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卒業ビジネスの後は一体どうするの?――いつか【たかみな】の卒業を思い出してきっと泣いてしまう

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「僕、3月末でここを卒業するんです」

 2月のある日曜日、私が通っている整骨院の担当整体師は、爽やかな笑顔でそう言った。

 AKB48をはじめとするアイドルたちが、グループを抜けることを「卒業」と言うようになった昨今、もはや商店街の古びたビルにある整骨院の兄ちゃんまでもが、自身の進退を「卒業」などと謳うようになった。下手をすると退職届を「卒論」などと言い出しかねない勢いである。

 まあ確かに、「脱退」「辞める」というとネガティブなイメージだが、「卒業」というと「新しい一歩を踏み出す」といったポジディブな感じがするし、言いやすい。ただ、この整体師の場合は明らかに「やってらんねーよ」とか「人間関係が……」といったネガティブなものであると容易に想像ができるため、素直に「辞めます」と言って欲しかった。「夜の整骨院に忍び込んで、窓ガラスを壊して回ります」ぐらいの、同じ“卒業”でも尾崎豊的な意気込みも込みで。

 そんな、周囲の目を欺く“卒業マジック”の恩恵を一番受けたのが、元AKB48・高橋みなみだ。1年後の卒業を発表してからというもの、そこに向けて始まった盛大なカウントダウン。本来は“スタート”であるはずの卒業は、たかみなによって「卒業はゴールであり、ピークである」という新しい価値観に生まれ変わった。

 これだけ盛り上がっていると「卒業したらどうするの?」という質問は、なんだか不粋であるように思えてくるから不思議だ。

 だが高校時代、卒業ギリギリまで進路を決めかねていたため、卒業時に配られるクラス名簿の進路の欄に「家事手伝い」と書かれてしまった経験がある私としては、非常に心配でもある。たかみなには、そんな思いをして欲しくない。

 老婆心ながら、素人目線でアドバイスをさせてもらえば、まずバラエティ番組全般は向いているだろう。MCだっていける。また、メンバーにドッキリを仕掛ける際の演技力を見ている限り、女優でもいけそうな気がする。

 だだ、本人はどうも「歌」をやりたいようである。これには少々面食らった。上手いんだっけ? 歌。

 AKBで歌っていたと言っても、ざっくり言えば異論はあるだろうがコーラスみたいなものだ。ひとりで出演していた音楽番組『新堂本兄弟』(フジテレビ)でさえ、担当はコーラスだった。

 調べたところ、13年に「Jane Doe」という曲でソロデビューしているようなのだが、ロッキード事件よろしく記憶にない。

 目をつぶってこれまでの彼女の活躍を思い返してみても「後輩を叱咤激励するたかみな」「ワイプのなかでリアクションを取るたかみな」「ぱるるの専売特許だった困り顔をさりげなく取り入れはじめたたかみな」と、たかみなが歌っている画がまったく浮かんでこない。

 それこそ、たかみなが歌っていようものなら「やあ、たかみな歌ってらあ」と「何かいいことあったのかな」ぐらいの珍しいこととして受けとめてしまう。それぐらい違和感があるということだ。

 また、たかみのような真面目で元気印の女の子が、変にアーティスづいてアルバムなんかも出しちゃって、その勢いで音楽番組のMCを始めでもしたら目も当てられないことになる。

 ゲストに来たことがきっかけで、新進気鋭の人気バンドのボーカルと恋仲になるものの、実はボーカルは既婚者でした、みたいな、どこかで聞いたようなラブストーリーが展開する予感がプンプンする。

 だって10年彼氏いないって言ってたし。卒業後は恋愛解禁だって言ってたし。

 やりたいことと向いていることが違うというのは、大人からの冷めた意見だ。とはいえ、今年で40歳という不惑をむかえる私ですら、いまだに右往左往し、明日が見えていないのである。20代の小娘が迷走するのも無理はない。

 彼女のスローガンである「努力は必ず報われる」は、諸刃の剣だ。ネガティブな方向に働けば、とんでもない事態を引き起こす。

「不倫じゃない」「私以外私じゃない」などと、いつ言い出すかわからない。

 そうならないためにも「たかみなは、バラエティに向いている」と、私、西国分寺哀は、これからも連載をもって証明します。

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
今年で40歳になるが、以前、このプロフィールで“アラサー男子”と詐称してしまったことをお詫び申し上げます。でも降板はしません。

5月に『金スマ』で復帰の計画も浮上? 不倫騒動に揺れるベッキーが「週刊文春」に手紙をよせた裏事情

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「ベッキー オフィシャルホームページ」より

 27日発売の「週刊文春」(文藝春秋)に掲載された、ベッキーの手紙が話題である。今年1月、同誌にてバンド・ゲスの極み乙女のボーカルである川谷絵音との不倫愛をスッパ抜かれて以降、活動自粛を余儀なくされていたが、今回編集部に宛てられた手紙では川谷との関係が終わったことを強調し、川谷の妻への謝罪の気持ちも記されていた。

 しかし、そもそも事の発端である「週刊文春」に対し、なぜこのような手紙を送ったのか? その舞台裏にはベッキーの復帰に向けた動きが見てとれるという。業界関係者の話。

「『金曜日のスマイルたちへ』(TBS)で5月に復帰する計画で動いていたそうです。ベッキーが抱えていたレギュラー番組の中でも、特に付き合いの長い同番組が彼女の復帰の舞台に相応しいと考えたのでしょう。

 司会の中居正広もベッキーのことを気にかけているようですし、スタッフもいつ戻ってきてもかまわないと考えているようです。

 もともとは『金曜日のスマたちへ』というタイトルでしたが、これは不倫をテーマにしたドラマ『金曜日の妻たちへ』(83年/TBS)のオマージュだった。しかし、2月に『スマ』の部分を『スマイル』に変更しました。リニューアルするわけでもないのに、番組名を変更するのは異例のことでしたが、ベッキーが戻ってきたときに不倫ドラマをパロディした番組名ではやりづらいのではないかという番組側の配慮だったのでは、とも言われています」

『金スマ』での復帰に先駆けて、「週刊文春」に手紙を送ることである種の禊を済ませておきたかったのではないかという。

 だがしかし、記者会見では川谷との”友人関係”を強調し、決して交際の事実を認めなかったのに対し、この手紙では結局不倫を認めた格好になってしまったことへの矛盾や、一番の被害者である川谷の妻への配慮が欠けているのではないかという意見も飛び交い、さらなる批判を呼ぶ結果になってしまった。芸能事務所関係者もため息をつく。

「記者会見での対応といい、今回の手紙といい、タイミングも内容もまったく世間の空気が読めていない感じがしますね(苦笑)。まずは何より川谷の妻や、ファンに対して誠意を持った対応をしなくてはいけないのに、復帰したい気持ちが先走ってマスコミ向けのパフォーマンスに走っているように見える。

 不倫してしまったことはともかく、ベッキーはタレントとしては逸材で彼女の代わりはなかなか現れないんだから、もっと慎重に復帰のプランを練るべきだと思いますね」

「文春」への手紙は失策だったか。果たしてベッキーの復帰はいつになるのか、今後もその動向が気になるところである。

清宮出場は絶望的!? 今夏の甲子園を占う高校野球ダークサイド

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「輝け甲子園の星 2016年5月号」(日刊スポーツ出版社)

【座談会参加者】
A:全国紙ベテラン記者
B:全国紙中堅記者 
C:高校野球中堅ライター

A ここ数年、開幕1軍を実現した楽天のオコエ瑠偉のように、甲子園で活躍した選手が、高卒1年目からプロの世界で活躍している。春のセンバツは夏の選手権と共に秋のドラフトを占う場ではあるけど、今年の大会は東邦の藤嶋健人、松坂2世と呼ばれる創志学園の高田萌生といった注目右腕が早々に姿を消した。盛り上がりには欠けたよね。

B 昨年の夏は、1年生怪物として注目を集めた清宮幸太郎(早稲田実業2年)やオコエ(当時、関東一高)ら、とにかくキャラが揃っていたから、連日満員御礼。無料の外野席のファンが第1試合から第4試合まで帰らない。だから観客動員そのものは、あまり伸びなかったんです。今年のセンバツは2009年3月の甲子園リニューアル後、最多となる4万6000人を1試合で記録するなど、観客動員は良かったんだけど、スター不在の感は否めなかった。

C バックネット裏最前列の光景も様変わりしました。甲子園の8号門前に寝泊まりし、最前列の席に陣取っていた「8号門クラブ」【1】のメンバーがいなくなって、小中学生を招待するようになったのは景観的に良かった(笑)。甲子園に棲む名物おじさんの「ラガーさん」は、毎試合5回終了時点と試合終了後にラガーシャツを着替えるんです。彼は「ファンが楽しみにしてくれているから」と説明するんだけど、最近は派手なサングラスをかけて有名人気取りで、1日の試合が終わると地方からやってきた高校野球ファンと喜んで握手している。純粋に高校野球が好きなのか、ただ目立ちたいだけなのか……。

A スター不在のセンバツで注目を集めたのは、準決勝で敗れた熊本の秀岳館高校だった。一昨年の春に就任した鍛治舎巧監督は、高校野球中継の名解説者。早稲田大学出身で、阪神のドラフト2位指名を蹴って、松下電器(現パナソニック)に就職。同社野球部の監督まで務めたアマチュア野球の王道を行く経歴だよね。

B 14年の監督就任時に「3年で全国制覇」の目標を掲げ、丸2年で日本一になるチャンスをつかんだ。ただ、勝ち上がるにつれてテレビで長年見せていたクリーンな顔とは別の、ダークサイドが明るみに出た。

C 初戦の花咲徳栄(埼玉)戦で起こった「サイン盗み」疑惑ですね。セカンドランナーが、投手の投げるコースや球種をジェスチャーで打者に伝えているのではないかと球審が疑い、ランナーとベンチに注意しました。13年夏にも花巻東(岩手)の選手に同様の嫌疑がかかりましたが、正直、サイン盗みの類いは、強豪校なら少なからずやっているもの。問題は、勝利後、お立ち台に上がった鍛治舎監督のコメントだった。

B 確かにね。「非常に残念。そういうことをしないように指導してきた」と、監督自身は“知らぬ存ぜぬ”を貫いた。もちろん、認めるわけにはいかないんだけど、たとえ知らなかったとしても、教育者なら「すべては監督の責任です」と答えるべき。

C 鍛治舎監督ってパナソニックで専務まで上り詰めた人だけど、同社が大規模なリストラを敢行した時の労政部長でもある。広報・宣伝担当専務の時代は、納得のいかない記事に憤慨し、「広告の出稿をやめるぞ」とおどして、某週刊誌の編集長を更迭に追い込んだこともあるとか。選手に責任を押しつけるような発言は、部下や立場の弱い人間に全責任を負わせる権力者の横暴に映った。

A 語り口は明朗で、松下電器の創業者・松下幸之助に入社を請われたという逸話や、同社の先輩で『島耕作』シリーズで知られるマンガ家・弘兼憲史さんとの交流をアピールしていた。面の皮が厚いというか……。

C 秀岳館は熊本県にある私立高校ですが、18人のメンバーに熊本出身の選手はひとりもいません。多くは、鍛治舎監督が監督を務めた大阪のボーイズリーグチーム、オール枚方ボーイズの教え子。監督は「秀岳館を強豪にして熊本のレベルを上げ、将来は熊本の子が来たがる野球部にしたい」と話していましたが、準決勝進出にも、地元はたいして盛り上がっていなかったとか。

B 今回は2回戦で敗れたけど、大阪桐蔭は選手層で他校を圧倒していますよね。

C 入学前でセンバツには出場していませんが、今年の大阪桐蔭の新入生はとんでもない怪物候補ばかり。中学時代に140キロを投げた投手が3~4人いるという噂です。中でも岐阜出身の根尾昴君は、中3時に147キロを記録する一方、スキーのスラロームでも全国大会で優勝し、成績はオール5で生徒会長も務めた。ご両親は共にへき地診療所の医師で、根尾君は文武両道を地でいく。そういう秀才タイプは大阪桐蔭にはこれまでいなかったので、どんな成長を遂げていくか楽しみです。

A それだけの選手を集めたのも、2年後の甲子園100回大会【2】での優勝を見据えているから。同校の西谷浩一監督は、90回大会に続く記念大会連覇を狙っているはずです。選手は選手で、大阪桐蔭に入学するのがプロになる近道だと考えているから、特待生じゃなくても、声がかかれば喜んで行く。監督方針の一学年20人という狭き門を全国の有望選手が目指しています。

B 大阪の名門といえば、春夏通算7度の全国制覇を誇るPL学園(大阪)ですが、この夏限りでの休部が決まっています。13年から野球経験のない人が監督を務めていて、昨年から新入部員の募集も停止。休部とは実質、廃部ですね。

A あの学校は宗教団体のパーフェクトリバティー教団が母体だからねえ。プロに進んだOBたちがいくら学園に存続を嘆願しても、決定権を持つのが教団の幹部だから、聞く耳を持たない。2月に大物OBである清原和博が逮捕されたのも、決定打になったといわれています。

C 現役の部員はわずか12人で、そのうちひとりは病気療養中のために1年留年しているので出場資格がない。最後の夏も、大きな期待はできないと思います。

A 最初に挙げた藤嶋や高田のほかにも、150キロ左腕の高山優希(大阪桐蔭)、敦賀気比の遊撃手の林中勇輝など、今年の高校生は豊作といわれている。とはいえこの夏も、清宮が話題を独占するのかな。

B 清宮は春季東京大会では2回戦敗退でしたが、この春に戦った12試合で、14本塁打。高校通算本塁打を36本にまで伸ばしています。ただ、今年の早実は投手力が弱く、夏も厳しいとの下馬評です。一塁からセンターにコンバートされた清宮の守備も、見るからに鈍足だし、もともと投手をやっていたとはいえ肩を故障して投手を断念した経緯がある。プロでは一塁を助っ人外国人が守ることが多いため、将来を見据えた転向であるのは理解できるんですが、それが吉と出るか、凶と出るか。

A 今年の夏は、リオデジャネイロ五輪と日程が丸かぶり。清宮にはぜひ甲子園にたどり着いて、盛り上げてほしいね。

(構成/編集部)

【1】8号門クラブ
春夏の甲子園大会を応援する私設応援クラブのこと。1990年頃に結成されたとされ、甲子園球場の8号門前にメンバーが集うことからこう命名された。プロ野球と違い全席自由席で興行される春夏甲子園大会のバックネット裏の席を事実上常に占拠しているような状況が続いていたため、一部では批判の声も上がっていた。

【2】甲子園100回大会
2018年夏に開催予定の、“夏の甲子園”こと全国高等学校野球選手権大会の第100回大会のこと。同大会は1915年に「全国中等学校優勝野球大会」としてかつての豊中球場で開催が開始され、1924年以降は阪神甲子園球場での開催へと移行、太平洋戦争期の中断を経て、2008年には第90回記念大会を迎えた。

加藤紗里はなぜ名乗りでたのか? 売名行為の成功者がいない理由を検証!

――狩野英孝と川本真琴の交際報道に乗っかり、自らも「付き合っていた」と発表した加藤紗里。その姿は痛さと興味の間でさらに話題になっていたが、結局“売名”のレッテルが貼られ、今ではメディア露出も下火となった。一体彼女たちはどんなうまみがあって、こうした売名行為に身を委ねてしまうのか?

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メディアに出るためならなんでもやる印象がある芹那。過去の失敗や言い寄られた男を告白した彼女の次なるエピソードが気になるところだ。

 芸能界とは、何かに秀でた人間が集まる場所。どんなことで評価を得るかは人それぞれだが、生き残る人にはそれだけの理由がある。しかし例外的に、自らになんの能力がなくとも名が売れることがある。いわゆる売名と呼ばれるやり方だ。

 広辞苑によれば、その定義は『自分の名前を世間に広めようとつとめること』とあるが、実際には悪い意味で使われることが多い。芸能界の場合、その方法が、無名な人が有名な人を利用する“他力本願”に限られるからだ。ではなぜ、こうした“売名行為”に走るのだろうか?

 最近では、1月25日に歌手の川本真琴がツイッターで恋人の存在を明かしたことで始まった狩野英孝のニ股報道で、突如として有名になったタレント・加藤紗里の一件がもっとも記憶に新しいところだろう。25歳で特に実績がなかった彼女は、女性タレントとして売れるにはかなりギリギリの年齢だったはず。そこへ来て、狩野という芸人を利用して、恋愛関係を赤裸々に暴露し、結果そのネタだけで積極的にメディアに露出したのだから、売名と呼ばれても仕方がない。騒動後、『情報ライブミヤネ屋』(日本テレビ)、『白熱ライブ ビビット』、『サンデー・ジャポン』(共にTBS)、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)、『めちゃ×2イケてるッ!』、『ダウンタウンなう』、『全力!脱力タイムズ』(全てフジテレビ)などワイドショーからバラエティ番組まで触手を伸ばした。

 実際に加藤紗里の売名疑惑は、早い段階で噂されていた。二股報道があってから彼女をすぐに起用したテレビ関係者は「彼女と出演前に打ち合わせた段階で、狩野への愛がまったく感じられなくて驚愕した」と語る。そうした様子はテレビの画面からお茶の間へと伝わり、彼女の一連の告白は「もともと狩野を利用するつもりで近づいたのでは?」と勘ぐらせるのには、十分だっただろう。それから破局宣言なども挟みつつ、売名の延命治療を続けてきたが、ある芸能記者は「過去に売名で成功した例はない」と語る。

 確かに、これまで売名からそのまま売れ続けたタレントは例がない。弱肉強食の芸能界で生き抜くには、名前がいかに認知されるかこそが最重要。そこに明確な方法論などなく、生き残った者だけが正しい。そのため売名がキッカケでも、その後活躍できれば問題はないはずだ。しかし大抵の場合、すぐに姿を消してしまうのは、そもそも売名をする動機が“せざるを得なかった”からだろう。実力がなく、売名という最終手段を取ってしまっているのだから、急に表舞台に立たされて何もできないのも無理はない。

 過去には書籍で肉体関係などを暴露する売名もあった。例えば当時、芸能界から干されていた石原真理が明石家さんまなど大物芸能人との恋愛遍歴を暴露した『ふぞろいな秘密』(双葉社)が話題を呼んだ。しかし、結局その後の露出につなげられていない。一瞬の興味を引いたとしても、彼女自身にそこから這い上がる実力がなければ意味がないのだ。

 また「魔性の女」の異名も手に入れてしまった芹那のように、事あるごとに売れっ子芸人の名前を出して関係性をアピールし、細かく売名を重ねるケースにも同じことが言える。その場のトークは盛り上がるが、何度も使えるエピソードではなく、自身の面白さをアピールすることにはつながらない。売名だと感づかれ、関係者の不信感も溜まれば、使いにくいタレントとなってしまう。

 ではなぜ無名タレントはそうまでして、成功例のない売名に夢を見るのか。名前さえ売れれば活躍できると自分の実力を本気で信じている者、もう最後だと覚悟を決めて大きな花火を打ち上げに行く者、その理由はさまざまだろう。確かにまったくチャンスがないのなら、やらないよりは価値があるのかもしれない。しかしどう考えても、売名後の実力や戦略がなくては無駄死にと言わざるをえない。

「その点、加藤紗里は、まだ成功しているほうかもしれません。最近はテレビもぶっちゃけ番組やワイドショーでの告白が当たっていて、出演が多くなっているのも要因でしょうね」(前出・芸能記者)

 つまり、どうせ悪いイメージがつきまとうのなら、いっそのこと開き直って、自分の実力不足を認め、汚れ役に徹し、メディアの要望に柔軟に対応して小金を稼ぐだけ稼いだ方がいいという考え方もあるということだ。今回、加藤紗里は、その堂々とした態度で仕事を広げてきた。彼女がそれを狙ってやっているのだとしたら、今後「売名を認める」という延命法が残されているかもしれない。

 また、売名といえば、圧倒的に女性の数が多いのも大きな特徴である。大物女優が利用されるケースなど聞いたことがない。それに比べて、男性芸能人は大物になっても脇が甘い。女性側に最初はその気がなかったとしても、隙を感じ取ってしまえば、売名という禁断の果実に思わず手を出してしまうこともあるだろう。

 そう考えると、無名女性タレントが有名男性タレントに近づく行為を全て売名と一括りにしてしまうのは簡単だが、女性側の意識にも差がありそうだ。もしかしたらそんなつもりがなかったのに、レッテルを貼られてしまうケースもあるだろう。バナナマンの日村勇紀とフリーアナウンサーの神田愛花の熱愛も今は祝福ムードに包まれているが、もし破局となれば神田の売名だったと叩かれる可能性もある。それが本当の恋だったとしても、日村と神田の格差を考えると世間には響かない。ぶっちゃけ番組などでの告白ブームに乗じて、売名が増え続ければ、何が売名で何が売名でないのか、線引きも難しくなってくるかもしれない。

(文/オガワケンジ)

お隣さんと大喧嘩、そして銃声が31回鳴った――ご近所トラブルが“戦争”になった日

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殺されたゲイリー(左)と、予審中のウィリアム(右)。

「これは戦争だ。俺は兵士で、この戦争の勝者だ」

 迷彩のズボンを履き、腕に星条旗のタトゥーを施した男は、無機質な警察の取調室で、捜査官に向かってそう言い放った。男はこの直前、隣人に向かって31発の弾丸を発砲し、2人を殺害、1人に重傷を負わせたばかりだった。

 男の言う「戦争」とは一体何を差すのか? 些細なトラブルから発展した「お隣さん襲撃事件」の内実に全米が震撼した。

■無二の親友だった隣人とその一家

 フロリダ州タイタスビルに住むウィリアム・ウッドワード(当時43歳)は、妻と2人の幼い娘と暮らしていた。湾岸戦争を経験した退役軍人である彼は、PTSDに苦しみながらも、温かい家族と、自宅の庭で飼育する20羽以上の鶏に癒され、ささやかな生活を送っていた。

 一家の隣に住むゲイリー・ヘンブリー(当時39歳)は、ウィリアムの良き理解者であった。長年に渡る親友だった彼は恋人と、その間に生まれた子どもと暮らしており、ウィリアム一家とは家族ぐるみの交流を持っていた。お互いの子どもたちを連れ、馬車の荷台に干し草を積んで街中を巡ったり、ウィリアムの妻が購入した滑り台の下にはいつも子どもたちが集まり、毎日のように顔を合わせていた。あるいはゲイリーの家に修理が必要な時はウィリアムがお金を貸すなど、2つの家族は良き隣人として強い絆で結ばれていた。

 アメリカのどこにでもあるこの美しい郊外の風景が“戦場”に変わるのは、ほんの些細な出来事からだった。

■パーティーのプレゼントは誰が盗んだのか?

 2012年、事件はウィリアムの娘が12歳の誕生日を迎えた夏に起きた。

 ウィリアムは娘の誕生日パーティーを自宅で開いた。ゲイリー一家はもちろん、他の地元住民も招待し、盛大にお祝いが行われるはずが、その結末は最悪のものになってしまう。ウィリアム達が娘へのプレゼントから目を離した隙に、何者かにそれを盗まれてしまったのだ。そのときウィリアムが疑ったのは、ゲイリーの娘だった。泣きながら否定する我が子を見たゲイリーは、ウィリアムの行動に怒り狂った。

 この事件を切っ掛けに、隣人同士の関係は完全に決裂してしまう。そしてゲイリー一家と、その家で共に暮らしていた友人カップル、さらにゲイリーの反対隣に住むカップルから、ウィリアム一家は毎日激しく罵倒されるようになった。

 罵倒は日々エスカレートした。退役軍人であったウィリアムに対して「偽G.I.ジョー野郎!」と罵り、時にウィリアムの父親にも「バットでぶん殴るぞ!」と脅すまでになった。身の危険を感じたウィリアムの父親は、軒先に防犯カメラを設置。ウィリアムもウィリアムで中指を立てて応戦し、犬の散歩をする際も拳銃を携帯するほどだった。

 激しくお互いを牽制しあう両者の元には、一日に何度も警察が仲裁に入る日もあった。それでも罵り合いは終わらない。やがてゲイリー側は、ウィリアムの心の支えであった鶏をからかい始めた。車で鶏の柵の横を通るたび、クラクションを鳴らすゲイリー。事態は悪化の一途を辿った。

 そして、決裂から約1カ月後、ウィリアムとゲイリーは裁判所に出廷することになる。それぞれ「隣人からの身の危険を感じている」として保護命令を申し立てたのだ。しかし、裁判所はこの両者の申し立てを却下。その後、裁判所の駐車場で鉢合わせた2人は激しく興奮し、ウィリアムはゲイリーに暴行を働いて逮捕されてしまう。

■”戦場”に変わった閑静な住宅街

 裁判所での一件があってから5日後の、12年9月2日。

 国民の祝日であるレイバーデイ前日に、ゲイリーと仲間達は、自宅の庭でバーベキューパーティーをしていた。

 ウィリアムは、暴行事件で逮捕された直後に釈放されたものの、相変わらず続く隣家からの激しい罵倒に悩み続けていた。そしてこの日も、パーティーの騒音に混じって大声で罵ってくるゲイリーたちに、ウィリアムの怒りは限界まで達していた。

 日付を跨いだ頃、ウィリアムはついに行動に出てしまう。家族が寝静まったのを確認すると、上下軍服に着替えてハンドガンを握りしめた。父親が設置した自宅の防犯カメラが捉えたのは、まるで戦場の兵士の様に、身をかがめてゲイリーの家の庭に忍び込むウィリアムの姿だった。そして彼は、バーベキューを楽しむゲイリーと友人達に向かって発砲した。

 閑静な住宅街に鳴り響いた銃声は合計31発。ウィリアムはハンドガンの弾が切れると、弾倉を変えて撃ち続けたのだった。この銃撃によってゲイリーと友人は死亡。1人が重傷を負った。ゲイリーの息子から通報を受けた警察は、現場に急行。ウィリアムは自宅で逮捕された。

■引き合いに出された「ブッシュ・ドクトリン」

「戦争は終わった」

 頭を抱え、取調室の机の上でうなだれるウィリアムは、逮捕後の取り調べで捜査官にそう呟いた。事件の詳細について尋問を続ける捜査官に、ウィリアムは「俺の家族は威嚇され続けていた」と、家族に“命の危険”が迫っていたと語り、襲撃は正当防衛によるものだったと主張を始めた。しかし、威嚇のような暴言こそあったものの、襲撃の日はゲイリー達は直接危害を与えることなく、バーベキューをしていただけ。さらに襲撃当時、ゲイリー達は銃はおろか、ウィリアムに致命傷を与えるような武器を持っていなかったというのだ。

 ウィリアムの襲撃は正当防衛に値するものなのか? 彼の弁護士は、この襲撃を「ブッシュ・ドクトリン」に準えて、正当性を主張した。

「ブッシュ・ドクトリン」とは、02年にブッシュ元大統領が発表した、テロとの戦争において、自衛のために先制攻撃をする自己防衛方針のこと。つまり、ウィリアムはゲイリー達から襲撃される前に先制攻撃することで家族を守った――つまり、「殺られる前に、殺れ」を実行したというのだ。だがこの弁護士の主張は、丸腰の相手に31発もの弾丸を発砲したウィリアムが有罪判決を受けるのは間逃れられないと判断した苦肉の策ではないかと思われ、世間の納得を得るもではなかった。

 結局検察は ウィリアムを殺人罪と殺人未遂罪で起訴。極刑をも視野に入れ、法廷で闘う姿勢を示した。ウィリアムの弁護士は、これに待ったをかける。通常、予審で事件を公判に付すべきか否かを決めるのは裁判官なのだが、その決定権を陪審員に委ねたいと申し立てを起こしたのだ。これによって、予審すら開かれないまま2年半の月日が経ってしまった。そして、昨年ようやく行われた予審では、結局裁判官がその決定権を持つこととなり、ウィリアム側の申し立てを却下。事件は公判へと付されることになった。

 些細な出来事から、殺人事件へと発展してしまった「ご近所戦争」の結末――現在、ウィリアムは公判に向けての準備を進めている。

井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。

「日本女子、惨敗」とか、笑わせないで! 浅田真央、宮原知子、本郷理華の輝きと、私が「アイドル」を信じる理由

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、本サイトで絶賛連載中の「オトコとオンナの裏の裏」。いつもは芸能報道に斬り込んだ内容をお届けしていますが、今回は番外編。フィギュアスケートに造詣が深い筆者が、熱戦を繰り広げた「世界フィギュアスケート選手権2016」を【男子編】【女子編】2回にわたり振り返ります。

前半の【男子編】はコチラ

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『浅田真央公式写真集 MAO』(徳間書店)

 閉幕してほぼ1週間が経つのに、私ったらいまでもフィギュアスケートの世界選手権の映像を流しっぱなしです。特に、女子シングルはショートプログラムもフリープログラムも、過去に例のないほどの激戦で、何度見ても興奮を抑えきれません。
 そうは言っても、試合からすでに5日も6日も経って、それぞれの演技を詳しく解説するだけではさすがに「遅すぎ」ですから、今回はもう少し広い視点から「私がどうしてフィギュアスケート選手をアイドルにしているのか」ということも含めて書きたいと思います。
 まずは試合全体の印象、そして3人の日本人選手について…。

◆ロシア対アメリカ
 今大会、ロシアとアメリカが、それぞれ、何をもって『いいスケート』と考えているか。それがより明確になったような気がします。
 ジャンプの前後の凝ったエッジワークや、エッジワークと連動する、指先までも含めた体の動きに主眼を置いたロシアの若き大器、エフゲニア・メドベデワ。16歳で、「力」ではなく「ひざと足首の柔らかさをいかした体重移動」で、あれだけエッジを使えるのは驚くばかりです。この1~2年で、スケーティングがあれだけ急成長を遂げたのもすさまじい。回転不足をとりようのないジャンプと、着氷後に流れがやや悪くてもエッジワークを入れられる強さも特筆ものです。まあ、「タノジャンプ(片手を上げて跳ぶジャンプ。アメリカの男子シングル選手、ブライアン・ボイタノのトリプルルッツが有名、というか名前の元)の回数制限の議論は起こりそうだわ」という思いもありますが…。

 対して、アメリカのアシュリー・ワグナーとグレイシー・ゴールドは、「スピードと流れ、エフォートレス(まったく力が入っているように見えないこと)で明確なエッジワークこそがフィギュアスケート」という「答え」が、演技全体からほとばしっていました。特にグレイシー・ゴールドのショートプログラムの、「フォア・バック」「イン・アウト」計4つのエッジの滑らかな移行っぷりには目を見張る思いでした。
 やはりアメリカの「理想のスケート」はミシェル・クワン、それも1996年後半から1998年あたりのクワンなんだなあ、としみじみ。ゴールドのコーチはミシェル・クワンを世界チャンピオンにした人でもありますが、その影響もあるのでしょうか。シャーロット・スパイラルもクワンの影響バリバリに受けている感じでしたし(シャーロット・スパイラルはワグナーも使っていましたね)。

 ロシアとアメリカ、どちらが正解か。どちらも正解です。それに順位をつけなくてはいけない審判たちは、本当に大変だったろうと思います。

◆日本勢について
 どこかのメディアが「惨敗」と評したようですが、とんでもない話です。日本勢に限らず、本当に多くの選手が素晴らしい演技をし、スコアの差は本当に小さいものでした。来年の世界選手権はどうなるか、まったくわからないほどの大激戦。これを「惨敗」と評すことは、スポーツそのものをバカにすることと同義だと思います。

●宮原知子
 1シーズンごとに着実に成長している選手です。そして今回、「どの場面を切り取っても、美しい」というスケーターになったと思います。「ピクチャー・パーフェクト」という言葉が英語にありますが、ほんと、「すべてがシャッターチャンス」というスケーターになったなあ、と。特に、ジャンプ着氷時の上体の使い方、フリーレッグのさばき方、しなやかなアームなどは全選手中のトップに挙げたい。体線の美しさ、ポジションにめちゃくちゃ厳しい海外の解説者、ディック・バトン(オリンピック男子シングル2連覇を果たした80代の方)ですら手放しで絶賛するのでは、と思ったほどです。左右どちらでも自然に回れるスピンやツイズルなどの技術もますます上達しているのが素晴らしい!

●本郷理華
 この連載の2つ前の回で「スポーツを観戦するというワクワク感をいっぱいに味わわせてくれる、躍動感あふれる本郷の演技も楽しみ」といった感じのことを書きましたが、期待をはるかに超える素晴らしさでした。個人的には、中国杯で演技が終わった瞬間にテレビの前で拍手をしてしまったフリープログラム『リバーダンス』が、今回はもう! なんと言いますか、「血が騒ぐ度」があのときよりもさらに上がったような。
 たとえば10年後に本郷のことを思い出したとして、私は間違いなく「あの『リバーダンス』は本郷理華のベストプログラムのひとつだった」と回想するでしょう。そして今後、その「ベストプログラム」がますます増えていくことを期待するばかりです。

●浅田真央
 ファンなので、冷静には語れません。以前にも書きましたが、私にとっては「第一線で競技を続けていること自体がありがたい」選手なのです。ただただ、「競技を続けてくれてありがとう。決断は容易なことではなかったはずですが、だからこそ、あの『蝶々夫人』を見ることができました」という気持ちです。

***

 私が、夏のオリンピック種目では体操競技、冬のオリンピック種目ならフィギュアスケートが好きな理由は…。そりゃ、美しいものは好きですが、それ以上の理由はたぶん「採点競技だから」なのかもしれません。タイムや距離といった「絶対値」を競うのではなく、「得点」を競うのではなく、ジャッジたちがつけた「評価点」によって、順位が決まるもの。好きな選手のスコアが伸びないことにやきもきしたり釈然としない気持ちを抱くファンがいるのも自然なことだと思います。というか、私自身、伊藤みどりの時代(特に87年のNHK杯まで)に、自分でも「なんでここまでの気持ちになるんだろう」と思うほどに、釈然としない気持ちばかりを味わってきました。その気持ちは、カルガリーオリンピックの会場の屋根が抜けるほどの大歓声で、美しく成仏したのですが。

 ただ、「フィギュアスケート選手全般をリスペクトする」応援スタイルになってから、また、自分が学生から仕事をするようになってから、変わったことがひとつあります。それは、「スケーターが信じている世界、スケーターが打ち込んでいる世界を、部外者である私も好きだけど、その世界の壁を打ち破ろうとする権利も、打ち破ったときに与えられる栄光も、すべてはスケーターだけに与えられればいい」という考えになったことです。

 比べるのもおこがましいですが、私の仕事も、他者からの「評価」のみで成り立っているようなものです。「何文字書いたか」という「絶対量」は、なんの判断基準にもなりません。私の書くものを「面白い」「つまらない」と評価するのも、私自身ではなく、編集者だったり読者の方々だったり。それが、私の選んだ仕事です。

 というか、世の中の仕事はだいたいそんな感じです。「絶対値」のみで仕事を成り立たせている人は、ごくごく少数のはず。営業成績のようなものも、「他者からの評価が数字になったもの」なわけですから。

 もう一度言います。「比べるのはおこがましい」ということは知っています。しかし、私にとっては伊藤みどりの時代から、スケーターは「他者からの評価の壁を、自分自身の努力やここ一番の集中力で破り、一段二段と高いところへ行く人たち」でした。その姿に、私は「自分ももうちょっとやんなきゃ。周りがどれだけなぐさめてくれたとしても、やるのは自分」という力をもらってきたわけです。そういう「気づき」とか「エネルギー」を与えてくれる存在が、私にとっての「アイドル」であり、今回の世界選手権でも、「気づき」も「エネルギー」もたっぷり受け取ったと断言できるのです。

 2016-17年のシーズンは、10月のスケートアメリカから本格的に開幕します。選手たちが、今度はどこまでの壁を破ろうとしているか、見えてくるのは約半年後です。そのときが今から楽しみでなりません。

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高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

羽生結弦、宇野昌磨の「追い詰め方」が胸に痛い…「スケオタ」が見た世界フィギュアスケート選手権【男子編】

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、本サイトで絶賛連載中の「オトコとオンナの裏の裏」。いつもは芸能報道に斬り込んだ内容をお届けしていますが、今回は番外編。フィギュアスケートに造詣が深い筆者が、熱戦を繰り広げた「世界フィギュアスケート選手権2016」を【男子編】【女子編】2回にわたり振り返ります。

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フジテレビ「世界フィギュアスケート選手権2016」公式HPより

 フィギュアスケートの世界選手権の開催中、案の定、私はテレビの前に座り込む勢いで試合を見ておりまして、原稿がたまりにたまってしまいました。サイゾー以外の会社で新しく連載も始まるというのに、この体たらく。自分の仕事をなんだと思っているのでしょうか…。

 ただ、捨てる神あれば拾う神ありと言いますか、サイゾーの担当編集者に「世界選手権のこと、好きに書いてください」と言ってもらえたので、今回は「オタの独り言」という体裁であれこれ書かせていただこうと思います。ちなみに私、「スケオタ」という単語を使用するのは初めて。周りに語れる人がそうそういなかったもので、そういう単語を使う機会もなかったわけです。

 ただ、スケオタとして心に浮かんだすべてを書いてしまうと膨大な量になってしまうので、男子と女子のシングルだけ、それも日本選手と海外の有力選手中心でいきたいと思います。まあ、書く前から分かっていますが、それでも大変な分量になるでしょう…。

◆男子・ショートプログラム
「氷のコンディションが悪いのかも」と思ったのは、ハン・ヤンの演技の時。解説の本田武史も指摘していましたが、ジャンプの着氷の瞬間、「このままエッジに乗ってこらえられるはず」というところで、氷のほうからエッジを弾いてしまい、転倒へとつながる傾向が、ほかの選手にも見られました。デニス・テンなんてダブルトゥで転んでいたし。そんな状態でも「いい演技」のために全力を尽くさなくてはいけない。大変よね…。

●ミーシャ・ジー
 ウズベキスタンの選手というカテゴリーでは、私にとっては歴史に残したい名ルッツジャンパー、女子シングルのタチアナ・マリニナ(1999年の世界選手権のフリーは特に素晴らしかった)以来のお気に入りです。

 すべての要素を美しくまとめたプログラム。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、多くのスケーターが使っていますが、盛り上がりのある第1楽章か第3楽章を入れる選手がほとんどです。静かな第2楽章のみで構成したもので印象的なのは、中国・陳露の1996年世界選手権のフリープログラム。久しぶりに思い出しましが、あれも本当に素晴らしいプログラムでした。

●ボーヤン・ジン
 NHK杯や四大陸選手権での「素晴らしい」というより「すさまじい」と呼びたい演技があったので、「氷の状態を考えたら、よくここまでまとめたな」という印象。4回転ルッツ(!)でオーバーターンがあったにもかかわらず、トリプルトゥをつけられるのは驚異的です。

 ただ、今回気づいたのは、「ジャンプの出来が、ほかの要素にもダイレクトに影響を及ぼすタイプなのかも」ということ。今シーズンだけでもメキメキと上達したはずの、はつらつ・キビキビした動きが明らかに精彩を欠いていたような。コーチ陣もたぶん今後の大きな課題にすることでしょう。

●パトリック・チャン
 スケーティングの「1歩」の伸び、スピード、そして極めて複雑なエッジワークなのに「観客席のいちばん後ろからでも、また、360度どこからチェックしても、『いま、どのエッジをどれくらいの深さで使っているか』ということが明確に見えるはず」という技術、どれをとっても史上最強だと思います。私にとって「スケーティングの神」といえば、女子は佐藤有香、男子はパトリック・チャンです。

 チャンがほかの選手にくらべてトリプルアクセルが特に苦手であることは、スケートファンなら誰もが知っていることですが、今回も…。ただ、繰り返すようですが、プログラム全体にわたって、「この人しかできない」スケーティングを堪能しました。

●ハビエル・フェルナンデス
 サルコーとトゥループ、4回転でも得意なはずのサルコーで転倒。さすがにビックリしました。ただ、ここ数シーズンのスケーティングの上達ぶり、そのスケーティングと振付の見事な融合ぶりがくっきりとアピールされた、密度の高いプログラム。ブライアン・オーサーとコレオグラファーを含めたチームの手腕には驚かされるばかりです。

 スペインをモチーフにした曲は「パッション」のアピールには最適なのか、フィギュアスケートの使用曲としては突出した頻度を誇ると思います。ラ・マラゲーニャ、エスパーニャ・カーニ、スペイン狂詩曲、カルメン…。なのに、スペインにはいままで有力選手がいなかった。「スペイン史上初めて」と言ってもいい実力派・ハビエルによる、スペインの曲でのパッションの表現。そりゃ似合うはずですわね…。

●宇野昌磨
 あらためて感じ入ったのは、宇野昌磨のミュージカリティの高さです。

 ほとんどの選手およびそのコーチは、印象的な「メロディー」が演技を助けてくれる、と考えているはずです。有名なクラシック曲、バレエやミュージカルの曲、映画音楽、ジャズのスタンダードナンバーなどがよく使用されるのは偶然ではないと思います。

 よく知られている旋律だからこそ、多くの観客がさまざまな感情移入ができ、結果、「いい演技」により多くの熱狂が生まれる…という化学反応を期待する部分もあるはずです。

 宇野昌磨のショートの曲は、「メロディー」ではなく「リズム」メインというか、「ビート」が主役ともいえるもの。お酒を飲むほうではなく踊るほうの「クラブ」になじみのある人でないと、盛り上がりどころをつかみにくい曲です。偏見を承知で言うなら、「フィギュアファン」と「クラブ好き」を兼ね備える人はごく少数のはず。そんな曲で、ここまで観客を引き込む18歳。まったくもって、ただものではありません

 トリプルアクセルの着氷後のエッジワークと振付! 着氷時はバックアウト~バックイン~バックアウトに乗せたところでフリーレッグを高くキック…の流れに思わずテレビの前で拍手。氷の状態(断定)にもかかわらず、コンビネーションの着氷の乱れを最小限に抑えたのも素晴らしい。

●羽生結弦
 この原稿をアップするのはフリーが終わった後ですから、ショートの演技終了後の「雄叫び」をどのように解釈したかを書くのは、後出しにもほどがあると思うので控えます。ただただ、素晴らしかったと言いたいと思います。

 羽生結弦のプログラムの何がどのように素晴らしいかは、この連載の前回分でも書いていますが、そこに追加すると…。

■4回転サルコーからのイーグルのあと、音楽が一瞬止むと同時に動きがストップ。そこから、「左足を軸に、反時計回りのターン」「右足を軸に、時計回りのターン」をするのですが、「どちらが自然な軸足か、どちらが自然な回転方向なのか」が一見わからないくらいに、どちらも精度が高い。

■4回転トゥで着氷姿勢がやや腰が沈んだにもかかわらず、コンビネーションのトリプルトゥにはその影響がまったくなく、「エアリー」と呼びたいほど軽やかで完璧だった。

■トリプルアクセル前のイナバウアーが、羽生の正面からのカメラアングルでしっかりとらえられていて、かなり嬉しかった。バレエの4番ポジションのような、非常にハードな態勢なのがわかって、あらためて羽生結弦の柔軟性にビックリ。

 という感じでしょうか。

◆男子・フリープログラム
「なんかショートプログラムのとき以上に氷が悪いかも…」と思いながら見ていたフリー。衛星中継の画質が上がると、こういうところにまで目が行ってしまうようになりますね。アメリカは言わずと知れた、ロシアと並ぶフィギュアスケート大国。その国で行われる大イベントにしては、やはりちょっと残念な気持ちが残ります…。もちろん、氷の状態を言い訳にしない選手たちへのリスペクトは大いにあるのですが。

●ミハイル・コリヤダ
 彼にとっては一世一代の演技と言っても過言ではないはず。個性的な振付で楽しかった!

 ただ、欲を言うなら、個性的な振付が「エッジと連動していない」というか、「あくまでも腰から上の振付であって、その振付をしているときのエッジワーク自体はわりと単調」なのが、今後さらに上を目指すうえでの課題になるはずです。

●ボーヤン・ジン
 4回転ルッツの大きさはやはり異常。ちょっと軸が曲がったり回転があやしいジャンプであっても、今回はとにかく「転ばない」という粘り強さがありました。

 ただ、フィギュアスケートで大事なのは「エッジの流れ」、海外の解説者が言うところの「フロー」であり、コリヤダの演技の感想と重複しますが「エッジワークと連動するような振付」であると私は思っています。旧採点方式だと芸術点にあたる「プログラムコンポーネンツ」に直結する要因。それをいかに磨けるか…というのは、フィギュアスケートファンの総意でしょう。

 エッジワークを磨いて、4分半を魅せきるプログラムを作れたら、4分半を魅せきる能力ができたら、ボーヤン・ジンは2019年以降の超有力なチャンピオン候補の一人になります。

●パトリック・チャン
 直前の四大陸選手権のフリーがあまりにも素晴らしかったので、どうしても「夢よもう一度」を期待してしまった自分がいました。しかし、結果は5位。

 2011年から2013年で世界選手権を三連覇したころのパトリック・チャンは、「圧倒的なスケーティングスキルを評価されて、ジャンプに多少のミスがあっても勝てる」という状況になっていました。しかし、2012年の世界選手権のフリーで高橋大輔が、個人的には「歴史に残したい」というほどの名演技をしたにもかかわらず2位、2013年はデニス・テンの出来栄えが非常によかったにもかかわらず2位。あくまで「テレビを通じて」ですが、会場にも明らかにチャンの優勝に納得していない雰囲気が充満していたように思います。

 個人的な推測にすぎませんが、あの2年を境に、「チャンとほかの選手のスケーティングスキルの差は、もう少し狭い幅で点数化してもよくね?」という暗黙の了解ができあがったのでは、と。距離やタイムという「絶対値」ではなく、点数という「相対値」による競技の難しさを、ここ数年でいちばんに感じたのは、私にとってはあの2年でした。

 できればチャンには続けてほしいのですが、どうでしょう。今回の「5位」という成績は、平昌オリンピックまで続けるためのモチベーションを、刺激したのか萎えさせたのか…。

●宇野昌磨
 正直、まったく悪くない、というか、胸を張っていい出来です。後半の4回転トゥの激しい転倒後にトリプルアクセルを2本成功させたことも含め、力の入ったいい演技でした。が、誰よりも本人が納得してない表情。私は何より、その「意気」こそが素晴らしいと思いました。

 宇野昌磨は、昨シーズン、4回転トゥループを取得し、トリプルアクセルの精度を飛躍的に高め、ルッツの踏切のエッジまで修正しました。そして今シーズンは、ジャンプの着氷の際に右腕をクルンと回す癖を修正してきています。「右腕クルン」は、「見る人によっては『着氷の態勢が充分ではなかったために、腕でバランスをとっている』ととらえる人もいるのかな」という程度の癖。しかし、ジャンプのような高難度の技を行う際の体の動きそのものを変えるというのは、大変な鍛錬が必要だったはずです。

 宇野昌磨は、それだけのことを成し遂げたあとでも、納得しない。つまりこの選手は、本人が思っているよりも何倍、何十倍も努力家なのだと確信しています。

 宇野昌磨が自分で満足できるレベルにまで自分を磨いたら、ちょっと空恐ろしくなるほどの選手になると私は思います。同時に、「そうは言っても、自分を追い詰めすぎないでほしい」とも思っているのですが。

●羽生結弦
 異常なまでに難易度の高いプログラムでありながら、NHK杯とグランプリファイナル、2試合続けての「驚異的」と呼びたい出来栄えを見てしまったがゆえに、私は勝手に「羽生結弦はこのレベルがいつでもできる選手である」と思っていたところがありました。それは、あれだけの難しいことに挑戦し続けるアスリートに対する、失礼な見方でもあったなあ、と反省もしてしまったり。

 ピーキングの難しさとか、メンタルコントロールとかに関しては、素人である私がうんぬんするまでもなく、本人とコーチ陣がすでに「次」を見据えて取り組んでいることでしょう。スケートファンとしては、ただただ、その「次」を楽しみに待ちたいと思います。

 あえて言うなら、宇野昌磨のときにも感じたのですが、「自分を追い詰めすぎないでほしいな」と。宇野にせよ羽生にせよ、その傾向が非常に強いタイプのような気がするので…(もちろん、その性格こそが彼らをトップに押し上げた要因でもあることは承知していますが。難しいところですね…)。

●ハビエル・フェルナンデス
 見事!

 ジャンプに関してはもともと超一流だった選手が、小気味いい、歯切れのいいスケーティングを身につけて、振付に成熟した味も加え、ああいった曲をバックに再び頂点に立つ…。

 私は、1993年の世界選手権でカート・ブラウニングが、『カサブランカ』と高橋大輔もバンクーバーシーズンにチョイスした『道』、2つの名画の音楽を使用した、素晴らしいフリープログラムで頂点に立った試合を思い出しました。ポケットに手を入れる仕草も、カートを思わせる小粋さでした。

***

 …自戒を込めて言いますが、「オタク」というのは、本当に場所も空気も読まないものですね。原稿の分量、多すぎです…。女子についての感想は、回を改めて…。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。

【磯部涼/川崎】“流れ者”の街で交差する絶望と希望

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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16年2月、約1年前に川崎区の多摩川河川敷で中学1年生の上村遼太くんが殺害された事件で、殺人と傷害の罪に問われた少年の裁判員裁判が開かれた。

「ダメだ、外れた……」「おお、当たってる!」。2016年2月2日、午前9時15分。寒空の下に熱を帯びた声が響く。800人以上が凝視するのは、当選番号の書かれた看板。そして、その周りを無数のカメラが取り囲む。「ウチは全滅かぁ」「○○君が当たったって!」「さすが、持ってる男は違うねぇ」。談笑する報道関係者の横で、老人が茫然と看板を見つめる。手にした額縁の中では、可愛い顔をした少年が微笑んでいる。山下公園や横浜スタジアムに程近い、横浜地方裁判所前。この日、行われるのは、当然、愉快なイベントなどではない。約1年前に起こった、近年まれにみる凶悪な少年事件――いわゆる川崎中一殺人事件の初公判だ。

 やがて、横浜地裁前の下世話な興奮は朝のワイドショーを通して全国に伝わり、以降、判決が下されるまでの1週間、すでに風化しつつあった事件は、テレビやネットで再び盛んに取り上げられることとなった。それだけではない。初公判の同日には、昨年5月に川崎区・日進町の簡易宿泊所で起こった火災事件が放火であることが判明。現代日本が抱える問題を凝縮したような、ディストピアとしての川崎区が再び注目されたわけだが、約1カ月後の現在、人々は他のゴシップに夢中だ。

 しかし、それは地元も同様である。川崎駅前の仲見世通りのバーで会った不良青年に、くだんの殺人事件のことを訊くと、彼は「まだ、あれを追ってるんですか?」と一笑に付した。「犯人グループの内のひとりは、パシリに使ってたことありましたけどね。それより、この前、もっとヤバいことがあって――」。あるいは、日進町で話しかけた、生活保護を受けながら簡易宿泊所で暮らしているという老人は、近所で起こった大火災を平然と振り返る。 「このへんは、毎晩のようにサイレンが鳴るからね。ただ、あの日はいつもより長いんで様子を観に行ってみたら、あららって」。

 老人は全国の飯場を転々とし、5年ほど前に川崎区にやってきたのだという。また、くだんの殺人事件の被害者も同地へと流れ着いた者のひとりである。そして、慣れない土地で彼を受け入れてくれたのが、後に加害者となる不良グループだったのだ。しかし、前述の青年をはじめ、川崎区の不良たちが口を揃えて言うのは、フィリピン系ハーフの少年をリーダーとするグループは地元で浮いていたということだ。やがて、不良ヒエラルキーの下位にいた彼らは、さらに下位である被害者を取り込もうとしたものの、思う通りにいかなかったため、殺人に至ってしまう。彼らはみな“川崎”というコミュニティにおけるはみ出し者だった。

ディストピア・川崎のパンクスvsレイシスト

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左上:C.R.A.C.川崎のメンバー・N。
右上:川崎区の多文化都市・桜本で行われた「日本のまつり」の参加者たち。
左下:桜本の市立小学校で催された音楽イベント「桜本フェス」に出演したフィリピン系の少女・アリサとナタリー。
右下:川崎区日進町の簡易宿泊所に住んでいる老人。

「川崎は流れ者の街でもあるんですよ」。パンク・ファッションのAは、ビールのグラスをあおりながら言う。耳たぶに空いた大きな穴から夜の川崎が見える。「こいつは地元が静岡で、オレは愛知で、どっちも田舎の閉塞感が嫌で高円寺のライヴハウスで遊んだりしてたんですけど、結局、生きるためにまた川崎っていう“ムラ”に来ざるを得なくなって」。そう話すのは、川崎区・堀之内のスケート・ショップ〈ゴールドフィッシュ〉のコーチ・ジャケットを着込んだPだ。仕事終わりに駅近くの中華料理屋に集まってもらった彼らは、この街で繰り返される、いわゆるヘイト・デモに対抗する組織〈C.R.A.C. 川崎〉周辺のアクティヴィストである。

 そして、AとPが現場仕事と安い家賃を求めて川崎区にたどり着いた際、転がり込んだのが、川崎南部で生まれ育ったNの家だ。ただし、髪をピンクに染めた彼もまた、長年、東京で暮らしていた。「川崎のヤツらって地元から出ないんですけど、オレは狭い世界にとどまっているのが嫌で」。Nは都内を転々としながら、パンク・シーンという非地域的なコミュニティの中で生きてきた。しかし、私的な事情から川崎区に帰ることになる。「最初は『またすぐ東京に戻るよ』って言ってたものの……」。次第に彼らはこの地に深くかかわっていくのだった。

「流れ着いた頃は『川崎なんてぶっ潰してやる!』みたいなことばかり言ってました」とP。「仕事を通して、この街の汚いところをいっぱい見たんで。でも、居酒屋で働いてるときに、客で来てたフィリピンの女の子たちと仲良くなったんですよ。最初はうるさいし、『また来たよ……』みたいな感じで。ただ、そのうち話すようになり、働いてるパブに遊びに行ったとき、何気なく『日本に来てどう?』って訊いたんです。そうしたら、その子が急に真面目な顔になって『夢を持って定住しようとする子もいるけど、みんな地獄を見てるよ』って。で、職場に行くと相変わらず同僚が『またフィリピン人かよ』とか言ってるわけです。そのとき、『これが差別か』とハッとして」。彼は街のダークサイドに堕ちそうになっていた自分に気づき、むしろ、その状況を変えようと考えたのだ。

 一方、川崎でも始まったヘイト・デモを気にしていたNは、Pをカウンターに誘う。「パンクには“個であれ”みたいなところがある。だから、地元にコミットする気はなかったんですけど、同時にアンチ・レイシズムはパンクの教養なんで」。やがて、彼らはカウンターを行う中で、ある場所を“発見”した。Pは言う。「レイシストに抗うのは当然として、このディストピアに希望をつくらなきゃいけないと思っていたとき、〈ふれあい館〉を知って驚いたんです。『すでにあるじゃないか!』と」。

“じゃぱゆきさん”の子どもたちが川崎の子どもたちになるまで

「桜本は私の地元。みんな友達だし、すごくいい街だよ」。そう言って、ナタリーは笑った。つい先ほど、ステージで友人のアリサと一緒に、アリアナ・グランデと絢香のヒット曲を歌っていた、フィリピン人の両親を持つ16歳の彼女は、数年前、川崎区・桜本に越してきたという。「将来? 歌手になりたいな」。後ろの壁には、1月31日の、桜本を狙ったヘイト・デモに抗するカウンターの人々の写真が飾られている。ドアの向こうの音楽ホールでは、フィリピン系のハーフと、日本人の若者たちのバンド・TINKSが演奏するモンゴル800「小さな恋のうた」に合わせて、小学生がモッシュをしている。川崎市立さくら小学校で行われていた音楽イベント「桜本フェス」は、クライマックスを迎えつつあった。

 桜本フェスの主催は、さまざまなルーツを持つ人々が暮らしている桜本の、コミュニティ・センター〈ふれあい館〉だ。職員である鈴木健は、今回で2回目となる同イベントが始まった背景に関して、以下のように語る。「00年から05年くらいにかけて、桜本でフィリピンの子どもたちが目につくようになって。何が起きたのかというと、90年頃にエンターテイナー(興行ビザ)でやってきた女性たちが、本国の両親や親戚に預けていた子どもを、もう10代になったからということで日本に呼び寄せたんです」。在留フィリピン人は90年を境に急増している。00年頃、桜本にやってきたのは、いわゆる“じゃぱゆきさん”の子どもたちだ。女性たちの中には貧困のシングルマザーも多く、少年少女が置かれた環境は決して良いとは言えなかった。「ましてや、子どもたちはいきなりフィリピンでの生活を断ち切られて、言葉もわからないところに放り込まれたわけですからね。そういった中で、荒れていく子も多かった。そして、彼ら彼女らに居場所をつくったのが、川崎ではヤクザだったんです」。当時、川崎では、不況によってシノギが減り、さらに、規制強化によって動きづらくなっていた暴力団が、新たな手口として、外国をルーツに持つ少年少女を取り込むケースがまま見られたという。「もちろん、ヒドいことなんですが、彼ら彼女らを受け入れる土壌が社会にはなく、その代わりをヤクザが担ったというのも事実です。また、交渉しに行ってなんとか解放してもらえた子どもたちも、数年たつと、結局は性風俗店で働き始めたり、あの苦労はなんだったんだとがっくりしたこともありました。しかし、あきらめてはいけないと、若者たちとガチで向き合うプロジェクトを立ち上げて。そして、昨年から始めたのが桜本フェスなんですね」。

 イベントを観ていて、アウトローだったBAD HOPがラップを通じ、社会とかかわり始めたように、流れ者だった子どもたちを音楽がすくい上げてくれるのではないかと感じた。しかし、鈴木は「現実はそんなに甘くない」とため息をつく。「この1年で彼ら彼女らを取り巻く環境が変わったかっていうと、はっきり言って変わってませんよ。ただ、生活が苦しいと、『オレはこれだからダメなんだ』と不幸な記憶が積み重なって、身動きが取れなくなっちゃうんですね。それに対して、『でも、あの日は愉しかったよな』ってフェスのことを思い出し、『また良いことがあるかもしれない。もう少し頑張ろう』と考え直してくれたら。そういう、小さくてもいいから、拠り所となる幸せな記憶をつくっていくこと。それって、『勝てないかもしれないけれど、負けないための生き方』なんじゃないか。これは、僕の一方的な、祈りに近いような想いですけど」。

 ただ、着実に変わった点もある。それは、皮肉なことだが、ヘイト・デモが起こったことによって、子どもたちに、地元に対する愛着が芽生え始めているのだという。「今の桜本の子どもたちは、親の世代がいろいろあって流れてきたケースが多いんですが、街の危機だからこそ、自分たちが住んでいるところがどういう場所なのか意識するようになっている。『オレたちの街っていろんなヤツがいるけど、それを当たり前のこととして、一緒に生きているんだ』って。桜本フェスが終わったあとも、事情があってこの街に住めなくなってしまった子が、『それでも、ここがオレの地元だ』って泣いていました」。

 前述のPも、今や川崎を“地元”だと思っていると語る。「そもそも、“地元”みたいなものが嫌で田舎から出てきたわけですけど、オレたちが今やっているのって、結局、新しい故郷を自分たちの手でつくる作業なのかなって。流れ者として街に来て、洪水で溺れてる人がいたから助けて、そのまま去ってもよかったんだけど、街の人たちと一緒に『じゃあ防波堤をつくろうか』という話になって。計算したら15年はかかるぞと」。果たして、流れ者たちはどんな街をつくりあげていくのだろうか。(つづく)

(写真/細倉真弓)

【第一回】
【第二回】
【第三回】

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

翻訳モノの売り上げも落ち込む一方――これだけじゃ、食ってけない!! 年収252万円・翻訳者の仕事事情

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『翻訳家になろう!』(青弓社)

――版権エージェントの仕事内容については本文の通りだが、実際に外国語の文章を日本語に翻訳するのは翻訳者の仕事である。最近の翻訳者事情について、翻訳者でもあり翻訳会社アイディの代表も務めた柴田耕太郎氏に聞いた。

「翻訳ものが売れなくなってきている中、翻訳者の懐事情はますます苦しくなってきています。今は翻訳者の印税は6%~8%が中心。初版部数はせいぜい5000~6000部ですから、印税7%とすると1冊定価2000円として、6000部では84万円にしかなりません。

 1冊翻訳するのに少なくとも3カ月はかかりますから、計算上は年間4冊。しかしこれでは疲弊するし、常に仕事がくるとは限らないから、せいぜい年間3冊でしょう。84万円×3冊で年収252万円。これでは翻訳者が食えない仕事と言われるのも仕方がありません。大ベストセラーになれば話は別ですが……」

 しかも3カ月で1冊というのは、並の分量の小説の話。専門的な内容や分厚い上下巻の大著だと、1年がかりになることも珍しくない。

「私の知り合いは、長期間の仕事をする際、技術的な英文を扱う産業翻訳など、ほかの仕事と併行する人が多いですね。金銭面でもそのほうが都合がいいし、気晴らしにもなりますから」

 柴田氏いわく、翻訳者はもともと作家になりたかった人が多く、翻訳とは原著という枠組みがありながらも、ある程度翻訳者が自由に解釈できる、半創作のような世界だという。我々が目にしている翻訳小説の文章も、翻訳者の個性の賜物かもしれない。

中高年男性のなかで萌え広がる【高嶋ちさ子】への気持ち……燃えろ高嶋 萌えろちさ子

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 何を隠そう、私は以前より、高嶋ちさ子には“ツンデレ”要素があるのではないか? と睨んでいた者である。

 いや、正確には「ツンデレであってほしい」といったところか。

「さっきの『G線上のアリア』、スゲーよかったぜ」

「別に……アンタのために弾いたんじゃ……ないんだからね」

 高嶋ちさ子のツンデレ妄想だけで、同人誌を1冊書きあげるぐらいの勢いだ。

 そんなツンデレ願望が、現実となる事件が起きた。“ゲーム機バキバキ事件”である。

『東京新聞』に掲載された「躾の一環として、子供のニンテンドー3DSを真っ二つにした」という自身が書いた子育てコラムが大炎上。ネット上では、「虐待だ!」「任天堂に謝れ!」「これはクリリンの分!」などと非難の声があがり、ワイドショーなどでも連日とりあげられた。

 この間、本人からの弁明は一切なく、まあ彼女のキャラクターからいって「うるせー!」と逆ギレするか、「バカは放っておこう」とスルーするのではないかと思っていた矢先、事態は急変。「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ系)で行った彼女への電話取材では、「本人はとても反省していて、ツイッターが炎上しているのを見ては、毎日ため息をついている」とのこと……。

 何それ~何そのギャップ~。チョー萌えるんですけど~!

 さらに、さらにである。「週刊文春」3月3日号に掲載されたインタビューでは「任天堂に持っていけば、修理してもらえるような壊し方をしたうえで、2カ月後のクリスマスに“サンタさんから”と言って息子にのところに戻した」というではないか。

 何その不器用な優しさ~。もうね、そのニンテンドー3DSの半分は、優しさでできているよね。

 まあ正確にいえば、“ツンデレ”というか“ギャップ萌え”なのだが、元祖男前キャラである和田アキ子も、テレビ番組でドッキリなどを仕掛けられた際「ウチ、こんなんアカンね~ん」と弱気なところを見せることがある。だが、カメラが回っている以上、見ているこちらとしては多少なりとも「演じているのでは?」と邪推してしまうのは否めない。

 翻って今回の高嶋ちさ子の一件は、本人が予期せぬ批判に思わず「だけど、涙が出ちゃう。女の子だもん」というリアクションをしてしまったところに、リアルさが感じられるのだ。この“漏れ出た感”がたまらない。

 今回のこの一連の流れを知って、久しぶりに心の奥に火が灯るような、そんな気持ちになった中高年の方々は、さぞ多いことでしょう。

 もはや、綾小路きみまろの漫談のような節回しになってしまったが、事の顛末を知っても批判を続けるネット民たちの裏には、こうして萌えている中高年たちがいることを忘れてはならない。

 若い世代からしてみれば「子どももいるし、おばちゃんじゃないか」という向きもあるだろう。しかし、中高年の恋愛事情において、同世代の女性が「2児の母」というのは“オプション”ぐらいの感覚なのだ。さらに人妻という妙味。不倫・浮気のキッカケの上位が「同窓会」であるという週刊誌の情報をあなどってはいけない。

 こういうことがあると、つくづく私は「ロリコンじゃなくてよかったー!」と「地球に生まれてよかったー!」ぐらいのテンションで叫びたくなる衝動に駆られる。決してロリコンを否定するわけではないが、難儀な性癖にならないよう育ててくれた両親に改めて感謝をしたい。若い人たちにも、いずれわかる時がくるだろう。そういう日本であってほしい。

 そして、まだ中高年のみに沸き起こっている、この高嶋ちさ子への“萌え評価”。今後メインストリームになるのではないかと私は踏んでいる。

 そうなる前に、来月の「サイゾー」で取り上げてみてはどうだろう? ヴァイオリニストである彼女のことだ、『彼女の耳の穴』とかであれば、相当面白い話が聞けるはず。

 と担当編集に提案したところ『マトリックス』のキアヌ・リーブスばりにかわされてしまった。

 こういうことは恋愛と一緒で、相手が弱っている時にアタックするに限る。グズグズしていたら、どっか行っちゃうよ。この意気地なし! 他誌に先を越されても……知らないんだからね。

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
これまでにクリアーしたゲームはひとつもない元ファミコン戦士。最後にプレイしたのは小5のときの「ドラクエIII」。コントローラーにボタンが3つ以上あるとパニくる。

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