「不快感を与える」魔女・矢口真里を拒絶し抹殺したい気持ち

 矢口真里(33)やビートたけしらが出演した日清カップヌードルCMが、8日に放送中止となった。矢口は3月31日に自身のブログで同CM出演について発表し、「このお話をいただいた時は、嬉しすぎて一人で泣きました 私でいいのでしょうか? って何回も聞きました」と感動と感謝を綴っていたが、一週間足らずで公開終了となってしまった。

 件のCMは3月30日から放送を開始したカップヌードルの新CM「OBAKA’s UNIVERSITY」シリーズ第1弾で、ビートたけしが学長を務める架空の大学にて、矢口真里、小林幸子、新垣隆などが登場するもの。矢口真里は「危機管理の権威」として心理学部の准教授役で登場、「二兎を追うものは一兎をも得ず」と、自身の不倫騒動をネタにしたセリフを力強く発する。日清食品に「虚偽や不倫を擁護する表現がある」と苦情が届いたそうで、社内で検討した結果、「不快な思いをする人もいる」ことから放送中止としたとのことだ。

 このところテレビ番組の出演本数も増してきた矢口。4月6日から、久々の地上波番組レギュラーMCを務める情報バラエティ『教えて!アプリ先生』(TOKYO MX)がスタートした。かつてバラエティ番組を席巻していた頃と比べればまだまだ本数は少ないが、徐々に仕事のペースを取り戻しているように見える。しかし今回のCMしかり、新番組への起用しかり、彼女を「許さない」「見たくない」と声を上げる(=書き込む)人々の姿もまだ消えない。

 矢口は1998~2005年までモーニング娘。に在籍してアイドル活動。05年4月に当時交際していた小栗旬とのデート現場を写真週刊誌に掲載されてグループを卒業してからは、バラエティ番組を中心に「喋れて・回せて・可愛い」女性タレントとして重宝されていた。11年5月に長身俳優の中村昌也と結婚したが、13年の2月に不倫相手の男性読者モデルを自宅のベッドに招き、その現場を中村に見られたという「クローゼット不倫事件」が大々的に報じられ、活動を休止することとなった。まだ新婚であったこと、自宅に不倫相手を招き夫婦のベッドで……ということ、そこそこマジメを装ったツッコミキャラであったことなどが重なり、矢口の好感度は地に落ちた。

 矢口は“何事もなかったかのような顔”で復帰しているわけではない。今回のCMにしても、不倫を擁護している内容とは言いがたいものだった。そもそも不倫は夫婦間の問題で、こうもバッシングを受け続けることには、本人もさすがに納得がいかないのではないだろうか? かく言う筆者は、タレントとしての矢口真里をちっとも好きではない。彼女が出ているからという理由で番組を見たくなることなどないし、彼女が宣伝しているからという理由で商品の購買意欲がわくこともない。不倫騒動以前もそうだったし、以降も変わらない。彼女たちの結婚は一夫一妻の約束事だったと捉えているので、その約束を破るのは良くないと思う。しかし彼女を「許す、許さない」など私の決めることではない。そもそも彼女に何かを許したり禁じたりする立場にないからだ。それはどの視聴者だってそうである。だから「許す、許した、許さない、許せない」どの言葉もおかしい。

 じゃあ矢口を擁護する理由などないじゃないか、と思うかもしれないが、ある種の失敗をした人間を「イジメ抜いて良い対象」に見立てて罵詈雑言を間接的に浴びせたり、クレームをつけたりする空気に異を唱えたいのである。この異様な空気は、今の日本で日常的にインターネットを利用していれば感じざるを得ない。その根底には、ヒドイおこないをした誰かが、テレビに出て(=楽をして)金を稼いでいるなんて許せない、という妬みだったり、罪をおかしたものは生涯にわたり償い続けるべしという謎の裁きがあったりする。「イジメ対象」に定められた人を、二度と這い上がれないように叩きのめすゲームなのかもしれない。

 正直に言って、自宅で不倫相手との行為中(または事後なのか)に配偶者が帰宅し、クローゼットに男を隠すなんて、矢口があのキャラでさえなければ「オモシロ」要素満載の事件である。しかも裸のまま土下座したなんて。『すべらない話』で男性芸人が“エライ昔の話ですけど~”と披露していてもおかしくない。もう矢口は同番組に出演して爆笑しながら話してみてほしい。芸人たちはシーンと静まりかえるだろう。もしも信頼する妻が自宅で不倫していたらと想像するだけで、男としての自信をいっぺんに喪失するからだ。自分は冴えない中年夫ではなくて女性ファンのたくさんいる脂ののった男だ、というフィルターが一気に剥がれ落ちてしまう。

 別に『すべらない話』に出演しないまでも、矢口はあの事件(と呼ぶには些細かつ個人的なネタだが)でそうした恐怖心を男性たちに植え付け、同時に女性たちには不潔感を連想させ、忌避すべき存在になったのかもしれない。魔女のようなものである。
(清水美早紀)

コメントは停止中です。

サブコンテンツ

このページの先頭へ