おぎやはぎ矢作のこじれた男女観「女ってすげーワガママ」「男は女のワガママに一生付き合っていかなきゃいけない」
人気ラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)の10日のオンエアにて、“ブスいじり”が嫌で芸能活動をセーブしているアジアン・隅田美保(39)の話題が取り上げられた。おぎやはぎ・矢作兼(44)は、「隅田自身がブスいじりを拒否することは自由」「でも、それを世間が『ブスをブスっていじるなんて酷い』と批判するのがすごいイヤ」という話から「男女平等」について持論を展開した。
矢作「(男芸人が)『一生懸命ライブをやっても、全然お金もらえない』って言うと、『しょうがないじゃん。芸人になりたくてなったんでしょ?』って言われる。でも(女芸人は)『ブスってイジられる世界ってわかって入ったんだから。イジられてもしょうがないでしょ』とは言われない」
小木「イジメられるとかいろいろあるんでしょ、女の子は結局」
矢作「だから、男と女を一緒にしちゃいけないんだよな。男は、女のワガママに一生付き合っていかなきゃいけないんだよな。『男女平等』って言っといて、そういうのだけは『女の子が可哀想』ってなるんだよな」
小木「田嶋陽子先生があんなに頑張ったけど、まだまだですよ。『女が可哀想』ってなる」
矢作「それで『レディースデー』とか、女が得する時には何も言わないんだぜ。『レディースデーを不公平だって言わないじゃないか』って男が言うと『小っちぇ男だね』って言われるんだよ。だから、男は黙ってるしかないんだよ」
小木「女はズルいね。そういう言い方するんだ」
矢作「ちょっとでも男が有利になると、すげぇ吠えられっから。一生女のワガママには付き合わなきゃいけない」
小木「世の中がそういうことですから」
これには思わず、「う~ん……」と唸ってしまう。いくつもの誤解が重なっているからだ。まず隅田のブスいじりについてだが、そもそも隅田は、自身のことをブスだと思っていない。にもかかわらず「ブスだブスだ」と言われたことで「ブスイメージが定着し、婚期を逃した」と考え、テレビでの活動を制限しているのだ。「芸人だからって公然とブスよばわりされてかわいそう」と隅田にエールを送った視聴者もいたのかもしれないが、それはそれで隅田に失礼である。
矢作は「特殊な世界で働く『芸人』なんだから、一般女性が容姿をイジられて『セクハラです!』と怒るのとはワケが違う。甘んじてイジりを受けるのが芸人だ」と説きたかったのだろうし、そこが特殊な世界だということはわかる。しかし、であれば「ほっといてくれ、芸人のモメごとなんだから」と一蹴して終わっても良さそうなものだが、なぜか矢作は一般社会の「女性特権」に話を展開させ、「男が女のワガママに付き合わされる社会」への不満に帰結してしまう。
「レディースデー」には、“女性を支援する”という社会的意味はまったくなく、あくまで「売れるから」実施されているに過ぎない。経済学の「価格弾圧性(価格変化に対する需要の増減を示す数値)」のデータに基づいたマーケティング戦略だ。同数値を男女で比較すると、女性のほうが価格変化への対応が大きいことが伺え、要するにより効率的に消費を促す施策として「レディースデー」が活用されるようになっただけなのだ。「女が優遇されているから、女だけ割引されている」ワケではない。
他にも「男と女を一緒にしちゃいけない」「一生女のワガママには付き合わなきゃいけない」と熱弁を奮う矢作。正直、柔軟かつクレバーな芸風で人気を博している矢作が、こんなにも「男は損だよ。女はずるい」と不満を募らせているのは意外だった。飄々として世渡り上手に見えがちだが、実際は「男はこうでなければならない」との強い自意識があるのだろうか。
そういえば先日、アンタッチャブル山崎弘也が結婚を発表した際、矢作は『メガネびいき』にて山崎がいかに優しい男かを語ったが、くりぃむしちゅー有田哲平の超ド級のワガママに常に従順に対応してきた山崎だからこそ、女性からの多少のワガママなど苦にならないのだろう、と発言していた。矢作いわく「彼女とか女の子ってすげーワガママじゃん。でも山崎にとっては、大したことない」。少なくとも、矢作にとっての「女の子」は、ワガママでいつも自分を振り回す存在で、それを上手くいなすことが男女付き合い……と捉えているのだろう。彼女が途切れたことがなく、「すぐヤッちゃう」と自称する矢作ほどのモテ男でも、女の人生がイージーモードに見える病にかかっているとは残念である。
(夏木バリ)