3.11後の格差社会、上から見るか下から見るか? 岩井俊二の帰還『リップヴァンウィンクルの花嫁』

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黒木華主演作『リップヴァンウィンクルの花嫁』。岩井俊二監督の演出のもと、流転のヒロインを黒木はのびのびと演じている。

 小学校の校庭で、鉄棒の逆上がりが初めて出来たときの喜びを覚えているだろうか。足が宙に浮き、頭が後ろから地面へと向かい、ぐるんと世界が反転して見えた。今までとは異なる風景を手に入れた感動があった。ちょっとしたコツさえつかめば、それまでとは異なる視点を持つことができ、世界はまるで違ったものへ変わっていく。岩井俊二監督の久々の実写映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、世界を逆さまにして、ひとりの女性の冒険を眺める物語となっている。

 岩井監督はTVドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(93)で脚光を浴び、劇場公開作『LOVE LETTER』(95)、『スワロウテイル』(96)、『リリィ・シュシュのすべて』(01)といった斬新かつ繊細な作品の数々で映画界をリードしてきた。盟友・篠田昇撮影監督との最期のタッグ作となった『花とアリス』(04)以降、活動の拠点を北米に移し、『ニューヨーク、アイラブユー』(09)や『ヴァンパイア』(12)などの英語劇に取り組んでいた。長編アニメ『花とアリス殺人事件』(15)で日本映画界に復帰するが、日本を舞台にした実写映画は『花とアリス』以来12年ぶりとなる。

 岩井監督は『花とアリス』の後、日本で映画を撮らなかった理由のひとつに、当時の日本社会が息苦しかったことを挙げている。ゼロ年代にはKY、空気を読むといった言葉が流行した。場の空気を読んで、物言わずとも各人がそれぞれ割り振られた役割をまっとうする。日本社会ならではの風潮だが、そんな閉塞的な社会状況に岩井監督はつまらなさを感じていた。マイノリティー的な立場から自分がいくら言葉を発しても、社会にはまったく届かないんじゃないかと。それなら新しい世界へ出ていって、外から言葉を発したほうが、もっと鮮明に言葉は響くんじゃないか。そんな想いでLAでの生活を始め、セルフプロデュースによる『ヴァンパイア』を製作していた。だが、そんなとき、岩井監督の故郷である仙台を含む東日本一帯が大震災に見舞われた。

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仕事を失い、結婚に失敗し、住む場所さえなくなった七海(黒木華)。『不思議な国のアリス』のように自分の知らない世界を冒険することに。

 震災をきっかけに岩井監督は帰国し、日本社会にもう一度向き合うことにした。日本社会に大きな打撃を与えた津波そのものをテーマにすることも考えたが、岩井監督ほどの才人でもあの大震災をすぐにはフィクション化することはできなかった。そこで生まれたのが、3.11後も依然として存在し続ける保守的な日本社会をこれまでとは異なる視点で見つめてみようという物語だった。この国を長い間支えてきた、でももうあちこちに綻びが生じている終身雇用、婚姻制度、家族関係、そして3.11後によりあらわになった格差社会を、ひとり若い女性の目線を通して岩井監督は見つめ直していく。

 主人公の七海(黒木華)は学校の教師。とはいっても臨時教員で、生活は不安定極まりない。七海の自信のなさを生徒たちは見透かして、笑いのネタにして楽しんでいる。七海は出会い系サイトで知り合った男性・鉄也(地曵豪)と慌ただしく結婚し、先方の母親(原日出子)の希望で専業主婦となった。臨時教員をクビになった七海には願ったり叶ったりだった。スマホひとつで七海は、主婦という立場と快適なマンションでの生活を手に入れた。だが、簡単に手に入れた幸せは、失ってしまうのも一瞬だった。夫と義母から七海は浮気を疑われ、マンションから追い出されるはめになる。七海はワケがわからないまま、幸せな新婚生活から不幸のどん底へと転落していく。

 食べていくために七海は、SNS仲間である“なんでも屋”の安室行舛(綾野剛)の紹介で、赤の他人の結婚披露宴に出席する代理家族をはじめとする怪しいバイトに手を染めることになる。日雇いでのバイト生活に加え、借金も背負い、不幸が雪だるま式に膨れ上がっていく。でも、代理家族のバイトでは、血の繋がりのない初対面の人たちと家族を演じ合い、七海は心地のよさを感じる。七海の姉を演じた自称“売れない女優”の真白(Cocco)という面白い女性とも仲良くなった。教師や専業主婦をしていた頃は、自分が他人からどう見られているかばかり気にしていたが、今はその日その日を生きるのが精一杯で他人の視線を気にする余裕すらなくなった。下流へ下流へと沈んでいくうちに、七海の人生は底抜けに愉快なもの、ワクワクするものへと変わっていく。

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七海は従来の価値観に縛られず、新しい人生を歩んでいく。3.11後の社会に希望を見出そうとする岩井監督の心情が投影されたキャラクターだ。

 世間一般から見ると、七海はあまりにも世間知らずで、幸せの崖っぷちから不幸のどん底へと真っ逆さまに墜落しているように映る。でも、岩井監督にしてみると、「逆から見れば、ぐんぐんと上昇している」女の子の物語なのだ。何が幸せで、何が不幸かは世間ではなく、自分自身が決めればいいこと。七海は世間的な幸せを失った代わりに、ぐんぐんと自分だけの幸せへと近づいてく。黒木華演じる七海は、序盤は周囲に流されてばかりいた頼りなさげな女の子だったが、なんでも屋の安室や代理家族で姉を演じた真白といったワケありな人たちと出会い、新しい世界を体験する。物語の後半には七海は大きな海でも裸で泳いでいけるほどのタフさを身に付けるようになっていく。

 岩井監督のブレイク作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の少年たちがそれまでとは異なる視点から打ち上げ花火を眺めたように、本作の主人公である七海もそれまでの人生をリセットし、異なる視点を手に入れる。彼女の前には真新しい風景が広がっている。そこはとても風通しのよい世界だった。
(文=長野辰次)

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『リップヴァンウィンクルの花嫁』
監督・脚本/岩井俊二 撮影/神戸千木 出演/黒木華、綾野剛、Cocco、原日出子、地曵豪、和田聰宏、金田明夫、毬谷友子、佐生有語、夏目ナナ、りりィ配給/東映 3月26日(土)より公開 
(c)RVWフィルムパートナーズ
http://rvw-bride.com


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