オザケン家の育児とは? 妻&母が「粉ミルク=資本主義の陰謀」と語り合う

 6年ぶりという全国ツアーも直前となり、オザケン(小沢健二)ファンの皆様におきましては、どのような心持ちでお過ごしでしょうか。90年代に一世風靡した渋谷系プリンスは今やすっかり中年になったにも関わらず、未だその吸引力は衰えないようで、約2年前の、16年ぶりというTV出演時には、うっすら涙を浮かべて感動に震えていた友人がそこそこいたものです。私はどちらかというと小山田君派ではありましたが、それでもオザケンが父になったニュースを聞いたときには「文化的価値のあるDNAが受け継がれてよかったよかった」くらいには、喜びました。

 オザケンといえば現在、かつての路線から真逆である〈エコや反グローバリズム〉な世界にどっぷりであるようですが、そんな小沢家で行われる子育ては、一体どんなことになっているのか、俄然興味も沸いてきます。岡崎京子を読み漁り、フリッパーズギターにときめいていた世代としては、あのプリンスは今! と、のぞき見したくなるのは当然のことですよね。

 そんなゲスい想いに応えてくれたかどうかはわかりませんが、答えがサクッと見つかりました。オザケン妻×実母の対談本である『老いと幼なのいうことには』(エリザベス・コール、小沢牧子著/小澤むかしばなし研究所)です。

 オザケンの母は、日本とドイツで2児の育児を経験し、現在は孫に囲まれて暮らす、いわば現役引退の〈元・母〉。オザケン妻のエリザベス・コール氏は、アメリカで1歳になる息子を育てる〈新米・母〉。時代も文化も違うときを生きるふたりが語らうことで見えてくる、現在の日本の問題点、これからどのように老いや子供と向き合っていくべきか、というのが同書のメインテーマのようです。

 1970年代の日本の育児、現在のアメリカの育児。エリザベス・コール氏によって撮影された世界各国の子どもたちなど、興味深い話しがちりばめられているなか、最も熱く語られているのは母乳育児についてです。これがまあ、さすが(?)環境活動家(妻)×反原発(実母)チーム。粉ミルク育児をディスること、ディスること!

 対談で語られているのは、オザケン妻がはじめての育児を通じて実感した、母乳育児のすばらしさ。自分と赤ちゃん、身ひとつで出かけられるのは、気楽で自然でいい気持ち。粉ミルク育児の友人が語っていたという、災害でミルクが手に入らなくなったらという不安について。授乳はミルクでコントロールするのではなく、いつどれだけ飲むのか赤ちゃんに主導権を持たせて行われるべき。母乳を与えている間の、母と子の一体感。赤ちゃんがおっぱいを飲みながら眠ることの安心感と幸せが、その後の人生も安定させるetc.……

 そこへ粉ミルクが主流だった時代のオザケン母が、「自分は粉ミルク育児で、本当に残念だった」とばかりに相槌を打つのです。そして母乳育児賛礼から、徐々に現代の授乳事情をディスりはじめる両者。

 授乳ケープは、まるで恥ずかしいことをしているかのような気持ちになる。大人だって顔にナプキンかけられてパイを食べたくないでしょう? 授乳用の服なんて特殊な服を着るのは変な話。搾乳して飲ませるのは2倍の仕事をすることになるので、やっている女性は本当にすごい(と褒めながら、不自然よねーと言いたいのが伝わってくる)。

◎出ました、陰謀論!

 すべてを「自然じゃない!」とぶったぎるふたりの主張は、粉ミルクそのものが悪いわけではなく、そうせざるをえない社会のあり方が問題であるというものですが、結果的に粉ミルク育児を行っている女性が読んだら、嫌な気持ちになることは間違いありません。さらに自然に反した粉ミルク育児推しは、より多くの商品を買わせようとする資本主義の陰謀とばかりにグローバリズムを糾弾します。

 おっぱいの世界は〈権力の思惑と資本の都合を無視した解放区〉。だから支配する側は母乳育児を恐れる。粉ミルクなら、消費社会のマーケットに吸収して親子を支配することができるんですと。なんじゃそりゃ! 母乳は母乳で、ハーブティやらマッサージやらいくらでも商売があり、中国では母乳の出をよくするためのマッサージ技術を持った〈催乳師〉の職業が高収入につながると人気が高まっている今、母乳=ナチュラルだから特別なものは何も必要ないなんて考え方は、ただの理想論です。

 そんなお説とともに引き合いに出されるのは、1977年のネスレボイコット運動※や、1955年の森永ヒ素ミルク事件。

※ネスレをはじめとする乳幼児食品販売会社が、発展途上国に進出して粉ミルクによる育児を推進したことで、ミルクを継続的に購入できない貧しい家庭で栄養欠乏が起こったり、不衛生な環境で作られたミルクで感染症の問題が発生したりして、告発が相次いだ。

 粉ミルク推進運動によって同書で指摘されるような問題が過去に起こったのは事実ですが、それに対しては既にWHO(世界保健機構)コードがあり(母乳を推進するガイドライン)、日本も現在はとっくに「可能である限り母乳」という風潮は できあがっています(日本助産師会による母乳神話よりのテイストは気になるものの)。そのうえで粉ミルク育児を行うのは、どうしても母乳が出なかったり足りなかったり、病気や仕事の都合で切り替える必要に迫られるからです。

 とってつけたように「私はたまたま母乳育児ができて本当にラッキー」「出ない人にとっては必要だけど」とことわりを入れつつも、今のこの時代に、粉ミルクの古臭いネガティブな情報をまき散らす必要も意義も、まったく意味不明。自然こそが正義! な環境活動家は、自然な営みから外れたものは、サクッと排除するのでしょうか。こわー。私はエコ自体は嫌いではないけれど、それを広める人たちが嫌いなのは、こういった現実を無視した理想論をふりまくからだということを、改めて実感できました。

◎浮世離れした「理想の育児」

 オザケン家の育児風景は、産後のお母さんは赤ちゃんのペースでお乳をあげるのが仕事(でもマイペースに自宅でできる仕事はする)、赤ちゃんは好きなときに好きなだけ飲むのが仕事、お父さんは家事が仕事というチームで一致団結。そして清潔な土にふれあい、放射能汚染のない食品を選び、オトナの習慣を押し付けず子どものリズムにあわせた暮らしをするのだとか。

 そりゃ、自由業かつ過去の印税(家族ぐるみでディスる、消費社会の恩恵!)で潤っている夫がいてこそ実現できる、ていねいな育児だよな~。今の日本の普通の勤め人では、なかなかハードルの高い育児モデルでございますことよ。それで世の中のあり方に、疑問を持たれても、こまっちゃう~。

 今年1月に行われた渋谷クアトロのゲリラライブはファンの扱いのひどさが話題になり、魔法が溶けたという人も少なくなかった模様ですが、5月のツアーでは少しは商業を意識した俗世へ戻っていらっしゃるのでしょうか。消費文化のど真ん中で成功を手にしたかつてのプリンスは、家族ぐるみですっかり浮世離れしたグルとなっているようですが、新たにどんな姿を見せてくれるのか、ライブのチケットの入手した方はぜひともタレコミをお願いいたします。

(謎物件ウォッチャー・山田ノジル)

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