「ティーン向けのちょっとエッチな映画」だけれど、対等な人間関係と同意について描いている『フィフティ・シェイズ・ダーカー』

 15年に公開された前作『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(サム・テイラー=ジョンソン監督)は、イギリスで大ヒットした官能小説を元にした、女性監督によるよくできたソフトSM映画であった。

 平々凡々でウブな女子大生アナ(ダコタ・ジョンソン)は、友だちの代打として学生新聞の取材に訪れた若き大富豪グレイ(ジェイミー・ドーナン)にインタビューすることになる。そのことがきっかけでアナに興味をもったグレイは、ゴージャスなデートや高級車のプレゼントなどでアピールを重ね、めでたくふたりは結ばれる。しかしグレイにはアナに隠していた秘密があった。それは、幼い頃のトラウマがきっかけで、かなりのSM嗜好があるということだ。

 そのことをアナに告白し、ふたりの関係を「支配者(=ダーカー)」と「従属者(=アナ)」として契約書を結びたいというダーカー、一度はそれを容認するアナだが徐々に過激になっていくプレイに不安は払拭できず、ダーカーの元を去ってしまう…。

 ざっくりまとめるとこういう感じの内容だった一作目。今作は、その後久しぶりに再会したふたりがヨリを戻すが……というお話である。

 数年ぶりに再会したふたり、せめて夕食ぐらいは一緒にとアナを強引にレストランに誘ったグレイは、もうあんなことはしないからヨリを戻してほしいと懇願する。悩みながらもそのことを受け入れたアナ。

 一見普通の仲良しカップルになったかと思えたふたり、しかし相変わらずグレイの嫉妬心は酷く、そして彼を怒らせた「お仕置き」として、アナは自らSM的プレイを求めていく……。

 見ながら、あれ、前回はSMに馴染めず自分から別れを告げたはずなのに、いつのまに女性側までSM好きになったんだ? と疑問に思いかけたのだが、途中で、この映画が描いていることはソコじゃないんだ、と合点がいった。ここで描かれているのは、SMであれノーマルな性行為であれ、男女関係が、いや人間関係すべてが、お互いの同意のもと、対等に行われなければならないということだ。

 プレイ上「支配者」と「従属者」であったとしても、恋人同士のふたりが完全にそうなってしまうことは、アナには耐えられなかった。完全な「従属者」は精神を侵されてしまう。だから1のラスト、アナはダーカーの元を去った。しかし今は違う。プレイはSMでも、恋人同士としての彼らは対等な存在になっている。単に男女が逆転すればよいという話ではなく、プレイ上はグレイに対してMなアナだが、普段の会話で物事を決めるのはあくまでアナであったり、「支配者」と「従属者」が交換可能であることが重要なのである。

 ダーカーをSMの世界に引き込んだ元祖「支配者」である年上の女性(キム・ベイシンガー。迫力あり過ぎ。ダーカーの母親の友人役)は、嫉妬から常軌を逸してアナを攻撃し、ダーカーの「従属者」であることを本気で望んだ若い女性はアナの命を狙って逆に病院送りにされる。

 そして、アナが就職した出版社の上司は、自らの権威を利用しアナに下品なセクハラをした結果、秒速でダーカーに木っ端微塵にされる(本当に秒の勢いで見てて気持ちいいのだが)。歪んだ(対等でない)かたちで愛や性を押し付けようとするキャラクターは、ことごとくダメ出しされていく。

 しかしダーカーが完全に一方的な力でアナの上司をねじ伏せたこともまた、正しいとは言えない。だからダーカーは、その非不平等において、のちのちに復讐されることになるだろう(続編となる3の予告によると)。

 一見複雑な恋人関係を描いているようで、実はただごく当然のことを述べているにすぎない映画。しかし大手広告代理店が作ったセクハラ動画が横行したり、少年漫画誌が平気でエロ漫画化するような現在の日本からは見ると羨ましいくらいに真っ当な映画。ティーン向けのちょっとエッチな映画で、きちんとこういう人間関係が伝えられる、いろいろあるけどやっぱりアメリカってすごいなあと感心するしかない。

 ちなみに、今作では前作に比べセックスシーンがかなり控えめ、というか、あっさり流されてて、それは単にこの監督がそういう描写にあんまり興味ないんだなという感じ。そういう下心はばっさりかわされるので、ご注意を。

コメントは停止中です。

サブコンテンツ

このページの先頭へ