女優・二階堂ふみが沖縄の平和学習、ナチスのプロパガンダ映画を通じて考えた「戦争を伝えること」とは?

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FUMI NIKAIDOU Official Web Siteより

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】

 戦後70年の節目にして、強行的なプロセスで「戦争法案」が可決されてしまった2015年夏。そんな忘れ得ぬ季節に「戦争」と「映画」について考え抜いたひとりの若き女優がいた。

 園子温監督『ヒミズ』『地獄でなぜ悪い』、三池崇史監督『悪の教典』などに出演し、映画ファンから高い評価を受けている二階堂ふみである。彼女はこの夏公開された映画『この国の空』で主演。終戦間近の東京を舞台に、空襲におびえながら母・伯母と暮らす19歳の娘(里子)役を熱演した。二階堂演じる里子は厳しさを増す戦時下、妻子を疎開させ隣家で暮らす徴兵を逃れた男と禁断の愛を結んでしまう......、というのが映画のあらすじだ。

 彼女はこの作品に取り組むにあたって、映画を観る人たちに「戦争」をより身近な存在として感じて欲しいと思ったという。

〈日本でも、これまで数多くの戦争映画が作られてきました。(中略)私と同世代の若い人たちも、それぞれに関心を持って観ているんだろうと思います。
 ただ、個人的には戦闘シーンは、どうしても自分とはまったく違う人間が遠い世界でやっている出来事のように感じてしまうんです。もちろん、映画としてそういう描き方があってもいい。でも、私自身が戦争映画に携わる時は、観た人が、今を生きる私たちと同じような人間がそこに居たんだ、ということを感じ取れるような作品にしたいと前々から思っていました〉(「文藝春秋」文藝春秋/15年8月号)

 彼女がこのように考えたのには、二階堂のルーツが影響している。彼女は1994年沖縄県那覇市に生まれ、高校進学を機に上京するまで沖縄で過ごした。「戦争」については、他の同世代の若者より身近であった。

〈私の祖父は与那国島出身なので大きな被害はなかったようですが、とはいえ食べ物は全くなかったようですし、祖母は糸満から那覇にかけての地上戦がもっとも酷かった地域で戦争を体験しています。母は返還前に生まれているので、返還前の様子を知っています〉(「文學界」文藝春秋/15年9月号)

 家庭ではこのような戦争に関わる話を聞くこともあるし、学校では戦跡をめぐり戦争について学ぶ平和学習もたくさん受けてきた。しかし、あまりにも凄惨でリアル過ぎる戦中体験の話は、彼女にとって逆に戦争を「自分と同じ人間が、その戦禍を生き抜いていた、という当たり前の事実をなかなか実感でき」ないものにしてしまい、「同じ日本人なのに、なんだか同じ人間だとは思えなかった」というほど、縁遠いものにさせてしまった。平和学習で二階堂はこんなことも思ったという。

〈小学6年生の時に、元ひめゆり学徒隊だった女性の証言を聞いたんです。それがあまりにもリアルで、正直とても怖くなって、最後には引いてしまいました。平和教育とはいえ、小学生の女の子にあの生々しい話は酷すぎると思いました〉(「AERA」朝日新聞出版/15年8月10日号)

 そんななか、彼女に「戦争の理不尽さや、戦争の悲しみというものを身近に感じ」させるきっかけとなったのが、茨城のり子の詩『わたしが一番きれいだったとき』であった。

〈わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって/とんでもないところから/青空なんかが見えたりした
 わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ/工場で 海で 名もない島で/わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった〉

 この『わたしが一番きれいだったとき』は、映画『この国の空』でも二階堂が詩の一節を読み上げる印象的なシーンのフックとして使われている。彼女は茨城のり子のこの作品に出会ったときの思い出をこう話している。

〈中学生の時にこの詩に出合って、初めてその時代を生きた人の気持ちに触れることができたんです。私自身、誰かを好きになることも、生きることもまだ分からない年齢だったけれども、この詩を読んで初めて戦争を自分事として受け止めることができたのです〉(「AERA」朝日新聞出版/15年8月10日号)

 平和な時代であれば、恋やおしゃれを楽しめたはずの大切な時期を、戦争によって奪われた悲しみ。そんな素朴な感情をありのままに、等身大で描いた茨城の詩で二階堂は初めて、いったん戦争が始まれば全国民が巻き添えになり、色々なものが奪われてしまうということを実感できたのだ。

 そんな経験をしているからこそ、二階堂は映画のなかで、銃後の東京を生きた女性の等身大の姿を演じることに苦心した。

〈この映画では、人が殺されたり、誰かが亡くなったりする場面は描かれていません。勝った負けたもなければ、敵も味方もない。女性として一番きれいな時期を奪われる里子の気持ちを丁寧に描くことで、戦争がもたらした大きな悲劇が伝わればいいと思っています〉(「文藝春秋」文藝春秋/15年8月号)

 そう語る二階堂だが、しかし、彼女は「エンターテインメント」の領域で「戦争」を扱うことも危険性も十分に理解している。「映画」という人の気持ちを惹きつける強力なフォーマットが良くない人間の手に渡ったとき、恐ろしい効果を発揮する。二階堂はナチスのプロパガンダ映画であるレニ・リーフェンシュタール監督『意志の勝利』を観て、それを感じた。この作品は、ナチスの第6回全国党大会の様子を記録した1934年制作の記録映画だが、一方で映画史としては撮影・編集において効果的かつ独創的な演出手法を使い、高揚感や臨場感を表現した作品としても知られている。

〈中学生の時にヒトラーの『我が闘争』を読んで、なんと恐ろしい、と思ったんです。言っていることは間違いだらけなのに、実際にその時代を狂わせてしまったわけですから。それには彼が持つカリスマ性をはじめ、様々な理由があります。私は「戦争が悪い」と一言で片付けるのが嫌いなんです。もちろん、戦争はあってはいけない。でも、なぜ戦争が起こってしまったのか、その時代を生きていた人々がどういう目で戦争を見つめていたのかを考えずに、「悪い」で済ませてはいけないはずです。小さなおにぎりしか配給されなかったのに、なぜ戦い続けたのか、耳を傾けたいんです。おそらく、戦うしかなかったんだ、と思います。
『意志の勝利』については、映画として素晴らしいものができてしまった、それって、とても悲しいことですよね。あの作品を作ってしまった人は、その後、作品を作った呪縛から逃れられなかったわけですから。(中略)ドキュメンタリーだって嘘はつけるんです。そこに映っている被写体の目がまっすぐだと感じ、それを信じ込んだ人が大勢いた。ならば疑問に思うじゃないですか。どうして真に受けたのか、って〉(「文學界」文藝春秋/15年9月号)

 映画で戦争を描くとき、一歩間違えれば戦争の悲劇を伝えるどころか、単なる戦争賛美ファンタジーに陥ってしまうことは往々にしてある。しかし、二階堂はこう語っている。

〈ただただ感動させる戦争映画を駄目と思う気持ちもありません。そういった映画が果たしている役割も大きいはずです。最も良くないのは、終わったことだからと忘れてしまうことです〉(「文學界」文藝春秋/15年9月号)

 戦争が起きたら、我々の生活はどうなってしまうのか? そのことを国民が忘れてしまったとき、そのときが戦争の起きる瞬間なのかもしれない。
(新田 樹)

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