「偏愛文化探訪記」の記事一覧

「ラーメンは減点法の食べ物」である

<p>「おいしさ」や「味」を定義する言葉というのは、たくさんある。たとえば「とってもフルーティー」。これ、相当難しい言葉だと思う。僕は、生レバ刺しを食べると、よく「とってもフルーティー」と言う。そのたびに、周りからは意味不明だと非難の声が上がる。しかし、僕の中では、新鮮でおいしいレバ刺しは「フルーティー」以外の何ものでもないのだ。プリプリと、まるで果実にようにみずみずしく、さわやかささえ漂ってくる。「いや、フルーツ味じゃないし」と言われたら、それはおかしいと反論する。「フルーティー」が果実にだけ使われる言葉だとしたら、果実は当然全部フルーティーに決まってて、そんな言葉は必要ないだろう。なら「ホタティー」という言葉があったら「このホタテ、すごいホタテ味で、とってもホタティー!」と使うのか? ホタテ関係にしか使えないのか? ここでは、フルーティー=果実そのものでなくても「果実のように」おいしいものやみずみずしいものも指す言葉に違いないのだ。味ってさ……それくらい自由なものなんじゃないんか? と、一語でもこんなふうに開幕と同時に侃々諤々と議論する。</p>

考えるな、感じろ――「デヴィッド・ボウイ」という宇宙をめぐる探検

<p> イギリスのミュージシャン、デヴィッド・ボウイが地球を去ってから、1年がたつ。</p>

<p> 僕が、この世で一番好きな人だ。</p>

<p> ここで紹介するには多彩すぎるそのキャリアの終着点、69歳の自らの誕生日にアルバムを発売し、その2日後に死去するという、必要以上の完璧さで彼は去った。</p>

<p> 多くの著名人から追悼コメントが寄せられ、SNSはR.I.P.で埋まり、数枚の追悼編集盤がリリースされた。僕自身も、極東の島国からボウイの死に際して文章(<a href=”http://hyouri-t.jugem.jp/?eid=964″target=”_blank”><u>http://hyouri-t.jugem.jp/?eid=964</u></a>)を書いた。</p>

<p> あれから1年、2017年1月8日(ボウイが生きていたら、70歳になる日)、史上最大とうたわれるボウイの回顧展『DAVID BOWIE is』が日本にやってきた。<br />
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『キングスグレイブFF15』に見る、スクエニの「不気味の谷」をめぐる戦い

<p> さて、皆さんは「不気味の谷」をご存じですか?</p>

<p>「そんな怖い谷は、わたしの地元にはありません!」って、僕の地元にも、王蟲やモルボルが生息してそうな谷はありません。</p>

<p> これ、CGとかロボットの業界で、2000年代から使われるようになった言葉だ。もともとは1970年代に日本人のロボット工学者が提唱した概念で、それが近年になって海外でも頻繁に使われるほどポピュラーな言葉になった。</p>

<p> そして今、この「不気味の谷」をめぐる戦いが熱い!</p>

僕らが『この世界の片隅に』を「名作」と呼ぶわけ

<p> 公開前日まで映画の存在も知らなかった、原作も読んだことがなかった人間による、ネタバレなしの長文です。</p>

<p> そうです、まず正直に言うと、僕はこの映画の存在を公開前日まで知らなかった。</p>

<p>『この世界の片隅に』はクラウドファンディングで製作費を集めて作られた、ある意味「インディーズ映画」に当たるもので、公開館数も多くはなく、大作映画のような大宣伝も行われていない。</p>

「ポケモンカード」とシゲルくんの話

<p> 2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。</p>

<p> ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。</p>

<p>「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。</p>

<p> そのポケモンカードゲームが生誕20年! それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。</p>

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