「国益のために生きろ」の笑止千万!「女子は2人以上出産を」校長を擁護のデヴィ夫人「妻となり子供を産み、母となるのが女性の本能」発言のおかしさ

 過日、大阪市立茨田北中学校の男性校長(61)が、全校集会で「女性にとって最も大切なことは仕事よりも子供を2人以上産むこと」との内容の発言をしたことが大きな議論を生んだ。その後、一般市民からこれを問題視する意見の電話などが市教育委員会や学校にあり、校長は「電話対応などで教員らが忙殺され、業務を停滞させた責任を感じた」などとして辞職したが、あくまでも間違ったことは言っていないと貫き通している。校長の講話は学校HPに全文が掲載されたので以下に引用する。

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今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。

もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。

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 この主張には「全文読めば過激なこと言ってない」「国のためを思うなら正しい」と賛成意見も多く、匿名掲示板だけではなくTwitterやFacebook上でも「正論だ」とコメントするユーザーたちが見られた。一方で否定派の意見も多く書き込まれ、まさしく賛否両論となった。筆者は否定派である。

◎生き方を強制することは「正論」ではない

 まず大前提として、いつ産むか、あるいは産まないかの選択は、当事者にしか出来ないものである。国が滅亡に向かうよりは繁栄するほうが、国民である一個人にとっても生きやすいことは実際そうだろうが、国を維持するための政策をとるのは国家側の仕事であって、「国のために国民が頑張れ」というのは逆だ。人間が国のために生きているのではなく、生きている人間のために国はやらねばならないことを遂行するのだ。

 そして、女子生徒に対してのみ「子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです」と進言することも間違っている。今のところ「妊娠・出産」は身体機能的に女性にしかできない行為だが、それを理由にして女性だけが「子育て後に進学し就職する」レールに乗せられれば、大きなハンディキャップを抱えることになる。

 男子生徒に「子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです」と向けるのなら、女性だけが進学や就業の機会を遅らせ、十数年にわたり育児に専念することを想定した校長の発言には矛盾が生じる。産むことは女性にしか出来なくとも、育てることに性別は無関係だからだ。

 たとえば産褥期だけ女性が休学・休職し、その後は男性が子育てに専念するパターンも同等にあるべきと考えることはしないのだろうか。女性の生き方“だけ”を制限しようとしている校長の発言はあからさまな性差別であり、性役割を強化しようとする前時代的思想だ。

 同時に、男性に対して「妻子を持ち養うこと」を強制し生き方を制限している点も大きな過ちだ。男女どちらに対してであっても、「必ず結婚し子を産み育てよ」と命令してはならない。繰り返すが、国家繁栄のために国民に生き方を強制することは「正論」ではない。

◎逆張りのデヴィ夫人

 校長が上記発言をしたのは2月29日だったが、ちょうど一カ月後の3月29日、インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人でタレントのデヴィ夫人(76)が議論に参戦した。デヴィ夫人は、校長が3月末で退職することを受け、「『子供は2人以上出産』発言校長を支持します。」とのタイトルで自身のブログを更新。こちらも全文ではないが引用する。

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女として生まれ、結婚して妻となり、子供を産み、
母となること。これは、女性の本能。
様々な事情はあるでしょうが、これが叶わなかった人が
「仕事が命」とかいろいろ言っているのではないでしょうか。
結婚もせず、妻とならず、母となることもなく、
人生を終える人は不完全燃焼でしょう。

(中略)

女性に生まれたのに、結婚もせず、子供にも
恵まれない人がいる一方で、妻となる喜び、母となり、
子供を育てる幸せは何物にも勝る至福でしょう。

日本は少子化の一途をたどっています。
人口激減は、国の存立問題でしょう。
その為にも、安心して子供を預けられる保育園の
普及が大事です。日本の将来を考えて、
何とか少子化を防ぎたいとの思いの思慮深い
国益を考えての発言だったのではないでしょうか。
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 「結婚して妻となり、子供を産み、母となること」が女性の本能と言い切ってしまえるのは流石デヴィ夫人といったところだ。都合よく本能論を持ち出すのはいいが、仮にセックスをして妊娠し出産することが本能だとしても、すべての女性が本能のままに生きれば国は繁栄するどころか逆に滅びるのではないだろうか。それとも女性は本能によって、夫となる男性を支え家庭を守り子供の教育に精を出すことまで可能な生物なのだろうか。

 こうした一見、女性賛美ともとれるような本能論は、出産や育児を「女性の問題」に押し込め、男性を疎外する点においても害悪だ。いまさら言うまでもないことだが、「結婚して妻となり、子供を産み、母となること」は女性の本能ではないし、「妻となる喜び、母となり、子供を育てる幸せは何物にも勝る至福」でもない。あくまでデヴィ夫人ご自身にとって、それが本能的な行動であり、至福であったのだろう。

 ちなみにデヴィ夫人は、不倫バッシングにさらされたベッキーを擁護し「大きなお世話。人の恋路を邪魔する必要は全然ない」と同じくブログ上で発言したが、一方で、2014年に矢口真里が不倫騒動による休業からの復帰を表明した際には、猛烈に反発していた。その際の弁はこれだ。

 「彼女が復帰しなければならない意味がわかりません。(芸能界での需要は)皆無だと思います。間男を夫婦の寝室に引き入れ、不倫の現場を夫に発見されて離婚したことを認め、世間に謝罪しなければ、日本の女性は納得しないでしょう」

 彼女がベッキーを擁護した論法に則れば、これもまた矢口に対する大きなお世話であり、人の恋路を邪魔する必要は全然ないのでは? ベッキーと矢口の違いといえば、前者が独身で後者が既婚であったことだが、デヴィ夫人としては「独身女性と既婚男性の不倫は自由恋愛であり、既婚女性の不倫はNO」と考えているということだろうか。これまた性差別であるということに気付かないデヴィ夫人は実におめでたい。今回の校長擁護も、お得意の逆張り発言に過ぎない可能性もある。

◎呼びかけるべきは女性じゃない

 それにしても、「国益」を考えて少子化問題解消に意見する人々は、「女性がたくさん産めばOK」というところで思考停止しているように見えてならない。

 産めばその後、長い期間をかけて子が大人になるまで育てていかなければいけないのだが、それは現状、各家庭の自助努力によって達成されるべきものとされている。衣食住のみならず十分な教育を与え、できれば大学に進学させ、よく働いて消費もし、また結婚して子をなすような大人に成長させることが、各家庭に求められている。これはまったく本能ごときで達成できるような簡単な命題ではない。出来ないから大勢がやらないのだ。「国益」のために、無理ゲーに挑む民はいない。奴隷ではないのだから。

 労働人口が足りない、だから女性を“活躍”させよう。しかし女性が“活躍”すると出産ができず将来的な労働人口がもっと足りなくなる。さあどうしよう、ということなわけだが、女性が働きながら子を産み育てることが「無理難題」ではなくなるよう、ルールや既存の価値観を改正・更新すればいいだけのことである。にもかかわらず、頑なにルール変更を渋り、「無理難題だけど頑張れ」と突きつけている現状を、もっとよく見た方が良い。
(清水美早紀)

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