「12プレミア」の記事一覧(6 / 16ページ)

『HiGH&LOW』は対ジャニーズ連合軍か!? テニミュ、ジュノンボーイ、メンノンetc…イケメンカルチャーの集大成がここにある

<『HiGH&LOW』総力特集>
興行収入だけでは測れない!映画『HiGH&LOW』ムーブメントに迫る
【映画ライター座談会/前編】『HiGH&LOW』は〈国産の海外映画〉である。
【映画ライター座談会/後編】HiGH&LOW』でHIROが望むのは「親殺し」? 今後の展開を予想する!。

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なんたって全員主役です。「HiGH & LOW SEASON 1 完全版 BOX」

 『HiGH&LOW THE MOVIE』の中で一番印象に残るシーンといえば、世紀の大決戦シーンである。SWORDと呼ばれる5つの不良チームの前に、今作のヒールであり絶対無敵の琥珀(AKIRA)、さらに湾岸地区から来た新勢力MIGHTY WARRIORS、悪徳スカウト集団DOUBTら500人が立ちはだかる。ドラマシリーズでは敵対することもあった5つのチームが、今作では自分たちの街(陣地)を守るべく連合軍を結成。100人対500人の不利な闘いの中で、チームの枠を超えて共闘する姿、さらには無勢が多勢に挑むさまがこの映画のカタルシスの一つにもなっている。

 横並び一列に並んだSWORD連合軍の面々を見ると、LDH陣営はもちろんのこと、研音、スターダスト、ナベプロ、ホリプロ……と錚々たる芸能事務所から送り出された若手俳優たちがずらり。しかし、これだけのイケメンたちが並ぶ中、かの組織のイケメンだけがいない。そう、ジャニーズ事務所である。

 そこで、ふと思いつく。もしかしてSWORD連合軍、ひいてはこの映画そのものを「対ジャニーズ連合軍」として見ることもできるのではないか?と。半世紀ものあいだイケメン市場で栄華を極めてきた巨大組織ジャニーズ事務所に挑むため、LDHを旗頭に集まった各事務所のイケメンたちが連合軍を組み、今世紀最大のイケメン大決戦へ――。

 などというのは、少々大げさな煽りかもしれないが、非ジャニーズの俳優たちが大集合した映画であることは間違いない。

 本作は、言わずもがなLDHが自分の事務所を盛り上げるために作った映画である。しかし、そこに協力してくれる俳優たちへのリスペクトがあり、見ていて太っ腹だと感じるところがある。大半のLDHの面々はストーリーを動かす配役であるため、キャラ立ちは控えめになっているが、他事務所から起用した俳優たちに当てられた役はどれもキャラが濃く、衣装も派手で目を引きやすい。その甲斐もあって、登場シーンは短くても、観る者の印象に残るようになっている。実は、ネットで非公式に行われた各チームの人気投票で一位を獲得したのは、TAKAHIRO(EXILE)&登坂広臣(三代目J Soul Brothers)が演じた雨宮兄弟でも、岩田剛典(三代目J Soul Brothers)がリーダーを務める山王連合会でもなく、ダントツで窪田正孝率いるRUDE BOYSだったとも聞く。

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連合軍じゃね!? SWORDの連合軍じゃね!?

 本稿では、そんなLDH外の人気キャラクターを、芸能界のどのような事務所に所属し、どんなバックボーンを持つ俳優たちが演じているのかを見ていきたい。その構成を追っていくと、なぜ筆者が「対ジャニーズ連合軍」と思いついてしまったのか、わかってもらえるのではないだろうか。

 最も人気があると言われるRUDE BOYSは、前述の通りリーダーのスモーキーを窪田正孝(1988年8月6日生まれ)が演じる。スターダストプロモ―ションに所属する窪田は、ジャニーズの藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)、同じ事務所の山崎賢人、そして大先輩の唐沢寿明まで、どんな人と組んでも、相手を生かしつつ、自分もどんどん輝いていく稀有な俳優である。線は細いが、アクションものは『ガチバン』シリーズ(2010〜14年)や『ヒーローマニア-生活-』(16年)でも経験していて評価も高い。仕事を選ばず、どんな作品でも安定感のある演技をする姿勢に注目が高まっているが、この『HiGH&LOW THE MOVIE』でもそんな経験を活かし、少ない登場シーン、少ないセリフの中で、最も深い印象に残る演技を見せているのではないだろうか。スモーキーの登場シーンは、監督の思い入れがあるのではないかと思われるくらい、スローモーションで美しい映像になっている。

 RUDE BOYS、もう一人の他事務所俳優は、シオンを演じる永瀬匡(1993年1月22日生まれ)である。映画版ではあまり説明がない登場の仕方だったが、前日譚であるドラマシリーズでは物語の重要な役回りを担っていた。彼は福士蒼汰を擁する研音所属で、同事務所内で結成されたMEN ON STYLEのメンバーだ。もともとはジャニーズJr.に属していたが、2010年に退所し、現事務所に。『桜蘭高校ホスト部』(11年)で俳優デビューし、『仮面ライダーウィザード』(13年)や『八重の桜』(同)などに出演。昨今では珍しい濃い眉毛に男くさい顔立ちで、映画『天空の蜂』(15年)では、危険をものともせず、地上800mの空中でヘリに乗り込み子どもを救出する若き自衛隊員がハマり役だった。

 赤い法被のお祭り集団・達磨一家の頭目・日向紀久を演じる林遣都(1990年12月6日生まれ)も、窪田と同じくスターダストプロモ―ション所属。高校時代に映画『バッテリー』(07年)で主演デビュー。その後も『DIVE!』(08年)や『ラブファイト』(同)など、青春映画で主演を重ねる。デビュー数年は幼く青いイメージもあったが、最近ではピース・又吉直樹原作のNetflixドラマ『火花』(16年)で主人公を演じ、新たな顔を見せ始めたところで、この『HiGH&LOW THE MOVIE』でアクの強いキャラクターを再び演じたことは、非常に良い流れに思える。

 鬼邪高校の番長で、ヤンチャな少年特有の愛らしさを持つ村山良樹を演じる山田裕貴(1990年9月18日生まれ)は、ワタナベエンターテインメントのD-BOYSのメンバーである。俳優デビューは『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)。その後は『GTO』(12年)や『イタズラなKiss~Love in TOYO』(13年)などの学園ものに出演。2016年は、前田司郎が脚本・演出を手掛けた舞台『宮本武蔵(完全版)』での、自然な肩の力の抜けた演技で高い評価を得ている。今まさに伸び盛りの俳優と言っていだろう。

 鬼邪高校の生徒で村山をライバル視する、メガネで一見真面目風なキャラクターが印象に残る轟洋介を演じる前田公輝(1991年4月3日生まれ)は、ホリプロ所属。映画『ひぐらしのなく頃に』(08年)では主演を果たし、『ごくせん』(同)、『花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011』(11年)などの学園ものも経験。若手イケメン俳優が集合する歴史バラエティとして、一部で人気を博した『戦国鍋TV』(12年)にも出演していた。近年は『デスノート』(15年)、『コウノドリ』(同)、『ゆとりですがなにか』(16年)など話題作への出演も続く。そうした作品ではゲストに終わることも多い印象だったが、本作ではひとりクールな風貌で目を引いた。

 鬼邪高校・古谷秀人役の鈴木貴之(1990年2月21日生まれ)は、モデル事務所のアイビージージャパン所属。ミス・ユニバース・ジャパンの男性版ミスター・ジャパンの初代に選ばれてデビューしたという経歴を持つ。モデル事務所だけに、俳優としての出演作は多くはないが、『私のホストちゃんS~新人ホストオーナー奇跡の密着6カ月~』(14年)や『ごめんね青春!』(同)、『ダメな私に恋してください』(16年)に出演。永瀬と同じく、近年には珍しい屈強な男臭さが、本作で生かされたように見えた。

 傷ついた女性たちを守るWHITE RASCALSのKOOを演じる遠藤雄弥(1987年3月20日生まれ)は、山田と同じくワタナベエンターテインメント所属。D-BOYSの創設メンバーとして活躍し(12年卒業)、『ミュージカルテニスの王子様』では主人公の越前リョーマを初代から二代目にわたって演じていた。映画『クローズEXPLODE』(14年)ではスキンヘッドでヤンキーを熱演し、それまでのイメージを払拭。本作でも存在感を放っている。

 WHITE RASCALSのKAITOを演じる柳俊太郎(1991年5月16日生まれ)は、浅野忠信、加瀬亮、新井浩文など、第一線で活躍し、独特の雰囲気を放つ俳優たちを抱えるANOREの所属。「MEN’S NON-NO」モデルグランプリを受賞したことから、この世界に入った。役者としては、映画『劇場版 仮面ティーチャー』(14年)や『クローズEXPLODE』などの学園ものへの出演が多い。国際映画祭で活躍する名だたる監督との仕事も多い先輩たちの活躍にはまだまだ追いつかないが、2016年には清水崇監督(『呪怨』)の『雨女』で重要な役を演じている。これからの活躍が期待される俳優である。

 KAITOの公私に渡るパートナーで、同じくWHITE RASCALSのKIZZYを演じた稲葉友(1993年1月12日生まれ)はレプロエンタテインメント所属。デビューのきっかけはジュノン・スーパーボーイ・コンテスト、その後は『仮面ライダードライブ』(14年)に出演と、イケメンのエリートコースを歩んできた。今年は『MARS~ただ、君を愛してる~』に出演したほか、BSスカパー!の『ひぐらしのなく頃に』では連続ドラマ初主演を果たした。

 加えて、K-POPの世界からは、BIGBANGでおしゃべり担当のV.Iが海外マフィア・チャンソンの御曹司の李を演じ、さらにビジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーのメンバー全員もWHITE RASCALSとして出演。全方位型イケメン対応ともいうべき、どこから襲撃されても防衛できる完璧な布陣である。

 ここまで見てくるとわかるように、複数の芸能事務所から俳優を起用しているだけでなく、それぞれに『仮面ライダー』、戦隊もの、テニミュ、ジュノンボーイ、ミスター・ジャパン、「MEN’S NON-NO」モデルなど、さまざまなイケメンの登竜門からデビューした人物が多い。まさに、対ジャニーズの連合軍と呼ぶにふさわしい顔ぶれだ。また、彼らのほとんどが、10代の頃に学園もので活躍したのち、20代に入って自分がどこに向かうべきか模索している途中でもあった。そんなときに出会った『HiGH&LOW THE MOVIE』という作品は、彼らに新たな活動のきっかけを与えているのではないだろうか。

(文/韮澤優)

『24時間テレビ』の羽生結弦のスケートを、あえて「感情」抜きで観てみると…

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる”アイドル”を考察する。超刺激的カルチャー論。

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羽生結弦「蒼い炎II-飛翔編-」(扶桑社)

 リオオリンピックが終わりました。以前この連載で書いたことがあるような気がしますが、私は採点競技が好きでして、夏のオリンピックでダントツに好きなのが体操です。今回のオリンピックでは観戦に熱が入りすぎ、そのあとしばらくグッタリしてしまったほど。特に男子の個人総合は、オリンピックに限定すれば、1996年アトランタの、李小双(中国)とアレクセイ・ネモフ(ロシア)の一騎打ちを超えるほどの戦いでした。いやあ、観てるだけであんなにグッタリするのですから、選手たちのメンタルったらバケモノです。内村航平の、「どんなときでも、両ひざがピッタリ閉じていて、かつ、つま先がそろっている」凄みと言ったら!

で、そのグッタリのあと、かなりひどい夏風邪をひいてしまいまして。癌の治療中でもあるので、しばらくお休みの時間をいただいておりました。静養をメインにここ1カ月弱を過ごしていたものですから、その間に観たものは限られてしまうのですが(おかげで録画の容量はギリギリ…)、「これは生で観ないと」と思っていたものが、ひとつ。それは日本テレビの『24時間テレビ』内での、熊本の被災地に向けてのメッセージを込めた羽生結弦のスケートでした。

 東日本大震災から現在にいたるまで、羽生結弦が寄付も含め本当に多くの献身的な活動をしていることは、私などよりも皆さんのほうがご存じでしょうから詳述は控えますが、それでもひとつだけ。こうした活動を震災の当事者が続けるということは、その記憶と向き合い続けること、その記憶から逃げないと決意していることを意味します。その一点だけでも、全面的な尊敬に値すると私は思っています。と言うかむしろ、「そこまで背負わなくてもいいの」「被災した人は、自分のことだけ考えるくらいでいいのよ」という気持ちのほうが強いくらいでして…。

 そう思いつつ、私はあえて、今回のエッセイでは「羽生のスケートそのものの凄み」を書いてみたいな、と。

と言うのも、「羽生が、この滑りにどんな思いを込めたか」ということに関しては、私以上に羽生結弦のことを愛している人たちが、それぞれのやり方や言葉で受け取って、ご自分の胸に刻んでいることでしょうから。そういった方々の思いは、それぞれにオリジナルで、それぞれに大切なもの。そこに口を差しはさむようなマネは野暮というものです。なので、この連載において初めて羽生結弦のことを書いた時と同じように、テクニック的なことを中心に箇条書き形式でつづってみたいと思います。

●スタートのひと蹴り(要するに、ほとんど助走なし)で、すぐにイナバウアーに入れる。そのイナバウアーが、どこにも力が入っていないように見えるのに、途中からスピードがグンと上がる。どんだけ正確にエッジに乗っているのか、ちょっと想像がつかない。
●ドーナツスピンでエッジをつかんでいないほうの手が、きちんと音をとらえている。
●ドーナツスピンをほどいてすぐに、反時計回り~時計回りのターンを入れる。
●トリプルアクセルを、レイバックイナバウアーから続くステップを入れてから跳ぶ。これまでのどの競技会でも見せたことのないエントランスではないか、と。ジャンプ前のコネクティングステップのバリエーションの豊かさに改めて驚く。
●羽生にとってナチュラルな回転方向ではない、時計回りのターンであっても、目を見張るほど精緻。そこからすぐにインサイドのイーグルへとつなげる滑らかさにため息が漏れる。
●シットスピンの態勢でツイズル。そこからパンケーキポジションに移行する際、足元だけを見ていると、どこから上体の態勢が変わっていったのかわからないほど、トレースが一定。

 …しみじみと、いいものを見せていただきました。で、私なりの「チケット代」として、熊本への寄付をしてみたり。「病気じゃなかったらねえ、医療費のこととか考えずに大盤振る舞いできるんだけど」とも思いましたが、ま、そこは人それぞれということで(最近ますます私は自分に甘いのです)。もちろん、これは「みんながみんな寄付すべき」と言っているわけではありませんので、誤解なさらないでいただきたいのですが。

 そう言えば、あと2カ月もしないうちに本格的なフィギュアスケートのシーズン到来です。今年はオリンピックもあったので、私にとっては「空白期間」がとても短く感じられました。すべての選手の演技が、今から待ち遠しくてなりません。まずは私も、「すさまじい演技、熱い試合」を見てもグッタリしない程度には体力を回復させて、もう少し密に原稿書けるようになりませんとね。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。8月から月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載スタート。

【磯部涼/川崎】川崎の不良が歌うストリートの世界

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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今年4月の出所後、川崎市元住吉のダイニングバー〈Powers2〉で、久しぶりのライヴを披露したラッパーのA-THUG。
隣にいるのはDJ TY-KOH。

 彼が登場したのは、午前0時を少し過ぎた頃だった。その日のパーティが行われていたのは、川崎市の閑静な住宅街にあるバーで、そこにまだ夜が浅いうちから続々と、首までタトゥーが入った男たちや、着飾った女たちが集まってくる。客人がドアを開けると、出迎えるのは、DJがかけるラップ・ミュージックと、壁に吊るされたスウェット・シャツの“Welcome to SOUTHSIDE KAWASAKI”というフレーズ。店内はあっという間にいっぱいになり、テキーラ・グラスが次々と掲げられ、やがて、シャンパンのボトルが回り始める。そして、その熱気に押されるように、主役はステージに上がった。「King of KAWASAKI, A-THUG is baaaaack!」。DJに煽られ、彼が叫ぶ。「シャバに出てきたぜ!」。マイクの音をかき消すほどの歓声が上がる。ビートが鳴り始める。

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DJが流すラップ・ミュージックに合わせて、会場のフロアで踊る女性たち。

 SOUTHSIDE KAWASAKI
 伊勢町 川中島 藤崎が始まり
 SCARS in da building から building
 hustle 止まらない cycle
 街中 ダッシュで走る
 生き急ぐ ハイペースがマイペース
        ――SCARS「My block」より

 フロアでは合唱が起こっていた。同曲は、その場にいる人々にとっては間違いなくアンセムだった。そこでは彼らの住む街が描かれ、そこからは彼らの持つリアリティが浮かび上がってくる。6月10日深夜、元住吉のバー〈Powers2〉で開催されていたパーティ「NUESTRO TERRITORIO」の盛り上がりは最高潮に達そうとしていた。川崎を代表するラッパー、A-THUGが刑期を終え、ホームタウンに戻ってきたのだ。

A-THUGにインスパイアされた地元のラッパーやDJたち

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A-THUGの出所を祝いに来た人々。YOUNG HASTLE、DJ SPACE KID(右下)、
K-YO(左上)、LIL MAN(中央)といったラッパーやDJの姿も。

 ある日の午前中、川崎駅に程近い国道15号線をマウンテン・バイクで走っていた、堀之内のスケートボード・ショップ〈ゴールドフィッシュ〉の店長・大富寛は、反対車線の歩道を歩いている男の存在に気づき、ハッとした。それは、投獄されていると聞いていた、彼の幼馴染みだった。「あっちゃん、帰ってきたんだ!」。しかし、大富の記憶の中の、一緒にスケボーをやっていた笑顔が可愛い少年は、すでに地元の若い不良の間ではカリスマとなっていた。不在時も、取材をしているとさまざまな場所でその“A-THUG”という名前を耳にしたものだ。

 例えば、川崎区浜町出身のラッパー、LIL MANは獄中のA-THUGと手紙のやり取りをしていたという。「『お前はこっちサイドに来るな。ちゃんとラップをやれ』って書いてありました。ストリートで生きていこうと思ってたけど、それで、もう1回、音楽をやってみようと思ったんですよね」。LIL MANがクロースオーヴァー・モデルのベンツを運転しながらそう話してくれたとき、A-THUGの楽曲を流していた彼のiPhoneに着信があった。「“FREE A-THUG”(A-THUGを釈放しろ)って歌ってる曲のヴィデオを撮るから、エキストラで来てよ」。野太い声が車内に響く。

 声の主、TY-KOHは川崎市中原区出身で、現在の日本のラップ・シーンを代表するDJと言っても過言ではない知名度を持っており、A-THUG、そして、彼のグループであるSCARSのミックスCDも手がけている。「もともと、オレはアメリカのラップに夢中で、日本のラップにはまったく興味がなかったんですよ。でも、SCARSのアルバムを聴いたときに、『日本にもこんなにヤバいものがあるんだ!?』って衝撃を受けて。『しかも、川崎なんだ!?』っていう。人生を変えられましたね」

 川崎の次世代を担うラップ・グループ、BAD HOPもSCARSに影響を受けたと語る。A-THUGの出身中学校の後輩にあたるT-PABLOWは、彼と初めて遭遇した際のエピソードを以下のように振り返った。「中2のとき、夜中、外に出たら、いくら川崎でもこんなに見たことないっていうぐらい警察がいて。慌てて駐車場に隠れたら、暗闇から手招きされた。『おい、警察すごかったか?』『はい、すごかったです』『あれ、オレを追ってるんだよ。お前は大丈夫だから注意を引いとけ』『わかりました』――そんな会話をしたのが、今思うとA-THUGさんだったんですよ」

ムショに何度も入ったハスラーが表現する音楽

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A-THUGは川崎区川中島出身。

「ようやく、自由になりました」。A-THUGはサングリアが注がれたグラスを呷り、微笑んだ。「仮釈放の期間が50日あったんです。で、身元引受人になってくれる知り合いもいたけど、頼りたくなかったし、家族もいないから、更生保護施設に入って。今はその期間も終わったのに、何かまだケツが重い。電話1本で指示すれば生きていけるものの、それに甘えてちゃダメですね。音楽を作っていかないと」。ここは、川崎駅前の鳥料理専門店。彼と同じ酒を頼んだが、その味は甘くて、しかし、ほろ苦かった。

 A-THUGは、80年、川崎大師に程近い川中島で生まれている。「親父はサラリーマン。おふくろは保険のセールス・ウーマン。その後、病院の受付になったのかな。普通の家庭でしたよ。産んでくれてありがとうって思ってる。今はバラバラですけど」。そんな普通の子どもが、世間から見れば道を踏み外した――彼からすればほかでもない自分の道を見つけたのは10歳のときだ。「不良になったつもりは1回もなくて。ただ、今につながってると思うのは、小5で、お兄ちゃんが持ってたスケボーに乗りだしたこと。それまでは、サッカーや野球をやってたけど、興味がなくなって。友達も年上になって。寝るとき以外は家にいないような感じになっていった」。家を飛び出した彼をまず受け入れたのが、90年代の川崎スケート・シーンの最重要クルー〈344〉である。「あの頃、ストリートを知りましたね。みんな、昼間は学校に行ってたり、仕事をしてたり。でも、スケートをしてるときが本当の姿なんだなって」

 やがて、A-THUGはスケート・ボードに続いて、ブレイクダンスに夢中になる。「〈ナチュラル・ハーブ〉っていうチームに入ってたんですけど、先輩に『ヒップホップのルーツはニューヨークだから』って言われて。で、中学を卒業した後は職人をやってたんで、金を貯めて、16のときに初めてあっちに行ったんです」。当時、ニューヨーク市は行政が治安の本格的な改善に乗り出したばかりで、まだまだ荒廃していた。「ジャパニーズでドレッドロックだから珍しがられて、からかわれましたね。『ガンジャ吸うのか?』って聞かれたんで、『もちろん、吸うよ』ってジョイント(紙巻)を出したら、『なんだこの細いのは!?』って笑われたり。それで、『いいか、オレたちはこうやってやるんだ』って人の家の階段に陣取ったと思ったら、ダッチマスター(葉巻)をベロベロなめて紙をはがし、タバコの葉っぱを捨てて10ドル分のネタを全部入れて、みんなで回しだして。『オレたちがこそこそやってるカルチャーがこっちでは普通なんだ!』って衝撃を受けました」

 しかし、彼は渡米がきっかけでダンスから離れていったのだった。「その頃、ニューヨークではもうダンサーは少なくて、ヒップホップがまたギャングのカルチャーになってた。ノトーリアス(B.I.G.)とかがラジオでかかりまくってたり。それで、自分も日本に帰ったら、ドレッドをばっさり切って、ダンスをやめちゃう。ヒップホップの意味をもっと追求したくなったんです。ただ、日本のラップには興味がなかった。当時、まだダウンタウンにハスラーがいて、ラッパーもそういうことを歌ってて。でも、日本は違かったでしょう。いや、日本も繁華街に行けば売人はいたけど、ラップのシーンとはかけ離れてた。だから、リアルじゃないなって。とりあえず、オレがニューヨークから帰ってきた後、川崎ではみんな、ジョイントじゃなくてブラント(葉巻)で吸いだしましたね」

 一方、ニューヨークから最新のストリート・カルチャーを輸入しつつも、彼はかの地と地元に共通のものを見出していた。「どの都市でも南側がヤバい。ブロンクスもクイーンズもそうだし、最近通ってるところだったらシカゴもそう。川崎も下に行けば行くほど……中学生でポン中とか、いっぱいいますよ。自殺したヤツもいるし、殺されたヤツもいるし」。そして、彼は日本でハスリング(薬物売買)を始める。もともとは、“SCARS”もそのチームの名前だったという。「プエルトリカンの友達に、『スカーフェイス』を観せられて、あの世界観を叩き込まれて。じゃあ、川崎でも『イラン人から買ってるんだったら、オレがプッシュするぜ』みたいな。22のときにはもう1000万以上持ってました」

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ダイニングバーの壁には、こんなフレーズが書かれたスウェットも吊るされていた。

 以降、彼はアメリカと日本を、ムショとシャバを行き来しながら生きてきた。「初めて捕まったのは23歳かな。人の罪をかぶって入った。バンかけられて(職務質問をされて)、一緒にいた友達を逃がして。パトカーをクラッシュさせたこともあるし、ニューヨークで捕まったこともある」。やがて、SCARSは、それまで日本のラップ・ミュージックが描いてこなかったアウトローの世界を歌うことで、音楽的にも評価を得ていったが、A-THUGのライフスタイルによってその活動は不安定にならざるを得なかった。「あるとき、好きな女の子ができたんで、ハスリングとかやめて、ジャマイカに一緒に渡り、海辺でガンジャだけ吸いながら生きていこうって、『カリートの道』のエンディングみたいな夢を見たこともあったんですけどね。長続きしなかった」

 そして、彼は今も川崎にいる。「地元はいいですね。でも、本当は抜け出したほうがいいのかな。当局に目をつけられてるかもしれないし、スニッチ(密告者)もいるかもしれないし。その前に、またパクられるかもしれないし、死ぬかもしれないけど。もし、オレが死んだら、音楽を聴いてほしい。そこには、オレの世界が表現されてるから」。酔いが回ったせいか、場はセンチメンタルな雰囲気になっていった。「……ハスリングとかラップとかどうでもいいから、オレは愛が欲しいよ!」。彼は冗談めかして笑う。A-THUGの歌が人々を惹きつけるのは、孤独さと人懐っこさが同時に表現されているからだろう。それは、川崎のブルースだ。(つづく)

※文中に登場する「NUESTRO TERRITORIO」は、blackが偶数月に主催しているレギュラー・パーティ。

(写真/細倉真弓)

【第一回】
【第二回】
【第三回】
【第四回】
【第五回】
【第六回】
【番外編】
【第七回】

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

メリー喜多川・ジャニー喜多川の姉弟は、足利尊氏・足利直義兄弟 !? “お家騒動”として眺めるSMAP騒動の歴史学

――「週刊文春」誌の報道をきっかけにして2016年頭からメディアを騒がせ、ついにこの8月、グループ解散を発表したSMAP。さまざまな疑惑が噴出し、解散発表後もいまだに火がくすぶり続けているが、この騒動をただの芸能ゴシップとしてではなく、芸能界有数の大手プロ・ジャニーズ事務所が巻き起こした、血で血を洗う“お家騒動”として見立ててみたら? ジャニーズ事務所は、二頭体制の実力派武家? 飯島マネージャーは、その下で有能ゆえに抜擢されながら、謀反を起こした家臣? 歴史に学ぶ、SMAP騒動の原因、そしてこれからを紐解いてゆく。

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ファンの願いもむなしく、8月14日に解散を発表したSMAP。

 それはまさしく、戦国時代の“お家騒動”さながらであった。

 2016年1月、日本中を騒がせた「SMAP解散」報道。「SMAP育ての親」ともいわれるジャニーズ事務所のマネージメント室長(当時)の飯島三智女史(59歳)が事務所を退社するに伴い、中居正広、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の4人が共に独立を企て、独立に反対する木村拓哉と分裂危機にあると報じられたのだ──。

 SMAPをここまで導いた飯島女史は、入社当初は単なる電話番だったという。ところが、ジャニーズ事務所がジリ貧となっていた90年代初頭のアイドル氷河期に、鳴かず飛ばずだったSMAPを担当、現在のポジションにまで育て上げ、事務所に莫大な利益をもたらしたという。その手腕がジャニー喜多川社長からも認められ、11年からは山下智久、Kis-My-Ft2、A.B.C-Zのほか、ジャニー氏がプロデュースしたSexy Zoneをも担当することとなっていく。

 ジャニーズ事務所は、現在84歳のジャニー喜多川氏が社長としてタレントの発掘・プロデュースを行い、89歳の姉・メリー喜多川氏が副社長として経営実務を担う、二頭体制の組織であることはよく知られた事実。しかし社長も副社長も高齢ゆえ、おのずと近年では、“跡目争い”が社内外で意識され始めていた。ジャニー氏には子どもはいない。そこで有力候補とされていたのが、メリー氏の一人娘・藤島ジュリー景子氏(51歳)である。

 順当にいけば、ジュリー氏が後を継ぐことになるのだろう。しかし、飯島女史の台頭は、ジュリー氏をおびやかした。飯島女史は、担当するタレントとSMAPとのバーター出演を盛んに行い、“飯島派”を形成。ファンの間では、「飯島派のタレントは、“ジュリー派”のタレントとは共演できない」なるウワサがささやかれ、徐々に各種メディアで両者の対立疑惑が報じられるようになっていく。

 盤石と思われた飯島女史の形勢に陰りが見え始めたきっかけは、「週刊文春」(文藝春秋/15年1月29日号)におけるメリー氏のインタビュー記事だといわれている。メリー氏はそこで、「私の娘が(会社を)継いで何がおかしいの?」と憤慨し、次期社長は娘のジュリーだと明言。さらに、突然飯島女史を呼び出し、「SMAPは踊れない」「飯島に踊りを踊れる子を預けられない」と侮辱した上、「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます」と記者に宣言したのだ。

 我が身を顧みず社の立て直しに貢献していながら、恥をかかされた形となったこの一件によって飯島女史は、前述の独立画策へと動き始めたともいわれている。それはおのれを取り立ててくれた恩義ある主君への謀反。いわば下克上とさえ呼べるものだったのかもしれない──。

 歴史をひもとけば、古今東西、同様の例はいくらでもあるだろう。しかし、その結末はさまざまだ。血縁に勝てず敗れ去った者、実力が血よりも重んじられ頂点を極めた者、醜い内紛の末にすべて崩壊してしまった組織──。

 翻って今回のSMAP騒動の顛末は、ご存じの通りである。1月18日、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で5人そろって生出演、メンバーが世間に“謝罪”するというパフォーマンスで、一旦その幕が下ろされることとなった。

 このとき草彅は、「今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんがつくってくれて、いま、僕らはここに立てています。5人でここに集まれたことを、安心しています」とコメント。独立を企てたとされる、木村以外の4人は、木村の勧めでジャニー氏に頭を下げ、飯島女史には付いていかないことを誓ったというわけだ。そして飯島女史は、ひっそりと2月に退社。実力者が血に負けて、敗れ去ったのである──。

 芸能史に残るこのSMAP騒動を、単なる芸能ニュースの枠を超え、過去に幾度となく繰り返されてきた歴史上の出来事になぞらえて比較してみるとどうだろう。そこから、謀反がうまくいくケース、逆にお家騒動を未然に防ぐ防御策などのパターン分析、あるいは教訓めいたものさえ導出可能なのではないだろうか?

 そこで本企画では、歴史の専門家や経営、法律のプロに、今回の一件をどのように捉えるべきか、取材を重ねていく。飯島女史はなぜ敗れたのか? SMAPの面々はなぜ謝らなければならなかったのか? その問いに答えてくれるのは、芸能記者ではない。人が織り成してきた人間ドラマの数々──つまり、歴史なのである。

(文/安楽由紀子)

【2】ジャニーズ事務所と歴史上のお家騒動を徹底比較!こうすれば解散を回避できた!?(8月19日公開予定)
【3】SMAPの女性マネージャーはなぜジャニーズへの“謀反”に失敗したか?(8月19日公開予定)
【4】兄弟仲が良かった足利家とジャニー家の類似点を探り、SMAP独立失敗の原因を探る(8月19日公開予定)

錯綜する「有吉・夏目 熱愛報道」の舞台裏――交際の事実はあるが…事務所からの圧力でマスコミ沈黙か?

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テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』HPより

 24日に日刊スポーツがスクープした有吉、夏目の交際報道だが、ビッグカップル誕生にもかかわらず、当日のワイドショーは完全無視を決め込むなど異様な展開を見せている。2人の交際、妊娠の有無は果たして事実なのか。

「昨年から交際の噂があり、写真週刊誌をはじめ、各誌が2人の自宅を張り込みましたが、ツーショットどころか、互いに異性の気配すらありませんでした。しかし急に週末にかけて夏目が妊娠しているという怪情報が流れ、各誌裏取りに動きましたが、確証が掴めず見送りに。そんな中で日刊スポーツがスッパ抜いたので、皆驚き、『やられた!』と悔しがっています。もっとも日刊の記事では双方の事務所からのコメントはなく、不可解な点も多い。現在も各誌が取材に動いています」(週刊誌記者)

 ビッグニュースでありながら、テレビは腫れ物に触るかのように熱愛騒動をスルーしている。

「夏目が所属している田辺エージェンシーの上層部から各局の編成に『一切報じるな』と当日の早朝に連絡があったようです。田邊社長のマスコミに対する影響力は絶大で、テレビ局にも睨みを利かせています。現場レベルではどうしようもなく、各局のワイドショーはだんまりを決め込むことになりました。田辺サイドがマスコミ報道を仕切っているため、有吉の所属する太田プロもコメントすら出せない、というのが実情です」(ワイドショー関係者)

 田辺サイドからの動きがあるまで、テレビは静観することになるのだろうか。

「現在進行形か否かは不明ですが、2人が交際していたのは事実のようです。日刊スポーツの報道にあるように本当に妊娠ともなれば『あさチャン!』の司会をしている夏目への影響は大きく、スポンサーをはじめ関係各所との調整にも時間がかかります。また妊娠の事実がなければ、交際自体を揉み消す可能性もなくはない。それほど田辺サイドはナーバスになっており、今後の対応を含め、現在双方の事務所が話し合っています。事務所側は、今後子飼いのマスコミを使って情報戦を仕掛けてくる可能性もあります。ワイドショーは腰が引けているので期待できず、週刊誌がどう報じるか、腕の見せ所といったところでしょう。」(前出・週刊誌記者)

 水面下での動きも活発化しているようだ。今後の動向に注目しよう。

【橋本マナミ】中国の大河ドラマ『武則天』に触発され…ついに立候補を決意す!?

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(写真/黒瀬康之)

――総製作費56億円を投じたという中国の大河ドラマ『武則天-The Empress-』。この作品のヒロイン武則天を、“国民の愛人”橋本マナミはどう見るのか……!?

 中国歴代王朝の中で最も華やかだったとされる唐の時代(西暦618~907年)。その第2代皇帝・李世民の統べる後宮に入宮した武則天は、のちに中国史上唯一の女帝として君臨する。彼女の数奇な生涯を壮大なスケールで描いた中国ドラマ『武則天-The Empress-』が、このたびDVD化される。

 日本では「則天武后」という名でも知られる武則天は、その功績をたたえられる一方で醜聞も多く、中国三大悪女のひとりに数えられてもいる。しかし本作では、この悪女イメージを刷新。主演にアジアのトップ女優、ファン・ビンビンを迎え、武則天の“純愛”に光を当て、陰謀が渦巻く宮中を、王への愛と自らの才気を武器にサバイブする“美しすぎる女帝”の物語へ昇華させている。

 そんなドラマ『武則天』を、下積み時代を経て「国民の愛人」として大ブレイク、放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』では細川ガラシャ役を務めるなど、武則天と同じく女性のサクセスストーリーを体現している橋本マナミさんはどう見るのか?

「まず、武則天役のファン・ビンビンさんをはじめ出てくる女性たちがとにかくきれいでセクシーで、衣装もとことん豪華なので、それを眺めているだけでも楽しいですね」

 本作では、そんな美女たちが皇帝の寵愛を得ようと策略をめぐらす姿も生々しく描かれている。橋本さんも、おじさまキラーなイメージがあるが……。

「私はこう見えて、自分の実力を評価されたいし、権力のある男性に媚びて仕事を取る行為は大嫌いなんですよ!(笑) 武則天は李世民の寵愛を一身に受けるわけですが、彼女に打算はありませんし、むしろそれは彼女の才能を高く買われた結果なんですよね。だから、そんな彼女を応援したくなりました」

 ドラマでは、武則天を引きずり下ろすべく、宮中での裏切りや騙し合いもえげつなさを増していくが、芸能界でもそうした女同士の足の引っ張り合いは珍しくないという。

「ある事務所に占いが得意な女の子がいたんですけど、その子はほかの女性タレントの手相を見ながら『恋してるでしょ?』みたいなノリで彼氏の有無や恋愛の悩みを聞き出して、それを全部事務所の偉い人に密告していたんですよ。その事務所は恋愛禁止だったので……」

 まさにドラマの中でも、「唐の世は3代で滅び、女帝武氏が取って代わる」という予言が流布し、武則天が窮地に立たされる場面がある。芸能界にしろ宮中にしろ、周りがライバル=敵だらけという状況下では、何が致命傷になるかわからないのだ。

「だから、私は同じ業界にいる人には気を許さないようにしてるんですよね。おかげであまり友達ができないんですけど(笑)。このドラマでも、武則天の親友の女の子が、李世民との仲を深める武則天に嫉妬して反目するようになってしまうんです。根は悪い子じゃないんですけど、異性や利害関係が絡むと、ねえ」

 ところで、武則天は国のトップとして政治の世界でも辣腕を振るったが、橋本さんにも日本のトップに立ちたい、なんて野望は……?

「あはは(笑)。まあ、いまの世の中に対しての不満は当然ありますよ。実は最近、時事問題についてコメントを求められることが増えているんですけど、政治の問題ってたいてい過去からつながってるじゃないですか。だからいま、家庭教師をつけて政治史を教わっている最中なんです」

 ならば、ゆくゆくはタレント候補として出馬する可能性も?

「誰も私に投票なんてしてくれないですよ! だって、『国民の愛人』ですよ?(笑) でも、もし私が政治家を目指すとしたら、それこそ武則天のような覚悟としたたかさが必要でしょうね。そういう意味では、国を治める人間の心構えみたいなものも、このドラマから学べるかもしれませんね!」

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『武則天-The Empress-』
中国史上唯一の女帝としてその名を轟かす武則天。一介の側室だった彼女は、いかにして時の皇帝・李世民に見初められ、最高権力者の座を手に入れたのか? 中国本国では2015年に放送され人気を博した愛と野望渦巻く歴史エンタテインメントが、日本でもついにDVD化。16年9月2日よりDVDセットが各1万6000円にて順次発売(同時レンタルも開始)。発売・販売/NBCユニバーサル・エンターテイメント

(写真上)10代から80代までの武則天を演じきったファン・ビンビン。1981年生まれで、ハリウッド作品にも出演している。(写真下)チャン・フォンイー演じる唐王朝第2代皇帝・李世民と武則天。彼の寵愛を受け、武則天は徐々に王宮内での地位を獲得していく。

はしもと・まなみ
1984年8月8日、山形県生まれ。身長168センチ。97年デビュー。14年の写真集『MANAMI BY KISHIN』(小学館)で「愛人にしたい女」「平成の団地妻」としてブレイク、以降バラエティ番組、ドラマ、映画、CMと幅広く活躍。

【哲学者・萱野稔人】Kindle版、Kindle Unlimited配信記念インタビュー&“活字と電子書籍の過剰供給”の哲学的解釈

 Amazon.comによるKindle Unlimitedのサービスが開始された。哲学者・萱野稔人氏は、「月刊サイゾー」の連載において、『複製技術時代の芸術』(ヴァルター・ベンヤミン/晶文社)を引用しながら、複製できる芸術の登場により、書物などの作品からアウラが消滅する事を論じている。

 ここでは同氏の著作『哲学はなぜ役に立つのか?』のKindle版、そしてKindle Unlimited配信を記念して、特別インタビューと同テーマを扱った連載を再録したい。

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『哲学はなぜ役に立つのか?』好評発売中

――書名は『哲学はなぜ役に立つのか』というタイトルですが、そもそも哲学って具体的に何かの役に立つことはあるのでしょうか。

萱野 多くの人は哲学のことを、プラトンやアリストテレスに始まって、デカルトやヘーゲル、カントなどの哲学者がどんな思想を持っていたのかを学ぶもの、というイメージを持っています。それだと哲学が役に立つという感覚は確かにしないですよね。ただ、当然ですが、哲学はそんな哲学史の知識にとどまるものではありません。哲学はあらゆる分野に広く実践できるものなんですよ。

――普通に暮らしていて哲学を意識することはほとんどないですが……。

萱野 どんな問題でもいいのですが、例えばクオータ制の導入について賛否の分かれる議論がされていましたよね。これも哲学的な問いといえます。

――クオータ制というのは、女性の社会進出を促すためにリーダーや管理職などに女性が占める比率を決めて優先的に割り当てる制度ですね。政府は2020年までに社会のあらゆる分野で、指導的地位に女性が占める割合を30パーセント程度にするという目標を掲げています。

萱野 これは、限られている指導的地位や管理職のポストをどのように割り当てれば、平等で社会的な正義にかなうものになるのかという問題です。現在は社会進出している男性の数が女性に比べて圧倒的に多いので、能力だけを基準にすれば必然的に男性の占める割合は高くなります。それならば男女平等の実現のためにも優先的に女性を割り当てるべきだという主張があり、一方でクオータ制によって本来なら管理職になる能力のある男性がポストから外されるのであれば男性への逆差別になるという主張もあります。

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【宗教学者・島薗進×社会学者・橋爪大三郎 対談本出版記念!】宗教的、社会学的『人類の衝突』連載特別再録

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『人類の衝突』8月17日発売。予約受け付け中。

 なぜ、宗教と文明は対立するのだろうか? そして、日本は何を考え、どう立ち振る舞うべきなのか――。

 日本を代表する宗教学者と社会学者の泰斗による対談『人類の衝突』が「月刊サイゾー」に掲載されたのは2015年3月号。当時、イスラム国による日本人拘束事件は、最悪の結末を迎えた。あれから1年半以上経った現在、宗教の対立に、解決の道筋は見えていない――。

 ここでは、「月刊サイゾー」に掲載された連載を大幅に加筆し、注釈を加えた書籍化を記念し、第一回を特別に無料公開としてお届けしたい。


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(写真/江森康之)

 人間の文明は、なぜ互いに衝突し合うのか――。社会学、そして宗教学の重鎮2人による「現代日本と宗教」というテーマを予定して始まったこの対談、”宗教”という概念の性質上、話題は”人間と文明””国家とイデオロギー””文化と民族”といった幅広い範囲に及んだ。

 日本における宗教学の第一人者・島薗進と、社会学の第一人者・橋爪大三郎。この日が事実上の初顔合わせだったが、同じ1948年生まれの2人は、宗教学と社会学という別の学問領域から、実は同じところを見ていたようだ。「日本と世界の文明はどのように構成され、21世紀の今、どこに向かおうとしているか」というテーマを、縦横無尽に語り合う。文明の構造を知らなければ、なぜ文明が相争うのかも説明できない。イスラム国によるテロや、日中韓の関係悪化を考えるためにも、その考察は欠かせないだろう。数回に分けてお送りするこの対談は、両氏が共同で作り上げた、21世紀を生き延びるための「文明論の概略」である。

島薗 橋爪さんは非常に大きい世界史的規模で宗教について考えていらっしゃるので、今日はそういったまなざしで日本の世相を見るとどう見えるのかな、ということを伺いたいと思っています。

 社会学が全体的にデータの取れる領域をこぢんまりと実証する方向に向かいがちな中で、橋爪さんのなさっている仕事は、社会学が本来持っているべき視野を回復するという意味で、私はとても共鳴しているんです。

橋爪 それは恐れ入ります。

 例えば、社会学者のマックス・ウェーバーはひと昔前、日本で評価が高く、ウェーバリアンといわれる研究者が大勢いましたが、今では時代遅れということになっています。

 当時、ウェーバリアンたちがなんと言っていたかというと、「日本は、ウェーバーの掲げる近代化のものさしに従って、しっかり近代化しなければいけない」といった主張だった。そうこうするうち「日本は先進国に成り上がって、高度資本主義やポストモダンの段階になったのだから、日本は実ははるかに進んでいるのだ」と、80年代から言われだした。

 ただ、ウェーバーは別に近代化論をやろうとしたのではない。ウェーバーが優れていたのは、「世界はまだらだ」と言ったことだと私は思います。キリスト教文明は絶対でも普遍でもなく、単なる「ワンオブゼム」にすぎない。世界にはユダヤ教も、イスラムもヒンドゥーも、儒教文明もある。そういう人類社会の多様性を、ウェーバーは一番描いてみたかったんだと思います。

島薗 確かに日本の社会学ではウェーバーの近代化論の影響はとても大きかったと思いますが、宗教倫理の図式を整理し直すという話はウェーバー専門家の中で終わってしまって、世界の文化の違いが深刻な問題として残り続けるという現在の問題意識については、学問研究が十分に進んだとは言い難いような気がします。

 それは世界においてもそうで、やはり異文明の研究というのは文献学的な土台が必要になることから、なかなか取り組めない。西洋の学者は、インドや中国・東アジアの文明については、少なくとも古典文献から読むという姿勢はなかなか身に付いていないようです。

 そういった中で、日本人は西洋人とは違うという自意識を持ってきていますから、それを踏まえれば、日本的な観点から世界文明を比較し、それが私たちの生活にどう影響しているかを考察するという視座が出てきてしかるべきだと思います。そのあたりを今日はじっくりお話ししたいですね。

橋爪 そうですね。

島薗 そう考えたときに、ひとつの大きな基盤となる考え方は、冷戦後の社会は世界がいくつかにブロック化するということです。

 これは、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(邦訳98年/集英社)などでも似たような議論がなされましたが、かつて冷戦時代は東対西という分裂があった。つまり「西=自由主義陣営で個人の自由を重んじる世界」と「東=共産主義陣営で集団的な秩序を重んじる世界」という枠組みがあったわけですが、冷戦終結後はそれに代わって、各文明圏が各々の宗教的伝統にのっとって社会を構成するようになっていった。

 一般的にはそのように理解されているし、私自身もそれに近い考えを持っていますが、それでは、日本は儒教と大乗仏教の組み合わせにより構成される東アジア文明圏に属するのかというと、ハンチントンは中国と韓国は儒教文明だが、日本は独立した別の文明であると提唱していた。あの議論には政治主義的な要素もうかがえるので怪しい箇所もありますが、確かにうなずける部分はあると私も見ているのですが、いかがでしょうか。

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「KILLER」Tシャツで法廷へ臨んだ“スクール・シューター” 現場で自殺しなかった銃乱射事件犯人

――犯罪大国アメリカにおいて、罪の内実を詳らかにする「トゥルー・クライム(実録犯罪物)」は人気コンテンツのひとつ。犯罪者の顔も声もばんばんメディアに登場し、裁判の一部始終すら報道され、人々はそれらをどう思ったか、井戸端会議で口端に上らせる。いったい何がそこまで関心を集めているのか? アメリカ在住のTVディレクターが、凄惨すぎる事件からおマヌケ事件まで、アメリカの茶の間を賑わせたトゥルー・クライムの中身から、彼の国のもうひとつの顔を案内する。

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細いペンではっきりと「KILLER」と書かれたTシャツを着ている。

 2012年2月27日、オハイオ州シャードン高校のカフェテリアに10発の銃声が鳴り響いた。パニックと化した現場で逃げ惑う生徒達は、銃声が聴こえた方角を振り返り、目を疑った。そこには、内気でシャイなトーマス・T・J・レーン(当時17歳)が立っていたからだ。

「何であいつが……。すごくおとなしい奴だったんだ」

「彼がこんなことするなんて信じられない。人前で話すのも苦手な、シャイな子だったのに」

 周囲の人間が口々に証言するトーマスの人物像は“影の薄い存在”であった。しかし彼はこの日から、「悪名高きスクール・シューター」として全米に名を馳せることとなる。

誰も彼のことを気にかけなかった

 幼い頃から両親による家庭内暴力を目の当たりにしていたトーマスは、その後祖父母に引き取られて育った。中学校時代は友人たちとスケートボードやバスケットボールも楽しんだが、高校に進学する頃には周囲との交流を絶ち始める。やがて1人で行動するようになった彼を、周囲は「何を考えているかわからない奴」と影口を叩くようになり、唯一の理解者であったガールフレンドさえ、彼のもとを去っていった。

「いつも寂しそうな目をしていたけど、特に変わった様子はなかった」。毎朝スクールバスで顔を合わせる友人たちは、彼を気に掛けることはなかった。そうして自ら孤立の道を選んだトーマスは、別れたガールフレンドに新しい恋人ができると、さらに少しずつ変化を遂げてゆく。それももちろん、決して良くはない方向に、だ。学校での彼とは別人のような、威圧的な姿を自撮りし、次々とフェイスブックに投稿するトーマス。その中には、体を鍛えあげ、上半身を誇らしげに見せつける姿もあった。詩のような文章を投稿し、最後には「みんな死ね」と綴った。

 だが、周囲の人間は彼の存在と同じように、そうした発言を気に留める事をしなかった。

元ガールフレンドの恋人も被害者の中に

 犯行の日、彼はいつも通りスクールバスに乗って登校した。学校に着くと、同級生に会釈だけをして、何もしゃべらずにカフェテリアに向かう。それは、いつもの内気なトーマスの姿だった。

 だがその直後、トーマスは所持していた拳銃を握りしめ、朝食を取っていたグループのテーブルに歩み寄り、10発を発砲。3人を射殺、3人にけが負わせたのだ。死亡した被害者の中には、元ガールフレンドの新しい恋人であった、男子生徒が含まれていた。

 逮捕されたトーマスは、殺人・殺人未遂などの罪で起訴されたが、弁護側は、精神疾患の可能性を盾に、無罪を主張。しかし、逮捕から1年後、トーマスは突然罪を認め始めた。

悪名高きスクール・シューター KILLERと名乗った少年

 社会的孤立から犯行に走る、スクール・シューティングが頻発するアメリカでは、その犯行後、犯人の多くは自殺を遂げている。1999年に発生したコロンバイン高校銃乱射事件で、13人を射殺し24人に重軽傷を負わせたエリック・ハリスとディラン・クレボルドも校内で自殺を遂げているし、2007年のバージニア工科大学で32人を射殺したチョ・スンヒも、2012年に母親を殺害し、サンディフック小学校に押し入って26人を射殺したアダム・ランザも、最後には自ら命を絶っている。

 そうした前例がありながら、今回、死者数が3人に留まり、すでに罪を認めているトーマスが歴史に残る「悪名高きスクール・シューター」と呼ばれるようになったのは、逮捕後の彼の行動にあった。

2013年3月19日、裁判所で量刑のための審問が行われたこの日、トーマスは水色のシャツを着て出廷。被告席に着席した彼は、おもむろにボタンを一つずつ外し始めた。そして、シャツの下に着ていた白いTシャツを露わにし、マジックで書かれた「KILLER」の文字を誇示したのだ。さらに、被害者の遺影を持った遺族が発言を始めると、トーマスは微笑みながら、遺族に向かって中指を立てながら呟いた。

「この手で引き金を引き、あんたらの息子を殺したんだ。これからは、その感触を思い出してマスターベーションをするよ」

裁判官は、仮釈放なしの終身刑を言い渡した。

ネットのヒーローとなる犯罪者

「KILLER」と書かれたTシャツを着て、遺族に向かって中指を立てるセンセーショナルな映像は、テレビ局にとって視聴率を上げる為の格好のネタとなった。スタジオではキャスター達が、彼の犯した愚行への批判を続けた。

 だが繰り返しテレビで流されるトーマスの姿に批難が集中する一方で、一部の人間たちは彼を英雄視し始める。ネット上には、彼の画像を集めたファンサイトが開設され、ハートマークでコラージュされた彼の写真が投稿された。さらに、彼の名前を使ったハッシュタグで意見交換をし、中にはまるでロックバンドのTシャツを着るかのように、「KILLER」と書かれたTシャツを着る少女まで現れた。

 獄中で一生を過ごすことになったトーマスは、そうした自分を取り巻く状況を知ってか知らずか、判決から2年後、収監されている刑務所から脱走を試み、失敗に終わっている。彼は事件から4年が経った現在も、被害者への謝罪、そして動機を語っていないままだ。

井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。

「好きなママタレ」2位の小倉優子が、夫の不倫でも離婚に踏み切れない理由

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『小倉優子の毎日おいしい♡おうちごはん』(扶桑社)

 第2子妊娠中のタレント小倉優子の夫で美容師の菊池勲氏が、小倉と同じ事務所に所属するアイドルの馬越幸子が不倫していたことを8月3日発売の週刊文春が報じた。

 グラドルだった小倉はこりん星人というキャラ設定でブレイク。11年に年収8000万円とも言われるヘアメイクアーティストの菊池氏と「玉の輿」婚。12年に第一子を出産すると、ママタレに転身し、出版したレシピ本2冊が合計25万部のベストセラーになり、14年に3冊目も上梓した。ブログでは日々の生活についてつづり、家事もしっかりこなすなど、今やカリスマ主婦として同世代のママたちから高い支持を得ている。

「第2子が妊娠6カ月という順風満帆のさなかに知らされた最悪の裏切り行為に、小倉は夫のケータイを投げつけ激怒したといいます。不倫相手の馬渕のほうは、所属事務所に『ご迷惑をおかけしてすいませんでした』と答えたそうですが、すでにブログやツイッターは消滅しており、解雇されるのは間違いなさそう。小倉は菊池氏との離婚も考えているようですが、4歳の長男やお腹の赤ちゃんのことを考えるとなかなか決断できないようです」

 子どものこともさることながら、小倉が離婚に踏み切れないのは、シングルマザーになった時の芸能界でのポジションだ。

「小倉は夫から事の顛末を聞いて真っ先に、ママタレのイメージが壊れることを非難したそうです。週刊文春が昨年発表した『好きなママタレ』ランキングでも北斗晶に次ぐ堂々の2位に入っている。トップ10のうち、シングルマザーは9位のスザンヌのみ。10位の松田聖子は微妙ですが、それ以外の顔ぶれはやはり夫婦の円満ぶりが話題となっている面々ばかり。離婚となれば小倉に『不幸な女』イメージがつくことは確実。彼女は計算が働くタイプですから、離婚は踏みとどまるのではないでしょうか」

 とはいえ、後輩の女に夫を寝取られた小倉としては、“今後どの面下げてテレビに出ればいいの”という気持ちだろう。

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