「GHQが1週間で作った」の意味するところとは……?安倍首相も真っ青!?「押し付け憲法論」再考
――安倍政権が推し進める安保法制問題で、集団的自衛権に関する解釈変更について違憲か合憲かが問われ、「日本国憲法」が大きなトピックとなっている。これまでも議論の対象となってきた、この日本国憲法に関する論点のひとつに、「日本国憲法は押し付けなのかどうか」という問題があるだろう。そこで、「日本国憲法がアメリカの押し付けなのかどうか」という問題をあらためて整理し、昨今の日本国憲法をめぐる諸問題をどう考えるべきかについて検討する!
『安保関連法総批判――憲法学からの「平和安全」法制分析』(日本評論社)
去る7月16日、衆議院本会議にて集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案が可決、27日より審議の場は参議院へと移された。これにより、同法案は9月27日の今国会会期末までに成立する公算が高くなった。
この安保法制の審議に対しては、大多数の憲法学者から「集団的自衛権の行使容認は日本国憲法第9条に違反している」との見解が示され、6月4日の衆院憲法審査会でも長谷部恭男氏、笹田栄司氏、小林節氏という3人の憲法学者が揃って「違憲」を表明し注目を集めた。
憲法9条と自衛権をめぐる問題は、これまでもPKO協力法(92年)やテロ対策特別措置法(01年)、イラク支援特別措置法(03年)による自衛隊海外派遣の是非が問われるなど、幾度となく議論されてきた。しかしいずれも「解釈改憲」により、異論はあれど認められている。
こうした解釈問題とセットで持ち上がるのが、憲法改正論議だ。要するに、憲法解釈で揉めるくらいなら、9条を改正し、自衛隊を正式に軍隊と認めてしまえというわけである。そして、改憲派がその論拠のひとつとして提示するのが、「押し付け憲法論」だ。
これは、「日本国憲法は、占領下にアメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)によって約1週間で起草され、当時の政府に強制されたものである。よって、日本人自らの手で新たに憲法を作り直さなければならない」という主張だが、しかし、曲がりなりにも戦後日本の規範となってきた日本国憲法を、簡単に「押し付け」と断じてよいのだろうか……?
憲法論議が熱を帯び、また70回目の終戦記念日を迎えたいま、本企画ではそのことをあらためて検証していくが、その前提知識として、まずは日本国憲法の制定過程を概説してみよう。
まず、「押し付け」問題の起点は、45年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に対して無条件降伏した時点に遡る。ポツダム宣言といえば、今年5月の党首討論で安倍首相が「つまびらかに読んでいない」と発言したことで注目を浴びたが、その内容は主に日本の軍国主義の一掃と民主主義の徹底。要は、降伏文書に調印した時点で、日本政府はそれを早急に具現化する義務を課されたわけだ。
ところが、当時の日本政府の最大の関心事は「国体護持」、すなわち天皇制支配をいかに維持するかであり、日本を民主化する意味をあまり理解していなかった。そのため、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本占領開始後の10月11日、幣原喜重郎内閣に対して憲法改正を示唆する。これを受け、幣原は松本烝治国務大臣を委員長とする「憲法問題調査委員会」を設置、政府主導で憲法改正案の作成が開始されたのである。
ここで留意すべきは、GHQは当初、憲法改正は日本政府が自主的に行うべきとの方針を示していたことだ。またこの時期、政府案とは別に、いくつかの民間草案も生まれている。なかでも、社会運動家の高野岩三郎と在野の憲法史研究者・鈴木安蔵を中心に結成された「憲法研究会」が12月26日に発表した「憲法草案要綱」では、国民主権や形式的な天皇制の構想などが盛り込まれており、GHQからも「民主主義的で、賛成できるものである」と高く評価され、後述するGHQ草案にも影響を与えたという。
また同要綱は「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」という、現行憲法25条の生存権条項に受け継がれるような規定も明記。これをのちの帝国議会で社会党が支持したことで、新憲法に生存条項が採用されたのだ。
つまり、押し付け憲法論に対しては、この民間草案の存在をもって「日本国憲法は、一から十までGHQの指示通りに作られたわけではない」「少なくとも25条は日本人の手によるものだ」といった反論も可能なのである。
一方、翌46年2月に政府が完成させた憲法改正案(松本試案)は、ほとんど帝国憲法の焼き直しで、ポツダム宣言の内容をまったく満たしていなかった。もはや日本政府に民主的な憲法草案は望めないと判断したマッカーサーは2月3日、憲法改正の必須条件である「マッカーサー三原則」(象徴天皇制、戦争の放棄、封建制度の廃止)を柱に、同月10日までに、秘密裏に新憲法の仮案を作成するようGHQ民政局に指示。これこそが、改憲派が訴える「GHQによって1週間で作られた憲法」の根拠に当たる。
かくして2月12日に通称「マッカーサー草案」と呼ばれるGHQ草案が完成し、翌13日、松本試案を突っぱねるかたちで日本政府へ手渡された。このときGHQは、政府がGHQ草案を日本国民に提示しなければ、マッカーサー自身の手でこの草案を国民に公表する用意があることも通告した。これはマッカーサーが、新憲法の最終的な判断権は日本“政府”にではなく、日本“国民”にあると考えていたからだといわれる。
とはいえ日本政府からすれば自前の憲法草案が全否定されただけでなく、返す刀でGHQ草案を切り出されたわけで、このあたりが「押し付け論」の最大の論点になっている。しかし政府は結局、2月22日にGHQ草案の受け入れを決定し、3月6日、GHQ草案に沿った政府の「憲法改正草案要綱」が国民に示された。そして、4月10日に行われた戦後初の総選挙を経て誕生した第1次吉田茂内閣のもと、6月20日より帝国議会でこの政府草案が審議される運びとなった。
かくして新憲法は、形式上は大日本帝国憲法改正手続きに従い、つまり帝国憲法との連続性を保ったまま、帝国議会による採択と天皇の裁可を経て、46年11月3日、ついに日本国憲法として公布され、翌47年5月3日に施行されたのである。
以上が、日本国憲法制定過程の概略である。確かに改憲派のいうように、マッカーサーが松本試案を無視し、密室で作成したGHQ草案を日本政府に突き付けたという事実だけを取り出せば、「押し付け」に相当するのかもしれない。しかし一方で、GHQは民間草案も参考にし、新憲法は手続き上は帝国議会で審議されているのもまた事実なのだ。
さて、こうした事実を踏まえたうえで、次ページから3人の識者にご登場願い、この「押し付け論」をどう見るかという点を軸に、戦後70年を経た日本国憲法のありようを分析していただこうと思う。憲法学者の古関彰一氏、日本政治外交史が専門の井上寿一氏、ノンフィクション作家の猪瀬直樹氏が語る“憲法観”とは、どのようなものなのだろうか?
(文/須藤 輝)
【参考文献】 古関彰一著『新憲法の誕生』(中公叢書)、柴山敏雄編著『日本国憲法は「押しつけられた」のか?』(学習の友社)、樋口陽一著『五訂 憲法入門』(勁草書房)、常岡[乗本]せつ子、C・ダグラス・スミス、鶴見俊輔著『新版 日本国憲法を読む』(柏書房)