て取れれば、薬物療法をお勧めします。もちろん、本人とご家族の意向を尊重した上ですが」(同)

 そして、子どもの発達障害でも、個々の医師の診断技術にばらつきがある可能性は否めないと井上氏は危惧する。

「厳しいことを言わせてもらえば、診断のみを行うのは片手落ちで、やってはいけないことだと私は思います。発達障害の人は子どもも大人も、生活上の工夫と周囲の配慮が必要な場合がほとんどです。であれば、その工夫と配慮について助言できる医師にだけ診断してほしい」(同)

 井上氏は実際に幼稚園・保育園や小学校へのアドバイスをしたり働きかけをしているが、それが必ず実るとは限らない。

「残念ながら、発達障害だからといって特別扱いはしない方も多くいらっしゃいます。先生方からは、我々のような対応は子どもを甘やかしすぎだと受け取られる場合もあり、そこはお互いの子ども観、教育観で齟齬が生じる部分でしょう。ただ、『幼児教育はかくあるべし』といった枠組みが強固すぎると、その教育現場に合わない子はずっと合わないままになる。そうした懸念は常にあります」(同)

 その意味では、発達障害は医療の問題であると同時に、教育の問題でもある。

「コミュニケーションや社会性の問題にだけ注目が集まるあまり、ASDに特徴的な“こだわり”の症状が見落とされています。例えば、電車や工事現場の重機などメカニカルなものを何時間も眺めていたり、自宅から特定の場所へ行くまでの道順を絶対に変えられなかったりするなど、儀式的・常同的な行動ですね。そんな特質を持っているにもかかわらず、知能は低くないので、問題行動を起こさない限りはあまり目立たない」(岩波氏)

 本来であれば、学校教育でそういう子どもたちに適切な処置を施すべきだが、いかんせん日本では集団教育が主流であり、教師にも個々の生徒に目を配る余裕がない。結果、そこそこ成績がよくて素行に問題がなければ、発達障害の疑いのある子どももスルーされてしまうという。

「そうやって小中高、大学までは乗りきれても、就職の段階で不適応が表に出てしまう。あるいは、平社員のうちは適応できても、部下をコントロールする管理職になると、もう無理ですよね。ASDの人は技術職など専門分野では能力を発揮しやすいですが、日本の会社は技術職でも総合職的な職能を求めがちですから、なかなか厳しいものがあります」(同)

 大人も子どもも、発達障害の人にとって“良薬”となるのは、周囲の理解と寛容な社会だといえる。その意味では、“アスペ”とレッテル貼りをして排除する行為は理解や寛容さの対極にあるだろう。それを踏まえた上で、明日以降公開の記事では、企業と発達障害、フィクションの中の“アスペルガー”について見ていきたい。

(文/須藤 輝)

各疾患の特徴とは?ASD、LD、ADHD……発達障害の概念

このような概念で構成される発達障害。一言で説明するのは難しいが、それぞれの障害の主だった特徴を見ていきたい。

発達障害
ここ数年で「アスペルガー症候群」や「発達障害」といった言葉が世の中に急速に浸透した。しかし、一口に発達障害といっても、その症状はさまざまである。というより、そもそも発達障害という用語は、アスペルガー症候群や自閉症を含む「自閉症スペクトラム障害(ASD)」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、そして「学習障害(LD)」という3つのカテゴリーを包括する総称にすぎない。ここでは、カテゴリーごとの疾患の特徴をまとめてみた。

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自閉症スペクトラム障害(ASD) ※旧名:広汎性発達障害
自閉症とアスペルガー症候群などを包括した概念。かつては広汎性発達障害の下位カテゴリーとしてアスペルガー症候群や自閉症などが並存していたが、13年にアスペルガー症候群から自閉症までを「連続体」として捉える自閉症スペクトラム障害に更新された。この概念は、「社会的交流」「社会的コミュニケーション」「社会的イマジネーション」という「3つ組の障害」で定義され、この3つ組の障害が年齢や知的水準によって多様な表れ方をするのが特徴とされる。

【アスペルガー症候群】
・言語発達および知的能力の障害が見られない
・対人関係が苦手で集団生活において問題を起こしやすい
・他者の気持ちや言外の意味を理解することが困難
・反復的で常同的な行動パターン

【自閉症】
・他者の存在をきちんと認知していない
・言語によるコミュニケーションの障害が見られる
・相手の言葉をオウム返しで言う
・「外出の道順」「物の位置」など特定の事柄に対する強いこだわり

学習障害(LD)
1999年の文部省(当時)の定義では、学習障害とは「全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、さまざまな障害」とされている。学習障害は脳の特定部位におけるなんらかの機能障害に起因すると推定されているが、明確な結論は得られていない。また、学校などで学習障害とみなされている子どもの少なくない部分が、実はADHDや自閉症スペクトラム障害であり、診断という観点から見直しを要する。

・読字障害
・算数障害
・書字表出障害
・特定不能の学習障害

注意欠如・多動性障害(ADHD)
自閉症スペクトラム障害と共に注目されている発達障害のカテゴリー。ADHDは通常「多動」「衝動性」と「不注意」の症状を持つといわれる。その原因は脳の構造的な異常によるものではなく、ノルアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質の機能障害に基づくものと想定されるが、明確な原因は特定されていない。ADHDは生まれながらのものであり、その症状は3~4歳で顕在化することが多い。また、発症には遺伝的な要因が関係していると考えられている。
・注意集中ができない
・手足をモジモジさせ、キョロキョロする
・授業中に席から離れる
・じっとしていられない

参考:岩波明著『発達障害と生きる』(講談社)

さほどイケメンでもない! 演技も微妙! なのに映画主演級が続くナゼ――【山﨑賢人】“王子バブル”終了!? ゴリ押し後に問われるその真価

――原作付き実写映画ばかりが量産される邦画業界で、“王子”の名をほしいままにしている山崎賢人。数多くの恋愛マンガ原作映画にヒロインの”相手役”として抜擢されてきたが、なぜそこまで人気なのか? むしろ本当に人気があるのか? 事務所のゴリ押しを疑うような山崎賢人の、映画主演の背後にある業界の事情とは。

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数冊発行されている山崎賢人の写真集。映画やテレビではなかなか見られない、文字通り赤裸々な姿にお目にかかれる。ファンでなくとも好きになる!?

 今シネコンに行けば、必ず山﨑賢人の主演映画が上映されている――これは決して大袈裟な表現ではない。この1年で見ても『ヒロイン失格』(2015年9月)、『orange―オレンジ―』(15年12月)、『オオカミ少女と黒王子』(16年5月)、『四月は君の嘘』(16年9月)と、4本もの映画で立て続けに主演に抜擢されている。さらにその間、テレビドラマでも、連続テレビ小説『まれ』(NHK/15年3月~)、『デスノート』(日本テレビ/15年7月~)、『好きな人がいること』(フジテレビ/16年7月~)と、連続して主役クラスで出演。そして17年には映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(夏公開予定)、『一週間フレンズ。』(17年2月)、『斉木楠雄のΨ難』(公開日程未発表)など原作モノの実写化作品に主演する予定。これは不自然なほどの超ハイペースだ。

 しかも山﨑が一躍有名になったのは、ほんの2年ほど前、14年に公開した映画『L♡DK』からだ。剛力彩芽と共に高校生の恋愛を演じ、「壁ドン」ブームの火付け役にもなったが、だからと言ってほかにも人気の若手俳優は多くいるため、これほどまでに主演に引っ張りだこになるような器なのか、と聞かれれば疑問が湧いてくる。もちろん『L♡DK』以来、“王子”と評され、女子高生を中心とした若い世代に人気があるのは確かだ。しかし世間のイメージは「最近出てきたばかりの若手俳優のひとり」というのが大半であり、主演クラスの俳優というイメージはないだろう。この山﨑賢人連続主演現象の裏側には、単に“売れっ子”という言葉だけでは片付けられない何かがあるのでは――そう考えずにはいられないような状況となっている。

大手芸能事務所の“売れっ子誕生”方程式

 こうした現象を見て、事務所がむやみやたらと山﨑を押している、いわゆる“事務所のゴリ押し俳優”だと思う向きも多いことだろう。山﨑が所属するのは北川景子や山田孝之など今をときめく俳優が肩を並べる超大手芸能事務所スターダストプロモーション。「もちろん事務所の力は大きいと思います」そう語るのは、映画製作関係者のA氏だ。

「特にスターダストのように、芸能事務所が映画の製作委員会に出資している場合は、売り出しやすい。うまく自社の俳優が主演で映画の企画が通ったら、その脇役だけでなく相手役(ヒロイン)にまでも同じ事務所の新人俳優をねじ込んできたり、さらには他作品への出演を交渉してきたりもする。製作側は主演ありきで企画を提案するので、数字を持っている俳優の所属事務所の意向は無視できないことも多い。ジャニーズなどは、相手役の選出にまで口を出してきますよ。山﨑賢人だけでなく、山田孝之、岡田将生、小松菜奈などスターダスト所属の俳優が並ぶ『ジョジョ~』は、さすがに、やりすぎだと思いましたけど(笑)」

 こうした政治力を使えるのは、やはり一部の大手事務所に限られる。

「大手のプロダクションでは、期待の新人を売り出すために自社からも多く出資して映画の製作委員会に入るわけです。やはり名もなき若手俳優は、とにかくできるだけ早く主演になることが大事。一度主役を演じれば、“主演クラス”という格がつく。そのために、出演料を大幅に下げてでも主役にねじ込んでいきます。そうすることで、次作やテレビドラマ、CMなどへも“主演クラス俳優”として売り込むことができるんです。ホリプロやジャニーズ、アミューズなどの大手から、役者中心のトライストーンなどの事務所も、映画と合わせて若手を売り出す手法でテレビ局や配給に営業をかけています」(芸能記者B氏)

 実際に山﨑は、テレビドラマで俳優デビューを果たしてから、わずか1年足らずの11年に映画『管制塔』という作品で主役を演じている。そして、それから3年後に『L♡DK』でひとつ名を売ることになるが、その間にも『リアル鬼ごっこ3』(12年5月)『アナザーAnother』(12年8月)『ジンクス!!!』(13年11月)と3作品で主演もしくは主演に次ぐ役で出演を果たしているのだ。やはりこれは、事務所ゴリ押しの賜物なのか?

「山﨑賢人は、製作側にとって起用しやすいというのもある。これは製作側のダメなところなんですが、主演で演技しているのを見ると、なんとなく格があると思ってしまうんですよ。例え演技がぱっとしなくても、主演ならばカメラが向いてる時間も長くなるし、現場は主演を中心に回しますからね。上層部に企画を通すときに、過去作の視聴率や過去作の興行収入などは大前提ですが、それでも俳優として“主演クラス”という格がないと企画が通らない」(前出・A氏)

 さらに晴れて一流の俳優として認められたとしても、製作側としては安心して起用できる場合ばかりではない。

「週刊誌にもしばしばとりあげられますが、関係者の間で“小栗組”と呼ばれる若手俳優の派閥があるんです。小栗旬を筆頭に、生田斗真、松本潤、藤原竜也、綾野剛、山田孝之あたりが頻繁に飲み会を開いて演技論を語っているそうです。彼らは役者として作品にかなり口出しをしてくるので、製作としては面倒くさい存在なんですよね。彼らは当然、出演作品も相当選びますし、あの監督と組みたい、なんて話を平気でする。もちろん、青春胸キュンな少女マンガ原作映画になんて、出演しませんよ」(前出・A氏)

 まだ22歳、経験の浅い山﨑はその点では扱いやすいのだという。

「若ければいいってものでもないですが、ジャニーズの俳優などは、若手でも事務所からの指示や本人たちからも意見が上がってきたりして、扱いにくい。それに比べたら、スターダストは、俳優の演技などについては、ある程度は自由にさせてくれますから、山﨑賢人に需要があるのも頷けます」(同)

 小栗組に属すといわれる俳優たちは概ね30歳以上。若手枠の山﨑は、今のところ、演技よりもまずは扱いやすさというところなのだろうか。

“少女マンガ原作の男”を超えられるか?

 そして山﨑の主演映画連発には、もうひとつ理由があるという。それが昨今の“少女マンガ原作ブーム”だ。

「『シン・ゴジラ』や『君の名は。』がメガヒットを記録しましたけど……でも費用対効果で考えると、1億円で映画をつくって10億円入ったら大勝ちなんですよ。それで言うと、VFXもほとんどいらない胸キュンの青春映画なんて5000万円もあればつくれちゃうから、少々のヒットで十分に“勝ち映画”になるんですよね」(A氏)

 さらに少女マンガ原作となれば、あらかじめファンがいるため、ある程度の動員が見込めるというわけだ。そんな映画界のローリスクを求める風潮にうまく乗れたことが、今の主演作激増につながっているのだ。実際、山﨑は『L♡DK』から来年公開予定の『一週間フレンズ。』まで6作連続ですべて少女マンガ原作の作品に主演。「王子キャラ」というイメージもついたことで、製作側がさらに使いやすくなっているようだ。また、こんな話も。

「恋愛マンガの実写作品が、なかなか映画館に来ない女子中高生を中心とした層を呼び込んで、安定したヒットを生み続けていますが、芸能事務所からすると所属女優をそのヒロインとして送り出すことは、決していい話ばかりではない。

 ティーン向けの胸キュン青春作品は映画としての格が低くて海外の映画祭などには当然出せないし、これだけヒット作が連発していると、失敗すれば逆に悪目立ちしてしまいますからね。そんなときに、恋愛マンガの実写化で相手役として実績がある山﨑賢人を起用するとあれば、ある程度は安心して出演に応じることができます。実際、その手の映画にはこれまでほとんど出演してこなかった二階堂ふみが『オオカミ少女と黒王子』(16年5月公開)に主演したのも、そうした背景があったという話も聞かれました」(某配給会社社員)

 そう考えると、デビューを果たしてから、俳優・山﨑賢人の本当の評価はまだ下されていないのかもしれない。真価が問われるのは来年からだろう。相変わらずマンガ原作の作品ではあるが、『斉木楠雄のΨ難』での主演は、これまでの恋愛映画とは打って変わってギャグを演じなければならず、ひとつの指標となりそうだ。当然本人としても、俳優としての幅を見せたいところだろう。

ゴリ押しを履き違えた先に待つ芸能人の地獄

 もちろん、悪い結果が続けば、製作側もさすがに使いづらくなる。超人気マンガ原作の実写映画化『ジョジョ~』でも主演を張ることが決定しているが、コアなファンが多い作品だけに、ヘタな演技を見せれば大きな期待が倍となって返ってくるだろう。

 一方で、業界関係者中には、事務所のマネジメントに対して懸念する向きもある。

「正直、スターダストは、若手のマネジメントがそんなにうまくないですからね。芸能マネージャーは、タレントのアピール方法や、現場での立ち振る舞いなど、その売り出し方を総合的に考えて指示するのも仕事のひとつですが、スターダストのマネージャーは、タレントをうまくコントロールできていないと思う。

 仕事を与えるだけ与えて、あとは本人に任せて自由にさせるというのが、スタイルなんですかね。裏では、『彼らは、スケジュールの管理くらいしかしない』なんて、陰口を叩かれていますよ。だから山﨑賢人も、今は自分の力で結果を残し続けるしかないでしょうね」(A氏)

 こうした声は、少なくない様子。

「ある清純派のイメージがある若手俳優が、飲食店で喫煙しているところに出くわしたことがあります。仮にも売り出し中の若手俳優、ひと目がつくところならば、マネージャーは、こっそり吸わせるとか注意を払ったほうがいいと思いますけどね」(B氏)

 過去には当時所属だった沢尻エリカを自由にさせすぎたが故に、かの有名な“別に事件”を起こしてしまった。

「彼女は根が素直ないい子なんですよ。ただヤンキー気質なところがあって、あの発言も取材した人間なら、あれが彼女の“地”だってわかる。事務所側も人気をいいことに自由にさせていたから、取材したことのある関係者はみな、彼女はいつかやらかすんじゃないかと思っていた。可愛くて演技もうまかったから戻ってこられましたけどね。あの事件でスターダストは、芸能関係者からの評判を落としてしまったフシがある。売れっ子も多いけれど、彼ら1軍の下には、見るも無残な屍の山が重なっています」(同)

 さらにもし、ゴリ押しによって有名になっても、そこには別の地獄が待っている。

「事務所からものすごく推されていたけれど、とんと見なくなった俳優もたくさんいます。最近で思い当たるところだと、大政絢とか、すっかり目立たなくなってしまった。

 もちろん、自分で持ち味を出すことで世間からも認められ、有名になる俳優もいますが、一般に認知されて稼ぐようになると、ある日突然社長案件になって事務所の上層部から活動方針に対する細かいチェックが入ったり、ほかのタレントを売り出すためのかけひき道具にされたりする。

 ももいろクローバーZなどはそのいい例で、事務所の底辺で沈んでいた彼女たちがアイドルブームに乗っかって売れだした途端、その持ち味が押さえられてしまった。リーダーの百田夏菜子は今、かなり苦しんでいるそうです」(芸能事務所幹部)

 今のところ山﨑の悪い話は出てこないが、主演映画がこれだけ続けば、近い将来、問題を起こす可能性もあるのだろうか? 少なくとも来年の映画の結果次第では、さらに芸能メディアの標的になっていくことだろう。

 山﨑本人は自分の置かれた現状をどうとらえているのか。まだ弱冠22歳、女子高生の“キャーキャー”に天狗の鼻を伸ばしているのか、それともしっかりと危機感を覚えているのか。どちらでもなく、ただ次々と舞い込む仕事にあたふたしているだけというのがリアルなところかもしれないが。

(文/黒崎さとし)

看護師に嫌われても【石原さとみ】のことは嫌いにならないでください!

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 最初からカワイイな、素敵だなとは思っていた。でも、ただそれだけ。ちょっと気になるクラスメイト、そんな感じ。でも、いつの頃からだろう、彼女の存在は、僕の心の大半を占めるようになっていた……。

 なんだか売れないケータイ小説のような出だしになってしまったが、しかも勢いで一人称を普段使っている「私」から「僕」にしてしまったが、ともあれ、今回は石原さとみの話である。

 ただ前述の通り、私が石原さとみを好きになったのはここ2~3年の話だ。

 自慢じゃないが私には先見の明がない。よって、売れる前の原石に目をつけるということができないのだ。もともと知っていてもブレイクポイントあたりで急に好きになるという、押しも押されもせぬ一般人。ちなみにシャ乱Qは「シングルベッド」、THE虎舞竜は「ロード」をリリースしたあたりで「こいつら売れる」とうそぶいていたクチである。

 そんな私の言うことだから、あてにならないかもしれないが、石原さとみの人気が今のような爆発的なものとなるきっかけは、2012年のドラマ『リッチマン、プアウーマン』あたりからではないだろうか? そして15年のドラマ『5→9~私に恋したお坊さん~』(共にフジテレビ系)でピークに。

 ただ、『5→9~』以降あたりから、急にアンチの声も目立つようになってきた。

 彼女が、トーク番組『しゃべくり007』(日テレ系)に出演した際、「30代にやりたいことは?」という質問に「看護師になりたい。もし(芸能界を)干されたらわからないから……」と答えたことで、現役の看護師や看護学生と思われる人たちが「看護師なめんな!」とネット上で大激怒。

 まあ、そんな憤っている人たちの中にも、看護師を目指すきっかけになったのが『N’sあおい』(フジテレビ系)だったという人も少なからずいると思うのだが、どうだろう。それに、「なりたい」と言っている人に対して、そんな現実的な視点で目くじら立てなくてもいいじゃないかとも思うのだ。

 そして、現在放送中の石原さとみ主演ドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(日テレビ系)においても事件は起きた。現役校閲者たちから「設定が現実と乖離している。校閲なめんな!」と批判の声が上がったそうだ。

 これに至っては、石原さとみのせいではないのだが、じゃあ現実に即しているという点において『あぶない刑事』(日テレビ系)はOKだったのか? という話である。

 リアルか、リアルじゃないか。

 そんなことを言いだすのは、真木蔵人かハードコア系のラッパーくらいかと思っていたが、最近は一般の人も気にするようである。

 映画『シン・ゴジラ』においても日系アメリカ人役を演じた石原さとみの「英語がひどい」という批判が挙がっている。面白いのは、『5→9~』で英会話教室の講師役をやっていたときには、こんな批判は上がらなかった。そう考えると、にわかに起こった一連のアンチは、名実ともにトップになったがゆえの代償なのかもしれない。

 ただ、いくら擁護派とはいえ、石原さとみの英語は本当にひどいのか、実際に確認する必要はある。

 あるのだが、残念ながら私は、怪獣映画を観ることができないのだ。怖いから。

 40歳の中年男が何を言っているのかとお思いになるだろう。私とて、本当にゴジラがいるとは思っていない。ただ、作品の中でリアルに存在するものとして描かれているゴジラが、丁寧に描かれれば描かれるほど、大画面に映し出された瞬間「本当に存在するもの」と錯覚してしまい、逃げ出したくなるのだ。これはガメラでも同じである。怖いの、ねえ怖いの!(『101回目のプロポーズ』の浅野温子のテンションで)

 このように、受け手がリアルを求め、作り手がそれにこたえていくことによって作品の質は上がっていくが、一方で観られなくなる人も出てくるということを忘れないでほしい。

 もちろんこれは、演者の方にも影響する。昨今のリアル至上主義を意識してのことだろうか、石原さとみ自身、『5→9~』で相手役として共演した山下智久との交際が10月20日発売の「女性セブン」にて報道された。

 演技を超えて本当の恋愛に。ファンが求めたリアルの顛末がこれである。チキショー!

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
石原さとみが、NHK朝ドラのヒロインをやっていたことを最近知った40歳会社員。たとえDVD化ではなく、レーザーディスク化されていたとしても購入する所存。

【映画監督・堤幸彦インタビュー】「共犯意識を持ちたい」“多作の人”の自己分析

――堤幸彦といえば、押しも押されもせぬ日本の超有名映画監督・演出家だ。『ケイゾク』『TRICK』『SPEC』『20世紀少年』『BECK』……手がけた作品を挙げればきりがない。その堤幸彦が今年の7月クールドラマ『神の舌を持つ男』で、まれに見る低視聴率を記録し、話題になった。堤幸彦は一体どうしてしまったのか?同作の劇場版公開を控えた監督本人に、じっくり尋ねてみた。

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(写真/河西遼)

――12月3日に新作映画『RANMARU 神の舌を持つ男』が公開を控えています。前提としてこの作品は、今年7月クールにドラマ版が放映されていましたよね。失礼ながら、視聴率が低い(平均視聴率5・6%)と放送中から話題になりました。これをご自身ではどう振り返りますか?

堤幸彦(以下、) まさに不徳の致すところですね。今年はオリンピックもあって、視聴率はかなり厳しいだろうと想像していたんですが、どこかで自分の作り方が数字的にまだいけると思っていた。

――視聴率は気にされますか?

 気にしますね。それはプロですから、当然。“ヒットメーカー”なんて言われますけど、私はこれまでそんなに連戦連勝ではなく、むしろ数字は低かったことのほうが多い。実験的なことをしてうまくいかなかった作品も多々あります。ただ今回の『神の舌を持つ男』がその流れかというと、ちょっとそうではない気がします。

――堤監督作品には、難解だけどコアな一部のファンに支持されるタイプの作品と、わかりにくいのにヒットするタイプの作品があるように思います。今回は数字を取りに行こうと思ったのか、コアなファンに受ける方向を狙ったのか、どちらなんでしょう?

 それはまず前提が間違っていますね。数字を取りに行かないことはないです。難解さを自覚している作品であっても、数字は0・1%でも多く欲しい。正直、これだけ本数を重ねていても、数字の取り方はいまだにわからない。今回は、自分たちが面白いと思っているものに、ある種の確信を持っていたので、アゲインストな空気感の中でもいけるかと思った結果の敗北でした。ただ、それで作品の価値が減ずるものではないとも思います。

――「数字は必ず取りに行っている」というお話ですが、一方でテレビドラマを視聴率で語ることへの批判も世の中ではなされていて、数字が悪くても話題になったり、DVDが売れる作品、映画化につながる作品もありますよね。そういう意味で、数字には表れない評判の部分も同様に重要だと思いますが、その面での反応は『神の舌を持つ男』では監督のところに届いていますか?

 僕ができる作り方の手段をほとんどすべてぶっこんだという実感があって、これまでの自分の作品と比べてパワーが落ちている感じは全然ないですし、周りの評判やツイッターなどネットの反応を見ていてもそれは伝わっていると思います。ただ数字で厳然と見せられると、どうなんだろうな? と不安にはなるものです。数字を切り開く力があればもっと伸びていたという反省はしています。

――今回の『神の舌を持つ男』は、当初から劇場版ありきのドラマの企画だったんですか?

 いや、映画ありきではないです。「映画になったらいいですね」って話をずっとしていて、かなり早い段階で松竹さんからゴーサインが出たので、ドラマを撮影しながら映画の構想を練り、ドラマ終了後にそのまま映画の撮影をしました。

――堤監督ほどドラマシリーズから映画化という流れを経験している映像作家はいないと思いますが、その最初の作品である『金田一少年の事件簿』(97年)当時は、一般的にドラマ作品の映画化はそれほど多くなかったですよね。

 そうですね。まず当時は、ドラマはビデオで撮影し、映画はフィルムで撮影していたので、収録するメディアが違っていたんですね。それが90年頃に、撮ったビデオ映像を容易に映画に転用できる初めてのハイビジョンカメラが開発された。その実験的な作品として、オノ・ヨーコさん主演の短編映画『HOMELESS』(91年)を撮りました。この経験を踏まえて、『金田一少年の事件簿』は半分ビデオ、半分フィルムで撮った。今見ると中途半端な折衷作品ですが、そういうふうにビデオで撮ったドラマを映画にできるという技術的な壁を乗り越えてきました。その後、ドラマの映画化というアプローチは一般的になって、『ケイゾク』の時には映画とドラマを撮影するカメラがほぼ一緒という時代になった。

――『ケイゾク』(99~00年)も、ドラマ版は決して高視聴率ではなかったにもかかわらず、映画になってヒットしたというように記憶しています。

『金田一』の視聴率は29・9%だけど、『ケイゾク』はずっと14%くらいでした。最初の『TRICK』に至っては平均7%ですからね。『TRICK』は2クールやっても視聴率はほとんど変わらなかったんだけど、やたらDVDが動いているということで映画化してみたら大ヒットした。その勢いでドラマの放送時間帯を11時台から9時台に移したら、ものすごい視聴率になったんです。

コント1000本ノックで得た笑いの質が反映されたスタイル

――『TRICK』がまさにそうでしたが、『金田一』からずっと、堤監督のヒット作には特殊能力を持ったキャラクターが出てくる一話完結のバディ・ミステリーものが多いです。これがご自身のスタイルだという意識はありますか?

 そうでもあり、そうでもないですね。そのスタイルは、日本のエンターテインメント系作品の作り方としてある種の王道です。僕はもともと音楽の映像の監督をやっていて、「ビデオクリップなどの表現手法をドラマに転用できないか」というオーダーで『金田一』を始めた結果、このスタイルが非常に作りやすいと自覚したわけです。でもこれまでに多くの作品を撮ってきて、例えば『ぼくらの勇気~未満都市~』(97年)のように近未来的な大きな仕掛けのものもあるし、『I.W.G.P』(00年)だって全然違う。映画においては、自ら言うのも格好悪いけど『天空の蜂』(15年)のようなシリアスで社会派なものもある。いろんなタイプの作品に、毎回方法を変えて演出家・監督としてどう真摯に向き合うか、考えています。

――『ケイゾク』や『SPEC』など、堤作品ではキャラクター自身がメタ的なノリツッコミをして、キャラが立ってくることも多いです。堤監督が作ったとまでは言いませんが、キャラクターでドラマを見せるという手法も特徴的ですよね。

『踊る大捜査線』や『相棒』など、キャラクターを重視したドラマは同時期にもいっぱいあった。自分がそういう手法の先駆者という自覚はまったくないです。それも日本のエンタメの定石であって、そこから激しく逸脱して堤的な個性をキャラクターに付与したつもりもまったくなく、やっていくうちに自然にそうなっちゃった。

 僕はバブル以前、リミッターのない鷹揚な笑いを許してくれる体制がテレビ局側にもあった時代に、テレビディレクターとして初めて責任を持たされてとんねるずのコントを作っていた(『コラーッ!とんねるず』85~89年)。1000本近いコントをノックを打つように作り続けて、その頃に得た笑いの質みたいなものが一生の宝物になっている。それをドラマの中で形にできないか? というのがずっと基本にあって、そこがキャラクターメイキングに反映されています。

 あの頃のはっちゃけた感じというのは、私を含めた同時代のクリエイターには脈々と流れていて、一緒に作っていた仲間でもある秋元康さんの作詞の中にもある。彼らの仕事の中に、その感覚が今でも生きている片鱗を見ると、「よし、まだ死ねないぞ」と思いますね。

――一方で、堤監督の映画作品でもっともヒットしたのは『20世紀少年』(08~09年)ですよね。あれは人気マンガが原作で、有名な役者がたくさん出るオールキャストの大作であって、いわゆる堤監督本来のスタイルやテイストが好きなファンとは違う層に届いたと思います。『20世紀少年』前後で、自身の作品の客層が変わった感じはありますか?

 そのあたりは特に変わらないですね。でも、どこに球を投げるかというのは常に意識しています。例えば、『20世紀少年』は明らかに原作ファンに球を投げるしかなかった。特に第1部では「原作と同じ構図を探してみてください」というくらい、原作マンガに沿った作り方をしていた。あるいは、『BECK』(10年)という作品も同じように撮った。ただ、最近はネットを武器にした好事家の声が大きいのもあって、この2つの作品では賛成票も多ければ反対票も多いというのを経験しましたね。特に『BECK』は、ラストに向けた過激な表現が原作ファンから全面否定されたりもした。ファンの愛し方にもいろいろあるわけで、その声は意識もするし「次に作る時はこうしよう」という意欲にもなる。賛否両論の否の声には相当耳を傾けるべきで、それはエンターテインメントのプロとして当然だと思っています。

――「好事家」ということでいうと、堤監督はそれこそ好事家の多いジャニーズ主演の作品もかなり撮られています。ジャニーズファンからの評価も高いですが、相性がいいんでしょうか?

 ジャニーズ作品は毎回タイプが違って、「あのアイドルがこんなことしちゃった」だけではダメだし、ベタベタなアイドルらしさだけでもダメで、正直なところ、作り方は意外と難しい。もちろんジャニーズ作品にも一般性の高いものはいっぱいありますが、基本はお客さんに喜んでいただかないと仕方ないんじゃないか、と僕は思っています。それはある種、いわゆる映画的/演劇的な批評性とは相容れないものもある。『ピカ☆ンチ』という作品では、公開形式が非常にクローズドなこともあり、主演の嵐と、嵐を愛する人が腹の底から笑って楽しめればいいと思って球を投げました。マニアックなコントを撮っていた時代を彷彿とさせて、私の本音に近い、面白い作り方でしたね。

――堤監督の作品は、一貫して作家性をはぐらかしながら撮っているところがあるように思っていたんですが、実は『ピカ☆ンチ』が一番作家性を感じました。

『ピカ☆ンチ』の1作目はお台場の屋形船を沈めるというめちゃくちゃな話でしたけど、やっぱりお台場の海辺に立って屋形船を見ると、「なんで天ぷら食って踊っているんだよ」って頭にくるんですよね(笑)。そういった僕の思いを、嵐の皆さんにそのままやっていただいたところに絶妙な面白さがあるなって。それを受容してくださったジャニーズ事務所の方々は、本当に心が広いな、と。

「確信を持って作った 面白いものは伝わると信じる」

――今年の映画業界は、テレビドラマの映画化が減って東宝の一人勝ちという状況ですが、テレビと映画の関係も変わってきていると思われますか?

 変化というよりも、映画という表現だけでなくいろんなジャンルのものが自由に選択できる時代になって、何かひとつの要素にヒットの可能性があるとは相対的に言えなくなっている気がするんです。その中で、クリエイターとしては自分たちが確信を持って作った面白いものは絶対に伝わると信じて疑わない。結果として、『神の舌を持つ男』も視聴率的にはちょっと寂しいかもしれないけれど、映画の数字はまた違うものだと思っています。

――では、映画『RANMARU 神の舌を持つ男』について、失礼な言い方ですけど、テレビシリーズを観てこなかった人にはどのようにアピールすればいいと思いますか?

 何も考えずに観て面白いので、お気楽に観てください、と。冒頭から、本当に大笑いできるギャグをちりばめてあるし、ドラマからずっと練り込んできたキャラクターが大爆発している。それだけではなくて、今の日本や世界が持っているある種の問題もうっすらと底に流れていて、自分で言うのも気持ち悪いんですけど、見ごたえのある上質のミステリーになっているエンターテインメント作品なので、老若男女関係なく観てくださいと訴えたいです。

――先ほどおっしゃった通り、ヒットする前提で作っている?

 もちろんそうです。『RANMARU』については、皆さんと共犯意識を持ちたいな、というのがありますね。「ほかの人にはわからないんじゃないかな?」っていう、そのお客さんと堤の共犯意識を楽しんでもらえる仕掛けがそこかしこにあるので、それは楽しいんじゃないかな。それこそ80年代のとんねるずのコントにあった共犯意識のような。

――非常に多作な堤監督ですが、今後撮りたい作品はありますか?

 やりたい企画はすごくあります。特に自分の賞味期限はあと10年あるかどうかなので、この10年でやらねばと思っている企画は10個以上ありますね。

――それは映画や舞台、テレビドラマにかかわらず?

 テレビドラマはスピードが要求されるので、さすがに還暦を過ぎると肉体的にかなりキツイんですね。頑張ってはいるけれど、率先してテレビドラマの演出家と言い切るのは、なかなか無理がある。だったら、主に映画作品でひとつのテーマをきっちり決めて、自分なりの投げたい球を研究して投げたものを、この10年で作りたいと思います。

(インタビュー/速水健朗)
(構成/須賀原みち)

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堤幸彦(つつみ・ゆきひこ)
1955年、愛知県生まれ。演出家、映画監督。オフィスクレッシェンド取締役。法政大学中退後、東放学園専門学校に入学。放送業界に入る。ADを経てテレビディレクターとなり、『コラーッ!とんねるず』(日本テレビ)などを手がけたのち、秋元康と「SOLD OUT」を立ち上げ。プロモーションビデオやCM、ミュージッククリップなどを数多く手がける。オムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』内「英語がなんだ」で劇場映画デビュー。ドラマ『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系/95年)で一躍有名になり、以降の活躍は知られている通り。

カトパンの同僚女子アナがLDHメンバーと熱愛疑惑で注目度急上昇中!

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フジテレビアナマガHPより。

 フジテレビ『みんなのニュース』でキャスターを担当している椿原慶子アナの株が急上昇している。これまで同期のカトパンの陰に隠れ、地味な存在だったが、ここにきて公私ともに俄然注目を集めている。

「入社以来、報道ひと筋で、APECをはじめ、海外取材の経験も豊富。アナウンス能力も高く、スタッフからの信頼されています。番組上は先輩の生野陽子を立てることもありますが、実質的なエースは椿原というのが実情。『ミスターサンデー』で共演する宮根誠司の評価も高く、椿原を手放したくないようです」(フジテレビ局員)

 そんな椿原だが、人気ダンスグループのメンバーと熱愛が囁かれており、各誌が取材に動いているという。

「三代目J Soul Brothersのメンバーと交際しているという噂がありますが、どうやらNAOTOが有力のようです。週刊ポストが同僚アナとの飲み会の様子を報じましたが、肝心の相手は現れなかった。他誌も取材にに動いていますが、いまだ男性の影すら掴めず、交際の事実そのものを否定する声もあります」(スポーツ紙記者)

 今後の取材の動向を見守りたいところだが、当の椿原アナ本人は、特に気にしている様子もないという。

「熱愛騒動について、同僚局員に突っ込まれてもあっけらかんとしたもので気にする素振りすらありません。もともと芦屋のお嬢様で、入社当時から浮世離れした大物感がありました。芸能人が数多く住む広尾の超高級マンションに住んでいますが、これも実家の持ち物で女子アナが住む物件じゃない。実は局内でもアンタッチャブルな女子アナなんです」(前出・フジテレビ局員)

 しばらくは椿原アナから目が離せなくなりそうだ。

地の果て・アラスカ州から殺人旅行を繰り返したシリアル・キラー

――犯罪大国アメリカにおいて、罪の内実を詳らかにする「トゥルー・クライム(実録犯罪物)」は人気コンテンツのひとつ。犯罪者の顔も声もばんばんメディアに登場し、裁判の一部始終すら報道され、人々はそれらをどう思ったか、井戸端会議で口端に上らせる。いったい何がそこまで関心を集めているのか? アメリカ在住のTVディレクターが、凄惨すぎる事件からおマヌケ事件まで、アメリカの茶の間を賑わせたトゥルー・クライムの中身から、彼の国のもうひとつの顔を案内する。

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アラスカのシリアル・キラー、イスラエル・キース。

 2012年2月1日午後8時頃、アラスカ州アンカレッジにある小さなコーヒー店でアルバイトをしていたサマンサ・コーニック(当時18歳)は、店を閉める準備をしていた。すでに店の周囲は暗闇に包まれていたが、彼女のもとに最後の客が訪れた。顔を覆うスキーマスクを被った男は、コーヒーを注文。極寒のアラスカ州では、そうしたマスクを被る姿は見慣れた光景だった。彼女は男のために、この日最後のコーヒーを淹れ、カウンターへ運ぶ。

 そこで彼女を待っていたのは、銃口を向ける男の姿だった。男はサマンサの手首を結束バンドで縛ると、深々と降り積もる雪の中、誘拐したのだ。

 翌日、犯罪とは縁遠かった町で、市民と警察による大規模な捜索が開始される。3週間後、サマンサのボーイフレンドに、彼女の携帯電話からメッセージが送られてきた。

「コナー公園にあるアルバートの写真の下。彼女可愛いな」

 謎めいたメッセージをもとに警察がコナー公園に向かうと、掲示板に貼られたアルバートという犬探しのポスターの下に、サマンサの写真が入ったジップロックを発見。怯えた様子で目を見開いたサマンサと、数日前に撮影したことを示すためか、日付入りの地元新聞が写されていた。そこには、彼女の銀行口座に30000ドルを振り込むよう身代金を要求する紙も同封されていた。サマンサの両親は市民からの寄付金を集めると、すぐに現金を振り込んだ。娘が生きて帰ってくることを信じて。

 それから数日後、事件は急展開をみせる。アラスカ州から遠く離れたアリゾナ州で、サマンサの口座の現金が引き出された。防犯カメラにはサングラスで変装をした男の姿が捉えられていた。その後、男はニューメキシコ州、テキサス州と移動し、ATMから現金を引き出し続ける。警察は防犯カメラの映像をもとに捜査を進め、滞在先のホテルから車を走らせようとしていた男にたどり着いた。停車させた車の中で、サマンサの携帯電話とデビットカード、そして大量の現金を発見。男が提示した免許書には、イスラエル・キーズと記されていた。

 ここでついに、サマンサ誘拐の容疑者は逮捕された。だがこの時、イスラエルがシリアル・キラーであることは、まだ誰も知る由もなかった。

厳格な両親のもとで暮らした少年時代

 1978年1月7日、イスラエル・キーズは、ユタ州リッチモンドで9人兄妹の長男としてこの世に生を受けた。厳しいキリスト教原理主義者の両親は、子供たちの名前を聖書から引用し、彼にはイスラエルと名付けた。

 彼が生まれて間もなく、一家はワシントン州スティーブンス郡に移り住む。経済的に恵まれない環境だった一家は、林に囲まれた通り沿いに立つ小さな小屋で生活を開始。厳しい冬を迎えると、電気も通っていない小屋で薪を燃やして暖をとる生活を送った。イスラエルは学校には通わず、ホームスクールで教育を受け、神への冒涜と両親が判断すれば、映画や音楽などのポップカルチャーに触れることも許されなかった。そして週末になれば、両親と共に白人至上主義の色濃い教会に通い続ける日々を送った。孤立した環境で育ったイスラエルにとっては、それが普通だった。しかし、彼が初めて自分の“異変”に気がついたのは、彼が14歳の頃だった。

 友人と行動をするようになった彼は、空き家に侵入するという遊びを繰り返していた。ある日、忍び込んだ家の中で猫を発見すると、イスラエルは躊躇なく射殺した。気味悪がった友人は、彼を避けるようになっていったという。また、妹が飼っていた猫がゴミを漁ると問題になった時も、彼は猫を林に連れて行き、腹部に向かって発砲。死にゆく猫を見ながら笑った。

 常軌を逸した行動で、さらに孤立を深めていった彼であったが、後に彼が営む建設業の才能を見つけるのも、ちょうどこの頃だった。イスラエルが初めてキャビンを建てたのは、まだ16歳の頃だった。

 1990年代後半、一家は再び住まいを変える。母親は、キリスト教原理主義者からモルモン教徒へと変わる。だがその信仰は定まらず、今度はメーン州スミュルナに移り住み、アーミッシュ・コミュニティでの生活を開始。近代的な生活様式を営まず、昔ながらの農耕や牧畜によって自給自足をするこの集落で過ごす中、母親は環境になじめず、再び信仰を変えていく。2度3度と信仰を変える母親は、それゆえに周囲からは気味の悪い女性として変わり者扱いされ、カルト扱いされていたという。

 そうしたこともあって、イスラエルは17歳の頃、とうとう両親の信仰に嫌気が差し始めた。一家の絶対的な存在であった神の存在に苦しみ、無神論者となることを決意。彼の不信心を知った両親は、イスラエルを勘当する。彼は家族を捨てて旅に出た。

 1998年、イスラエルは自ら軍に入隊する。3年間の軍隊生活の末に除隊した後は、9歳年上のガールフレンドと再びワシントン州へと移り住み、幼少時代から培った才能を活かして、建設業を営み始めた。仕事は順調だった。結婚こそしなかったが、2人の間には娘が生まれた。

 2007年3月、2人は知人の勧めもあって、娘を連れてアラスカ州へと移住を決意。新天地でも建設業を営み、 寡黙だが確かな腕を持ち、指定した時間の5分前には準備を整えている彼の姿は、すぐに評判の職人として、地元住民に知られていった。彼を雇った住民は、一様に真面目で娘思いの男と太鼓判を押していた。サマンサ誘拐事件が起きるまでは……。

“殺人中毒”を自称する男が語りだした複数の犯行

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イスラエルが用いた殺人キット。

 2012年3月13日、誘拐容疑でイスラエルは逮捕されたが、依然としてサマンサの捜索は続いていた。連日続いた取り調べに対して、彼は沈黙を守り続けたからだ。しかし逮捕から18日後、FBIの捜査によって追い詰められたイスラエルは、その重い口を開き始めた。

「彼女はもう、死んでるよ」

 そして彼は、おぞましいサマンサ殺害の全容を、淡々と語り始めたのだ。

 イスラエルは彼女を誘拐後、ガールフレンドと娘が眠る自宅のガレージで強姦し、窒息死させた。身代金要求の為の写真を撮影した時には、すでに死んでいたことを告白。さらに、写真に写る彼女の見開いた目は、糸で縫いつけて強引に開けさせていたこと。死体をバラバラにし、ビニール袋に入れてマタヌスカ湖へと運び、厚く張った氷をチェーンソーで切り抜いて死体を捨てたこと。その場で釣りを楽しんだこと。そして、その帰りに娘の小学校へ向かい保護者面談に出席し、その夜、釣った魚を鍋料理にして娘に食べさせたことを滔々と語った。

「あなたが知りたいことを全て話しますよ。もっと話さなきゃきけないストーリーもあるんです」

 イスラエルは、捜査官にそう告げると、過去の犯行を語り始めたのだ。

 殺人が趣味と豪語する彼は、建設業で金を稼いでは全米を飛び回り殺人を繰り返していたというのだ。バーモンド州では、中高年の夫婦宅を襲った。寝ていた2人を起こして手首を縛って誘拐し、近くの廃墟にある地下室で夫を椅子に縛り、上の階で妻を強姦。2人を殺害し、地下室に遺棄した。さらに、複数の州に、銃や、ロープ、ゴミ袋、排水管洗浄剤などを入れた“殺人キット”を、あらかじめ用意しておき、手ぶらで訪れると殺人を繰り返していたのだ。自らを“殺人中毒”と表現するイスラエルは、そうした行為を働く為に、2007年から2012までの間に20回も飛行機でアラスカを出ており 、資金調達のために銀行強盗まで働いたというのだ。

 イスラエルは、14年間に渡って家庭的な父親と、冷酷な連続殺人鬼の二重生活を送っていたのだ。

崇められたいわけではないーー身勝手すぎる結末

「今、直面している問題は、誰かが私の事をバカバカしいテレビのトゥルー・クライム・ショーにしようとすることだ」

 イスラエルは取調室で、コーヒーカップを握りながらそう呟いた。

 過去に存在したシリアル・キラーの中には、自分の犯した罪によって浴びるスポットライトに快感を覚える者も少なくない。しかし、彼は自分の名が新聞や、インターネットに載ることに抵抗を示し、特にテレビ番組のネタに扱われることに嫌悪を示した。10歳になる娘が将来、自分のことをインターネットで調べるのを恐れていたのだ。

 また、彼はそうしたショーに、人々が夢中になることも知っていた。アメリカにはこうした実録犯罪物のテレビ番組が多くあり、人気を博している。一線を越えて、殺人鬼を英雄視する者も一定数存在する。手紙の交換をしたり、面会と称して直接会いに行く者もいる。有名な殺人鬼ともなれば、ファンクラブもあるほどだ。彼らを祭り上げるのは男だけではない。殺人鬼に恋心を持つ女性のことを「プリズン・グルーピー」と呼ぶが、ロックスターの追っかけのように、殺人鬼に夢中になり、中には獄中結婚をする者もいるのだ。

 しかし、イスラエルは、自分を崇める者達に興味を持つようなタイプのシリアル・キラーではなかった。彼は、一刻も早く、この世から去りたいと考え始めていた。

「俺はもう全てを終わりにしたいんだ。俺は刑務所から一生出れないことを知っている。俺にとって、それは死刑と同じなんだよ」

 そして2012年1月21日、裁判開始の3カ月前、イスラエルはカミソリの刃で手首を切り自殺をした。警察は少なくとも11件の殺人に関与していると見て捜査を進めていたが、イスラエル亡き今、その数は把握しきれていない。

 14年間に渡って殺人旅行を行ったイスラエルの被害者は、今も全米中に眠っているかもしれない。

井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。

【磯部涼/川崎】在日コリアンラッパーが夢見る川崎の未来

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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川崎区で生まれ育ったラッパーで実業家のFUNI。

「日本人/韓国人/フィリピン人/さまざまなルーツが/流れる/この街でオレらは/楽しく/生きてる」。21時、街灯も疎らな住宅街にある公園に足を踏み入れると、暗闇の中にぼうっと浮かぶ白い光が目に留まった。それは、東屋のテーブルに置かれたiPhoneの画面で、周りを少年たちが囲み、YouTubeから流れるビートに合わせてフリースタイル・ラップをしているのだった。すると、ひとりの男がサイファー(フリースタイルの円陣)に歩み寄り、言葉をつないだ。「フィリピン/コリアン/チャイニーズ/南米もいいぜ/ごちゃまぜ/人種ジャンクション……」。BPM90のビートに倍の速さでアプローチしていた少年たちの勢いに比べ、彼のラップはレイドバックしていたが、その言葉には説得力がある。「……集まる/この場所/長崎/じゃなくて川崎/ボム落とす/まるで原子爆弾/拡張してく頭/の中はサイコ/パス・ワードは0022/FUNI(フニ)/で踏み/区切り/誰だ、次」。促された少年のラップは、感化されたのだろう、先ほどよりも熱い。「言ってたな原子爆弾/ならオレらがここで元気出すか!」。ほかの少年たちが歓声を上げる。彼らは暗闇の中で、溜め込んだ気持ちを吐き出していた。

ヤクザに殴られる外国人を眺めて教会の屋上でサイファーをした

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川崎区の多文化地域・桜本にある在日大韓基督教会・川崎教会は、1947年に建てられて以降、
地元の在日コリアンの拠り所となってきた。

「この場所は、オレにとってシェルターだったんです。家にも学校にも居場所がないからここに来て、同じような子どもたちと遊びながら、良いことも、悪いことも覚えました。あと、ラップも」。郭正勲(カク・ジョンフン)――通称“FUNI(フニ)”は、灰色の空を見上げながら言う。視線をゆっくり下ろしていくと、煙を吐き出す工場群が、続いてのっぺりとした街並みが、そして、巨大な十字架の裏側が見えた。雨に濡れた梯子をおそるおそる登ってたどり着いたこの場所は、川崎区の多文化地域・桜本にある〈在日大韓基督教会・川崎教会〉の屋根の上だ。「家は厳しかったけど、『教会に行く』って言うと遊びに行けたんですよ。で、みんなでこっそりここでタバコを吸って。中2のときラップにハマってからは、サイファーもやってました。バビロンを眺めながら。すぐそこに不法滞在の外国人が隠れてるアパートがあって、ヤクザにボコられてる姿が見えたり」

 FUNIは、83年、桜本に生まれた。4人兄妹の次男。祖父は日本統治時代の朝鮮からやって来たいわゆるオールドカマーで、父は日本生まれの2世。一方、母は結婚のために韓国から嫁いだニューカマーであるため、彼は自身を“2・5世”と称している。やがて、6歳になると1キロほど離れた南大師へと移住。家族はそこで鉄加工工場の経営を始めたが、生活は苦しかったという。「今年、自衛隊の船の部品をつくる仕事が入ってきて、ギリギリ、潰れるのを免れた。つい、『戦争があってよかった』ってホッとしちゃいましたよ。『戦争反対』とか言いたくても言えない。原発立地帯と同じ。子どもの頃から工場で働かされてましたけど、『絶対に継ぎたくない、もっとデカいディールがやりたい、この街を抜け出してやる』と思ってましたね」

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左:FUNIの父親が描いた絵。なぜ、工場を題材にするのかと訊くと、「この街で一番美しいから」という答えが。右:休日の工場に佇む、FUNIの伯父と猫。

 しかし、地元は彼の人格形成に多大な影響を与えたようだ。「南大師に引っ越したら、桜本とそんなに離れていないのに、ガクンとプールが深くなるみたいに疎外感が強くなったんです。小学校で在日はオレひとりでしたし。で、週末になったら桜本の教会で在日の友達と会う。そのボーダーを行ったり来たりする感覚が自分にとって大きかったですね。当たり前だと思ってたことも、決して当たり前じゃないんだとわかった」。やがて、FUNIは川崎北部の高等学校に進学し、地元の特殊性をさらに思い知る。「この街って欲望がむき出しにされてるんで、子どもも大人になるのが早いんですよ。だから、北部に行って、『なんでみんなこんなに子どもなの?』ってビックリしましたね。勉強や部活のことばっかり考えてるのがカルチャーショックだった」

 あるいは、FUNIが川崎の不良のしがらみに足を取られることがなかったのは、うんざりしていた地元の、大人たちのおかげでもあったのかもしれない。「川崎の大人って『ああはなりたくない』ってヤツらばっかりで。でも、みんな、結局、そういう大人になってしまう。そんな中でオレは侮れない大人と出会えたんですよね。両親の民族教育の厳しさは常軌を逸してたけど、今は感謝してるし、あと、教会で牧師先生に、キング牧師やマルコム・Xのような先達の存在を教えてもらったことも大きかった」。また、前述した通り、彼はその屋根の上でラップを知ったのだ。「川崎って罪深い街なんで、聖書がよく合うんですけど、それ以上にラップが合う。ナズや2パックの訳詞を読んだときに、国も世代も違うのに置かれてる状況とか考えてることが同じで、しかも、表現がカッコいいことに感動した。で、オレもリリックを書き始めたんです」

新宿のタワーマンションを離れ川崎に舞い戻ってきた理由

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川崎教会の屋上から眺める川崎区の風景。遠くに臨海部に建つ工場の煙が見える。

 02年、FUNIはラップ・デュオ“KP”を結成する。相方で、世田谷区成城に住んでいた李育鉄(リー・ユンチョル)ことリユンとは川崎教会が縁で出会ったばかりだったが、03年、ラップ・ブームと韓流の勢いに押されるように、KPはいきなりメジャー・デビューを果たす。「ただ、“コリアンラッパー・デビュー”って触れ込みには、そりゃないだろって感じでしたね。『せめて、在日コリアンラッパーだろ、オレらアンニョンハセヨって言われたらブチギレちゃうよ』って」。周囲の無理解に憤った彼らは、若い在日コリアンのリアリティを積極的に打ち出していくが、それによって、依頼される仕事には、NHK『ハングル講座』のレギュラーや、舞台『GO』の主演など、常にエスニシティが付きまとうことになってしまった。「メディアにラッパーではなく、在日の代表として登場させられるんですよね。いつも、『もっとラップを聴いてくれ』と思ってました」

 一方、00年代初頭のラップ・ブームは早々と終わってしまったが、若いラッパーたちは才能を発揮する場所を自分たちでつくり、むしろ、そこからこそ、多くの名曲が生まれていった。「その盛り上がりはうらやましかったですよ。自分たちは下地をつくらずに世の中に出たんで、ヒップホップのうわべをなぞることになってしまった。だから、『シーンで名前を売るならやっぱりMCバトルだろう』ってことで大会に出て、それなりに成果を上げた。そのおかげで、『あ、KPのヤツってラップうまいんだ』って認知してもらえたと思う」。また、当時、川崎区からはA-THUG率いるSCARSが登場したほか、〈川崎教会〉にて牧師を務め、桜本のコミュニティ・センター〈ふれあい館〉も創設した李仁夏(イ・インハ)の孫息子のラッパー、INHAが評価を高めていた。FUNIは彼とプロデューサーのOCTOPODの3人でラップ・ユニット、MEWTANT HOMOSAPIENCEを結成、アルバムの制作を始めるが、そんな折、INHAはドロップアウトしてしまう。「オレとしてはそのアルバムが出れば、KPのセルアウト(売れ線)なイメージを脱却して、表現者としての地位を確立できると思ってたんですが……ヒップホップ・シーンとは、入口を間違えた分、何か常にうまくいかないなって感じがありましたね」

 そして、彼が成功を果たしたのは、ラッパーとしてではなくビジネスマンとしてだった。14年、FUNIはタワーマンションの自宅から新宿の喧噪を見下ろしていた。4年前、KPの活動を休止すると同時に、友人2人と始めたIT関連企業は、社員80人を抱えるまでに成長。仕事は多忙を極めたが、それも、愛するフィアンセのためだからこそできることだった。「川崎で、日系ブラジル人の女の子と出会ったんです。『同じ移民の子だね』ってお互い惹かれ合って、『民族にこだわるなんて古い、在日コリアンと日系ブラジル人で子どもをつくって、新しい世代を切り開いていこう』と約束した。『金が必要だ。じゃあオレ、ビジネスやるよ』って。でも、がむしゃらにやってるうちに、いつの間にかいかにも日本人的な働き蟻になってたんです。で、14年の大みそか、『あんた、ラップやってたときのほうが輝いてた』ってフラれてしまう」。次の日、彼は会社を譲り渡すことを決める。「どこかで『人生こんなもんか、いちあがりだな』って高をくくってたんですよね。それが真っ白に。でも、彼女には感謝してます。あのままだったら、つまらない人生になってたと思う」。やがて、川崎どころか日本に嫌気が差したFUNIは、放浪の旅へと出発した。

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川崎教会の倉庫に置かれていたドラム・セット。

 しかし、現在、FUNIは川崎で、相変わらず忙しい日々を送っている。例えば、南大師の実家に拠点を置きながら行っている業務のひとつに、〈ノーベル・ライフ〉や〈電話居酒屋〉といった、悩みや愚痴を聞く電話サービスの運営がある。「アメリカで依然として人種差別が横行している一方、ブラック・ライヴス・マター(警官によるアフリカ系アメリカ人男性殺害事件に端を発する反差別運動)が盛り上がってるのを目の当たりにして。でも、日本は変わらないんだろうなと思ってたら、川崎でヘイト・スピーチに対してカウンターが起こったと知り、『川崎、すげぇじゃん!』と見直して、帰ってきたようなところがある。それで、オレが桜本の教会に救われたように、どこかで苦しんでる人のためのヴァーチャルなコミュニティがつくれないかと思ったんです」。FUNIは子どもの頃のように地元を外から見ることによって、改めてその可能性に気づいたのだ。

 また、FUNIはラップも再開、川崎の子どもたちのために、同文化を使ったワークショップの準備を進めている。桜本・桜川公園のサイファーに顔を出した日は、その前に市立川崎高校で講演を行い、そこでも生徒を次々とステージに上げて、フリースタイルを交わした。あるいはFUNIは、子どもたちに、かつての自分の姿や、生まれてくるかもしれなかった自分の子どもの姿を重ね合わせているのではないか。「最近、INHAと連絡がついて、頓挫したアルバムを完成させたんです。MEWTANT HOMOSAPIENCEっていうのは、ミュータント・タートルズみたいに川崎の光化学スモッグを吸いすぎて進化しちゃった人間、って意味なんですね。川崎は日本の未来の姿だと思うんですよ。それは、東京が2020年に向けて目標として掲げるダイバーシティの課題でもある。だからこそ、オレも侮れない大人になって、キング牧師やマルコム・Xのように、未来を生きる子どもたちにオープンソースとして使ってもらえたらと」。10月20日より配信されるMEWTANT HOMOSAPIENCEのアルバムのタイトル、『KAWASAKI』の下敷きとなったのは、映画『未来世紀ブラジル(原題:BRAZIL)』だという。きっと、未来世紀カワサキでも子どもたちはサイファーを組んでいるのだろう。(つづく)

(写真/細倉真弓)

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磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

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