篠原涼子の『加齢』か『劣化』か論争~女性の老いは罪なのか?

 約2年半ぶりに、連続ドラマ主演を務める女優・篠原涼子(42)。『オトナ女子』(フジテレビ系)は、篠原扮する“恋愛ゲームアプリ会社に勤めるアラフォー独身会社員”を中心に巻き起こる恋愛ドラマだ。第一回放送から、ヒモ彼氏役の斉藤工(34)とベッドでいちゃつくシーンやキスシーンなどガッツ(?)のあるシーンがふんだんに盛り込まれていたが、視聴率は9.9パーセントと振るわず。加えて篠原の“加齢”も話題になっている。

 ネットニュースサイト「アサ芸プラス」の記事では、篠原の手の甲に注目している。斉藤と抱き合うシーンでアップになった彼女の手が、まさに40代といわんばかりに骨ばって、血管が浮き出ていたというのである(http://www.asagei.com/excerpt/45394)。記事ではしかし、ドラマの設定がアラフォーであるし、実年齢にも近いことから、むしろ加齢感が出ていた方がよい、と締めているのであるが、これにネットでは賛否……ではなく批判の声が続出している。

「大きなお世話だよ」
「劣化でもなんでも一般人に比べたら遥かに綺麗だよ」
「篠原涼子は嫌いだけど手の劣化まで叩かなくていいと思う」
「ちょっとポッチャリすれば激太り、痩せたら血管が浮いてるだの。芸能人は何やってもこんな下らない記事書かれて大変だなぁ」

 ドラマでの篠原はむしろ、「42歳なのになんでこんなにキレイなの……!?」と思うほどの美貌だった。まずなんといっても注目すべきは頭髪。40代ともなると髪のパサつきが異様に目立ち始め、白髪も増えるが、黒々サラサラとしたロングヘアには見惚れるばかりだ。「髪をかきあげすぎ」と過剰な演出に違和感を唱える視聴者の声もあり、確かにドラマで篠原は髪をかきあげまくっているが、こんなにキレイな髪ならもう仕方ない。

 また体型も、とても子供が2人いるようには見えないほど筋肉質で現役感満載。そのくせ胸は大きい。産後、ストレッチなど体を動かすことで体型を戻したという報道があったが、努力すれば40代でもこんな体型を保てるのか? 篠原と比べるのも何様だという感じだが、なんとなく筆者のようなアラフォー一般人にも希望を与えるのである。ドラマの内容はさておき、筆者は第一回放送を観て、このキレイな篠原を見続けたいと思うあまり、第二回以降の放送の録画予約をした。骨張った手の甲を「加齢!」とはやし立てるのは、重箱の隅をつつきすぎである。というか、これだけ痩せていればそりゃ手の甲は骨張るだろう。「痩せ体型」と「シワ・筋浮きなしのお肌」を両立するのは至難の業ゆえ、photoshop先生にご登場願うしかない。そのことは10月11日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、清原亜希×佐田真由美×滝沢眞規子のアラフォーモデル3名が口々に話してもいた。「雑誌だと、自分じゃないんじゃないかと思うくらい綺麗に修整されちゃうのよね」と。

 テレビは、直接本人と対峙して直視するよりもずっと至近距離でその人に寄った映像を流す。大量のライトを浴びせるとはいえ、肉眼では気にならない粗が目立って見えるのも当然だ。しかしインターネットの普及に伴って、映像の中の「一瞬」が切り取られた写真を一般人が投稿し、拡散され、「劣化」と騒がれるケースが一気に増えた。女性芸能人は外見に変化があれば何歳でも関係なく「劣化」と叩かれがちである。

 そもそも「加齢」と「劣化」はどう違うのだろうか。例えばsenriこと山咲千里(53)は度重なるお直しで顔が変貌したとウワサされており、ブログで最近の顔を眺めていると、いつか大変なことが……いわゆる「劣化」と呼ばれる事態を招きそうな気がする。原型をとどめないほど、各パーツのバランスが崩れて顔面が歪むような事態、という意味だ。また、平子理沙(43)は、ブログでは同じ角度からのベストなキメ顔をアップしているが、あらゆる角度から様々な表情を撮られてありのままが流れる動画では、「奇跡の40代」にはとても見えず、テレビ番組出演のたびに、その際の顔立ちを「劣化」と報じられている。ブログの写真が完璧すぎるゆえに、見る者に実際の姿とのギャップを与えているようだ。また年齢にしては不自然なパーツがあることからか、生放送時には“唇がパンパン”など揶揄されてもおり、本人の美への執念と努力とは裏腹に、「劣化」のレッテルを貼られたタレントの一人だ。こうして考えてみると、“無茶な若作り”で美しさよりも痛々しさが強調されていくタレントは、「劣化」と罵倒されることが多いようだ。逆に、たとえ若作りしていてもそれが“無茶”に見えないタレントの場合は、「奇跡」と呼ばれる。

 もともと「劣化」は生き物に対して使うのが妥当な単語ではなく、工業製品など無機物の性能が衰えていくことを示すが、整形手術などの「お直し」と呼ばれる行為により手を加えられた顔=工業製品のようなもの、と見なされて、「劣化」なるワードが定着したのかもしれない。単純に「老けたね」では言い表せない感想を、「劣化」という言葉で表現しているのではないだろうか。となると、「お直し」や「若作り」をしていないタレントに対して「劣化」を使うのは誤用なのではないか? と思い至る。

 たとえば、結婚・出産を経てからメディア露出を極端に減らした女性タレント・渡辺満里奈(44)も、今年3月に久々のテレビ出演をした際に「劣化」と騒がれた(http://mess-y.com/archives/18196)。彼女の場合は、“無茶な若作り”をしていないし、頬や唇がパンパンに膨らんでいたり、妙に吊りあがっていたりもしない。あるべき箇所にシワもちゃんとある。年相応に年齢を重ねているにも関わらず、視聴者が渡辺の姿を目にするのが久々だったために、30代半ばから一気に40代半ばになったような錯覚を起こし、ごく普通の加齢なのに驚きを与えた……という理屈であろう。本人は無理に加齢に抗っている様子がなく、自然体だったため、これを「劣化」と呼ぶのは語弊があるだろう。

 梨花(42)も「欧米の血が流れているから老けやすい」「おばあちゃんぽい」と30代の頃から言われていたが、渡辺と同じく、それを隠していないことが潔いレベルに達して来た(http://mess-y.com/archives/19320)。もちろんそれなりの美容ケアはしているだろうが、年齢より若く見せようと意気込んではいない様子だ。

 彼女らに関しては不自然でない歳の取り方(と言っても一般人よりもはるかに美しいが)をしており、劣化というよりも年相応に年を重ねる「加齢」で、それを自身も受け入れている覚悟を感じる。10~20代で、「若くて美しいこと」を高く評価されて賃金を得てきた人間が、若さを失う――加齢を受け入れることは、一般人よりずっと深い葛藤があるだろう。

 先ほど少しだけ言及したが、確実に年齢を重ねているのに、若い頃と同等か、あるいはそれ以上に美しく魅力的になっている女性タレントも多く、彼女たちは「奇跡」と呼ばれる(http://mess-y.com/archives/22752)。今回、手の甲までまじまじ見られて「劣化」呼ばわりされた篠原涼子も、実際は「奇跡」の部類だと筆者は思う。しつこいが、あの豊かで艶やかな髪質は、40代と思えなかった。かといって、無茶な若作りもしていない、自然体の美オーラを発している。

 芸能人には夢を見せて欲しいという、一般視聴者の希望も理解できるが、彼女らも人間だ。いつまでも同じ容姿を保てるはずがないし、それを求めるのは無理な話である。人形だって、ただ飾っておくだけで経年劣化する。どれだけ大事に箱に仕舞って定期的にメンテナンスしたって、変色したり素材が衰えたりしていくものだ。そして繰り返すようだが、女性タレントは人間であり、細胞によって出来ている。人間が老けることは、罪ではない。もちろん、加齢に抗って若作りをすることだって、イタく見えるかもしれないが、罪であるはずがないのだ。それを「劣化」という言葉で貶めたり侮辱したりすることのほうが、むしろ罪である。

 時間とともに日々変化する外見を受け入れて、自然な年の取り方をする「加齢」女性芸能人たちには、年相応の美とは何かということを今後も我々に示し続けていってほしい。
(ブログウォッチャー京子)

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