KAT-TUNはなぜ空中分解した? 元側近による暴露本が出版! 亀梨は「もう俺のソロでよくない?」と

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KAT-TUN空中分解の真相がついに明らかになった。


【本と雑誌のニュースサイトリテラより】

 4月28日、『櫻井・有吉THE夜会』(TBS)で「KAT-TUNまた逢う日までサヨナラSP」が放映された。5月1日の東京ドーム公演を最後にグループ活動を停止するKAT-TUN。オープニング早々、亀梨和也が「(やんちゃで)怒られた人たちが抜けてった」と次々とメンバーが脱退したことを自虐的に語った。

 しかし、番組は「想うことをすべてさらけ出す」としつつも、"またKAT-TUNを見られるのを待っていてください"というヌルいオチで終了。だが、KAT-TUNといえば、亀梨が言うようにメンバーの脱退ばかりが話題になるジャニーズでも異例のグループだった。今回の活動停止にしても、赤西仁、田中聖に続き田口淳之介がジャニーズ事務所を辞めるという3人目の脱退者が出たことがきっかけだったのだが、そんなテレビでは語られないKAT-TUNの内情が、側近によって暴露された。

 それは、今月22日に発売された『KAT-TUN 6 粒の涙』(元「KAT-TUN」側近スタッフ一同・著)だ。これは嵐の暴露本『嵐、ブレイク前夜』(元嵐側近スタッフ一同・著)と同様、ジャニーズタブーとは一線を画す「週刊女性」を擁する主婦と生活社から出版されたもの。嵐本と同じく元側近から見たメンバーの確執や恋愛、3人もの脱退者を出したKAT-TUNの生々しいエピソードが描かれている。

 なかでも注目すべきは、亀梨と赤西という"ツートップ"のデビュー前からの確執だろう。そもそもグループ結成時、メンバー同士が「知ってるやつもいるし、それ以外は時に知らねえ」というクールで結束力に欠ける6人だったが、それに拍車をかけたのが亀梨の"俺さま"な言動だった。2001年に結成されたKAT-TUNだが、その後、5年間もCDデビューを果たせずにいたそんな時期に開かれたマスコミ会見でデビューについて聞かれた亀梨は、こう切り返したという。

〈「もうデビューは俺のソロでよくないっすか!?」
 そう不敵に笑いながら拳を突き上げて前に出た。笑いを取りながら記者を煙にまく亀梨流のリップサービスであったが、どこか冗談とも取れない意気込みを一瞬醸し出していた。そのとき、横にいるメンバーたちは不機嫌な顔をあらわにした〉(『KAT-TUN 6 粒の涙』より、以下同)

 この会見の席で亀梨は、さらにメンバー間の仲について「俺たち、だからそんなに仲よくないっすよ」とまで言い放ったという。

 実際、亀梨はKAT-TUNとしてではなく、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で共演した山下智久とのユニットで「青春アミーゴ」をリリース、大ヒットを収めるが、このことでさらにグループ内の"不和"が加速していく。

〈KAT-TUNの他の5人のメンバー、特に赤西にとっては面白くない出来事として、その内心に穏やかならないさざ波を立てたのかもしれない。当時のスタッフがその空気をこう表す。
「やっぱり2人はどうしても比べて見られていましたからね。お互いがライバルとして意識するなというほうが無理でしょう」〉

 2人の関係は周囲から見ても危なげなものだったというが、共に人気ドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)への出演で一躍ブレイクした亀梨と赤西は、当時、赤西のほうが亀梨よりも知名度、人気ともに高かったことからも歪な関係がさらに加速していく。

〈このころから赤西は、
「グループとしてやっていくことが自分の道として正しいのか」
 こんなことを考え始めていた〉

 CDデビュー前からの"ツートップ"の不協和音。さらに2人が共演したNTTドコモのCM撮影現場でも、こんな鞘当てもあったらしい。現場でスタッフが赤西仁に「いい身体してますね。鍛えているんですか?」と聞いたときのことだったという。

〈赤西は答えた。
「はい、ジムに通って鍛えています。亀梨みたいに細いとちょっとね」〉

 亀梨和也に対する強烈なライバル意識と皮肉である。一方の亀梨も同じ現場で赤西に対して強烈な批判を口にしたという。

〈メーキング映像を撮っていたスタッフが、亀梨のコメントを録りにカメラを回しながら話しかけた。
「さっき赤西君も撮らせてもらったんで。彼はこういうのが苦手だって言ってたけど、亀梨君は上手そうだからよろしくお願いします」
 と水を向けると、
「あいつ、ほんとに言い訳野郎だな」
 と周囲にも聞こえる声でひと言吐き捨てた。
 この頃の2人は、もはや同じグループのメンバーとしてお互いを尊敬し,称え合うという良好な関係ではなかった〉

 こうした2人の確執は、赤西、そして田中聖、田口淳之介という3人の脱退の予兆だったのかもしれない。赤西は六本木のクラブ通いを通じて外国人の友人が増え、KAT-TUNから離れての海外進出、ソロ活動への想いを強くし、ジャニー喜多川社長の庇護のもと、それを実行していく。しかし2012年、事務所に相談なく黒木メイサとデキ婚するという前代未聞の"事件"を起こし、芸能活動を干され、その2年後には事務所を去った。その理由について同書ではこんな指摘がされている。

〈1つは、電撃婚によってもたらされた修復不可能なまでの事務所との確執だ。(略)
 2つ目の理由は、自身の目指す将来像との相違だ。本人が退所時に語っており、かつてからの夢であった海外での活動に本腰を入れたいというのは本音だろう〉

 もう一人の脱退者、田中にしてもKAT-TUNへの鬱憤があったと思われる。

〈そもそもはグループ結成前にいちばん出番が多かった田中の気持ちからすれば、徐々にその立ち位置が後ろぎみになっていくことについて、積年の中で相当な鬱憤を抱えていたのだろう。(略)どこまでいってもグループでいることを運命づけられているジャニーズという環境に各々が窮屈さと限界を無意識のうちに悟る。そうして最終的に、人によっては抗っていくことになるのである〉

 そして、田中はKAT-TUNとは別の居場所を求めた。それが西麻布に自らのバーをオーナーとしてオープン、2013年9月の事務所解雇という異例の事態に進んでしまう。同書ではその理由としてこんな示唆がなされている。

〈これ(解雇)はジャニーズ事務所の歴史上、かつてなされたことのない異例の処置。穏やかでない事情があったことを誰もが想像した。
 このすぐ前に流出していたプライベート写真が原因か。
 また、既に噂が事実として認知されてしまっていた西麻布のバーのことが原因か。
 答えはその両方だとも言えるし、それ以外にあるとも言われた〉

 KAT-TUNというグループのなかでもがき、自分だけの新しい道を模索したことで、事務所を辞めざるを得なかった赤西と田中。そして、今年3月末に事務所を退所した田口もまた"新たな道"を選ぶことになる。

〈田口にはずっと以前から、年上の女優の恋人がいると言われているが、この相手との将来を考え、新しい人生に思いを馳せたタイミングであることが想像できる〉
 
 個性が強く、ヤンチャなイメージの強いKAT-TUN。その6人のメンバーはジャニー喜多川氏がのめり込み、相当な肝いりで結成されたと言われているが、だからこそ3人もの脱退者を出し、そして活動休止を余儀なくされた。

 同書では、ほかにも数多くのエピソードでKAT-TUNの軌跡が綴られているが、特に亀梨と大物女優との交際にまつわる仰天エピソードなど恋愛事情もまた暴露されている。その内容は驚くべきものだが、これについては別の機会に紹介したいと思う。それにしても、同書を読んでいると、KAT-TUNの空中分解は起きるべくして起きた、そんなふうにも思えてくる。果たして新生・KAT-TUNを見られる日はやってくるのか、ファンは不安が尽きないはずだろう。
(林グンマ)

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