「ハイファッションを身に纏う女性研究者」は学生のロールモデルたりえるか

女性研究者たちが高価なファッションに身を包み、インタビューに答えるという企画がプチ炎上しています。例えば教育経済学者の「ファッションが大好き(笑)。好きな仕事をして、好きな服を着て生きていっていい、そんな姿が学生のロールモデルになれば」という発言には「学費並の服着て写真撮られる時点で断らなきゃだめでしょ? こんな女がロールモデルになる時代じゃない」といった批判が見られました。

私自身、博士課程に在籍する学生なので、女性研究者の活躍にはいつも励まされていますし、彼女たちの活躍にもエールを送っています。しかし「著名な女性研究者がモデルとなって高価なハイファッションに身を包み写真を撮られる」というこの企画は、若い女性研究者たちにポジティブなメッセージを与えるとは思えません。

「女性は見た目が100%」というメッセージ

彼女たちのような著名な研究者が、女性研究者のファッションに着目した企画で、嬉々としてハイファッションを身に纏い写真にとられている姿は、「女は所詮、見た目が大事」「高級な服に目がくらむ底の浅い女たち」という、女性が数百年にわたり苦しみ続けてきた「見た目に対する圧力」を強化するメッセージを与えかねないものです。

この企画が女子学生にプラスのメッセージを与えるとしたらそれは「あなたたちも見た目がそこそこ良ければ、そのうちこういう企画に登場させてもらえるかもしれないし、せいぜい頑張ってね」という、上から目線の励ましでしょう。そういうマウンティングに対して「ちくしょう、見返してやる」と奮起する女子学生が出てくる可能性もあるという意味では、ポジティブな効果もあるかもしれませんが、普通に考えれば女子学生に対する圧力以外の何物でもありません。

ハイファッションの与える文化貴族的メッセージ

また、数十万もする借り物のジャケットを身にまとって、研究について語る彼女たちからは、昨今の若手研究者の苦しい生活の現状を無視しているような印象を与えます。

男女問わず、若手研究者の多くは学内外のアルバイトや非常勤講師に奔走し、学費や生活費をどうにか工面しています。大学院修了後も不安定な任期付き雇用で、将来の不安を抱えながら、歯を食いしばって研究を続けています。中には学部時代から累積で数百万にもなる借入奨学金を抱えているケースもあります。

この記事に登場する女性研究者たちも、不安定な条件で働く低賃金の若手研究者を雇用したこともあるでしょう。「女性研究者は清貧でなければならない」ということではありませんが、この企画は、そうした部下たちに対して「見て、私のこのジャケット五十万もするのよ。素敵でしょ。あなたたちのような貧乏人や格下研究者とは格が違うのよ」と言っているようにとられてしまっても仕方ありません。

ロールモデルとは何か?

日本でも最近、ロールモデルの重要性に注目が集まっています。ロールモデルとは「見本になる人」ということです。男性中心の政治や経済の世界では、上司も、先輩も、同僚も、後輩も男性ばかりです。若い男性にとっては「理想の上司、見本になる先輩」がたくさんいますが、ロールモデルが必要なのはむしろ「自分と似たような境遇の人がいない」不利な状況に立たされている弱者側です。

たとえば、仕事と家庭の両立は家事や育児を中心に「女性の問題」であるとされ、社会の問題でもなければ、男性の問題としても認識されていません。「このままバリバリ働き続けて、結婚・子育て・家庭と両立できるのか」というのは多くの未婚女性の悩みです。多くの女性が家庭か仕事という選択の板挟みになっているのは「子育てや家事は女性がやって当然」と思われている社会だからです。男性であれば考える必要のないことについて、女性であるというだけで頭を悩ませなければならないのです。

このような「女性の問題」とみなされている問題について、男性の上司や先輩、同僚や後輩が一緒になって考えてくれることはそうそうありません。どんなに親切でも、素晴らしい人物でも、彼らは若い女性のロールモデルになるような生き方、働き方を提示してはくれません。

前例のない職場、仕事、地位で女性が孤軍奮闘しているとき、同じような経験をしてきた女性上司や先輩が、社内や職場、あるいは知人にでもいれば「私は夫と話し合って完全分担を実現した」「私は家事代行と冷凍食品で乗り切った」「離婚して夫の世話が減った分、家事が楽になった」「結婚も子育ても経験しなかったけど、幸せ」など、様々な解決策や感情、生き方をシェアし、ときには「とりあえずやってみたらどうにかなるよ」などと後押しをしてくれることもあるでしょう。

家事や子育てもまともにしたことのないような男性上司に「とりあえずやってみなよ」と励まされても「家庭のことを考えなくてよけりゃね!」と反発するような状況でも、同じような経験をした女性上司に言われたら「とりあえずやってみようかな」と思えることもあるでしょう。だから、ロールモデルが必要なのです。

翻って、今回の「ハイファッションに身を包む女性研究者」という企画を考えてみましょう。彼女たちが「若手女性研究者の活躍を助けたい」「ロールモデルになりたい」と本当に考えているのであれば、「私もあなたと変わらない。それでもこうして闘ってきた」というメッセージこそ示すべきでしょう。しかし、実際にこの企画を通じて感じられたのは「あんたらとは格が違うのよ」というメッセージでした。

もし、この企画が本人たちの私物や日常のファッションに着目し「男性ばかりのアカデミアの世界で戦う女性研究者たち」のパワフルさや、男性ばかりの職場にありがちな「つまらないスーツとつまらないワイシャツ」ファッションに対して、「女性的」な個性を出して、そうした無言の圧力と闘うような「ファッションを通じた男性社会との闘い」を演出するようなものであったなら、印象はだいぶ違うものだったはずです。

男性ばかりの世界で活躍する女性にかかる重責はあまりにも重く、今回のような企画に登場する女性には様々な批判の目が向けられがちです。それ自体が非常にアンフェアな状況であり、「女性の活躍」を祈念して登場したのであろう彼女たちに対する批判にも慎重さは必要です。それでも、ロールモデルを必要としている「当事者」の立場から言わせてもらうなら、こうした「女性の活躍」を謳う企画に登場する女性の諸先輩方には「本当にこれが女性の活躍を後押しするものなのか」を自問してほしいと思います。

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