「12プレミア」の記事一覧(5 / 16ページ)

フィギュアスケートシーズン開幕に思う、羽生結弦と宇野昌磨のチャレンジ精神

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる”アイドル”を考察する。超刺激的カルチャー論。

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「フィギュアスケートLife vol.7」(扶桑社ムック)

 フィギュアスケートの本格的なシーズンが始まりました。10月21日からのスケートアメリカ、その翌週のスケートカナダ、このふたつの大会を、私はラッキーにも自宅で見ることができました。癌の治療中でもありますので、「病室で見ることになるかも」と覚悟はしていたのですが、やはり病室の小さなテレビで見るのは味気ないもの。このところ体調も悪くなく、非常に楽しいテレビタイムになりました。

 どちらの大会もそれぞれ、手に汗握ったり、さまざまなことに思いをめぐらせたり、思わずテレビに向かって拍手したり…。とはいえ、見た選手全員のことを語ろうと思ったら分量的にとんでもないことになりそうですので、今回は、スケートアメリカの宇野昌磨、スケートカナダの羽生結弦のことを中心に書きたいと思います。ほかの選手のことは来年3月の世界選手権までに書くチャンスは何度も訪れるはずですので、もしこの連載を期待して読んでくださっている方がいらっしゃるなら、なにとぞご容赦を…。

●宇野昌磨
 以前、今年の3月の世界選手権を取り上げたとき、私は「宇野昌磨のミュージカリティの高さに感じ入った」と書きました。盛り上がりどころがつかみづらい曲を使っても、観客をきっちり引きずり込む力。今回のフリーでも、その能力を再確認しました。というか、さらにレベルアップした感じです。

 使用したのはピアソラのタンゴ。「ブエノスアイレス午前零時」と、ミルバのボーカルによる「ロコへのバラード」をつなげたもの。ピアソラとフィギュアスケートといえば、「リベルタンゴ」を使った1997年のグリシュク&プラトフのオリジナルダンス(ヨーロッパ選手権での演技が至高!)、「アディオス・ノニーノ」を使った1998年長野の陳露のショートプログラム、2008年世界選手権のジェフリー・バトルのショートプログラムが、私の中ではベスト・オブ・ベストという感じ。そうそう、ピアソラのナンバーをつなげた、1990年世界選手権のウソワ&ズーリンのフリーダンスも忘れるわけにはいきません。

「ブエノスアイレス午前零時」や「ロコへのバラード」は、「リベルタンゴ」や「アディオス・ノニーノ」以上に「踊り」に主眼を置いていない曲です。語弊を恐れずに言えば、ホールやジャズクラブなどで聴くためのタンゴであって、踊るためのタンゴではない。その曲をバックに、10代の選手が、あれだけの世界観を身体で表現していくのですから驚くばかり。曲のいちばんの「踊りどころ」でステップシークエンスに入るのですが、上体の動きの精緻さと、音符ひとつひとつにエッジワークをからめていく見事さには、思わずため息がもれてしまいました。

 ジャンプは、4回転のフリップがクローズアップされるのは当然ではありますが、私は、2回入れた4回転のトゥループを、それぞれステップから直ちに跳んでいたことに、より大きな拍手を送りたい。特に2つめのジャンプは、一度グッとバックアウトのエッジに乗って(ルッツジャンプのエントランスかと思ったほどです)、そこから滑らかなターンを入れ、跳んでいました。素晴らしい!

 トリプルアクセルからトリプルフリップまでをつなげるシークエンスが決まっていたら、200点は軽々超えていたでしょう。「完成形」を見るのが本当に楽しみです。

 あと…、これは私の勝手な推測ですが、宇野昌磨は、「平昌オリンピックに4回転ループを入れたプログラムをもってくる」のを目標にしているのかもしれないなあ、と。ほとんど「ステップの延長」くらいの軽さで跳んだトリプルループが、明らかに回りすぎていましたから。「練習ではもう、確認のために跳ぶトリプルループより、トライのために跳ぶクアドルプルループの数のほうが多いのでは」と思ってしまったんですよね。なんにせよ、ケガだけには気をつけてほしいと切に願っています。

●羽生結弦
 いやー、プリンスの「Let’s Go Crazy」を競技会で滑る選手が出てくるなんて。ボーカル入りの曲の使用がアイスダンス以外でも認められるようになったおかげですが、80年代の洋楽を今でもけっこう聴いている私にとっては、燃えますわね。この曲が収録されているアルバム『Purple Rain』では、「I Would Die 4 U」がいちばん好きなのですが、誰かエキシビションで滑ってくれないかしら。

ショートプログラムは、ジャンプがハマったら冒頭から最後までガッツリと観客を引き込むプログラムになっているのは確認できましたので、宇野昌磨に対する感想と同じく、「完成型」を見るのが本当に楽しみです。

 フリーは、なんと言いますか、「特にジャンプに関して、新しいチャレンジを詰め込んでいるなあ」という驚きがありました。箇条書きで挙げてみたいと思います。

◆今年3月の世界選手権が最初のチャレンジでしたが、4回転サルコウを2回に増やし、そのうちのひとつはトリプルトゥループとのコンビネーションで入れることに、本格的に取り組んでいる。
◆本来、4回転ジャンプの中では羽生結弦がいちばん確実に跳べるはずのトゥループを1回にしている(昨年のフリーは2回実施)。
◆トリプルアクセル~ダブルトゥのコンビネーションで、ダブルトゥのアームポジションを着氷後もキープしている。
◆「コネクティングステップから」というよりは、ほとんど「ステップシークエンスの終了と同時に」くらいの密度の中で、トリプルフリップを跳んでいる。
◆レイバックイナバウアーからの流れで、トリプルルッツを跳んでいる。

 これも私の勝手な推測ですが、体が万全の状態に戻ったら(平昌オリンピックには当然そのつもりで照準を合わせてくるでしょう)、フリーでは4回転を5回入れるつもりではないのかな、と。ループ1回、サルコウとトゥループを2回ずつ。「今シーズンは、その目標のために、4回転のサルコウのコンビネーションを体に覚えさせる時期でもあるのかしら」と。

 もちろん、本人のチョイスがどういったものであろうと、そこに異を唱えるつもりはありません。平昌オリンピックのフリーで、「4回転が4つ」だったとしても、不満を持つなんてことはありえない。現時点でも、とんでもない難易度に挑戦しているわけですから。ただ、これも以前書いたことではありますが、宇野昌磨にしろ羽生結弦にしろ、「自分を追い込む・追い詰める」傾向が非常に強い選手であると思います。「その傾向がいい方向に転がってほしい」と、一観客としてただただ願うばかりです。

 ジャンプ以外にも、羽生の「チャレンジ」はそこかしこに見て取れる。エッジワークの一歩一歩がさらに距離が出ているし、ショートプログラムでのトリプルアクセルのエントランスのステップは、昨年とはまったく違うものになっているし(昨年はイナバウアーからでしたが、今年はステップを踏んでいる距離も時間もさらに長くなっている)、フリーのハイドロブレーディングも、今シーズンはターンからの流れで入れている。そういったブラッシュアップを見ることができたのは、今大会の大きな喜びでした。

 フィギュアスケートの選手に限らず、すべてのアスリートに言えることですが、難しい技にはどうしてもケガがついて回ってしまいます。来年の世界選手権も、再来年の平昌オリンピックも、すべてのスケーターが万全の体調で迎えられますように。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載中。

ゲスを極めし川谷絵音! 活動自粛&発売中止はベッキー復活の狼煙か?

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ゲスの極み乙女。オフィシャルHPより

 10月3日、川谷絵音がボーカルを務めるゲスの極み乙女。(以下、ゲス極)とindigo la Endの活動自粛が発表された。それに伴い、所属レコード会社のワーナーミュージック・ジャパンは12月7日に発売予定であったゲス極の3rdアルバム『達磨林檎』【1】の発売一旦中止をアナウンス。自粛の理由は、川谷が未成年者と飲酒をしたことが明るみに出たためだ。この未成年者とは、川谷の新恋人であるタレントの〈ほのかりん〉。彼女は今回の一件でレギュラー番組や出演予定だった舞台を降板するハメになり、成人になるまでの、たった数カ月を待てなかったばかりに、彼らは窮地に立たされることとなった(ちなみに彼女は川谷が活動自粛を発表した翌日4日に20歳の誕生日を迎えた)。芸能事務所幹部が明かす。

「『週刊女性』(主婦と生活社)9月13日号に掲載された、川谷の三軒茶屋のバーで“20代前半の美女”のお持ち帰りスクープですが、この相手がほのかりんでした。同誌の突撃取材に対し川谷は『僕は正直に話していますよ。(相手は20代前半の一般人なので)写真は撮らないでいただきたいです』と答えましたが、これが実は正直な対応ではなかった。事務所側は19歳との“恋愛”だけなら問題はないと本人の意思を尊重していたようですが、ほのかりんは未成年のため飲酒は違法行為。さすがに今回ばかりは所属レーベルであるワーナーとマネジメントのスペースシャワーミュージックも激怒し、厳重な処分を下したのでは」
 川谷といえば、今年1月にベッキーとの不倫が発覚し、生々しいLINEのやりとりが流出。当時、妻帯者であった川谷は集中砲火を浴びたが、それでもライブや新作の発表を行い、活動を自粛することはなかった。

「不倫報道が出た際、川谷には『人として道徳に反している』という意見が飛び交いましたが、活動自粛や商品の出荷停止などの措置は取られませんでした。ワーナーとスペースシャワー、そして本人で話し合いの場を設け、さらに関係各所の意見を元に『生まれる音楽に罪はない』という判断からだったと聞いています。これは川谷の不貞行為に限らず音楽業界ではよくあることで、刑事罰と見なされる事件を起こした場合のみ、発売中止や回収などが行われます」(レコード会社関係者A氏)

 一方、川谷の音楽の舞台とは違い、芸能界が主戦場のベッキー。世間からの鳴りやまぬバッシングによってレギュラー番組はすべて降板、CMの打ち切りと、芸能活動を休業したことは周知の通りだ。約3カ月後の5月に『金スマ』(TBS)で復帰を果たしたが、他局にとっては寝耳に水の背徳行為。それもそのはず、芸能界で幅を利かせていたベッキーだけに、謝罪会見の不誠実さや、その背徳行為によってサンミュージックは傲慢さを露呈してしまう形となってしまったからだ。結果、同社には多くの苦情が寄せられ、以降、マスコミとの円滑な関係を取り戻すために、サンミュージックは広報の体制を強化したという。

「ベッキーの休業中、これまで彼女が稼いでいた収入の補填と違約金をまかなうため、サンミュージックはほかの所属タレントたちを積極的に売り出しましたが、ブレイクしたのはメイプル超合金のみ。到底埋め合わせはできません。復帰後、以前までは決してオファーを受けることがなかった地方局のテレビ番組にまでベッキーを売り込んでいます。結果、JFN系列FMラジオの新番組のパーソナリティが決定。しかし、東京で聴くことができない番組への出演は完全な“都落ち”。ただ、ラジオ収録前には事務所の広報担当が懇意のマスコミ各社を呼んでベッキーを取材させるなど、その腰の低さには変化が見られた。今後、キー局のスポンサー各社がOKを出せば、立て続けに復帰が決まっていくかもしれません」(芸能プロ関係者)

 去る9月29日には宝島社の新聞広告で、トレードマークであったロングヘアをバッサリ切り落とし、“裸一貫”からやり直す決意表明か、一糸まとわぬ背中のヌードを披露したベッキー。

「ベッキーが起用された宝島社の企業広告『30段広告』【2】は、彼女の復活のイメージが宝島社の企業イメージに合致するとのことで、同社からオファーしたそうです。宝島社内でも幹部クラスしか知り得なかった案件で、一般社員は驚いたそうです。背中だけといえどもヌードとなると、以前ならサンミュージックの上層部が決してOKを出さなかった仕事ですから、一種の“賭け”でしょうね」(広告代理店社員)

 いまだ世間の厳しい声も散見されるが、復活への狼煙を上げるベッキーと、不倫騒動に懲りることなく、またしても問題を起こして自滅寸前の川谷。これまではベッキーに比べ、川谷はさほどダメージを負っていないようにも見えたが、形勢は逆転しつつある。なぜ、このような逆転劇が起きてしまったのか。大手レコード会社に勤務するB氏の話。

「不倫報道後、川谷はえらく反省していました。しかし、ネットに散らばる誹謗中傷にいら立ちを隠せず、停止していたブログやツイッターで『誰に謝ればいいの?』といった軽口を叩いて、すべてを台なしにしてしまった。そこで今回の騒動。さすがにこれでレーベルもマネジメントも『そもそも反省していなかったんじゃないか』という疑念を抱いたようで、その結果が活動自粛、発売中止と聞いています」

 活動自粛に際し、ツイッターで「必ず戻ってくるので、待っていてください」とファンに復帰を約束した川谷。しかし、今回ばかりは関係者らも激怒しているといい、その道のりは険しくなりそうだ。

「活動の自粛、リリース予定だったアルバムの発売を一旦中止という措置は、それだけワーナーが今回の件を重く受け止めている証拠です。同社のスタッフは『健全な状態でリリースしたい』と話していましたが、活動を休止すればファンは離れていくわけで、仮に自粛を経てリリースできるタイミングが来たとしても、必ずネットで叩かれるのは目に見えています。また、すでに決まっていた商品のリリースを中止にするということは、レコード会社にとって大きな痛手。地方でのリリース・プロモーションは白紙、プロモーションのために制作したグッズは不要となり、もっとも痛手となるのはレコーディングに伴う制作費用。不倫騒動でベッキー側が受けた損害額は約5億円といわれており、それと比較すればまだダメージは軽いかもしれませんが、見込めた売り上げなども考えれば、ワーナーも数億円の損害を被ったといっても過言ではありません」(前出・芸能事務所幹部)

 不倫騒動後、開き直りともいえる言動が目立ち業界内でも問題児扱いされてきた川谷。しかし、その一方で音楽性はいまだに高く評価されているのも事実。発売予定だった新作には、川谷渾身の一曲が収録されているともいわれているが、今回の騒動の動きによっては一旦中止ではなく、未来永劫リリースされない可能性もある。アーティスト名のごとく、今年1年で見事なまでにゲスを極めてしまった川谷には、誠実さの極みが求められている。

(編集部)

【1】ゲス極の3rdアルバム『達磨林檎』
本来であれば、11月にデジタルで先行配信し、12月にCDで発売予定であった新作。オフィシャルサイトではリード曲である「シアワセ林檎」の無料ダウンロードを実施し、YouTubeで公開されたミュージックビデオは、公開から1カ月も満たぬうちに100万回再生を記録している。これだけ世間を騒がせておきながら、低評価より高評価の数のほうが多いのは、彼らの音楽性が支持されていることの証左であり、所属レーベルのワーナーも50万枚クラスのヒットを期待していたが、夢に散ってしまった。

【2】宝島社の企業広告「30段広告」
広告・出版業界では有名な全国紙の見開き広告で、話題作りには最適といわれている。宝島社は今年1月に発表した樹木希林起用の「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」30段広告において、読売広告大賞グランプリ、朝日広告賞グランプリ、日本新聞協会新聞広告賞など多くの賞を獲得。ベッキーも後を追えるか。

稀代の女エロ芸人【大久保佳代子】、ロマンポルノで真のエロに開眼す!

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(写真/黒瀬康之)

日活ロマンポルノが誕生して満45周年となる今年は、禁断の封印作解禁、ブルーレイ解禁、そして劇場新作の公開など、アニバーサリー企画が盛りだくさん。1971年、『団地妻 昼下りの情事』と『色暦大奥秘話』が製作・公開されて以降、わずか17年の間に約1100本が公開されるなど、世の男性たちを熱狂させ続けてきた同シリーズ。と同時に、「エロさえあればあとはなんでもOK」という自由度の高さから芸術性の高い作品も生まれ、相米慎二、金子修介などの映画監督を輩出したこともよく知られた事実だ。

 そんな日活ロマンポルノを、歯に衣着せぬエロトークでお馴染みのオアシズ・大久保佳代子さんはどう見るのか? 直撃した。

「実は大学生のとき一度だけ観に行ったことがあって……確か大学で映画の授業を取っていたんですよね。それほど映画に興味があったわけじゃないんですけど、『そういうのカッコよさそう』とか思って。その授業で神代辰巳監督を取り上げた回があったんです。それで、浅草の劇場に3本立てのロマンポルノをひとりで観に行って。『これは授業の一環だから』って、自分に言い聞かせて(笑)。そしたら薄暗い中に、おじさんが点々と座っていて……休憩のときトイレに立ったら、おじさんが缶コーヒーをくれたことを覚えています」

 そんな場でまでおじさまと交流を図るとは、大久保さん、さすがです。しかし、残念ながらその詳しい内容はあまり覚えておらず、以降現在に至るまで、ロマンポルノとは縁遠い生活を送ってきたとか。そんな大久保さんに今回観ていただいたのは、『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』『団鬼六・監修 SM大全集』の2本。で、どうでしたか?

「まあ日頃からエロサイトとかエロ動画を観るのは好きなので、『なるほど、昔のポルノ映画ね』ぐらいの軽い気持ちで観始めたんですけど、正直ちょっと驚きました。古いから薄暗くて湿気の多い感じだろうって勝手に思い込んでたら、意外にもバラエティに富んでいて、真面目な作品もあるけど、ちょっとコントっぽい作品もあったり。エロをポップな笑いにしているものもあって、こんなに振り幅のあるものなのか、と」

 団地妻シリーズや時代物など、いくつかのジャンルはあるものの、3本立て上映が基本であったことも関係して、当時の流行や風俗を取り入れたものなど、ロマンポルノには多種多様な作品が存在する。さらに大久保さんがもっとも驚いたのは、いずれの作品にも共通する、作り込みの細かさと出演者の芝居のうまさだったという。

「私が普段観ている女性向けのアダルトビデオとは、明らかにクオリティが違うんですよね。よくよく見るとストーリーにヒネリがあったり撮り方が凝っていたり……何よりも役者さんの芝居がちゃんとしているので、思わず見入ってしまうんです。アダルトビデオのストーリー部分は、結構飛ばしちゃうんですけど。あと、時代性もあるのかもしれないけど、登場人物に野性味あふれる男の人が多いような気がして。いわゆるハンサムではないけど、どこか目つきがヤバかったり、ちょっと気になる男性が多くて。どちらかというと私、汚い男の人にグチャグチャにされるとか、そういう願望がなきにしもあらずなので、そういう意味で、ちょっと発情するところがありましたね(笑)」

 では、ロマンポルノでも屈指の人気シリーズである、団鬼六・監修のSMものはいかがだったでしょうか?

「あれはもう、完全な非日常ですよね。さすがに自分であれをやりたいとは思わないというか、私がまったく知らない世界があるのかもって思わせる何かがあって……でもああいうものって、ファンタジーじゃないけど、それぐらいの距離感で観るものなのかもしれないですよね。自分の日常とは明らかに違うけど、もし自分がその世界に入ってしまったら、どうなってしまうんだろうってワクワクしながら楽しむものというか」

 想像力によって無限に広がるエロの世界。大久保さんは最後、内省モードでこんなことを語ってくれました。

「エロに対してこぢんまりとまとまってきてしまっている最近の自分を反省しましたね。いつの間にか、ちょっと諦めてしまっているというか、『まあ、この程度かな』みたいに思ってしまっているところがあったけど、AVではないこういう映画作品を観ると、私も昔はエロに対していろいろ冒険的だったというか、想像力を持ってもっといろいろなことに挑戦しなくちゃダメだなって思いました(笑)」

 エロトークで大活躍する当代随一の女芸人をしてここまで言わしめる、日活ロマンポルノ。まだ未経験の方は、45周年記念で発売される作品群などを一気に視聴してみるのもよいかも!?

(文/麦倉正樹)
(ヘア&メイク/春山輝江)
(スタイリスト/野田奈菜子・アップワード)

おおくぼ・かよこ
1971年5月12日、愛知県生まれ。千葉大学文学部文学科卒業。92年、小中高の同級生である光浦靖子とお笑いコンビ「オアシズ」を結成、同年デビュー。芸能活動の傍ら、長らくOLとして一般企業に勤務していた。近年はコンビでの活動のほか、バラエティー番組を中心にピンでの活躍も目覚ましい。

45周年で再評価の機運高まる「日活ロマンポルノ」

初公開から45周年、ロマンポルノがついに、Blu-ray & DVDで解禁される。新しくも懐かしい、あの名作ロマンポルノ全80作品が順次リリース!

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『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』HDリマスター版ブルーレイ 
「ロマンポルノ」全作品から女優を中心に選別された「官能アンソロジー」!
出演:白川和子、小川節子、田中真理 構成・監督:児玉高志 


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『団鬼六・監修 SM大全集』HDリマスター版ブルーレイ 
団鬼六が「SM映画のマリリン・モンロー」と賞賛した「SMの女王」こと谷ナオミをはじめとして、東てる美、麻吹淳子、志麻いづみなどロマンポルノに咲いた妖花たちの名シーンが満載。
出演:谷ナオミ、東てる美、志麻いづみ 監修:団鬼六 構成:加藤文彦


■さらにオススメの2作品!

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『色情めす市場』HDリマスター版ブルーレイ
監督:田中登 出演:芹明香

『悶絶!!どんでん返し』DVD 
監督:神代辰巳 出演:谷ナオミ


上記作品はすべて、発売元:日活株式会社 販売元:株式会社ハピネット (c)日活株式会社 価格:ブルーレイ4200円、DVD2000円(共に税抜)で好評発売中。ブルーレイ版では、バリアフリー字幕や「EIGA NO TOMO」からの貴重な関連紙面も復刻収録。さらに主演女優によるコメンタリーを収録したものも。ほかにCSやネット配信等でも常時600作品以上が楽しめるので、詳細は以下まで。
日活DVDサポートセンター:03-5227-1755
公式HP:http://www.nikkatsu-romanporno.com/

宗教者の最大の特徴は衣服なのか? 袈裟は先鋭的な“衣装”だった――仏教の宗教ファッション考現学

――日本人であれば、一度は葬儀などで、豪華絢爛の袈裟を身に着けたお坊さんの姿を見たことがあるだろう。その立場を誇示するようなこれらの袈裟には、ファッション的な視点でひもとくと、どのような意味合いがあるのだろうか?

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『美坊主図鑑~お寺に行こう、お坊さんを愛でよう』(廣済堂出版)

 宗教者は、いかなる要素をもって宗教者であると他人から認識されるのだろうか? もちろん、宗教者とは、寺院や教会で宗教者となる修行をし、聖典を読み込み、自らの中に宗教者たるアイデンティティを形成させてゆく。だが、ほかの人々がその人を宗教者として認識するに至らしめる最初にして最大の要素として、その衣服を抜きにして考えることはできないだろう。

 仏教の僧侶やキリスト教の神父、神道の神主など、宗教者はそれぞれにその宗派が定める衣服を身にまとっている。そして、それらの衣服を身に着けているからこそ、我々は一目でその宗教者が所属する宗教を特定することができる。それが衣服が宗教者のアイデンティティに深く関わっているゆえんである。

 後述の袈裟の一種「糞掃衣」を研究する国際日本文化研究センタープロジェクト研究員の松村薫子氏は、その著書『糞掃衣の研究』(法蔵館、2006)の中でこのように述べている。

「宗教に携わる立場の者を宗教者として見る共通認識が存在する社会において、宗教服を着ると、その人は、一般の人と区別され、〈宗教者〉として認識されるようになる。(中略)宗教服は、他者に対して、その衣服を着ている人が宗教に携わる宗教者であるということを示し、何の宗教者なのか、宗派は何か、ということを示す。また、それぞれの宗教の理念によって衣服についての規定があることから、その宗教の特色を表すものでもある。宗教服を身に纏うと、纏ったその人は、宗教的世界とつながりを持つ人として一般の人と区別される。つまり宗教服を着ることにより、聖なる人あるいは聖性を帯びた人として他者に認識されるのである。このように一般の人と区別し、聖なる人に変身させる機能を持った服が、宗教服であるといえる」

 宗教における宗教服の役割は、極めて大きいものであることが理解できるだろう。本稿では、宗教服のなかでも特に仏教の袈裟に焦点を絞り、宗教における衣服の役割を考察する一助としたい。

 宗教服は服装史全体から見ても、もっとも古代の衣服が保存されている分野であり、それらが安置された神社や寺は、染織史のアーカイブともなっている。そう解説するのは、宗教染織史が専門の、京都国立博物館学芸部教育室長・山川曉氏だ。

「東大寺の正倉院や法隆寺に代表されるように、日本では社寺に、世界的に見ても珍しいほどに古い時代の衣服が多く保存されています。通常、衣服というのは汚れたら着用できなくなったり、使い古したら布を再利用したりしてなくなってしまうのですが、これらの社寺では誰が着用していたのかという目録とともに、当時のままの姿で保存されている。外国の研究者と話しても、これだけ古い時代の衣服が多く残っている国は日本以外にないようです」

 日本において社寺などの宗教的な場所は、最古のファッションが保存されているタイムカプセルでもあった。その中でも特に重要な位置を占めるのが仏教の袈裟だという。

「キリスト教では聖遺物といって聖人の遺体や身に着けていたものを信仰の対象とする伝統があったり、神道では古神宝といって神様のために奉納された装束が古い神社に保存されていたりもしますが、美術史を学ぶ人間にとって、一番研究の基準になるのは仏教の袈裟ですね。どのような社寺でも大抵ひとつか2つは保存されているし、誰が誰にあげたものなのかといったことが記録されているケースが多い。これ以上ない貴重な研究資料の宝庫となっています」

 仏教諸宗派の中でも、袈裟を尊び、大切に保存している傾向が強いのは、山川氏によると禅宗だという。そこには、禅宗に伝わってきたある教理的伝統が関係している。

「なぜかというと、禅宗ではほかの宗派と比べても特に師匠と弟子の人間的な出会いによる相伝を大事にしているからなんです。禅宗では不立文字と言うように、教えの真髄は文字では伝えられないという考えがあり、本当に大切なことは師匠が認めた弟子との関係によってのみ伝えられる。そして印可といって、師が弟子に教えを授けたことの証しとして、師が身に着けていた袈裟を弟子に譲り渡すのです。弟子にとってはこれが教えを受け継いだ証明になりますから、いつ誰から授かったかという記録とともに、お寺に大切に保存されているのです」

 かつて日本から中国に渡った僧が師から授かって日本に持ち帰った袈裟は各地の寺に存在していると、山川氏は説明する。そこでは、まさに袈裟が単なる衣装ではなく、法脈の基盤として機能し続けているのである。

『岩波仏教辞典』で袈裟の項を引いてみると、以下のような記述を目にすることができる。

「比丘(僧侶)の衣は塵埃の集積所または墓地などに捨てられていた布の断片を縫い合わせて作った糞掃衣が原則であったから、衣服についての欲望を制するために、一般の在家者がかえりみない布の小片を綴り合わせて染色したものが用いられたのである。

 仏教の伝播と共に、気候風土や衣服の慣習の相違から種々の変形を生じた。中国・日本では日常の衣服としての用法を離れ、僧侶の装束として法衣の上に着用し、特に儀式用の袈裟は金襴の紋様、縫い取りが施されて華美で装飾的なものとなった」

 現在僧侶の袈裟というと、葬式で目にする金襴で華麗な縫い取りの、高そうな服を思い浮かべるのが一般的だろう。ところが、もともとの仏教の教えによると、僧侶は一般の人が顧みない捨てられたボロ布を継ぎ合わせた袈裟を身に着けるのが正しい教えなのだという。その継ぎはぎの袈裟こそが「糞掃衣」である。そして、この糞掃衣にまつわる伝統は、今も一部の寺と、そこに集う人々によって受け継がれている。それを研究したのが、前出の松村薫子氏の著書『糞掃衣の研究』である。松村氏が言う。

「私は愛知県一宮市の曹洞宗常宿寺で行われている一宮福田会の糞掃衣作りを調査し、研究対象としました」

『糞掃衣の研究』によれば、一宮福田会では、曹洞宗の僧侶と尼僧、寺院の妻や活動に共鳴した一般の主婦ら15~20名が集まり、春秋それぞれ5日間の日程で袈裟を縫う。そのスケジュールは、泊まり込みで、朝4時45分に起床し21時に就寝。座禅や朝のお勤め、お寺の掃除なども行いながら、袈裟を縫う時間を持つという本格的なものだ。袈裟の中でも特別な袈裟とされる糞掃衣は、家庭で不要になった古い着物や帯などの裂を集め、はぎ合わせることによって、一枚の糞掃衣として縫い上げてゆく。松村氏が言う。

「現代の糞掃衣は、特定の僧侶に感謝の意を示すために、有志の人々が集まって縫われています。糞掃衣は集まって縫うだけではなく、裂を各家庭に持ち帰って家でも縫うのですが、一着縫うのにおよそ1年はかかります。その手間がわかるからこそ、糞掃衣を頂いた僧侶は、皆様の気持ちが込められた特別な袈裟であると考えるのです」

 松村氏が調査した福田会はそのようにして袈裟を作っている集まりだが、そこまでして作るのも、糞掃衣などの袈裟こそが仏典に書かれた正しい袈裟だという信念があるからだ。袈裟に関する仏教の教義での決まりについて、松村氏が解説する。

「袈裟は世間の執着を離れた衣を着けるのが基本だと仏典に書かれていて、壊色といわれるわざとくすんだ色を使ったり、点浄といって、袈裟の一部に汚れをつけたりします。裂自体も、もともと大きいほど価値が高いとされる染織品を、切って継ぎ合わせ、価値をなくして使います。世俗的な執着心を起こさない衣を身に着けなさいということなのです」

 そのような決めごとがある袈裟だが、実際の現在の仏教儀礼を見ると、僧侶は法衣店で50~100万円といった値段をつけられている、金襴きらびやかな袈裟を檀家から布施されて、身に着けていることが多い。葬儀などでも、そうした袈裟を身に着けている僧侶のほうが一般的だろう。だが、そうした金襴の袈裟は、本来の仏教の教えでは、欲心を起こす、着けるべきではない衣服とされているという。

「僧侶の方々は、金襴の袈裟が仏教の教えから外れていることはわかっています。しかし、檀家の方から金襴の袈裟を布施して頂いたら、その気持ちを大事に考えるので、着ないというわけにはいきませんし、葬儀でも『なぜうちには豪華な衣を着てくれないのか』と言われる場合もあります。仏教の教えと異なっていることは理解しているが、致し方ないという実情があるようです」(松村氏)

 結果、実態としては仏典に説かれる通りの袈裟よりも、本来は禁じられている金襴豪華な袈裟のほうが一般的になっている。さらには、仏典に説かれる通りの色・形・衣材・製法でつくられた如法衣といわれる袈裟(一般に如法衣といわれる袈裟とは異なる)が質素でありながら、むしろ希少価値を生み、ある逆転現象が起こっているという。

「仏典通りの染め方・縫い方の如法衣を法衣店に特別注文した場合、50~60万円はかかるそうです。そのような如法衣は老師が着ける格式のものなので、若い僧侶は身に着けにくいといいます。金襴のほうが華やかですが、正式な如法衣のほうが格が上というような感覚があるようです」

 まことに摩訶不思議な袈裟の世界だが、そのような奇妙な現象が起こるのも、袈裟に単なる衣服を超えた深い意味が託されているからだろう。松村氏が言う。

「古くから袈裟には功徳という不思議な力があると考えられてきました。袈裟を身に着けるだけで解脱が得られるとか、袈裟をまとうことで仏身と仏心が得られるなどといわれてきたのです。もともと衣服というものにはさまざまな象徴的な意味が込められていて、色で心理状態を表したり、社会的な意味づけがなされたりしているものですが、宗教服、なかでも袈裟は思想が衣服に込められているもっとも顕著な例と言えるでしょう。僧侶にとっての袈裟には、単なる衣服を超えた仏教の思想が織り込まれているのです」

 ファッションとは、本来的にその人がこうありたいと願うイメージや特性を顕現させる機能を持っている。そのことを考えれば、宗教者を宗教者たらしめている宗教服と、その典型的な例である袈裟こそは、ある意味で、もっとも先鋭的なファッションであり続けていると言えるだろう。

(取材・文/里中高志)

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ANRI公式Twitterより

 お笑いコンビ「バイきんぐ」の小峠英二が10月5日に放送された「リンカーン芸人大運動会2016」(TBS系)に出演。昨年6月まで交際していたタレントの坂口杏里が1日にAVデビューしたことを受け、「デビューしたからにはトップを取っていただきたい!」「一度愛した女として全力で応援しますよ。頑張ってください」とエールを送った。

「これには視聴者からも『男気がある』『一度愛した女と言い切ったところが好感が持てる』『顔はともかく心はカッコいい』と賞賛の声が飛び交いました。小峠はデビューDVDの中身もしっかり確認。元カノが自分以外の男と絡んでいる姿など普通は見たくないものですが、彼女の全てを受け止めようという強い意志を感じます」(週刊誌記者)

 坂口は新たな芸名「ANRI」名義でツイッターを開設。6日には、小峠のコメントを受け、「ビジネス交際とかマスコミ関係が騒いでたけどANRIちゃんとことぅーげさんの関係はビジネスじゃなくて真実の愛だったんだよ!って超大声で言いたい!!」と投稿。「大好きだったょ ビジネスじゃない」と、小峠とは真剣交際であったと語った。

 そんな2人の復縁を猛プッシュしている人物がいるという。テレビ関係者が明かす。

「坂上忍ですよ。彼は杏里の母で13年に亡くなった女優の坂口良子さんと生前にドラマなどで多数共演。杏里がデビューするときには良子さんから『共演したらよろしくね。ご飯とか連れて行ってダメなところがあったら言ってほしい』と後見人を頼まれていました。それもあって、杏里のAV転身についても『なんでそっちのほうに行くのかな』と複雑な思いでいた。坂上はかなり責任を感じていて、小峠に『お前がちゃんと支えてなかったからいけないんだ』と当たり、『もう1回復縁することができないのか』と説得を試みていたといいます。小峠はイエスともノーとも言わずに固まったままだったとか」

 坂口はAVへ転身するにあたって「親友、幼馴染以外全員切りました」と、過去を清算して臨んだことを明かしているが、内心は不安でいっぱいのはず。今こそ小峠の支えが必要だと思うが・・・・。

「モヤさま」を卒業するテレ東・狩野恵里アナが虎視眈々と狙う、女王・大江麻理子アナの座とは……

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テレビ東京「アナウンサーパーク」HPより

 10月16日放送分で「モヤモヤさまぁ~ず2」を卒業し、11月から夕方の新番組「ゆうがたサテライト」のキャスターに抜擢されることになったテレビ東京の狩野恵里アナ。本格的な経済ニュース番組は初めてということで、本人もやる気満々かとお思いきや、いまいち乗り気じゃないという。

「テレ東で経済番組を担当するということは出世コースに乗ったということ。『モヤモヤ~』でブレイクするまでは一介の中堅アナだったのが、今や大江麻理子アナ、大橋未歩アナの両エースに次ぎ、名実ともにナンバー3。それにも関わらず狩野は満足していないようなんです」(テレビ東京関係者)

 私生活では8月にレーシングドライバーと結婚し公私ともに順風満帆。このタイミングで経済番組のキャスターを担当することは、キャリア的にもプラスになる気がするが。

「狩野の野望はもっと大きく、希望はワールドビジネスサテライト(以下WBS)のキャスター。番組のロケ中に神社を訪れると、毎回『「WBS」に出れますように』と願掛けするほどで、本人はその気になっています。『WBS』はテレ東の看板番組で、キャスターともなれば大きなステイタスになりますが、現在は大江麻理子がキャスターですが、さすがに狩野にはまだ荷が重い。しかし、虎視眈々とその座を狙っていますが、果たしてうまくいくか。まずは夕方の番組でお手並み拝見といったところでしょう」(前出)

 まずは新番組での仕事ぶりに注目だ。

【磯部涼/川崎】ヒップホップが止めた川崎南北戦争

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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全身をタトゥーで埋め尽くしたラッパーのK-YO。

 川崎は2つの顔を持っている。そして、それらの表情は変わりつつある。シンガーソングライターの小沢健二が自身の根底となっている空虚さを“川崎ノーザン・ソウル”と呼んだ、その背景としてのニュータウンの北部。ラッパーのA-THUGが、治安が悪く、だからこそラップ・ミュージックのメッカと化した、ニューヨークのサウス・ブロンクスやシカゴのサウスサイドに重ね合わせて“サウスサイド川崎”と呼ぶ、工場地帯の南部。一方、最近では、映画『シン・ゴジラ』において、南部・武蔵小杉のタワーマンションが建ち並ぶ多摩川沿いで戦いが繰り広げられた。ゴジラがやって来るのはそれだけ注目されているということで、実際、同地は不動産情報サイト・SUUMOが認定する「住みたい街ランキング2016」関東版でも4位に入っており、その点では、今や“ニュー”タウンの座は南部が奪ったともいえる。こういった発展の仕方の違いを、川崎市民は冗談めかして川崎南北問題と呼ぶが、その対立は、かつて、不良少年の間では血なまぐさい“戦争”という形で現れたのだ。

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南武線・武蔵溝の口駅前に立つ〈FLY BOY RECORDS〉の面々。左よりDJ TY-KOH、KOWICHI、YOUNG HASTLE。

 神奈川 川崎 東京と横浜の間
 挟まれてるこの街 住んでるのはオレ達
 昔はバラバラだった 奴らも今じゃ仲間
 まとまりねーのもスタイルかな
 思ったけどひとつになった
  ――KOWICHI「Rep My City」より

 グローバルなモードとローカルなテーマを掛け合わせる上手さに定評のある、〈FLY BOY RECORDS〉とその仲間たちがMVに揃って登場する地元讃歌「Rep My City」は、2パック「カリフォルニア・ラヴ」のメロディを引用した耳心地の良いラップ・ミュージックだが、そこで歌われていることは、川崎の不良文化の歴史を知る者ほど身に沁みるだろう。

 同地では、各区から鉄道を使って容易に東京や横浜に出られることで、市としてのアイデンティティに欠けてきた。市内を縦貫する尻手黒川道路という幹線道路は存在するものの、ただ、それが持つ越境性こそが、南北の暴走族を中心に、不良による縄張り争いを生んだ側面があるという。例えば、「Rep My City」において、北部・多摩区出身のKOWICHIから“昔なじみの仲間”と紹介される、やはり、多摩区出身で81年生まれのラッパー・K-YOも、かつてはアウトロー・バイカーだった。彼は、同い年だが南部・中原区出身の〈FLY BOY RECORDS〉主宰・DJ TY-KOHと、その中学の同級生でKOWICHIのライヴDJも務めるSPACEKIDを横目に、「昔に知り合ってたら、ぶっ飛ばしてたかもしれない」と笑う。「僕はいつも溝の口(取材場所となった北部・高津区のターミナル)の通称“モンブラン”ってゲーセンに溜まってたんですけど、ここより向こう(以南)はみんな敵でしたもん」

 そして、そのように、いわゆる川崎南北戦争が悪化した要因に、1件の殺人があった。K-YOは続ける。「毎年、お盆になると北部の人間で集まって、ガス橋(多摩川の中原区上平間部分にかかる橋)に追悼に行ってました。僕が不良になった中1の頃、そこで、北部の人が南部のヤツらに殺されたんです」。また、TY-KOHもその事件について年上から聞かされたと語る。「タチバナボウル(高津区のボウリング場)でリンチされて、瀕死の状態でガス橋に連行、さらにバーナーで顔を焼いて殺され、死体が多摩川の河川敷に捨てられたとか。だから、先輩には『北部の報復には気をつけろよ』って言われてました。実際、中学の頃から渋谷には行ってたけど、溝の口には行きませんでしたね」

 当時、TY-KOHとSPACEKIDが通っていた井田中学校は、中原区と高津区の区境の前者側にあったことから“南の門番”と呼ばれ、1キロほどしか離れていない後者側の東橘中学校と喧嘩を繰り返していたという。しかし、彼らはそんな日常に嫌気が差していた。「SPACEKIDはオレらの学年のリーダーだったんですけど、あるとき、東橘中のヤツらにちょっと引くぐらいボコボコにされちゃったんです」(TY)「頭を金属バットでフルスイングで殴られて。歯も折れまくって」(SK)「でも、それがきっかけで、『別に不良として成り上がりたいわけじゃないし、別の遊びをしよう』って感じになった」(TY)。そして、彼らはターンテーブルを購入し、ヒップホップDJを始める。「ヒップホップはその前から聴いてたので」(TY)「先輩たちに拉致られたときに車の中でかかってたのも、クーリオだったし(笑)。シャコタンのマークIIで、ひとりはトランクに入れられて、オレらはブラック・ライトがピカピカの後部座席で『おめーら、じっとしてろよ!』って脅されて」(SK)「で、『ギャングスタズ・パラダイス』が延々とループ(笑)。悪夢かと思ったよ。でも、不良と違って、ヒップホップに関しては地元で先輩にあたる人がいなかったんで、自由にできたんですよね」(TY)

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TY-KOHとは中学時代からの友人であるDJ SPACEKID。

 ただ、2人は次第に地元の不良の伝統も変えていく。例えば、“カンパ”と呼ばれる、南部特有のいわゆる上納金制度を廃止したとTY-KOHは言う。「オレらもカンパには苦しめられたんですけど、『この忌まわしい文化は自分らの世代でやめよう』って話し合って。『年下も一緒に、みんなでもっと楽しくやったほうがいいでしょ』って」。やがて、高校生になると、SPACEKIDはパーティを主催し始める。「パー券を売るのは川崎で、会場は六本木の〈ジオイド〉ってハコで。川崎の人ばっかり、400人ぐらい入りましたよ。パラパラとハードコア・パンクとヒップホップがごちゃ混ぜになったパーティでしたけど」。また、TY-KOHの興味は海を越え、アメリカへと向かった。「ヒップホップをちゃんと聴き出したら、やっぱり、USのものがカッコいいなって。正直、当時の日本語ラップはピンとこなかった。さらに、ニューヨークへ行っては向こうのDJのテクニックを吸収して、日本で披露して……っていうことを始めたので、ますます、USのほうしか見なくなった」。しかし、そんな彼の視線を、改めて地元・川崎へと向かわせたのが、川崎区を拠点に活動するハスリング(薬物売買)・チームからラップ・グループへと発展した、A-THUG率いるSCARSの存在だ。「ファースト(『THE ALBUM』、06年)をたまたま耳にしたときに、『日本にもこんなに面白いラップがあるんだ』って衝撃を受けて」。それにはSPACEKIDも同感する。「日本にはストリートのヤツらが感じてることを、ストレートにリリックに落とし込んで歌っているヤツがいなかったんですよね。そこにSCARSが出てきた。しかも、『川崎なんだ!』っていう」。そうやって、川崎区のライヴハウス〈セルビアンナイト〉で「K’$ Up」というパーティを開催していた彼らは、SCARSとはまた違うベクトルで、オール川崎を代表することに自覚的になっていくのだった。

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多摩区出身のK-YOは、かつてアウトローなバイカーだったという。

 一方、北部のK-YOはヒップホップに関しては少し後れを取った。彼の場合、アウトロー・ライフが長引いたのだ。「17歳のとき、地元のデニーズで幹部会をやってたら、外をよそ者の暴走族が100台ぐらい走り抜けていったんですね。僕はリーダー格でしたし、当然、追っかけたら、何台かがガソリンスタンドで給油してたんで、ボッコボコに。でも、そこにほかの族車が戻ってきて、そのときの喧嘩で地元の先輩が殺されちゃうんです。後日、僕も含めて一斉に逮捕」。そして、1年半がたって少年院を出ると、彼が生きてきた世界はすっかり様変わりしていた。「バイクに乗ってた人たちがローライダーになって、車でウェストコースト・ヒップホップを流してた。それで、僕も先輩に直訴してグループを抜け、そういうパーティで遊び始め、その流れでラップをする。ほんと、あのままいかなくてよかった。きれいごとに聞こえるかもしれないけど、音楽に救われたんです」

 その後、TY-KOH、SPACEKID、K-YO、KOWICHIは行動を共にし始める。「TY-KOH君を知ったとき、クラったっすね。川崎を鬼のようにレップ(代表)してて。『いるんだ? こういう人……っていうか、オレと同じ考えのヤツ、いたー!』みたいな」(KO)。ヒップホップを通して、彼らは彼らなりに南北戦争に終止符を打ったのだ。溜まり場は中間地点の溝の口になる。「今思うと、『南部のヤツは敵だ』っていう考えは先輩から刷り込まれたものでしたからね。完全な縦割り社会に生きてたんで」(KY)「そうそう。K-YOと仲良くなり始めたとき、一緒に、南部の先輩がやってるバーに遊びに行ったんです。その人にK-YOが地元を聞かれて答えたら、『え、北部?』みたいにピリッとして。『今もその対立、あるの?』ってなったもん」(TY)「川崎が南北で分かれてた歴史は、前の世代が背負ってたものだから。カンパじゃないけどオレたちの世代で克服して、ひとつの“K-TOWN”として全国にアピールしていきたいよね」(SK)

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左:再開発で商業施設やタワーマンションが建ち並ぶようになった武蔵小杉。
右:K-YOの楽曲「ストロングゼロ」には、YOUNG HASTLEとTY-KOHも客演。

 また、調布市出身のラッパー・YOUNG HASTLEや、宇都宮市出身のプロデューサー・ZOT on the WAVEも合流、“K-TOWN”は成長していく。「昔は“川崎=ヤンキー”っていう印象で、ダサいと思ってたんですよ。でも、TY-KOHたちは超イケてたんで、仲良くなりたいなって。そこから、毎晩、みんなで溝の口でメシ食って、当時、住んでた駒沢までチャリンコで20分くらいかけて帰るっていうライフスタイルに。しまいには引っ越してきましたからね。今は川崎っていうと、ブルックリンとかニュージャージーみたいな、中心から離れてるからこそアンテナが発達してる、センスの良いサバーブの街って印象です」(YH)。〈FLY BOY RECORDS〉周辺は、精力的に、挑戦的かつ普遍的なラップ・ミュージックをリリースしている。彼らは目標を以下のように語る。「以前の川崎はほんとブロックごとにハスラーがいるような感じで。みんな、アルバイト感覚でやってた」(SK)「それをラッパーとかDJが兼業してたケースも多いし、日本ではヒップホップがいかんせん金にならないからそうなるんですよね。下手したら、ヒップホップをやるためにハスリングで経費を賄ってるレベル。だからこそ、ちゃんとヒップホップで稼げるようにしたい」(TY)。果たして、川崎はディストピアからユートピアへと生まれ変わることができるのだろうか。(つづく)

(写真/細倉真弓)

【第一回】
【第二回】
【第三回】
【第四回】
【第五回】
【第六回】
【番外編】
【第七回】
【第八回】

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

二大動画アプリ「AbemaTV」と「LINE LIVE」の制作舞台裏――ネット炎上芸人だけが生き残る!? 番組制作者座談会

――「AbemaTV」も「LINE LIVE」も作っているのは、実はテレビでも活躍しているスタッフたち。いまだ実情がわからない、配信型動画番組の裏側と今後の可能性について、現場の生の声を聞いた。

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渡辺直美のように、テレビでもネットでも絶大な支持を得ているタレントが、今後のキーマンになってくるかもしれない。

[座談会参加者]
A…テレビ制作会社社員
B…テレビ制作会社社員
C…放送作家

A 今はやりの配信型動画番組だと、「AbemaTV」と「LINELIVE」が話題になってるけど、それがどんなものかまだまだ知らない人も多い。そこで今回、現場で働くスタッフが集まって、裏側からその可能性について見ていくわけだけど……普段テレビを制作している人たちが現場を動かしているというのも、あまり知られていないかもね。

B 動画配信サイトでも「YouTube」とか「ニコニコ動画」は素人の配信が中心だけど、それとは制作の方法が全然違うからね。LINE LIVEは8月から一般開放もして素人制作の動画がアップされ始めているので、そっちに寄っていってる部分もあるけど……。AbemaTVもLINE LIVEも基本的にはタレントを使って、作家が構成を立てて、ちゃんとテレビのような番組として成立してる。テレビ放送とネット配信の中間みたいな位置にあるって思ってもらえばいいかな。

C 特にAbemaTVはサイバーエージェントとテレビ朝日が共同出資した会社で、制作にもテレ朝から出向してきたプロのスタッフが入っていることもあって、かなりテレビに近いですよね。我々作家もプロデューサーやディレクターから、どんどん企画を求められるし、地上波と関連させた番組ができないかって話もよく出ますし。

A じゃあ中身は、テレビやほかの動画配信サイトとどう違うのかってところだけど、やっぱり一番はリアルタイムの生配信でライブ感を意識した番組を、多く放送してるってことだよね。

B 例えばLINE LIVEが、「東京ガールズコレクション」を生配信して話題になったように、イベントをまるごと放送することも多いけど、投稿された視聴者のコメントを番組内で拾ったり、実際に街に出て素人さんと交流して、何が起こるかわからないハプニング性を楽しんだり、距離感としては“見えるラジオ”って感じかな。

C ただ、逆に言えば結局テレビと見え方が変わらない番組もありますけどね。普通にスタジオでのトークや企画をやったところで、質が悪い『笑っていいとも!』みたいな……。そういう意味でもテレビとの線引きは今のところ曖昧。テレビの劣化版にならないように、ライブ感と同時に、もっとリアルタイムでのSNSとの連動や、スマホで見ることに特化したやり方を考えていかないといけないですね。

B スマホで見るのは10代から20代前半が多いから、ターゲットはやっぱり若者。結局テレビ視聴の中心層である年配世代はわかりやすい番組を求めるから、テロップも出ないような番組は見ないし、ながら見が多いから、生配信のような、展開がコロコロ変わる番組だとついていけない。

A 『24時間テレビ』だって、ワイドショーだって、テレビだと生放送を謳っているけど、ほとんどはVTR中心の番組構成だしね。でも若者は生で見てドキドキしたり、今現在起こってることでワクワクできたら、ちゃんと見てくれる。

C 例えばLINE LIVEで、リアルタイムで街中を逃げ回るキングコングの西野(亮廣)を捕まえたら賞金20万円という企画をやってましたけど、ツイッターなんかでけっこう話題になりましたよね。そういう新鮮さは作ってて楽しい部分ですよね。

B ある程度、番組のオチは制作側で用意していても、テレビほどカッチリは作っていない。視聴者だけじゃなくて、タレントも裏方もドキドキできるかがポイントかな。

A AbemaTVは、親会社・サイバーエージェントの藤田晋社長の意向が強いよね。

 気に入った企画にはお金もどかんと出すし。一番負けた人がその場で髪を坊主にされてしまう「坊主麻雀」は、2回とも賞金500万円出てるからね。

C 昔はテレビでも賞金企画はたくさんありましたけど、今や100万円の賞金さえもなかなか出せないからすごいですよね~。まあ、第1回は藤田社長本人が優勝しちゃったんですけど(苦笑)。ただ、演者が賞金をもらうのは、今の時代、ネットではそんなにウケないから、どうせなら視聴者に還元したほうがいいとは思いますけどね。

B でも高額賞金はもちろんネットでニュースになったし、負けたワッキーとホリエモンが坊主になったのも話題になった。坊主って放送後も彼らがその姿で出歩くので、いい番組の宣伝になってくれるしね。ほかの番組で急に坊主になってるのを知ったら、みんな理由が気になるでしょう。

A 麻雀で負けたら坊主、勝ったら大金獲得って企画も、シンプルで見やすいしね。サイバーエージェントは、そういう話題作りがうまいよね。

B 番組の内容をニュースにするネットの媒体「Abema TIMES」も、自社で運営しているね。番組のトピックを切り出して見出しにするのが、うまい。そのやり方を見るとやっぱりネット的だよね。

ネット配信で生きる芸能人

A 出演するタレントもちょっとテレビとは違うよね。西野はネットでも固定ファンを持っているし、藤田ニコルみたいにSNSで支持されているような人はやっぱり起用されやすい。

C ネットにかぎらず生放送だと、彼らみたいに番組を仕切れる人がいないと、ダラダラな番組になっちゃいますからね。そこもテレビとネットの中間ってところで、コアにも刺さるし、ただ、あくまでも番組だからある程度多くの人にも受けないといけない。

B YouTuberは若い人からネットで人気があるけど、どれも「やってみた系」の番組ばかり。ちゃんとしたバラエティ番組となったら、まったく現場をさばけないですからね。はじめしゃちょーが生配信番組のMCをやるなんてまったく想像できない(笑)。

A 生配信番組を仕切れる人って、もしかしたらテレビよりもハードルが高いかもしれない。視聴者との距離感が近いので、それをうまくコントロールできる人じゃないと番組が成立しない。コメントやらツイッターでバンバン実況されますし、ヘタすると煽られたりディスられたりする。田村淳とか渡辺直美は、ネットでも支持されていて、ユーザーからのディスりなんかにもうまく対応できるから重宝されている印象だね。

B でもネットの生配信番組だと、放送禁止用語や解禁前情報をポロリしちゃったりといった、コンプライアンス的な面で芸能事務所も出演を渋るから、キャスティングが難しいことも多いけどね。生配信なので、発言が切り取られてネットでニュースになっちゃうこともあるだろうし。

C 確かに生配信番組が話題になるにつれて、変な視聴者も出てくるでしょうし、生配信でロケだと撮影現場に現れて絡んできたりするので、演者に課されるリスクはより高くなりますよね。

B その点、例えば田村淳は、LINE LIVEの生配信中に酔っ払いとケンカしたけど、上手にいなしてたな。スタッフもギリギリまで止めなかったし、視聴者はヒヤヒヤさせられるものを見られた。

A これまでのネット番組と違って、タレントに求められるのは、マス向けな実力と、それに加えてネットユーザーへの対応能力。そこが難しいところ。「ニコ生」ならば、マニアックな層に語りかけるようなものが多かったから、必然的に客層も決まってきていた。

B そう考えると、ラジオで番組を持っている人なんかは、生放送にも慣れてるし、トークもできるからいいんだけど。

A さだまさしなんて意外と面白いかもしれない。生のしゃべりは本当に面白いですからね。

C 逆に言えば、若手タレントにとってはチャンスになるから、ありがたい場所ではありますよ。テレビは大御所たちが引退しないので、若手の出られる番組がないからね。ここで力をつけておけば、テレビがさらに衰退して行った時にスターになってるかもしれないですし。放送作家も、若手が参加してることが多いですしね。

A 今のところ視聴者数ではテレビとは比べものにならないけど、どういう形であれ今後は間違いなくネット番組が成長していくからね。現時点でAbemaTVのアプリが700万ダウンロードだから、アプリとしても優秀な数字だよ。LINE LIVEは数字を公開してないようだけど。

B そういう意味では将来テレビ局としては、テレビ朝日だけが生き残るかもしれない。ただ、日本テレビは「Hulu」と連携して、ビジネスを模索しているし、TBSとフジテレビがLINE LIVEと手を組もうとしてるって噂も、つとに聞かれる。各局ネット配信に食い込もうと動いているよ。

C ただ、LINE LIVEは、一般開放も始めたから、そっちに特化していくようならテレビ局が組む相手としては、AbemaTVのほうが将来性はありそうですよね。

A あと実は、ライブ中継が簡単にできちゃうのも魅力だよ。Wi-Fiを使えば、スマートフォンひとつでキレイな映像を飛ばせちゃうからね。両サイトとも、複数のWi-Fiをカバンに入れて、一番通信がしやすいラインをその都度、自動的に選んで放送を飛ばしているから、配信映像が滞ることがほとんど無いらしい。あれは大人数の技術スタッフとカメラを使用しているテレビ側から見ると、すごいシステムだと思ったね。視聴者の側にもWi-Fi環境がもっと広く開放されていけば、例えば2020年の東京五輪などスポーツ中継などでも活躍しそうだ。

B オリンピックの場合は権利の問題があるけど、確かに生配信番組はスポーツやニュース番組での可能性を、秘めてるよね。五輪ならば、今回のカヌーみたいなニッチだけど、メダルを狙えるような競技なんかが狙い目だったり。ただ視聴者的には、データ通信量が大きいのが課題だよ。

C Wi-Fiを使わずに見ていたら、あっという間に通信量制限がかかっちゃいますからね。自分のルーターを使っていたら、Wi-Fiでも使用制限は出てきますし。技術的なユーザビリティも高めていってほしいですね。

無料放送では結局かせげない

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DeNAが運営する「showroom」。ライブ動画配信サービスとしてLINE LIVE、AbemaTVと同じく注目を集めたが、現在は少し遅れを取っている雰囲気。

A あとはビジネス的にどう広がっていくかだね。現状だと、制作費は1時間番組で大体70~150万円くらい。テレビとは一桁金額が違う。でもタレントのギャラはテレビと比較しても3割減くらいだね。その分、僕ら制作者の予算が削られてるけど(笑)。

C 一方で、ネット番組は企画が通りやすいからいいですけどね。テレビはチャンネルも限られてるし、マス向けに作らないといけないから、かなりハードルが高い。

B ネット配信はいくらでもチャンネルが増やせることもあって、LINEやサイバーエージェントの担当者に面白いと思ってもらえさえすれば、どんどん企画は通るね。制作費が少なくても、それこそライブ感に特化した企画は派手なセットなんていらないし。

A AbemaTVは自分たちでスタジオやカメラマンを押さえているから、技術代も節約できる。

C ただチャンネルが増えすぎると、分散されて、どの番組を見たらいいかがわからなくなるっていうのもありますよね。

B 確かに30チャンネルもあるとね~。テレビみたいなわかりやすい番組表もないからね。視聴者が番組にたどり着きやすくするというのも、今後の課題じゃないかな。

A あとは、無料放送っていうのも両サービスの特徴。「NOTTV」とか「BeeTV」(現在はdTV)は月額制だったし、今だとテレビ番組と連動した番組を配信する「Hulu」だったり、オリジナルドラマを配信する「Netflix」、「Amazonプライム」もそう。AbemaTVとLINE LIVEは無料な分、手軽に視聴できるけど、今後、儲けるにはどうするかだね。

B 結局、さほどうまくはマネタイズできていないのが現状みたい。LINE LIVEは視聴者が「ギフトアイテム」っていうのを買って、配信者を応援できるようになったけど、大規模な収益にはつながってないらしいよ。

C そもそも番組自体は無料で見られちゃうから、視聴者側にお金を払うメリットがもう少しないと難しいでしょうね。

B AbemaTVも月額960円でアーカイブ映像が見られるけど、稼ぎにはなってないからね。生配信番組は基本、ライブで見ないと価値が薄いから。どちらも結局はCMを増やしていくことになるのかな。番組視聴中に枠外にバナー広告が現れるようなものが出てくるかもね。

A 実際AbemaTVは、一社提供のスポンサー番組も出てきてるよね。ネットの場合、電通や博報堂などの広告代理店を通さないでいいっていうのは、我々の業界も徐々にわかってきてるから実入りも大きくなってくる。サイバーエージェントなんかはネット広告の営業もうまいし、企業がネット番組に流れてくる可能性もある。

C お金がうまく回るようになって、タレントも裏方も、もっとネットに対応して面白い企画が増えていけば、今後さらに広がりを見せていくでしょうね。

(取材・文/黒崎さとし)

具体策なき勇み足でファンの心理を無視!? 音事協らが仕切る高額チケット転売意見広告の生ぬるさ

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岸谷香やさだまさしといったベテランのアーティストも賛同者として名を連ねているが、「転売が起きるほどの集客なのだろうか?」といった疑問の声も。ファンキー加藤やゲスの極み乙女。の賛同は炎上狙いか。

 去る8月23日、朝日新聞と読売新聞の朝刊に、昨今の音楽業界で問題視されてきた「ライブチケット高額転売」【1】についての意見広告が掲載された。同広告では、賛同団体である日本音楽制作者連盟(音制連)、日本音楽事業者協会(音事協)、コンサートプロモーターズ協会、コンピュータ・チケッティング協議会が舵取りし、「チケットを買い占め、高額で転売する個人や業者が存在するために、ファンにチケットが行き渡らなくなっている」ことや、「転売サイトなどで偽造チケットが売られる犯罪行為が行われている」ことに対する危惧を主張。こうした事態を改善すべく、ネット上のダフ屋行為を取り締まれない現行法規の改正を政府や自治体に訴えていくという。この取り組みには、サザンオールスターズをはじめ、Mr.Children、嵐、安室奈美恵などの人気アーティスト、「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」「フジロックフェスティバル」といった人気音楽フェスが賛同している。

 音楽業界のチケット転売に対するスタンスが大々的に表明されたことは、ネットでも注目を集めた。しかしユーザーからは、「チケットの高額転売には反対だが、具体的措置が書かれていない」という指摘、高額転売に常々反対していたロックバンド・マキシマム ザ ホルモンのマキシマムザ亮君は、「我々の事務所ミミカジルは(音制連をはじめとする賛同団体に)加盟していないので、名前が載らなかった」と、ツイッターで不信感を露わにした。そんな音楽業界内からは冷めた反応が相次いでいる。実際、レコード会社の邦楽部はもちろん、大型フェスに出演する機会の多い海外アーティストを担当するインターナショナル部門にも、打診がほとんどなかったという。

「ネットでこのニュースを知りましたが、会社では話題になっていません。ライブの収益は基本、事務所側に入るので、チケット転売に関しては、レコード会社はさほど関与していないという理由もありますが。また、賛同しているアーティストを見る限り、各レコード会社に連絡をしたのではなく、賛同団体がツテのある事務所を頼りに、ネームバリューのあるアーティストに確認を取ったのでしょう。ジャニーズ事務所をはじめ、アミューズ(サザンオールスターズ、福山雅治、Perfumeほか)、などに偏っているのもうなずけます」(レコード会社勤務A氏)

「私たちの会社にも連絡は来ていません。チケット転売の改善策が出ていない以上、ただ単に問題意識は持っているというアピールだったのではないでしょうか」(レコード会社勤務B氏)

 一方で事務所関係者の話。

「我が社には、フェスに出演するバンドが複数在籍していますが、ミミカジルさん同様、連絡はありませんでした。これまでファンのみなさんからは『チケットを買えなかったので、たとえ高額でも転売サイトやオークションでゲットして絶対に行きます』などという声をいただき、本当にありがたいことなのですが、定価の何倍もする価格で売買されているのは、心が痛みます。そうしたところに警鐘を鳴らしたい反対声明と考えていますが、各プレイガイドなどが行っているリセール(チケット再販売)といった具体策を出してから発表したほうがよかったかもしれませんね」

 また、転売反対派ながら、今回の動きに歯がゆい思いをした人も。あるフェスにかかわるイベント制作者の話。

「私がかかわっているフェスは毎年黒字ではありませんが、それでも海外の大物アーティストを招聘することもあって、チケットが高額転売されることがあります。来ていただくお客様には定価のチケットで楽しんでいただきたく、高額転売反対には賛同したかったのですが、なんの打診もなく……。せめてすべての大型フェスに打診があってもよかったかと思います。さまざまなフェスが転売反対に賛同していますが、音楽ファンからしたら、『チケットが高額転売されるどころか、売り切れになるのか?』というような微妙なフェスが多く名を連ねていたのも気がかりでしたし」

MEMO『チケット転売』
アーティストのライブや舞台の観劇の際に必要となる、チケットの高額転売が近年、問題視されている。が、どうしても定価で買えないことだってある。

 加えて、賛同者として名を連ねたアーティストたちの中に、EXILEらLDH所属グループ、AKB関連グループ、スターダストプロモーションのももいろクローバーZといった、アリーナ・スタジアム級のライブ動員数を誇るグループが記載されていなかったことについて、「不自然だ」との指摘も。その理由について、前出のレコード会社勤務A氏は「彼らは早い段階から本人認証システムで転売チケットでは入場できない対策を行っていた。しかし、ジャニーズも転売チケットでは入場できない厳重な体制を敷いていたはずですが」と話す。

 ただ、実際にチケットを購入する側であるファンの中には「たとえ高額でもゲットしたい」と考える人も一定数おり、業界側との温度差が感じられる。

「転売反対のサイトには、『高額チケット転売購入のせいで、ライブ会場でグッズ購買の機会を奪われる』と書いてあったんですが、ファンは借金をしてでもチケットやグッズを買います。ファンからしてみれば、高額転売問題よりも、手数料問題【2】をなんとかしてほしい」(EXILEファン)

 今回の意見広告について、転売サイトである「チケットストリート」の代表・西山圭氏は自身のブログで反対声明を発表。「チケットの転売、二次流通にアーティストやプロモーターが反対するのは理解できます」としつつも、「ただ一方で“高額転売”と主催者側が一方的に決めるのには違和感を覚えます。高額かどうかを判断するのはライブを見るファンであって、アーティストでも主催者でもない」と訴えている。前出のB氏が明かす。

「チケットキャンプやチケット流通センターのような転売サイトは、事務所やレコード会社と揉めることがあります。きっかけは、ファンクラブ会員からの『ファンクラブ限定のチケットが転売されている。こんなんじゃファンクラブの意味がない』などの苦情。そういったトラブルもあって、転売サイトが協賛するイベント(近年では「MTV VMAJ」など)には、所属アーティストの出演を拒否するいった抗議手段を取ることもあったそうです」

 結局のところ、一部のダフ屋のような買い占め業者や、ファンを装ってファンクラブに入会し、ファンクラブ限定のチケットを高額転売するような連中は叩かれて然るべきではあるが、需要と供給がある以上、転売全体を批判するのは見当違いではないだろうか。ゆえに、ただでさえCDが売れず、ライブ事業をメインに利益を出していかねばならぬ昨今、時間をかけて改善策を練り、業界全体で取り組むべき運動であったはずだ。今回ばかりは、さまざまな事情で名前の掲載に至らなかったアーティストやフェスのほうが、ある意味、賢い選択だったのかもしれない。

(編集部)

【1】ライブチケット高額転売
「コンサートのチケットを買い占めて不当に価格を釣り上げて転売する個人や業者が横行している現状に、私たちは強い危機感を持っています」という声明で公開された高額転売反対運動。本文でも触れているが、主な反対理由としては「高値で転売されたことでグッズ購入の機会を奪われる」「何度もコンサートを楽しむことができない」などを挙げているが、偽造チケットならまだしも、必死の思いで入手したチケットが「本人確認ができなかったため、転売チケットでは入場できません」と言われ、やり場のない怒りに対しての措置を考えてほしいとは、もっぱらファンの声。

【2】手数料問題
チケット先行販売に応募して当選すると、〈先行手数料〉をはじめ、引き取り時の〈システム使用料〉、チケット発券時の〈発券手数料〉、支払い時の〈決済手数料〉、公演によっては〈特別販売利用料〉など、給与明細で差っ引かれる保険料ばりに、数多くの手数料がチケット料金に上乗せされている。高額転売よりも、ライブや舞台を楽しみにしているファンは、「問題視すべきはこっちだろ!」と声を荒げている。

【小田嶋隆】目黒区――自由が丘のマンションに暮らした2人の女と1人の男

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。

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(絵/ジダオ)

 駅に向かう長い下り坂を歩きながら、佐知子は、ふと、自由が丘に住み始めて、今日が一年目の記念日にあたることに気づく。といって、特別な感慨は無い。この街にも、そろそろ飽き始めている。あるいは、東京での生活そのものに飽きてきているのかもしれない。

 ただ、駅から続く坂道の景色は好きだ。登り坂でも下り坂でも、坂を歩きながら見る街の風景は、いつでも佐知子の気持ちを慰めてくれる。

 駅からの道を登る時は、見上げる坂道の先に空が広がっている。下り坂を歩く時には、視界の底に家々の屋根が連なる。そうした、ちょっとした視点の置きどころの変化が、彼女には重要だった。

 が、半年ほど前、当時付き合っていた康夫という男にこの話をした時、彼は風景が佐知子にとって重要であることを理解しなかった。

「空だとか屋根だとかの何が面白いわけ?」

 話はそれで終わった。ほかの男女のことは知らないが、彼女にとっては、会話が弾まなくなることが、別れのサインだった。たとえばの話、食事やセックスを分かち合うことができているのだとしても、話の接ぎ穂が見つからない男と同じ時間を過ごさねばならない理由が彼女にはわからない。書店に行けば、話題の見つけ方や、雑談の進め方を指南する本が並んでいる。が、そもそも、あらかじめ話題を準備してかからないと会話が運営できないような相手と、どうしてわざわざ共に歩む必要があるのだろうか。私はごめんだ。話が噛み合わなかったり、相槌のタイミングがズレているような男と付き合うくらいなら、一人で坂道を歩いている方がずっと良い。

「でもね、サッチー」

 と、いつだったか直美が言っていたことがある。

「本当に相性の良い相手っていうのは、二人して黙って向かい合っていても大丈夫な人のことだよ」

「うっそだ。そんな男いないよ」

「それは、あんたが子供だからだよ」

「じゃあ直美にはそういう人がいるわけ?」

「ひみつだよ」

「なにそれ(笑)」

 その直美ともかれこれ3ヶ月会っていない。

 上京してはじめて住んだ東陽町は、便利な街だった。家賃も比較的安かったし、地下鉄の沿線にある学校に通うのにも好都合だった。ただ、東京の東半分の町は、地形が平板で、その、変化無く続く平地の単調さが、中部地方の小さな街で生まれ育った佐知子には、どうしてもなじめなかった。

 実際、住み始めて半年もたつと、彼女は、東西線沿線の起伏を欠いた町並みに息苦しさを感じるようになった。まっすぐに続く街路から見る左右の家並みが、どこまで歩いても驚くほど似ている下町の風景は、雑木林をめぐる丘のふもとで少女時代を過ごした佐知子の目には、あまりにも茫漠とした場所に見えた。暑い夏の午後に駅からの帰り道を歩いていると、まるで自分が砂漠の太陽の下を歩く一匹の甲虫になったような気持ちに襲われた。

 大学では、友だちができなかった。

 入学直後の二週間を風疹で休んでいる間に、50人ほどの語学のクラスのメンバーは、既にいくつかの小派閥に分断されており、彼女が初登校した時には、固定化したグループの中に、入り込む余地は残っていなかった。しかも、三々五々、連れ立って昼食を食べに行く学生の中に、新顔の彼女に話しかけてくる親切なクラスメートは一人もいなかった。

 以来、佐知子は、キャンパスでは単独行動者だ。

 最初の一月ほどの間に「付き合いにくい人」「引っ込み思案」「無口」といった調子のレッテルを貼られてしまうと、そのキャラクター設定を独力で覆すことはは、ほぼ不可能になる。誰であれ、ひとたび配役が決まったら、4年間は割り当てられた役柄を演じ続けなければならない。それが、キャンパスの掟だった。

 そして、その、誰が決めたのかも知らない役回りを、4年間にわたってきれいに演じ切る忍耐力こそが、学生が大学で身に付けることになるほとんど唯一の実質的な能力だった。実際、21世紀のマンモス私大が、新卒一括採用の就職戦線に参加している企業に保障している学生の「実力」の正体は、いちはやく場の空気を読んで、自分の果たすべき役割を見つけ出す、働きアリに似た適応力そのものを意味している。

 最初の夏休みが来るまでと思って、なんとか孤独なキャンパスライフを耐え抜いた佐知子は、9月の新学期から東京での新生活の方針を変更した。大学は、卒業証書のためにだけ顔を出す場所と割り切って、アルバイトを一ヶ月のスケジュールの中心に据えることにしたのだ。

 それから、池袋にある大衆割烹の仲居を皮切りに、新宿のデパートの地下で営業するパン屋の店員、ガソリンスタンド、アンケート回収員、家庭教師、造園会社の事務員、編集プロダクションのアシスタント、結婚式場の案内係など、手当たり次第に求人票の番号に電話をかけては、短期のアルバイトを渡り歩いた。

 半年前からは、四谷のピアノバーでピアニストを兼ねた微妙な立場のホステスとして、週4日のシフトで勤務している。

 アルバイトをはじめると、すぐに恋人ができた。

「恋人とか言うなよ。男だろ男」

 と直美が言う通り、男には不自由しなかったと言った方が正確かもしれない。あるいは、東京で一人住まいをする女子大生にとって、男を寄せ付けずにいることの方がむしろ困難だったといったあたりが、最も実態に近いのだろう。

 もっとも、アルバイト先で知り合う男たちが佐知子のような夜の時間帯に働く女子大生に接近をはかる目的は、ほぼセックスに限られている。それがあらかじめわかっているだけに、交際が長続きすることは稀で、そういう出会いと別れの繰り返しに、彼女自身、少々うんざりしはじめていた。

 そんな時期に知り合ったのが直美だ。彼女とは、結婚式場に勤務していた時代に親しくなった。

 直美は、福島県から上京して同じ新宿区の大学の別の学部に通っている同い年の学生で、佐知子と同じように、大学で人間関係を構築できずにいる組の2年生だった。

 佐知子は、直美の舌鋒の鋭さを気に入っていた。いつも何かに腹を立てているところが厄介ではあったものの、彼女には、その狷介な性質を補ってあまりあるサービス精神があった。

 佐知子が東陽町のアパートを引き払って自由が丘に住むことになったのは、アルバイト先で意気投合した直美と同居することに決めて、これまでの二倍の家賃で住処を探すゲームに、二人して夢中になったことの結果だった。で、坂を登り切ったところにある目黒区八雲のマンションに引っ越したのがちょうど1年前のこの日ということになる。不動産屋風の言い方をすれば、自由が丘から徒歩15分の2DK、築20年のマンションで家賃は管理費を合わせて16万円ほどだった。

 いま、部屋に直美はいない。3ヶ月前に、荷物をまとめることさえせず、忽然と消えて、それっきりになっている。

 ピアノの仕事を増やしたおかげで、倍額の家賃はなんとか支払うことができている。が、佐知子は東京でたったひとりの友だちをなくした。その痛手は、康夫を失った喪失感よりもずっと大きい。失ってみてはじめて分かったことだが、直美は、佐知子にとって、生まれてはじめて出会った、心から気持ちの通じ合う人間だった。

 康夫は、当初、直美の弟という触れ込みで二人の住むマンションに現れた。それが、週のうちの半分をキッチンに寝袋を持ち込んで暮らす居候のような存在になり、そうこうするうちに、やがて、佐知子の恋人みたいなものになっていた。

 その奇妙な共同生活が終局を迎えたのは、3ヶ月前に、福島から出てきた直美の母親が突然マンションの玄関口に現れた時のことだった。

 康夫が直美の弟だという話は、まるっきりのウソではなかったものの、事実でもなかった。

 直美から見て、康夫は戸籍上は異母弟ということになる。が、ありていに言えば、彼は、直美が中学生の時に離婚した彼女の父親の再婚相手の連れ子で、直接の血縁関係は無い。そして、直美と康夫の間には、お互いが高校生だった時代から秘められた関係があり、その関係への懸念が、彼女の母親が直美を東京の大学に進学させた主たる理由だった。

 そして、すべてが露見したのが、ちょうど3ヶ月前の、ゴールデンウィークの一日だったわけだ。

 以来、二人とは会っていない。

 どこに消えたのかもわからない。

 佐知子は、この自由が丘のマンションを、就活が一段落する10月までに引き払うつもりでいる。

 それまでの間に、どちらか一方が戻って来たら、自分はどうするのだろう。

 駅からマンションに続く長い坂道を登りながら、佐知子は、いつも、二人が二度と戻って来ることのできない場所に行ってしまったのではないかという想像に苦しめられる。

 坂道は、誰かが歌っていたように、滑走路を思い起こさせる。あの二人が心中するかもしれないというその考えは、佐知子の恐れを反映しているようでもあり、ひそかな願望の現れのようでもある。いずれにせよ、その想像は、坂道の彼方に広がる青空を見上げる度に、彼女の脳裏を埋め尽くすのだった。

 直美からの手紙が転送されてきたのは、八雲のマンションを引き払ってから一年後のことだ。消印は、福島の海辺の町だ。

 佐知子は、まだピアノ弾きの仕事をしている。

 就活は途中で投げ出した形だ。

 黒いスーツを着て、お定まりの問答を繰り返す儀式に疲れたということもあるが、それ以上に、自分が今従事しているピアノ弾きのアルバイトと比べて、半分の稼ぎにしかならない勤め口のために、大真面目な顔で就職活動を続けることが、心底バカバカしくなったからだ。

 結局、キャンパスで友だちを作ることができなかった人間は、就活にも耐えることができない。そういうことになっている。なぜなら、キャンパスが学生に与える試練の本当の意味は、群れの一員として振る舞えるのかどうかを試す不断のふるい分けなのであって、その能力を持っていない学生は、就職した先の企業でも、どうせ群れに同調できないイワシと同じで、いずれは、はぐれることに決まっているからだ。結局、あの茫漠としてキャンパスの中で仲間を見つけることのできなかった学生は、この国の企業社会では、どうあっても有効な駒として機能することができないのだ。

 10年ちょっと前に流行った歌の中に、人は誰もが世界でたったひとつの花なのだから、競い合ったり、ほかの花と同じであろうとつとめる必要は無いのだという意味の言葉があって、小学生だった頃の佐知子は、その歌をたいそう好んでいた。

 いまとなっては、自分が一輪の花だと信じていた少女時代の自分を、うとましく感じる。というよりも、花が未来に希望を持てるのは、つぼみである期間に限られるということなのかもしれない。

 大学に入ってから知ることになった英国のある古い労働者階級のロックスターは、

「つまるところ、オレらは、壁の中のレンガのひとつに過ぎない」

 という意味の歌を歌っている。

 いまの気分には、こっちの方がフィットする。

 佐知子も直美も、壁の中の部材のひとつとしてうまくはまりこむことのできないレンガだった。

 とはいえ、はぐれたレンガ同士だからといって、必ずうまく組み合えるというものでもない。

 孤独な人間同士が、互いの孤独を癒やすことは、多くの場合、副作用を伴っている。

 ただ、孤独な人間がいまよりも増えれば、この社会はもう少し住みやすい場所になるかもしれない。壁にはまっているレンガの数と、地面に散らばっているレンガの数が同じぐらいになれば、レンガの定義だって多少は変わってくるはずで、そうすれば、私たちにだってもう少し展望が開ける、と、佐知子は考えている。無論、必ずそうなる保障は無いが。

 新しく引っ越した先は、職場のすぐ近くのワンルームだ。

 直美と康夫は、二人とも思春期に両親の離婚と再婚を経験した子供たちだった。その共通の体験ないしは傷跡が、二人を結びつけているのだろう。

 あるいは、彼らは、自分たちを結びつけている悪運から逃れるべく、佐知子との共同生活を選んだのかもしれない。

 佐知子は佐知子で、父親を早くに失っている。

 そういう欠損家庭で育った人間だから、キャンパスの人間関係に適応できなかったのだと、ここでそういう断定するつもりはない。

 その種の断言は、昨今では、ポリティカル・コレクトネス(PC・政治的正しさ)に反するということで、多少とも人目に触れる文書からは削除されることになっている。

 同じ意味のことを、ポリティカル・コレクトネスを踏み外すこと無く言い換えることもできる。

 たとえば、 「日本の社会には、欠損家庭の出身者をやんわりと排除する空気が流れている」  と言えば、ずいぶん印象が違う。  主語を「子供たち」から「日本の社会」に変えただけのことなのだが、この言い方だと、ずっと社会派っぽく響く。

 どう言ったにせよ、佐知子が壁の中のレンガにはなれない事実は変わらない。

 直美の手紙には、康夫とのことを隠していた旨を詫びる言葉の後に、大学を休学して故郷に帰っていることや、荷物は勝手に処分してくれて良いなどといったことが、とりとめもなく書かれていた。

 後半は、こう結ばれている。

《サッチーのことはいまでも大好きだよ。

でもこっちの住所は書かない。

しばらくの間は、消印からわかる以上のことは知らない方が良いと思うから。

色々と整理がついて、色々なことの形が整ったらまた必ず連絡するから。

だから、安心しな。

心中なんかしないから。

どうせそういう心配をしてたんだろ?

あたしたちが坂道から滑空して消えるとか。

サッチーはいつもそんなふうに、空が落っこちてくるみたいなことばっかり心配してるコだった。

笑えるよ。

大丈夫。あたしたちは海のすぐそばにいるよ》

 写真が一枚同封されていた。

 福島の海を背景に直美と康夫が並んで笑っている。

 そして、手紙を受け取ってから半年後の3月に、あの大きな地震がやってきた。

 彼らの住む町は、津波に洗われたはずだ。

 そう考えざるを得ない。

 佐知子は、いまだに震災犠牲者の名簿を見に行く気持ちになれない。

 自分は、これからとても長い間、手紙を待ち続けることになるのだろうと思っている。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

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